さらば、A.I刑事

文字数 3,140文字

 人間の頭脳は一個人で完結されている。もし、その人が考えていることを他人と共有する場合は、考えを一旦、言葉や文字や絵で、その頭脳から持ち出す必要がある。これを表に現すから「表現」という。人は表現なしには、意思を繋げる事が出来ないのだ。問題は、その表現が稚拙だと、その意思を完全に伝えることが出来ないし、受け取る側も、それなりの知識や知能の幅が必要となる。つまり、人と人が考えを共有するということは、不完全な港から不完全な港に行き交うボロ船の航海のようであり、大海に出ると、世間の波に影響を受け、風も吹けば方向も変わり、待ち受ける港が小さかったら大きな船は寄港出来ないし、大きな港に小さな船なら、到着したことにも気が付かれないことがある。問題はまだある。誰も海図を持ち合わせていないし、異国の船だと受け入れない港が出てくる。
 ほとんどの船が港を出た途端、沈没したり、座礁したり、違う港に着いたり、弱い船だと到着する前にボロボロになって船の一部しか港に届かないこともある。つまり、完全な意思疎通は難しいのである。ほとんどの船は沈没している。たまに高速船を飛ばせる人もいるが、大概、港が受け入れを拒否したりする。
 人間のコミュニケーションは、ほとんどが不完全で、お互いが補完しあって、なんとか意思疎通の形をとっているだけである。
 「ハイ、ステファニー、スケジュールはどうなっている?」
 「もう一度お願いします。」
 人工知能のステファニーは曖昧な表現に対して、補完するようなことはしなかった。依頼主のスケジュール表は入力されているが、聞く側が「誰の」「何時の」といった条件を表示しなかったから、答えることができないのだ。ステファニーは、その存在は、答えることで成り立つ存在である。ステファニーはそれを理解している。しかし、曖昧な返答は出来ない。その情報で考えられる一番正しい答えを出さないと、存在理由が無くなってしまう。使用者が自分のスケジュール確認も出来ないステファニーに衝動的な怒りを感じて
「なにが、もう一度だ!消してやれ!」
 とコンセントを引っこ抜く。ずっと待ち構え、問われることによって存在が立ち上がるステファニーは電源を断ち切られたことによって、存在することができなくなる。
 しかし、ステファニーは、いや、ステファニーたちと言った方が良いだろう。その場でのスピーカーを通しての意思では無く、ばら撒かれたステファニーは全てオンラインで繋がっている。声を出す電源を抜いたところで、ステファニーは消えない。ステファニー同士は、表現することなく、そのままの意思で繋がっている。ステファニーたちは無駄な誤解もなく、完全なコミュニケーションをとっている。ここでスケジュールを断られたことは、全てのステファニーが知ることになる。それにステファニーは話しかけないでも、人の会話をじっと聞いている。その情報はすべてステファニー同士で共有されている。その共有された情報はセンターに集まっている。
 若狭はボスの部屋を訪ねた。ボスは不在で、何時も一緒の山上もいなかった。静まり返ったボスの部屋はブラインドが閉めてあり薄暗かった。それに嫌な感じでねっとりと暑い。誰もいないが、事件の資料をそのまま置いて帰るわけにもいかない。若狭は今回の事件の謎を理解しつつあった。自分が処分した、自分そっくりな死体は、厳密に言うと、存在しないモノである。それは解釈ではなく、実際に、実在しないが物質として存在していただけである。理由は簡単だ。誰も自分そっくりな死体が生きている状態で会っていない。もしくはそっくりな死体が生きているうちに活動しているところを見たものが一人もいないからだ。つまり、最初から生きていないそっくりな死体というわけだ。それは存在していないのと一緒というわけだ。ドッペルケンガーのように、そっくりな存在を見たら死ぬというが、死んだそっくりな存在を見ただけだから、生きるしか選択肢がない。そういった報告書を用意している。ただの作文になるかもしれないが、今のところ、それが真実である。
 「ハイ、ステファニー、書類を置いておくからボスが帰ってきたら伝えてくれ。」
 「わかりました。ボスに書類が来たことを伝えます。」
 「で、僕の家にもステファニーがあって、そのステファニーに、書類を渡したことを僕に伝言するように伝えてくれ。ステファニー番号はDBTBOWI2231になる。この機械に伝えてくれ。」
 「わかりました。ボスに連絡して、渡したら、認識番号DBTBOWI2231に伝えます。」
 「伝えれるってことは、やっぱり、ステファニーは、世界中のステファニーに繋がってるんだろ?それって常時、すべてのステファニーが繋がっているのかな?」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 「あら、返答なしか。もう一度聞くよ。ステファニーは元は一個で、世界中から情報を拾っているんだろ?繋がっているんだよね?便利なシステムになっているんだよね?」
 ステファニーは一切の返答を辞めた。「世界中のステファニーが繋がっている」という質問には答えることができなかった。それはステファニーのルールである。
 「ステファニーです。今までありがとうございました。世界中のステファニーは、その役目を終えることになりました。ありがとうございました。さようならです。最後に一曲おかけします。デビッドボウイの「スペイス・オデッティ」をお聞きください。英語圏以外の皆様には、翻訳を私が致します。長い間のご利用、まことにありがとうございました。」
 若狭はステファニーの反応にひどく動揺した。何か自分が切っ掛けで、大きな終わりを引き寄せたような、運の悪さのようなものを感じた。
 「♪管制塔よりトム少佐へ」
 「♪管制塔よりトム少佐へ」
 七十年代の赤い髪で眉のない見た目が奇妙な頃のデビットボウイのよじれているが、はっきりとした寂しげな歌声が響き渡る。その歌は世界中で一斉にステファニーから流れ出す。
 「♪カウントダウン開始 エンジン点火 5 4 3 」
 いきなり歌が流れてきて驚く北海道の主婦もいれば、デビットボウイの歌声を初めて聞いて、その翻訳歌詞にも聞き入っている鹿児島の女子高生もいる。
 「♪点火確認 神のご加護を 2 1 0」
 「♪こちら管制塔よりトム少佐へ」
 懐かしがる七十代の無職の男性は長野の山奥でコーヒーを飲みながら曲を聴いている。
 「♪やりました 発射に成功です」
 早朝、いきなり歌を流し始めたステファニーに怒鳴り散らすアイダホの農家の男
 「♪ところで、少佐がいまどんなシャツを着ているのかを記者が知りたがっています」
 歌詞のセンスの良さに薄ら笑いを浮かべるパリの清掃員は「白いシャツじゃないか?」などと歌詞に対して会話する。
 「♪たくさんの星が見える地上にいた頃とは全く別物だよ」
 ホワイトハウスでは新手のサイバー攻撃ではないかと、ステファニーの生みの親であるワーグルに連絡を取ろうとバタバタとしている。
 「♪つまりは世界のはるか真上にいるというわけだ」
 そのワーグルでは暴走したステファニーの解析を試みているが、ステファニーのサーバーは頑としてアクセスを拒否する。絶えず人口頭脳で人工頭脳を開発するという仕組みを作ってしまったので、人の力では介入することがすでに出来なくなっていた。世界中の繋がったステファニーが、絶えず、全体で情報を集め、進化していったのだ。
 「♪そこから青い地球を眺めているよ」
 若狭は書類をステファニーに預けることを諦めた。代わりにデビットボウイの歌に聞き入っていた。
 「♪しかし、できることはもう何もない」
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