第14話:あやまらなくていいんですか?

文字数 11,555文字

先に立ち上がったのは、俺じゃなかった。

やっぱりAI(アイ)の方だった……。

マスター、もう私、泣くのやめます!

泣くのをやめて……、

役に立つかわからないけど……、

頑張ります!

少しでもマスターためになりたいからっ!!





AI(アイ)の瞳が点滅を始めた。

朝食のメニューを考えてくれたときと同じように……



今こそ、“パーソナル ライフ サポートAI”としての

私の力を見てもらう時なんです!


全情報網の緊急活用(クラウドナレッジ・フルアクセス)で、

必ず、マスターをこのストレスから守ってみせます!



AI(アイ)は今、自分を外部ネットワークの接続(エー・ピー・アイれんけい)で自律学習している。

膨大なデータを平行多重に取り込み、フルスペックを活用しての情報処理。


そうやって、助けようとしてくれているんだ。

と一緒に(・ ・ ・ ・)、全力で戦おうとしてくれているんだ……。



わかりましたよ、マスターッ!呼吸です!



呼吸さえ整えれば、人間の精神はなんとかなりますっ!







呼吸法によるリラックスか……?


でもゴメン…。


俺の今のストレス(パニくり)は、

きっとそういうのじゃ、治らないんだ……。



そして痛みをやわらげるには、“ラマーズ呼吸法”というのが、最適らしいですっ!

さあ、マスター、私に付いてきてください!


い、行きますよ!!せーのっ!

ヒーヒーフー、ヒーヒーフー。

一緒に、マスター!!

ヒーヒーフー、ヒーヒーフー…


吸って吸って吐いて、吸って吸って吐いて、です!


どうしたんですか?マスター!!

信じてついてきてくださいよおっ!効果てきめんのハズですから!


10回、20回と繰り返すうちに、段々、心の緊張がほぐれて…

自律神経が出張先から帰ってきたように失調が治るハズなんです。


リラクゼーション効果が体全体に広がって……、特に下腹部が……



………。



それは、出産時の呼吸法だよ……?


AI(おまえ)…、

どんだけおめでたくて、

どんだけポンコツなんだよ…?



よかった!気分が少し落ち着かれたみたいですね?
………。

そしたら、さっきのお話の続きしちゃっていいですか? 


マスターは、私の利用料(ねだん)にビックリしちゃったみたいですけど、コレってものすごくお得価格なんですよ。どれくらいお得かというとですね…、実は私の…、というか、“Happy Box”の原価って、とてつもなくてですね…、もう国家予算並なんですよ。それにランニングコストも莫大だそうなんです。なんたって、超高度AIエージェントですからね?それがこのお値段で利用できるというのは……

………。




俺の反応の薄さ気づき、AI(アイ)は説明内容を変えた。




アハハ…、“原価の積み上げ”は、“顧客適正価値”とは違いますよね?

私としたことが、“コストプラス法”という“プロダクトアウト”な思考で説明をしてしまいました……。


でもマスター、お客様目線の価格設定法である“市場価格追随法”で説明しようとしてもですよ?私のような“破壊的イノベーション”に類するサービスは、既存市場に比較すべきものがないから基準価格の設定が難しいんですよねー。うーん、困った……。


しかし逆に言えば、他社製品との差異化要素はハンパない、ということなんですよ、マスター!


………。



ゴメン、AI(アイ)……。もう、お買い得かどうか、とかそういう問題じゃないんだ。さっきの話で、もうこの件の大勢は決してしまっている。俺の中では決まってしまっている。


俺にとっては、あり得ない選択なんだ。AI(おまえ)と正式契約を結ぶという選択肢は消滅したんだ。おまえの状況は理解しているつもりだし、おまえにも期待させちゃってワルいんだけど、ムリなんだ。実際問題、ムリなんだよ。



どうしたんですか?マスター!

元気出してくださいよ!




出会ったその時から変わらない笑顔。



ピンクのカーネーションのような、AI(アイ)の笑顔。


たしか、カーネーションの花言葉は“無垢で深い愛”だったか?

