2024/2/3 靄遠渓と周縁

文字数 1,426文字

靄遠渓。

折口信夫は変名をいくつか用いたが、釈迢空はよく知られているけれども靄遠渓はあまり知られていないんではないかなと思う。

顔の青痣から靄遠渓(あい・えんけい…青インク)としたらしい。
若きころは痣のことで周りからいじられた、と。
折口の写真は、ひたいと頬のあたりがあまり写っていないものもある。
「妖婆折口」とけなす人がいたという。

室生犀星は、折口の顔の痣について次のように書いた。



私は釈迢空に会うと、すぐ額にある黒ずんで紫がかった痣を、まず何よりも先に眼にいれた。痣はあざだった。どこまでも痣にかわりがなく、おしゃれの迢空が顔を剃るたびに悲観し、これをいかにして抹殺すべきかに心をつかっていたことだろうと、よそ事ならずに私はそう思った。若い時分の友人らはこの痣をインキと呼んでからかったが、迢空はそのため「靄遠溪アイエンケイ」という号をもちいて、他人のからかいを封じているふうもあった。迢空が学者とか歌人とかで偉くなってから、誰一人としてこの痣のことを彼の前で、あなたの痣はどうしてそんなにインキの色をしているのですか、そしてお幾つからそれがどんな原因で額を禍いしているのでしょうかと、訊く人はなかった。この無礼な言葉が彼の愛していた人間からも聴くことがなく、また自らこれはね君、ずっと大昔からくっ付いていたんだとも言う機会のなかったことが、やはり一つの聴きもらした生涯の質問でもあり、誰もそれを言ってくれなかったことに、痣の手負いの深かったことを知られたのではないかと思った。
吃りはその吃りを判然とそう言ってくれる人の前では、もはや吃りではなく、すらすらと喋れるものである。足の不自由な人には足はちんばでも、そういうことは生きるに問題ではないと言うと、ちんばの人も憂鬱を吹っ飛ばすものである。私の額に迢空のような痣があったら、私はまず一篇の詩を書いて、このあざを見るひとの胸をぐっとつまらせて見せたかった。

痣のうへに日は落ち
痣のうへに夜が明ける、有難や。





北原白秋は折口を「黒衣の旅びと」と呼んだ。
ここ数年、読む本がなぜかだいたいすべて、折口信夫につながっていくなあと不思議に思っていた。

柳田國男に関しては学生時代に齧って学んだけれど、折口信夫を読むようになったのは社会人になってから。
でももう少し早く出会っていたらまた違ったんではなかろうか、と思ったりする。

民俗学は面白いなあ、と感じる。
それは、自然や山々を忌避していた思春期から、大人になって、自然や山々を愛するようになって、山口昌男がいうところの、「周縁」を生きることがじぶんにとって心地よく感じ始めたからなのだろうか、と思う。




若い頃は、「中心」に行きたかった。
都市という秩序。
こんな田舎ではなくて、最新の流行、服装、トレンドを追いかけたい、と。

いまはそういったものに、あまり惹かれなくなった。
単純にすぐ疲れてしまうのだし、都市は時間の流れがはやくて追いつけない。

あらゆる欲望に塗れるのも、見るのも、ほとほと疲れてしまった。

アーバニゼーション(都市化)からルーラリゼーション(田舎化)へ。

ひそけさやかそけさ。
うすら明るい知らぬ國の影。



ひたすらに心さびしくなり来なむ時とわが思ふ。足らへるこころに 

阪のうへに、白くかがやく町の屋ねひたぶるにわれ人を憎まむ

ゆくりなく電車どほりに出たりけり。われはあゆまむ。おもてひたあげて

邑山の松の木むらに、日はあたりひそけきかもよ。旅人の墓

(釈迢空)

周縁もいいよね。
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