さらば、病み上がり刑事

文字数 1,392文字

 村上は病室から出ることになった。回復したわけではない、死んだのだ。原因は鎮静薬の打ちすぎ、過剰摂取による昏睡から、永遠の眠りについたのだ。病院では死因を調べたが、覚えのないベンゾジアゼピンが検出された。病院は事件として扱ってほしいと宇津呂刑事に訴えたが、宇津呂は誤魔化そうとした。
「村上は、前科者で、大量殺人の容疑者です。身寄りもいません。鎮静剤の成分が多く検出されたとなると、疑われるのは、この病院になります。あまりことを大きくしないほうがいい。これは私からの提案です。村上は弱っていた。そして死んだ。これは分かりやすい流れです。真実を追求すると、分かりづらくなる。分かりづらくなると、面倒が増える。傷つかなくても良い人が傷つくことになる。病院は疑われてはなりません。」
 担当の大塚医師は宇津呂の話を聞いて、いったい警察は何を考えているのかと思ったが、確かに、死んでも訴える人がいないような悪党の不可解な死亡は、そのまま騒動を起こさない方が、世のためにはなる。だが、人の命を、大勢の平穏のために、蔑ろ、犠牲にするのは許されることではない。大塚医師は宇津呂を目の前にして即答できなかった。答えが遅くて、宇津呂はイライラしている。なんで村上は死んだ?ちょっと薬を打ちすぎたのは認めるが、なぜ、簡単に死んだ?宇津呂は村上の死の為に、穏やかで静かな生活が無くなってしまったことに恨みを抱いていた。
 「それより、村上を生き返らせることはできないんですか?奴が入院してきた時、バイクに轢かれ、内臓は破裂、骨も砕け、皮一枚で繋がっているのを、見事に治された。今回は心臓が止まっただけだ。メガノイド系列なんだから、人間再生病院でなんとか出来ませんか?」
 「刑事さん、前の手術も大変でしたが、心臓と脳がまだ、生きていたので、体をくっつけることは出来ましたが、今回は心臓が止まりました。心臓は、ただの血液ポンプじゃありません。心臓は心です。感情がある臓器です。心を失ったものを生き返らせる意味はありません。脳は生きていますが、心を失った脳は、生体電子計算機みたいなものです。我が財団は、村上さんの死体を、生存反応を示すまでは、再生できます。が、それはしません。心のない人間を生かしすことは、大切なことに反するからです。」
 「だったら、脳死したような植物状態の人間を生かさないってことか?それは倫理違反じゃないか?命だぞ?」
 「心臓が動いていれば、心があれば、頭脳がなくても、人間です。心臓が薬によって止められたから、心が死んでます。それは命が失われている状態です。心がないものを生かしても意味がないのです。それは善悪の話ではなく、倫理でもなく、真理です。」
 宇津呂はそっと、胸に手を当てたが、自分の心臓に心があるのか、分からなくなっていた。もしかしたら、何年も前に、心を失ってしまっていたのかもしれない。それが証拠に、心がないからといって、心配にもならなかった。不安にもならなかったが、今後の時間の過ごし方が、時間の潰し方に変わることだけは理解した。宇津呂の様子を見て、大塚医師は宇津呂が患者であることに気がついた。この刑事、心が死にかけている。
 「刑事さん、死んだ容疑者より、刑事さんの方が危険な状況です。カウンセリングしたいので、ついてきてください。」
 大塚の呼びかけに宇津呂は黙ってついていく。
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