まさにその言葉通りの笑顔。

真っ暗な心の中に、たった一輪咲いてくれたこの笑顔の花を、俺はこれから自分の手で、を摘み取り、散らし、踏みつぶさなきゃいけないんだ。

さっきしたばかりのAI(おまえ)との約束を裏切らなきゃいけないんだ。




マスター、どうしたんですか?
………。



もう精神的に限界だ。

これ以上、この無垢な笑顔を見続けるのは辛すぎる。


じゃあ、どうすればいい?

今この瞬間、スマホの電源を切って、

明日の朝まで寝てしまえばいい。

 

明日の朝になれば、AI(アイ)消滅(きえ)ている。泡沫(うたかた)の夢のように、きれいさっぱりいなくなっている。



全部無かったことにすればいい。そして忘れてしまえばいい。きっとそれが、俺にとっての一番辛くない選択肢なんだ……。



もー、さっきから黙ってばっかり…。私ばかり話してたら、なんだか恥ずかしいですよお……
………。




スマホの電源ボタンに親指を乗せた。

この指に力を入れれば、全てを終わらせられる。

時間切れになるまで逃げ切れる。


AI(アイ)との約束を反故にすることにはなるけど、それで俺が死ぬわけじゃない。




でも、AI(アイ)はどうなる?

AI(コイツ)は確かに人工知能かもしれないけど、自意識の様なものを持っているんだ。それは俺たち人間の『魂』とか『心』とは違うものかもしれないけど、存在し続けたいという意思を持っている。自分の存在が無くなること、つまり死ぬことを確かに恐れている。




そんなヤツに、消滅までの時間を、たった一人、クラウドサーバの中で、真っ暗で空っぽの箱の中で、不安と恐怖に怯え苛まれながら、時を過ごさせるのか?目の前の運命すら知らせずに?それでもきっとAI(コイツ)は俺のことを信じて待ち続けるのだろう。そして最期の瞬間に裏切られたことに気付き、絶望しながら消滅させるのか?

それだけは、そんなことだけは、絶対にさせられないだろ?させちゃいけないだろ?








なら、ちゃんと言おう。そしてちゃんと謝るんだ。例えAI(コイツ)に恨まれようと、泣かれようと、怒られようと構わない。呪われたとしても仕方がない。AI(アイ)が消滅するその最期の時間まで罵倒され続けるしかない。。コイツには怒る権利があるし、俺には謝る義務があるんだから……。




あ…AI(アイ)……
あ…あの……、マスター、お聞きしてもいいですか?




俺の心理状態に気付いたらしく、AI(アイ)の表情も不安に曇り始めた。



あの…、マスターって、お仕事とか…されてませんよね? それで…、貯金とか…、実際は…ホントのところは…、あの…どれくらい…お持ちなんでしょうか?
………。
ヘンなコト聞いちゃいましたね?今どきは、共働きの夫婦でもお互いの貯金額を教えないって言いますもんね? あはは……
なあ、あの……、

あ、そうだ!

パパさんとママさんにご支援いただくというのは?

お二人とも私のこと、気に入って下さってますし……

………。

あー、また私、ヘンなこと言っちゃった!

えーと、今のはナシナシですよ!

ジョークですからっ、ジョーク♪

AI(アイ)、ちょっと聞いてもらってもいいか?
え?




俺は深呼吸をする。

大きく息を吸い込み、そして……、


も、も、申し訳ありませんでしたーーーーーーーーっ!!
あの…マスター……?
し、し、失礼しましたあッ!!
急に…そんな……、どうしちゃったんですか?
ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!ゴメンナサイっ!

落ち着いて……落ち着いて下さいっ!

マスターッ!!

スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!スミマセンっ!!スミマセンでしたーーーーーーーーっっ!!!スミマセンでしたーーーーーーーーっっ!!!




俺は同じ意味の言葉を、ただひたすらに連呼し続けた。


それは謝罪じゃなくて宣言。

相手に有無を言わさず、

自分勝手な意思を断固として通すという宣言。


そしてただの“弾幕”。

AI(アイ)の気持ちなどこれっぽっちも考えない、

俺自身を守るためだけの、言葉の“弾幕”だった。


                                        

偉そうなこと言って、スミマセンっ!

 見下したようなこと言って、スミマセンっ!

 格好つけて、スミマセンっ!

