醒める夢 Chapter.7

文字数 17,356文字


 ジル・ド・レは黙想する。
 思えば、信仰を()てたのは──神に敵意を(いだ)いたのは、いつであっただろうか。
 愚劣な政略によって、心酔する聖少女(あるじ)が処刑された日であろうか。
 (ある)いは、流れ者の魔術師によって〈吸血鬼〉へと(おとし)められた時からであろうか。
 (いな)、そうではない。
 根元(ねもと)は、もっと以前だ。
 幼き頃の悲劇が発端(ほったん)だ。
 母を失った。最愛の母を……。
 神への祈りは無駄であった。
 そして、信仰を()てた。
 無力感に(さいな)まされた。
 やがて、また取り戻した。
 神の御使い〝ジャンヌ・ダルク〟との邂逅(かいこう)だ。
 されど、また()てた。
 幼少期の無力感が(よみがえ)る。
 闇に()ちた。
 神への敵対者と()ちた。
 そして、現在(いま)(いた)る──。


 軋み開く城門の音に現実へと呼び起こされ、ジルは静かに(まぶた)を開いた。
 十中八九、降伏は無い……それは承知の上だ。
 が、迎え出て来た決闘相手(しゅくてき)は予想外であった。
 カーミラ・カルンスタインではない。
 たった一人で出陣したのは、不遜(ふそん)なる流浪者(るろうもの)だ。
 白ではなく黒が現れた。
 どちら(・・・)でも構わない。
 (おの)が選択の是非(ぜひ)を確められるのならば……。
「よう、髭面(ひげづら)」不敵な笑みを浮かべ、柘榴(ザクロ)(かじ)りに挑発してくる。「相変わらず黙祷(もくとう)が長いな」
「フッ……捧げる相手など、もはやおらぬ」
 自嘲(じちょう)()わす猛者(もさ)二人。
 互いに望んでいた──いつぞやの決着を!
「さて、始めるとするか……カリナ・ノヴェール!」
 今度は横槍など(はい)らない。
 (いな)()れさせない!
 心行くまで殺し合おう!
 ロンドン塔城門前──多勢のゾンビが(ひしめ)めく渦中で、激しい剣舞(ロンド)が繰り広げられた!
 周囲の屍兵(しへい)など歯牙にも掛けず、カリナとジルはぶつかり合う!
「「おおおぉぉぉぉぉーーーーーーっ!」」
 暴れる双刃(そうじん)に巻き込まれ、無頓着な(しかばね)(さば)かれていく!
 腐肉(ふにく)が破片と飛び、死血(しけつ)(きり)(はじ)けた!
 この決闘の瞬間に立ち会ったのが、彼等の不運だ。
 もっとも(なげ)く自我など有りはしないが……。
()せろ!」
「邪魔だ!」
 互いに好敵手を狙いつつ、片手間で障害物たる屍兵(しへい)を排除する!
 剣舞を踊る足場を広く確保せねばならない!
 黒集(くろだか)りに(ひら)いていく決闘場──それは滞空に戦況を見定(みさだ)める魔術師の目にも()まった。
「アレは……カリナ・ノヴェール? またしても邪魔をするか!」
 プレラーティは(うと)ましく(にら)み、呪文を詠唱(えいしょう)した。
 早口の呪言(じゅごん)が意味する内容は不明だ。
 どちらにせよ敵意を()びた攻撃には違いあるまい。
 獲物へと向けた(てのひら)種火(たねび)が収束していく!
 圧縮された炎塊(えんかい)一際(ひときわ)勢いを増した焔球(えんきゅう)と荒ぶる!
「……消えよ」
 気取(けど)られぬ狙撃が放たれようとした瞬間、予期せぬ一撃が(ほのお)を破壊した!
 茨鞭(いばらむち)だ!
 奇襲方向を追い(にら)む。
 白い麗姿(れいし)が滞空していた!
