2024/3/2 フェティシズムと読書

文字数 997文字

周縁から中央を撃ちたい。
周縁から。


先日は図書新聞を読んだ。
魅力的な書評がたくさん。
ふだんあまり書評とか読まないんだけど。





私は一昨年刊行された『左川ちか全集』(書肆侃侃房)がうつくしく危うく、装幀もすきで、その編者の島田龍さんの書評を読み、いいなあ、いいなあ、と思った。





「北の地から言葉を繋ぐ 川村湊・島田龍編『左川ちか論集成』(藤田印刷エクセレントブックス)刊行に寄せて」。
すごく良かった。




『左川ちか論集成』読みたくなる。
詩歌は在野の読み手が支えてきた、資料蒐集は一種のフェティシズムである、等頷ける部分が多々、ほんとうに。

「偏執狂の私にとって、相応の資料蒐集は一種のフェティシズムであるが」…ほんとうにそう思った。
読書と資料蒐集はフェティシズムなのだ。
私はどこまでも、どこまでも資料を追う。
私は本を愛しているしなんなら食べてしまいたい。
私は、それに囚われ続けて現在に至る。
本の奴隷。

藤田印刷エクセレントブックスについても触れられていた。(釧路に拠点、アイヌや北海道の歴史、文学を意欲的に出版。)いいねー

『左川ちか全集』(福岡の書肆侃侃房)の書評、「北の詩人を南の出版社が甦らせる(周縁から中央を撃つ!)」という中森明夫さんの書評にも触れられてて、めちゃカッコよかった。
いいねー
いいよねー

そうなんだよ。
周縁から中央を撃ちたい。
撃ちたい。



さて。


羞恥プレイ。
昨年浮かれて書いたよくわかんないはなし、よくわかんないまま、だしてしまったが、完全に羞恥プレイだった。

どう考えてもあたまがおかしいし、どう考えてもあきらかにおかしい。

でも、浮かれていれば、へんな文章もたくさん書けることがよくわかった。

あともう、別に誰にも読まれなくてもいいと思いました。

もう、充分なの。
私のおかしな気持ちは浄化されたの。
ひとをおかしくできたの。
それだけでもう、充分なの。

あなたに読まれたらそれだけでいいんだ、今後もあなたに読まれつづけたらそれだけでいいんだ。

これからも、どうしようもない私を読んでほしい。
そんな気持ち、だれしもあるんじゃないかしら。

へんな文章かいたへんな女が辺境にいたなと思われただけで。
充分すぎない?
 
だから、もう、私は今後はフェティシズム全開の、アブノーマルなおはなしでも書けばいいんじゃないかしら、と思った。

ある程度需要はあるだろう。
そうしたらいくらでも文章書けそうだと今回思った。
そうだ。そうしよう。
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