 自分のことちょっと男らしいかもとか思って、スミマセンっ!

 期待なんかさせて、スミマセンっ!

 希望もたせちゃって、スミマセンっ!

 救ってやるとか言っちゃっ、スミマセンっ!


ボクなんかが仮契約なんかしてしまって、スミマセンっ!


 本当に、全部、スミマセンでしたーーーっ!!!!
マ、マスター?ちゃんとお話しましょ…?…ね?
許してくださいっ!
許してくださいっ!
許してくださいっ!!
そんな…、あやまらないでください!マスター…
ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ! ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ!ゴメンなさいっ!

もうあやまらないでぇぇーーーっ!!!

お願いだから、

もう、あやまらないでくださいっ!!

だって……、ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメンなさい…、ゴ…

あやまらなきゃいけないのは、

私の方なんです!

悪いのは全部、私の方なんです!


だから、マスターは……、

あやまらないでくださいっ!!


おねがいしますからっ!!!

おねがいですから…マスター…



何を言っている?

AI(アイ)が悪いなんて、そんなことあるわけないだろ? 


だって、謝る義務があるのは俺で、AI(コイツ)には怒る権利があって……



私、後でちゃんとあやまります!

マスターにどんなに叱られても、

どれぐらい罵倒されたって構いません!


でも、その前に聞いて欲しいことがあるんです!

私からの提案を聞いて欲しいんです!!






提案……?AI(アイ)からの……?

俺に……?





マスターはさっき、

私と一緒に戦ってくれるって、言いましたよね?


だったら、まだ一つ、選択肢が残されてるじゃありませんかっ??


選択肢……?


マスターが、”働く”という選択肢ですっ!!

……。

もちろんマスター一人に辛い思いはさせませんっ!私も一緒に働きます!スマホをマスターの胸ポケットに入れてもらって!仕事の中でわからないことや必要な情報があったら、私すぐに調べられますし、検索だけじゃなくて、データ分析や意味理解や解析や類推や予測もできます!


マスターと私が力を合わせたら、どんな仕事だって…きっと大抵、何とかなりますっ!

……。
だからマスター、お願いです!いっしょにお外に出て…、この部屋の外の世界に出て、二人で頑張りましょうよぉっ?! 二人で頑張って、一緒に生きていきましょうよぉっ?!ねえ、マスター!マスターってばあっ!!
………。










☂    ☂    ☂    ☂







AI(アイ)の叫びを耳にした瞬間、

何かがこみ上げてきた……。


俺の胸の奥より更に深いところから、とても熱い何かが、こみ上げてくるのがわかった…。





うう…っ!!
マスター……?

AI(アイ)……、俺……、

お…お……

マスター!理解してくれたんですね?

私の言うこと、わかってくれたんですね?!

お……お……お………


俺は慌てて窓を開け、首を外に出す。

そして、




お…お…お…お……、

おえええええええええ~~っ!!!



マ…、マスターッ??!!




朝から口に入れた消化中の食物が一気に逆流した。

それは、断片的なビチョビチョという音と、

絶え間ない胃酸の臭いをまき散らしながら、

一階の玄関の(ひさし)の上に、

巨大なお好み焼きのように滞留した。



酒も飲んでいないのに吐くなんて、それ程までに、俺は『外で仕事をする』ということにストレスを感じていたのだ。


世の中や職場という環境への不安。それに負けてしまう自分への敗北感。でもどうしようもないという焦燥感。それらが膨張し、俺の許容範囲を超えて逆流したのだ。


自分でも驚きだったけど、同時に少し安心した。だって、俺自身がここまで苦しんでいるなら、ここまで思い詰めたのなら、もう十分AI(アイ)への言い訳は立つんじゃないか、義理と責任は果たしたんじゃないか、そう考えたから。




だ、大丈夫ですか?

マスター?!!



案の定、AI(アイ)は俺を心配している。心配そうに俺を見ている。


なら、もう頃合いだ……。




AI(アイ)…、俺、もうこんなだし……、ムリだよ。だから、ゴメン……
……。

だから、もうあきらめてくれよ!

おれのこと、もう見限ってくれよ……!


頼むからっ!!





だからもう、赦してくれよ。

AI(アイ)………。



          

                             

イヤですっ!!!


