禅刑事 海空

文字数 2,433文字

 「侍が、京の街をさまよっておると、鬼を見つけた。侍はためらう事なく鬼を切った。」
 「・・・そうだろうな。鬼は悪だ。」
 「侍が、京の街をさまよっておると、今度は仏を見つけた。侍はどうした?」
 「・・・手を合わせた。」
 「本当にそう思うか?」
 「・・・ちがうのか?」
 「侍は、ためらう事なく、仏を切った。鬼に会えば、鬼を殺す、仏に会えば、仏を殺す。」
 「・・・なぜだ?」
 「なぜなのかは、己の中にある。次に侍は京の街で自分に会った。侍はどうした?」
 「・・・切ったのか?」
 「己に会えば、己を殺す。これが答えだ。」
 「・・・なんの答えだ。」
 「この世に対する答えだ。解釈は己の中にある。」
 「・・・答えも、解釈も、己の中にあるのに、殺す必要があるのか?」
 「だから殺す。絶えず、現在の自分を殺し、常に新しい自分でいる。それが生きるという事だ。」
 「・・・よく分からんな。」
 海空の格好は修行僧そのものだが、ベテランの刑事だ。主に被害者の救済を行なっている。ただ、禅問答のような難解な慰めを入れるので評判は悪い。
 「山上、雰囲気が変わったな。何かあったのか?」
 海空が違和感を感じ、山上に話しかける。山上はすぐに答えず、ほんの少しだけ遅れて返答をする。
 「すこしな、最近、疲れているんだ。たまに自分のことがよく分からなくなる。頭の中に白いもやみたいなものがかかって、うまく言えないんだが、考え事が難しいんだ。」
 「それは、怠けている自分だ。それは否定して、強い自分でいようとしないといけない。でないと、自分で無くなる。怠ける自分を殺せ。そして、自分そのものを生かすのだ。」
 ここで海空は杖を振る。鈴の音が響く。が、山上もボスも、その音がまるで聞こえてないようだった。鈴の音に無反応な様子を海空は、すこし不自然に感じた。鈴の音を聞いて、全く反応がないとは、この二人は、この世の人なのだろうか?そんな疑問すら浮かんだ。
 「自分を殺すか、何か、引っかかるな。自分にあったら、自分を殺す。その時、躊躇はするものだろうか?」
 「山上、それが決断というものだ。躊躇おうが、何も考えずにそのまま行動に移すのかは、人それぞれだが、結果として、自分を殺すことが大事なんだ。」
 山上は固まったように考え込む。自分を殺すを何度か心の中で呟くと、真っ黒な影が現れた。それは二度と思い出せない記憶となって、記憶の底で開かずの宝箱のように、じっと存在感だけをアピールしている。
 「・・・山さん、あまり考え込んでも済んだことに答えは出ないぞ・・。」
 「私は、私を殺したことがあるってことですか?あまり考えたくないなあ。」
 海空はボスと山上の会話に何かが決定的に欠けているのを気が付いていた。生きることに対する焦りのようなもの、熱、勢いのようなものが欠けている。どうにも迫力がないのだ。
 「ボスと山上は、どうも様子が変だが、私の出番はあるかな?」
 山上はじっと海空を見つめる。だが、その目は紙にマジックで丸書いて、その中に黒を塗ったように単純なもので、その空虚さに海空は得体の知れぬ恐怖さえ感じ始めていた。二人とも奇妙だし、それに本人たちは気がついてない。何があったか判らないが、ここにいては良くないことが起きるような気がする。海空は彼らから目を離さないようにして、少しずつ出口に向かう。
 「そろそろ、昼ごはんの時間だな。ボス、私はカツ丼とめしの中盛りにしますが、ボスはどうします?」
 「・・・おにぎりと、めし大盛りにしよう。海空も一緒に食うかい?」
 海空はカツ丼の横に白飯がある様を考え、違和感を感じたし、おにぎりと白飯なんて組み合わせは聞いたことがなかった。質問をしようと思ったが、二対一では、多数決で常識が決まってしまう。もし、自分も一緒に頼んだとしたら、かやくご飯と白飯のような食べ辛い組み合わせの昼食を、奇妙な二人と食べることになる。美味しくない昼飯になるだろう。
 「ところで、海空、自分にあったら殺すって話だが、殺されたらどうなるんだ?殺そうが、殺されようが、結局残るのは自分じゃないか?殺された側からしたら、自分に負けたことになる。しかし、死んだら終わりで、残った方が、つまり殺した方が、自分になる。つまり、一瞬、自分は二人になるが、殺し合いが済んだ後、自分は一人に戻るってことだよなあ。だとすると、結局同じってとか?」
 「山上、面白いことを言うなあ、殺された場合は、そこで終わりとしか考えたことがなかった。残ったのは、殺した自分しか残らない。同じ決意で向き合っていたってことになるが、勝った方が生き残る。それだけだし、それ以上の意味を求めると厄介だ。おそらく殺された記憶が残ってしまう。そうなると、自身に負けたという如何しようも無い敗北感がうっすらと、しかし、確実に残っていくんだろう。」
 「・・・俺が思うに、京の街で出くわすのは、自分じゃなく、自分のそっくりの影だ。影は、影で終わることを良しとしない。影は表に出ようとしている。自分の影を殺すとは、自分の過去を断ち切る。自分の影に殺されると言うことは、自分の未来を放棄するということになるんじゃないのか?」
 「さすがボスだ、答えをもってらっしゃる。海空、こりゃ、一本取られたな。」
 「まいったな、確かに自分の影と考えた方が、話が分かりやすいな。ボス、自分自身と自分の影という対立、己の影を乗り越える、確かに分かりやすい。勉強になりました。ありがとうございます。」
 「・・・それだけか?」
 ボスの一言に、海空は心臓を握りつぶされるような衝撃を受けた。意識が常識に沿って歩んでいたのに、それを否定する言葉により、常識が歪み、心が潰れそうになる。息苦しい。空気が薄く感じたところで、ボスの方を恐る恐る見ると、ボスが無表情でサングラスを掛けた。その所作に、ゆっくりとした意味のない動きに、意識が真っ黒な壁に覆われるような底のない恐怖を感じた。
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