第9話:どうして伝わらないんですか?
文字数 3,484文字
遠慮がちな声が、鍵の掛かった薄いドアの向こうから聞えてくる。
だが、俺が引きこもるようになってから、
父親も母親もこのドアを決して開けようとはしない。
俺も開けさせない。
それがこの家のルールになっていた。
自分でも何故なのかわからないが、俺はいつからか、
親に対して、ぶっきらぼうな話し方しかできなくなっていた。
こうなることは分かっていたのに、
なんだかすごく落ち着かない気持ちになる。
母ちゃんが、涙ぐんで話しているのがわかる。
こんな、親孝行の真似事にもならないことで、そんなに嬉しがってもらえたのかよ?
こんなんで親孝行になるなら、お安い御用だよ。毎日だってやってやるよ。
ヒドい叫び声だった――。
畜生、最悪だ……。
あの
眠くなんかないのに、意味がわからねえこと言ってんじゃねえよ。
でも、もう、どうしようもねえよ!
マジで、何で俺、こんなことを言ってんだよ?
こんなことで母ちゃんを悲しませたら、意味ねえじゃねえかよ…。
なんで?!いつから俺は?!こんなになっちまったんだよ?!
畜生、何なんだよ、俺は…!!
そして、その時、気付いてしまった―――。
「何で俺は」…だと?
バカか?
そんなの、俺自身が一番分かってるじゃねえか・・・。
ずっと親不孝してきた俺が、たかだか朝メシを作って、そんでもって、親にへらへらと
笑顔を見せられるワケなんて、ないだろうが!
今までの親不孝を、そんなことで
何年?
何十ヶ月?
何千日?
何十万時間?
その間、ずっと、両親に嫌な思いをさせ続けたきた俺が、
どうして、たかだか数十分の手作業を鼻にかけることができる?
いい年をした
それで得意になってるのかよ?
バカかよ?
恥を知れよ!恥を!
涙が出てくるじゃん……。
情けねえし、恥ずかしいし、惨めすぎるし……、
もう嫌だ―――。
俺の全部が死ぬほど嫌だ―――。
だったら、もう死ねよ……。
いいから俺なんか、もう死んじまえよ!
いなくなっちまえよ!
この世界から、
この宇宙から、
俺なんか、もういなくなっちまえよっ!!!
頭を抱えて、布団に倒れ込んだ。消えてしまいたいと思いながら倒れ込んだ。
階段を下りる母親の足音が、小さく消えていくのがわかった。
もう寝よう。そう思った。
その時、信じられないことが起こった――。
え…?なに?
動揺とも、怯えともとれる母ちゃんの声。
どう考えてもマズイだろ?この状況…。
ひきこもりの社会失格者が、無関係の年端のいかない少女を誘拐し、
部屋に監禁するような事件が相次いでいる昨今だ。
俺の部屋から少女の叫び声が聞こえてきたら、
母親が腰を抜かすのは、当たり前すぎるほど、当たり前だ!
なのに、あり得ないだろ?
シャットダウンできない。
それどころか、勝手にスピーカーの音量が上がっていく。
スマホの筐体が自らの振動で破壊させるかと思うほどに――。
母ちゃんは転がり落ちるように階段を駆け下りて、父ちゃんを呼びに行ってしまった。
もうダメだ。
事態は悪化する一方だ。
このバカは、ただただ、キョトンとするだけだった。
そうしているうちに、父ちゃんが凄い勢いで階段を駆け上がってきた。
ホントにもう、なんなんだよ?この展開は?
今の怒鳴り声を聞いて、俺がヤケになって、連れ込んだ少女に暴行を加えようとしていると
誤解したらしい。父ちゃんがすごい勢いで階段を駆け下りていく。
そりゃ誤解するわな?普通。
でもヤバいだろ?もうアウト寸前だろ?
だってこれって、両親が警察に通報するパターンだよな?
それでこの部屋に警察が踏み込んで来て・・・。
それこそ恥じゃん?!
羞恥刑そのものじゃん?!
誤報だって分かったって、逮捕されることはなくたって、
他人とかご近所って絶対そうは思わないじゃん?
あらぬ噂が立ってさあ…、一家全員、恥ずか死ぬじゃん?
気が付くと俺は、部家の鍵を開け、廊下に飛び出していた。
何ヶ月ぶり、いや何年ぶりだろうか――。
親子3人が顔を見合わせていた。そして石のように完全に無言で凝固していた。
その重すぎる沈黙の中で、胸ポケットのスマホ画面から、
瞬間――、俺たち親子3人の沈黙は、さらに重く、そして
変容を遂げていた。