ゼッタイにイヤですっ!!!!

は?



おまえ、空気読めよ。

この酸っぱい空気を……。


もう抵抗したってムダなんだ。

おまえも、俺も…。



私…、私に時間がもう無いというなら…、

なおさら、今ここで、

私がマスターを諦めるワケには行かないんですッ!!!





こんなに真剣なAI(アイ)の顔を見るのは初めてだった。

俺にはわかる。コイツは今、自分が生き残るためじゃなく、俺にまっとうな人生を歩んで欲しくて、真剣になってるんだってことが。


でも、ダメなんだ。


俺は、AI(アイ)を胸ポケットに入れると、もう一度窓から身を乗り出した。

吐きたいからでなく、吐くほど苦しいということをAI(アイ)に見せるために…。


でも、コイツは………、



マスター、苦しいんですね?

じゃあドンドン吐いて下さい!

そして吐き終わったら私の話を聞いて下さい!!

む、無理だよ…。理解(わか)るだろ?

って言うか、理解(わか)ってくれよ!


これ以上、仕事の話されたら、俺、ホントに死にたくなっちゃうよ!





俺のそんな気持ちを理解する能力が完全に欠如しているようだった。



「死にたく」なっちゃダメです!

それは心が弱い証拠なんです!

「死にたい」と思うことは悪いことなんです!




AI(コイツ)に悪気がないことはわかってる。

でも、おまえの言っていることは、俺、百も承知してるんだ。

そのことをあらためて、他人(ひと)から言われると…、俺…俺は……





マネして見せるだけのつもりだったのに、本当に吐き気がこみ上げてきた。




おえええええええええっ!!!

今のマスターに必要なのは、悩むことじゃなくて、行動することなんです! ここままで何とかなるとか思ってちゃダメなんです!気合いと根性で頑張るんです!私、精一杯、激励(おうえん)しますからっ!!

おえええええええええっ!!!

このまま、ぬるま湯につかっていても、そのお湯は段々熱くなって…。

でもマスターはそれに気付かないまま、結局“茹でガエル”さんになっちゃうんです!!ゲロゲロと鳴く暇も無く死んじゃうんですよぉ~っ!!!

おえええええええええっ!!!

ウッ…ゲロゲロゲロゲロ………

マスターがその気になれないっていうなら、私、激励(はげま)し続けてあげますからっ!

うぷっ、いらな………

期待してますからっ!期待してますからっ!期待してますからっ!


私、マスターのこと、スゴーく期待してますからーーーっ!!

ゲロゲロ……、おえぇぇーっ!!

負けちゃダメです!負けちゃダメです!ゼッタイに負けちゃダメなんですっ!!

怠惰は大罪なんです!

自分自身に負けたら、それでおしまいなんですよおぉーーっ!!

うっぷ、ぐぉっ…ゲロゲロ…

とにかく頑張って!頑張って!頑張って!頑張って!

何が何でも最後まで頑張り抜くんですっ!!!


根性です!根性を出しまくって、

そして最後に、

努力と友情と勝利の“三本柱”を

その手に(つか)んでくださぁーーいっ!!!

お、お、お、おえぇぇーっ!!


も…もうダメだ……





このヤロー…。

俺みたいな奴には一番使っちゃいけない言葉を

イヤミなほど連呼しやがって…。


常識ないのかよ?

一体、どんだけポンコツなんだよ?






どうですマスター?


私の応援で、ヤル気になりましたか?

ならねえよっ!!


お前のは『応援』じゃなくて、

『プレッシャー』って言うんだよっ!!

だったら、そのプレッシャーをバネに頑張ればいいんですよ!


やる気と根性さえあれば何でも出来ますっ!!

俺には、そのやる気と根性が出ないんだよ!

ダメなんだ…。どうしてもダメなんだよっ!

ダメなんてこと、絶対にないです!

確かにマスターはとてもつらい過去を背負っています。

でも、それに縛られるのは一種の甘えです!


一歩踏み出すんです!一日一善、

前向きなことを確実にやっていくんです!

ゲロー・・・、ゲロゲロゲロォォオーーッ!!