「……カーミラ・カルンスタイン!」
「まさか〈魔女ドロテア〉の他に暗躍者がいたとはね……確か〝プレラーティ〟とか言ったかしら?」
「ィェッヘッヘッ……その名で正解(・・)だよ」
 虚空(こくう)より下卑(げび)濁声(だみごえ)肯定(こうてい)する。
 直後、カーミラの背後に()が出現した。
 見窄(みすぼ)らしい品性に黒いジャケットスーツ──(いや)しいニタリ顔に飄々(ひょうひょう)とした態度──プレラーティが見た事も無い怪人物だ。
「ィェッヘッヘッ……お初だねぇ? オレァ〝ゲデ〟──ハイチはブードゥー教の〈死神〉さ」
 太々しく葉巻(はまき)()かしながら卑俗(ひぞく)嘲笑(ちょうしょう)が名乗った。
 魔術師が()めつけに()う。
「その〈死神〉とやらが、何故ハイチから出た?」
愚問(ぐもん)だねぇ? ダークエーテルが蔓延(まんえん)した闇暦(あんれき)じゃあ、世界中が超自然的な魔界環境だ。生地(せいち)に縛られる(しがらみ)は無ぇっての。だったらよぉ──」深い邪悪を(ふく)み笑う道化者(トリックスター)。「──広い餌場(えさば)へと出歩(である)いて、テメェから満喫した方が面白ぇじゃねぇかよ? ィェッヘッヘッ……」
 さしものプレラーティですら忌避感(きひかん)を覚えた。
 この〝ゲデ〟なる〈死神〉は、純粋に負念(ふねん)を楽しんでいる。理念も理想も情も無い。ただ悪意のままに(むさぼ)りたいだけだ。
「ま、そう警戒しなさんな。オレ自身が何かする気は無ぇよ。アンタを相手取るのは──」
 ゲデが一瞥(いちべつ)で示すのは、臨戦意思の(しろ)外套(マント)
 双鞭(そうべん)を構えたカーミラが毅然(きぜん)とした誇りに宣誓する。
「悪いけど邪魔はさせない。カリナの邪魔も、ジル・ド・レ卿の邪魔もね」


 ジルの剛剣(ごうけん)が重い突きを放つ!
 初戦(しょせん)の再現(よろ)しく、カリナは(くろ)外套(マント)の回転に(まと)わり()もうと転じた……が!
「二の(てつ)を踏むと思うか!」
 力任せに横へと()ぎ、無理矢理に太刀筋を変える!
「かはっ?」
 瞬時に魔剣を盾として(さえぎ)るも、頑強な(やいば)はカリナの脇腹を浅く(えぐ)った!
 その衝撃を緊急離脱の慣性へと転化し、黒の吸血姫(きゅうけつき)は間合いを取る。
 片膝(かたひざ)()きの体勢に着地すると、吸血騎士を(にら)()えた。
 押さえた傷口から零れ落ちる熱い感触──(ひさ)しく味わってなかった痛みだ。
「少しは学習したかよ、髭面(ひげづら)
「先の決闘で貴様の傾向は覚えた。如何(いか)に戦い慣れしていようと、女の身では非力……それを補うべく俊敏さを(じく)とした奇襲へと転じるのであろう。されど読めてしまえば、どうという事はない!」
「そうかよ」
 カリナは軽く嘲笑(ちょうしょう)を含み、静かに立ち上がる。
 と、(おもむろ)(あか)(やいば)を傷口へと当てた。
「吸え」紅刃(こうじん)(ほの)かに光り、(あふ)れる赤を(すす)()んだ。やがて、次第に血が止まる。「……ふう」
血を吸う魔剣(・・・・・・)……だと?」
「物珍しいかよ」
「なるほど。わざと適量を吸わせて、止血(しけつ)の仮手段としたか」
「傷そのものは()ったままだがな。それよりも──」挑発と皮肉を込めて、吸血姫(きゅうけつき)は不敵な蔑笑を浮かべた。「──よくも処女の身体を傷物にしてくれる」
 刀身に残る(ぬめ)りを払い(ぬぐ)う。
「おい、髭面(ひげづら)。地獄へ叩き落とす前に()いておきたい事がある」
「何だ」
 互いに反目して(たたず)み、静かな敵意を()わした。
「確か〝ブラッディ・タワー〟と言ったか──あの城塔(じょうとう)での拷問は何だ?」
「フッ、どうやら見つけたか」
 吸血騎士が乾いた感情に口角(こうかく)を上げる。
児童偏愛癖(じどうへんあいへき)か? (ある)いは子供に怨みでもあるのかよ?」
「……分からぬ」遠い目を虚空(こくう)へと投げ、ジルは愁訴(しゅうそ)吐露(とろ)した。「現在(いま)に始まった事ではない。かと言って〈吸血鬼〉と()ちたからでもない。生前からの隠匿(いんとく)すべき悪癖(あくへき)だ」
