2024/1/12 蓮實重彥の恋文あるいは小津

文字数 763文字

蓮實重彥さんはだいたいいつも怒っておられる。

だいたい、私が蓮實重彥、と表記するのも、蓮實重彥は自分の名前の漢字を間違えて表記されると烈火のごとく怒るよ、と知り合いの研究者さんに聴いたからで、いつもいつも怖いよう、と思っているから。

蓮實重彥はだいたいにおいて日本と世の中を憂いている。
そんな蓮實重彥が純情可憐に、素直になるときを見て、ちょっとおもしろい。

小津安二郎を語る時、やはり蓮實重彥はなんだかおかしい。

小津安二郎は、間違っても、日本を代表する世界的な映画作家などではない。
小津は、すでに触れておいたように、国籍、性別、年齢を超えて宇宙と無媒介的に触れ合ってしまった例外的な映画作家にほかならず到底「日本性」などにはおさまりのつかない天涯孤独な映画作家にほかならず、そんなことは、彼の描く日本家屋に神棚も仏壇もほとんどといってよいほど姿を見せておらぬことから、明らかなはずである。
(昨年のTIFF小津シンポ)

「宇宙と無媒介的に触れ合ってしまった例外的な映画作家」。
正気か?
正気なのか?大丈夫か?

というかヴィム・ヴェンダースもおかしい。

小津は僕のスピリチュアルマスターであり、真の映画を作った人。アメリカ的な帝国の一員にならず、自身の独特の帝国を築きあげたんだ。

まあヴェンダースも『東京画』とかで明らかにおかしかった。
小津を愛しすぎて。
というか映画人、みんな小津に対しておかしい。
(なんだか小津は、彼らを宇宙に連れて行ってしまっている。小津はやはり神なのか?長年思ってるが、小津を神格化しすぎてはないか?)

大江健三郎さんや吉田喜重監督を語る時も、蓮實重彥は若い青年の恋文のような、叶わぬ片恋に焦がれているような、透明でうつくしい文章を書いていたのでその純粋さに少し戸惑った。

あの人もひとに恋するにんげんなんだなとたまにおもう。
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