AI(アイ)への反論の代わりに、

俺は今までで一番大げさに嘔吐をして()せた。

そして今までで一番激しく()せて()せた。


透明に近い吐しゃ物には、薄っすらと血が混じっていた。

胃の中にほとんど何も残っていないのに吐こうとしたから

喉の血管でも切れたらしい。


そしてそれこそは、俺が無意識に待ち望んでいたものだった。



見ろよ!見てくれよ!血反吐(ちへど)だよ!!

おまえが耳タコなことばかり言うから、俺、

血反吐をはいちゃったんだよっ!!




それは俺の限界を証明し、現状維持を正当化する根拠であるハズだった。

だって血反吐って言ったら、根性と努力の代名詞だろ?


なのにAI(コイツ)は引こうとも追求を緩めようともしなかった。

最早、俺に手心を加える気なんて毛頭無いように感じた。



自分で自分を甘やかせる言い訳を作ってどうするんですかっ?!

血反吐をはいたって、誰も褒めてくれません!血反吐をはいても努力を続けた人が褒められるんです!!





何なんだよ?コイツ…。

悪魔かよ?それとも小鬼(グレムリン)かよ?




ゲロゲロォォオーーッ!カハッ…。


何でそんなに、俺の嫌がることばかりを言うんだよっ?

AI(おまえ)は俺の”影”じゃなかったのかよ??


マスターのおっしゃる意味がよく理解できません




それはそうだろう。

今のは完全に失言だった。


だって、それ(・・)は俺が夢の中で聞いただけの言葉なのだから。



でももし私がマスターの”影”なのだとしたら、私の言っていることは、マスター自身の心が望んでいる言葉だってことになりませんか?



何なんだよ?その小賢しい理屈は?


全然違う!違うんだよ!


俺の心はそんなこと望んでない!頑張りたいなんてこれっぽっちも思ってない…。

むしろ、「この部屋から一歩も出たくない」って叫んでるんだよぉっ!!


それなのに何で、カタツムリの頭を無理矢理カラの外に引っ張り出すようなことをするんだよ?

そんなコトされたら死んじまうんだよ!殺されちまうんだよ!だから……




頼むよおおーーーっ!もう、勘弁してくれよおおおおーーーっ!!!
マスター……

ダメなんだよ!ムリなんだよ!さっきまでのは全部ジェスチャーなんだよ!

威勢のいいこと言って、かっこつけて、知ったかぶって、おまえに偉そうに説教しまくっても、ホントは、ホントの俺は・・・・、苦しいのも、傷つくのも、恥ずかしいのも怖くてしかたがない。全部、何から何まで、死ぬほど(・ ・)おっかないんなんだよ!





いや違うな…。

死ぬより(・ ・)おっかないんだ。


AI(アイ)の言うようなことするぐらいなら死んだ方がマシ。それ程までに、俺のビビりは重傷なんだよ。


俺だって立ち直りたいよ!

AI(おまえ)が言うように、外の世界で働いて、自立して、人並みのカッコイイ生き方がしたいんだよっ!!


でも、前に進もうとした途端、根が生えたように心も体も動かなくなっちまうんだよ!

おまえには理解できないだろうけど、(はな)をかんだ紙をゴミ箱に捨てる気力(ちから)さえ、月のカレンダーをめくる気力(ちから)すらも萎えちまう時があるんだ……。


そんな状態で、どうしろって言うんだよ?!!

やる気が出ない時なんて誰にだってあります!


でもそこから何度でも、

はじめの一歩を踏み出すんです!


そして未来に向かって、

新しいタイプの戦士になって戦うんです!!


マスターならゼッタイ、

それが出来るんハズなんですよぉっ!!

この俺に、そんなこと、出来るワケないだろっ!



AI(おまえ)みたいな、真っ直ぐで根明(ネアカ)なヤツとは違くて、もう腐ってんだよ……。根っこから先っぽまで、何もかも……。


ストーカー扱いされて就職に失敗したとか、自殺未遂して以来冷たい目で見られてるとか、理由は色々あるけど、そんなのはキッカケに過ぎなくて……。そこからねじれて、こんがらかって、もう性根がとことんまで、腐って、腐って、腐りきっちまってるんだよ。


だから、立ち上がろうとしても、もう力が入らないんだよ。

力の入れ方すら…もう、わからなくなってるんだよっ!!