「何人()ったよ」
一過(いっか)の犠牲など数えておらぬ」
偏愛(へんあい)(ゆが)み……ではないな? あの容赦ない拷問(ごうもん)(あと)からして、苦しめ抜いて殺す事自体が目的だ」
「確かに異常な性癖(せいへき)だと自覚する。が、(われ)にも自制は()かぬのだ」
狂気者(きょうきもの)は、(みな)そう言う」
「理解されぬは百も承知。俗論観念(ぞくろんかんねん)とは永遠に平行線だろう」
「それも言うのさ」
 子供の存在に依存(いぞん)しなければ自己確立が出来(でき)ぬ者──その点では、両者共に同じかもしれない。
 だがしかし、その()(よう)は対極過ぎた。
 ジル・ド・レは、幼き命を悦楽の(にえ)とする。
 カリナは、無垢な魂を道標(どうひょう)背負(せお)う。
 (あい)()れるはずがない。
「子供には罪が無い──などと綺麗事は言わん。偽善者(ぎぜんしゃ)(ども)利己的(りこてき)詭弁(きべん)反吐(ヘド)が出る。されど、理不尽に(いのち)奪われる()われも無いだろうさ」
「母性が言わせるか……やはり〈()〉よ」
「さてな──」満たされぬ想いに柘榴(ザクロ)(かじ)る。「──ただ、私の〈レマリア(・・・・)〉が泣くのさ」
「……レマリア?」
「気にするな。オマエにも殺せぬ子だ」
 吸血姫(きゅうけつき)は静寂を破り、黒い魔翼(まよく)息吹(いぶ)かせた!
 超人的跳躍に(しょう)じた風を(はら)み、空中からの強襲戦法へと転じる!
 (いのち)(けず)輪舞(ロンド)の再開だ!
「飛ぶか! カリナ・ノヴェール!」
 ジル・ド・レは腰を落とし、安定した重心に構えた。
鎧装束(よろいしょうぞく)の重量では飛行など叶わぬ。なれば、攻撃に接近した瞬間を返り討ちにするしかなかろう)
 この戦術に()いては、カリナの軽装が利点と()きた。
 前から、背後から、右から、左から、休む(いとま)も無く黒翼(こくよく)が襲い来る!
 一撃離脱の攪乱(かくらん)戦法だ!
 彼女の軌道取りは、優美なカーミラに比べて鋭利で素速い!
(ツバメ)()すか!」
 忌々(いまいま)しく()(にら)みながらも、ジルは刃応(はごた)えに高揚(こうよう)する。
 四方八方から縦横無尽(じゅうおうむじん)に襲い来る(あか)(くちばし)
 突撃の勢いを()びるため、軽い体重であっても一撃が重い!
 加えて、レイピア形状の魔剣も相性が良かった。
 突きを(きも)とした攻撃は、まさに迅速(じんそく)(やり)の如し!
 戦人(いくさびと)として(つちか)った感覚で、騎士は強襲方向を予測する!
 愛剣を盾に(あか)突尖(とっせん)(はじ)き続けた!
 言うは簡単だが、それを()すジル・ド・レの技量は並々ならぬものである。
 そして、重々しい反撃を繰り出した!
「むぅん!」
「当たると思うか!」
 直進軸を(わず)かに浮かせた(くろ)外套(マント)は、剛刃(ごうじん)の軌道から()()れ上を(すべ)る!
 すぐさま直角上昇による離脱へと移行!
 が、()びた剣圧(けんあつ)には違和感を覚える。
 あまりにも標的への捕捉がアマい。
(当たらぬは承知の上で……か。手数を減らすための牽制(けんせい)だったかよ)
 小賢(こざさ)しさを見極めた。
 だがしかし、その流れすら敵の思惑(おもわく)通りだ。
 (やす)()かし()いに過ぎない。
二度手間(にどでま)を掛けさせてくれる!」
 滞空(たいくう)静止(せいし)から方向転換し、急速降下で再強襲を(こころ)みる!
 ジル・ド・レが上空を(にら)み構えた!
 今度は確実にカリナを捕捉している!
(クソッ! 軌道を強制させるためだったかよ!)
 降下の勢いに()まれ軌道変更は難しい。
 なれば、最早(もはや)突っ込むしかなかった。
髭面(ひげづら)ァァァーーーーっ!」
「カリナ・ノヴェーーーール!」
 鋭利な紅刃(こうじん)剛剣(ごうけん)の突き上げが、互いの顔脇(かおわき)(かす)めて()れ違う!
 間髪入れずに、またも強引な凪払(なぎはら)い!
 カリナは開脚(かいきゃく)後転(こうてん)に反動を()み、ジルの間合いから()(はな)れた。その華麗な回避動作は、ジプシーの踊り子(・・・・・・・・)を連想させる。
 慣性(かんせい)のままに(すべ)路面(ろめん)()(とど)まるカリナ。
 ()げる瞳に(にら)んだ吸血騎士は、平然とした態度を崩していない。
「……腹立たしいヤツだ」
 (ほほ)(きざ)まれた赤い(すじ)を親指で(ぬぐ)った。
 同様に、騎士も(こぶし)(ぬぐ)う。
 両者が繰り出した一撃は、()しくも敵を(つらぬ)く事は出来(でき)なかった。(かす)(きず)(いた)()けだ。
剣技(けんぎ)は互角か……いま一歩で(らち)が開かんな)
 かつてカーミラが示唆(しさ)した通り、なかなか厄介(やっかい)な実力者であった。
 表層(ひょうそう)では苛立(いらだ)ちながらも、カリナは冷静に思索(しさく)(めぐ)らせる。朧気(おぼろげ)ながら状況打開の妙案(みょうあん)が見え始めた。
「カーミラに出来て、私に出来ぬ道理はあるまいよ」
 そう、同じ血(・・・)ならば……。
 薄く勝算を(ふく)む。
 その瞬間、不意に背後から右腕を(つか)まれた!
「何!」
 ゾンビの捕縛(ほばく)である。
 それを皮切(かわき)りに、次々と亡者(もうじゃ)(ども)が少女の四肢(しし)を封じ始めた!
「クッ?」
 腕一本に一体ではない!
 足一本に一体ではない!
 (およ)そ、しがみつけるだけの死体数が、四肢(しし)(かせ)()して拘束(こうそく)()いる!
 如何(いか)に〈吸血鬼〉が剛力(ごうりき)とは言っても、とてもではないが()(ほど)く事など不可能であった!
「クソッ! 命令を変更したか!」
 焦燥(しょうそう)足掻(あが)くも動けない!
 まるで磔刑(たっけい)だ!
 正面からは剣を(たずさ)えたジル・ド・レが、ゆらりと歩いて来る。
(さて、どうするか……)
 この窮地(きゅうち)を脱出する手段は──ある。
 しかし、それは(ひら)いたばかりの(さく)(もち)いるという事だ。
ネタバレした手品(・・・・・・・・)では、ヤツの(きょ)は突けまいよ)
 とはいえ、このままでは〝なます斬り〟だ。
(やはり秘策を先出(さきだ)しするしかない……か)
 本音では(しぶ)りながらも、カリナは決心する。
 眼前(がんぜん)まで来たジルが仰々(ぎょうぎょう)しく剣を振り上げた。
(チィ……背に腹は()えられぬ!)
 不本意ながらも秘策を披露(ひろう)しようと覚悟した──直後、彼女を拘束(こうそく)する(しかはね)が一体(くず)(たお)れる!
「何?」
 予想外の展開に動揺を浮かべるカリナ。
 振り下ろされた(やいば)(さば)いたのは、吸血姫(きゅうけつき)ではなく屍兵(しへい)であった!
 宿敵の疑問(ぎもん)余所(よそ)に、ジルは次々と(いまし)めを(つぶ)していく!
 愚鈍(ぐどん)加勢(かせい)(ひと)(しき)(さば)き終えると、騎士は背後の闇空(あんくう)へと怒号(どごう)()えた!
「プレラァァァティィィーーーーッ!」
 地の底から響いてくるような獅子の(たけ)り!
「出過ぎた真似(まね)をするでないわ! これは(われ)とカリナ・ノヴェールの決闘! 何人(なんぴと)たりとて邪魔立(じゃまだ)てする事はまかりならん!」
 心底(しんそこ)からの激昂(げっこう)であった!
 それは大気を震わせるかの如く、テムズ川上空にて戦う従者(じゅうしゃ)の耳にも届く。
「……ですって」
 相見(あいまみ)えるカーミラが愛らしく小首を(かたむ)けた。
「チッ!」
 舌を鳴らす黒魔術師(プレラーティ)
 大局(たいきょく)よりも些末(さまつ)騎士道(プライド)(とら)われる傀儡(かいらい)に、貞淑(ていしゅく)ぶった余裕に挑発を織り交ぜる実力者──(すべ)てが彼の意にそぐわない。
 さりとて、ジル・ド・レの機嫌を(そこ)なっては 万事(ばんじ)水泡(すいほう)だ。エリザベートのような失態は()けたい。
 彼は眼前(がんぜん)難敵(なんてき)だけに標的を絞り込んだ。
「それで? 今度は、どうなさるのかしら?」
「……()に乗るなよ、カーミラ・カルンスタイン」
 平然(へいぜん)(くず)さぬ白き麗姿(れいし)()めつける。
「コライサラム・エキシサラム・シューサラム──」
 早口(はやくち)詠唱(えいしょう)に呼応し、(てのひら)へと火元素(サラマンダー)が収束していく。
「──ファイアーボール!」
 火種(ひだね)炎球(えんきゅう)(そだ)ち、(ほのお)()えた!