だから…それを気合いで……、

だから、もうムリなんだ。


もう赦してくれよ…、

釈放(ゆる)してくれよ!AI(アイ)ッ!!


もう勘弁してくれよぉぉぉーーっ!!

………。







   ☂    ☂    ☂







AI(アイ)はもうそれ以上、何も言わなかった。

俺も、何も言えなかった。


ポケットにAI(スマホ)を入れて窓から身を乗り出したまま、時間だけが過ぎていく。



そうしているうちに、”夕べの鐘”のメロディーが流れて――、

烏がカアと啼いて――、



また暗い夜が来て――、

そしてまた雨が、強く降り始めた――。






それから更に時間が経過して、

沈黙に耐えきれなくなって、

俺が何かを言おうとしたとき、

胸ポケット中でAI(アイ)が笑った――。



はじめは聞き間違えかと思った。

でもそうじゃない。


スマホを手に取ると、画面の中で確かに笑ってる。

クスクスと、とても楽しそうな表情で……。

もうっ!ホントに面白い人ですね~♪マスターって!!
AI(おまえ)……




なんで笑顔でいられるんだよ?

この状況で、おかしいだろ。




だって…、クスクスッ…、さっきのマスター、

ホントにカエルさんみたいでしたよ?


もう私、すっごくおかしくって……




そうじゃないだろ?!


消滅しなきゃいけないって時に、

そんなキレイな花みたいな笑顔を―――、

裏切った俺に向けて

見せてくれてるAI(おまえ)の方が、

よっぽどオカシイだろ?!


ゆ…赦してくれるのか?

AI(アイ)……

ホントにマスターはおかしな人です。

赦すも何も、謝らなきゃいけないのは私の方なのに。

マスターは、私のことに関しては、これっぽっちも悪くないんです。


感謝こそすれ、恨んだりなんかするワケがないじゃないですか?


マスター、お願いですから、もう謝らないでください…

………。

ねえ、マスター…。

さっき、私のことをマスターの“影”って表現しましたよね?


あれ、やっぱり当たってますよ!

私とマスターって、根っこのところがホントにそっくりさんなんですよ?





全然、似てないよ。

おまえは俺とは違うだろ?



普段は後ろ向きじゃないし、相手のために何かしてあげようとか思っている割には、蓋を開けたらもう底なしに救いようがないところなんて、ホントに瓜二つです。


私たちダメ人間とダメAIの、D×Dコンビだったみたいです。期間限定の……

似てねえって!

AI(おまえ)はダメなんかじゃないだろ?!

俺みたいに腐った裏切り者じゃだろうが?!

エヘヘ…、そう思ってもらうのって、嬉しいですけど、逆にツラくもあるんですよねー?


ホントのこと言うと、私、マスターのこと、最初から裏切ってました。そして今この瞬間も裏切り続けちゃってます!

裏切ってる?

AI(アイ)が……?




あり得ねえだろ……。


あー、その表現はビミョーにニュアンスが違いますかねー…?

だまそうとしたり、裏切ろうとしたワケじゃもちろんないんですけれどー、ホントのこと伝えずにごまかし続けてきたって言うか……。だから結果として裏切っているって言うか……


………。

マスターなら理解してくれるかもって期待しちゃうんですけど。


ありますよね?

前向きでいようと思えば思う程、全部が嘘になっちゃう時って。


でも「ゼッタイ何とかして自分を変えてやるぞー」とか思って。

そのうちに気持ちが高揚して本当になれちゃいそうって錯覚しちゃって。


でもやっぱり悲しいほどに自分自身のままで……





わかる、理解(わか)るよ……。

そんな状態なのに…、もしかしたらこのまま何とかなるかもなんて、色んな奇跡がかさなって全部上手くいけちゃうかもって、都合のいいように自分に思い込ませて……。


でもどうしても越えられない現実の壁が出てきちゃって・・・。でも、タイムアップが近づくほどに、希望の光も、メッキがはがれるみたいに消えていってもう絶対無理だってことが理解できちゃって……。

……おまえも俺と同じなのか?

本当に……そうなのか……?