 さりながら、白き吸血姫(きゅうけつき)には動じる素振(そぶ)りもない。
 (わず)かに立ち位置をずらして、滞空のままに回避するだけだ。まるで()(おど)(すべ)るように……。
「リスペルサラム」
 再発動の簡略詠唱(かんりゃくえいしょう)(とな)える!
 多数の(ほのお)()まれ襲った!
 炎球魔法(ファイヤーボール)連射(れんしゃ)攻撃!
 しかし、それさえもカーミラは()わし(つづ)ける。
 時折(ときおり)()けきれぬ数発があったが、それは茨鞭(いばらむち)(まと)(くだ)いた。
 小気味(こきみ)()く舞い踊る白き麗影(れいえい)──存在しないはずの足場(・・・・・・・・・・)が存在している。
 万能的(ばんのうてき)に魔術を発現出来るとはいえ、魔術師や魔女は大別的(たいべつてき)種族分類(しゅぞくぶんるい)では〈人間(・・)〉だ。根本(こんぽん)から〈魔物(・・)〉たる吸血鬼とは(こと)なる。ただ超自然的(スーパーナチュラル)行使術(こうしじゅつ)()けているに過ぎない。
 魔術によって飛行能力を得ていても、それは(かり)付随(ふずい)の能力──不可視(ふかし)翼上(つばさじょう)(すが)り立っているのと変わらぬ。
 対して吸血鬼のそれ(・・)は、地上を歩行するのと大差ない通常動作だ。存在自体が〈翼〉と言ってもいい。
 結局〝鳥の翼〟と〝イカロスの翼〟では、根本的に雲泥差(うんでいさ)があるという事だ。
「……(もと)より空中戦で渡り合おうとは思っていない」
 邪瞳(じゃどう)策謀(さくぼう)(ゆが)んだ。
「サラムプリズモルグ!」
 二指(にし)を立てた手を肘折(ひじおり)に突き上げる!
 カーミラの周囲に砕けた(のこ)()達が、一際(ひときわ)大きく息吹(いぶき)(よみがえ)らせた!
「何ですって?」
 炎は(はしら)(のぼ)り、小鳥を捕らえる!
 灼熱(しゃくねつ)(おり)だ!
茨鞭(いばらむち)では……無理そうね」
 実体無き元素を斬り裂けるわけがない。
 下手をすれば、武器の方が()()ちてしまう。
 魔術師が(ほのお)格子(ごうし)前まで(すべ)り来た。
「……対決早々(そうそう)に動き回るべきだったのだ、キサマは」
「あら、今頃御忠告(ごちゅうこく)かしら?」
「エリザベート戦で見せた戦法は知っている。その機動力を封じれば、脆弱(ぜいじゃく)金糸雀(カナリア)だ。それに──」眼下(がんか)の決闘を一瞥(いちべつ)する。「──今回はカリナ・ノヴェールの助力(じょりょく)も期待出来ない」
 唯一(ゆいいつ)の不確定要素があるとすれば例の〈死神〉だが、ニタリ顔は向けられた視線に(おど)けて肩を(すく)めるだけ。宣言通り、介入する意思は無さそうだ。
 関心を虜囚(りょしゅう)へと戻す。
「キサマを(ほふ)り、ジル・ド・レへと荷担(かたん)すれば事が終わる」
「ジル・ド・レ卿は、それを望んではいなくってよ?」
「……関係無い」プレラーティの冷酷なる真意。「()思惑(おもわく)は〈吸血鬼勢力(ノスフェラン・クロイツ)の壊滅〉にある。あの男の意向など眼中に無い」
(てい)よく利用したってトコかしら?」
「……如何(いか)にも」
「ひとつだけ()いてもいいかしら? できるだけ疑問は残したくないの」
「……何だ?」
 虜囚(りょしゅう)が無力化したと()んだか、返す抑揚(よくよう)は高圧的だ。
貴方(あなた)同胞(どうほう)〈魔女ドロテア〉は何処かしら?」
 名を聞いた途端途端(とたん)、プレラーティは嘲笑(ちょうしょう)(ふく)む。
「クックックッ……まだ気付かんのか、カーミラ・カルンスタイン」
 直後、魔術師が幻像(げんぞう)(かす)んだ。
 (さなが)ら残像効果のように姿形(すがたかたち)(ゆが)み、一回(ひとまわ)り小さな体躯(たいく)が重なる。
 やがて陽炎(かげろう)(おさ)まると、実体となったのは小柄な身体(からだ)の方であった。
貴女(あなた)は──魔女ドロテア!」
 仇敵(きゅうてき)を前にしたカーミラが、思わず驚愕(きょうがく)の声を上げる。
 同時に、万事(ばんじ)合点(がてん)がいった。
 何故、こうも続けて謀反(むほん)(しょう)じたのか?
 何故、魔女と魔術師の手口(てぐち)が似ていたのか?
 策謀者(さくぼうしゃ)は二人ではない──最初から一人(・・)だったのだ!
「暗躍が(ため)の〈性転換魔法〉だ。(われ)は〝プレラーティ〟であり〝ドロテア〟でもある」
「どちらが〈正体(・・)〉なのかしら?」
「さてな……あまりにも(なが)歳月(とき)を掛け持ちした。最早(もはや)(われ)にも判らぬ」
「ジル卿やエリザベートの生前から、今回の根回しを? そうは思えないけれど?」
「生前の奴等(やつら)に接近したのは、単に〈()〉を堕落(だらく)させる(ため)だ。さすれば、契約悪魔への献上品(けんじょうひん)となる。おかげで多彩な魔術も(さず)かった。されど〈一級魔術師〉には(あと)一歩(いっぽ)といったところか……まだまだ()りぬ」
「あ……貴女(あなた)は……自身の魔力向上の(ため)だけに、彼等(かれら)の〈魂〉を魔界へと(おとし)めたと言うの!」
我等(われら)〈魔女〉にとっては〈魔術(・・)こそが総て(・・・・・)。行使魔術が強大であればあるほど、その地位と権限は大きくなる」
 カーミラの胸中(きょうちゅう)嫌悪(けんお)(つの)る!
他人(ひと)の〈()〉を何だと! その〈()〉と〈()〉を!」
愚直(ぐちょく)だな。(われ)奴等(やつら)(うち)(くすぶ)()を解放させてやったに過ぎん」
「もう、いいわ」
「……辞世(じせい)は満足したか」
「ええ。もう何も語らなくていい。聞くに()えない(みにく)さですもの」
 我慢していた(いきどお)りを解放し、白い外套(マント)が踊り狂う!
 優美な回転に舞う白い波!
 自らを軸とした吸血姫(きゅうけつき)の円心は、みるみる加速を上げていった!
「な……何をしようという! カーミラ・カルンスタイン!」
 高速自転が続く!
 (すで)に実像が捕らえられない!
 炎の牢獄(ろうごく)には白き竜巻が(あば)(そだ)っているだけだ!
辞世(じせい)()んだ──けれど、それは貴女(あなた)辞世(じせい)よ!」
 気流の暴力が(ふく)れていく!
 自身も()まれそうになりながら、ドロテアは()()(こら)える!
 そして、炎の(いまし)めが(はじ)けた!
「……クッ?」
 (しず)まる台流(たいりゅう)(たたず)み、白い麗姿(れいし)(たね)()かす。
「精霊魔法にて〈火〉を相殺(そうさつ)するのは〈水〉のみ──その概念(がいねん)に捕らわれ過ぎていたようね。確かに〈風〉は〈火〉を助長(じょちょう)する。けれど、圧倒的に過剰(かじょう)暴風(ぼうふう)なら、どうかしら? 今回は暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)が過ぎた……許容量越え(キャパシティーオーバー)よ!」
「キサマ、最初から抜け出せる算段を?」
「ええ、少しでも情報を収集したかったの」
 にこりと微笑(ほほえ)貞淑(ていしゅく)
 実力に裏打ちされた余裕であった。
「それじゃあ、先程(さきほど)御忠告(ごちゅうこく)(したが)うわね!」
 白い翼が疾風(しっぷう)と舞い飛ぶ!
 エリザベート戦で見せた厄介(やっかい)攪乱(かくらん)戦法だ!