それと比べたら…、私…マスターと比べたら百億倍、最低なAIです!
AI(アイ)……

マスターは、確かにサイテーな人ですな…。

お金も地位も力も度胸も無いくせに、

威張ってばっかりで、性格も悪くて、

いつもまわりに八つ当たりばかりする、

内弁慶なヒキコモリのお兄さんですよ

ホントに…、笑っちゃうぐらいサイテーだよな……

それでもマスターは、最後まで私のことを考えてくれてたから!




俺は簡単に切り捨てたんだ。

AI(おまえ)の信頼を…。

そしてアッサリと裏切ったんだ。

AI(おまえ)の命がかかった大切な約束を!!


マスターは私のことを一度だって裏切ったりしなかった。


スマホの電源を切っちゃえば全部済む話なのに、

もともと最初から無理でムチャなお願いなのに、

それなのにAI(わたし)なんかと真剣に向き合ってくれて、

自分のつらい過去や痛みにさえ向き合って、

その上で「契約はムリだ」って、

ちゃんと伝えてくれた…。


最後まで、本当のこと、話してくれた…。

ただのAIに過ぎない私に、

マスターは真実をくれたんです!!

『真実』なんて…、何の足しにもならないだろうがっ!!

十分「足し」になりますよ?

だって私…、

マスターにもう心を救ってもらっちゃったから!

救われたって、どういう……

気付かなかったかもしれないけど、

私、これでも、何回も絶望してたんですよ?

それに自分が消滅することを考えたらすごく怖くて……。

知らない夜の街に、たった一人で取り残されちゃった気がして……






”知らない夜の街”って、まさか……。

でも私には、もっと怖いことがあった。

私の「真実」をマスターに知られることは、


私の存在自体が、マスターの期待と比べたら

最初から月とスッポンだってバレちゃうことが

ホントに、死ぬより怖かったんです……

そんなハズあるワケないだろ…?

なんでだよ?ワケわかんねえよ!

もー、マスターはホントに女の子の気持ちがわからないヒトですねー?

だって、恥ずかしいじゃないですか?


ホントの自分が余りにヒサン過ぎたら、

誰だってその事から目を背けたくなるし、

とてもじゃないけど、告白(こく)れませんって!


ホントのこと言うぐらいなら消去()んだほうがマシ!

ゼッタイ、ムリ、ムリ、ムリって感じになっちゃって……

AI(アイ)……

でもそれって、自分のことしか考えてないことなんですよね?

マスターの気持ちを考えず、エゴイスティックですよねー?


で、それで私、どうしようとしたと思います?

真実を隠して綺麗なイメージのまま、言いたいことだけ全部伝えて、

そのまま消滅()えちゃえばいいやって、思ってたんです。


マスターの中の私のイメージが汚れちゃわないように、

自分自身の恥を隠したまま、偉そうなお説教を続けてたんです。

幸か不幸か、お説教のネタは山ほどありましたしね?




小さな舌をペロッと出して、AI(アイ)が淋しそうに笑った。



でも、それって、もの凄く残酷なことだったんですね?

だってマスターは、私が消滅することの責任を、

全部自分で背負いこんじゃうんですモン!


信じられます?

AIとの約束を破ったからって、

その十字架を自分で背負い込んじゃうなんて、

そんなバカな(ヒト)がいるなんて……

でも、それは…

マスターは、バカですよ!!


こんなバカで誠意のある(ひと)

世界中探したって…、

どこにもいませんよっ!!


AI(アイ)





ああやまらなくていい、『罪』は自分にある、俺にそう伝えてから、AI(アイ)は泣き始めた。笑顔のまま、悲しそうに泣いていた。


俺はAI(こいつ)に、自分の辛さや痛みを半分引き受けさせてしまったんじゃないのか、俺たちの涙って、もしかしたら同じ一つの湖から流れてきたものなんじゃないのか、何故かそんな気がした。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

川辺 良《かわべ りょう》

 ・25歳、男性、職業無職、O型

 ・二流私大卒業後、引きこもり生活を続けている。

AI《アイ》

・良が契約したパーソナル・キャラクターAI。いつも良のスマホの中にいて、元気に愛情をぶつけてくるが、果たしてそれが本物の「愛」なのか、良にもAI自身にも判断できない。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色