「ラジュガ・ミフェ・ディーヨ──」
 早口な呪文詠唱(じゅもんえいしょう)
「──マヴォラ!」
 魔女の姿が三人と増えた!
 三人が五人となり、五人が十人となる!
「分身魔術?」
「間抜けなエリザベートと同格に(あなど)るな。みすみす標的と(とど)まる気は無い」
(まと)が増えたなら、その(すべ)てを(つぶ)せばいい!」
 気迫を()えるカーミラ!
 白き疾風(しっぷう)が、茨鞭(いばらむち)連撃(れんげき)を乱発する!
 次々と(つらぬ)かれていく幻影(げんえい)
「な……何っ? 力押(ちからお)しを!」
 カーミラの戦闘能力を改めて脅威(きょうい)に感じる。
 脅威(きょうい)
 (いな)、これは〈恐怖(・・)〉だ!
 真正(しんせい)魔性(ましょう)対峙(たいじ)した人間の(・・・)恐怖(・・)〉だ!
水泡(すいほう)()してなるか! 今回の戦乱は、大きなチャンスなのだ! これだけ大量の(にえ)(ささ)げれば〝次期魔女王〟の座すら掌握(しょうあく)出来るかもしれんのだぞ!」
「それが貴女(あなた)の〈目的〉……そんな下らない事(・・・・・)が!」
「キサマには分かるまい! 強大無比な魔力に恵まれたキサマに、我等(われら)〈魔女〉が(さいな)まされる積年(せきねん)渇望(かつぼう)は!」
 (しいた)げられてきた歴史を思い起こす。
 迫害(はくがい)の痛みを忘れてはいない。
 そして、()まわしき〈魔女(まじょ)()り〉の暴虐(ぼうぎゃく)を……。
貴女(あなた)にも〈吸血鬼〉の虚無感(きょむかん)は判らない!」
「生まれながらにして()祝福(しゅくふく)されし者が! よくもほざく!」
 ドロテアは(さら)なる呪文を詠唱(えいしょう)した!
 しかし──!
「そこォーーーーッ!」
「かはっ?」
 魔術発現と紙一重(かみひとえ)で、渾身(こんしん)の一撃が本体(ドロテア)の腹を貫通(かんつう)した!
 飛行魔術の集中も乱され、無様に()ちていく!
 墜落(ついらく)(さま)を滞空静止に見下(みくだ)し、カーミラは魔女の敗因を指摘した。
「動作は真似(マネ)出来ても、呪文詠唱そのもの(・・・・・・・・)は出来なかったようね……魔力蓄積(まりょくちくせき)呪文発声(じゅもんはっせい)は〈本体〉である貴女だけ(・・・・)だったのよ」
 同情など(いだ)く必要は無い。
 狡猾(こうかつ)なる〈魔女〉は私利私欲(しりしよく)(ため)に、あまりにも多くの犠牲を()(にじ)ってきた。
 エリザベート──ジル・ド・レ──そして、カーミラが温情を(かたむ)ける〈人間〉達を。
 テムズ川が(けが)らわしい水柱(みずばしら)()げる。
「わたしと踊ろうなんて百年早かったようね」


「おい、従者(じゅうしゃ)()ったぞ」
「プレラーティの愚か者が……カーミラ・カルンスタインを(あなど)ったな」
 遠方(えんぽう)に起きた黒い水柱(みずばしら)に、カリナとジルは戦況の進展を把握(はあく)する。
 魔力の源泉(げんせん)を失い、周囲の屍兵(ゾンビ)が〈死体〉へと(かえ)っていった。
 とはいえ、どうでもいい。
 両者の目が捕らえているのは眼前の敵のみ!
 叩き折りたい敵刃(てきじん)のみ!
 手数は圧倒的にカリナの方が多い。
 それら(あか)閃光(せんこう)を確実に(はじ)(ふせ)ぎつつも、ここぞとばかりに重い一撃を繰り出すジル・ド・レ。
 突発的に()まれ(せま)剣圧(けんあつ)を、黒姫(くろひめ)輪舞(ロンド)の如き体捌(たいさば)きで()わし続けた。
 目まぐるしい一進一退(いっしんいったい)(きざ)まれる。
鬱陶(うっとう)しい相手(ヤツ)だ。さっさとくたばれよ」
「死すべきは貴様よ!」
 騎士の剣が大きく振り上げられた!
 小競(こぜ)()いを無視した力任(ちからまか)せだ!
 密着した状態では、如何(いか)にカリナでも離脱回避(りだつかいひ)などできない!
()(こう)から()めるか!」
「それしかなかろうよ!」
 広刃(こうじん)細刃(さいじん)がぶつかり合い、(つば)()()いの態勢(たいせい)余儀(よぎ)なく()いられる!
 男と女の差は、カリナにとって(いささ)か不利に働いた。(ちから)体躯(たいく)も……だ。
 それでも()(とど)まるだけの技量は、戦闘慣れした実体験からか──(ある)いは意地か。
「惜しい……実に惜しいものよ」
「あんな大振りが惜しいものかよ」
「そうではない。以前も言ったが……何故、貴様のような傑物(けつぶつ)が〈女〉の身に生まれたのか? それが実に惜しいのだ」
「また、それか。何か〈女〉にトラウマでもあるのかよ」
 吸血姫(きゅうけつき)辟易(へきえき)()びた蔑笑(べつしょう)を返す。
「貴様程の実力があれば……貴様が〈男〉であれば、()が片腕にも(さそ)えたものを」
「いいや、そうはならんさ」
「何?」
「暑苦しいジジイのお()りなど、私が御免(ごめん)(こうむ)るからだ!」
 (わず)かに魔剣を引き、均衡(きんこう)(くず)した!
 (きょ)を突かれグラついた鎧を渾身(こんしん)()()る!
 その勢いを加味して、カリナは大きく()退(すさ)った!
 再び得た間合いに黒い翼を(ふく)らませる!
「またも飛ぶか!」
「腹立たしいなら飛んでみせろよ」
 黒き矢が天を()す!
 (みずか)らを回転軸とした螺旋(らせん)上昇(じょうしょう)
 (ふた)つの高速運動を(ひと)つの力点(りきてん)転化(てんか)し、カリナは黒槍(こくそう)と飛ぶ!
「一撃必殺と穿(うが)つ気か!」
 旋回(せんかい)に迫る黒渦(くろうず)(にら)()え、ジル・ド・レは迎撃を構えた!
 狙うは軸芯(じくしん)……真紅(しんく)()(さき)だ!
 迫り来る数秒が数分にも感じられた。
 ()れる──次の一撃が決着の瞬間(とき)だと確信するからこそ()れる!
 (うな)(たけ)螺旋(らせん)射程(しゃてい)へと入った!
()けぇぇぇーーーーィ! カリナ・ノヴェェェーーーール!」
 全身全霊を込めた剛剣(ごうけん)の突き!
 雄々(おお)しくも(たくま)しい(やいば)が、美しき吸血姫(きゅうけつき)脳天(のうてん)をブチ抜く!
 死の瞬間に見開かれる(まなこ)
 (あら)ぶる魔姫(まき)(つらぬ)いた──ジルがそう思えた瞬間、眼前に在った亡骸(てき)霧散(むさん)して消えた!
瞬間(しゅんかん)霧化(きりか)だと!」
「……此処だよ」
 ()めた警鐘(けいしょう)に視線を落とす。
 (くろ)外套(マント)(ふところ)(もぐ)()んでいた!
 繰り出す突きに身を乗り出した体勢へと!
「実体化を?」
「遅い!」
 対応する(すき)も与えず、(あか)い牙が騎士を(つらぬ)く!
 前屈み(ゆえ)に無防備となった喉笛(のどぶえ)へと!
「吸えぇぇぇええ! ジェラルダイィィィイイン!」
 雄叫(おたけ)びを()え、全身の力で突き上げた!
 百舌(もず)早贄(はやにえ)の如く、串刺(くしざ)し刑と(さら)される吸血騎士!
 鮮血(せんけつ)噴霧(ふんむ)()える魔剣のシルエットは、皮肉にも〈逆十字〉に見えた。
 彼等〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉のシンボルに……。



 白い空間に優しく包まれ、ジル・ド・レの意識は走馬燈(そうまとう)(なが)める。
 痛みも恐怖も無い。
 ただ胎内回帰(たいないかいき)にも似た安らぎだけが在った。


 旧暦一四〇四年──フランス名門貴族の家系にて、彼は生まれた。(ざい)も人脈も恵まれた環境である。
 当時、フランスは百年戦争の渦中(かちゅう)に在った。
 日々(ひび)何処かで戦火が上がり、日々(ひび)何処かで(はかな)い命が散った。戦果と落とされる貧困は人心(じんしん)(むしば)み、国内情勢も不安定に(おちい)っていた。明日(あす)への希望は陽炎(かげろう)の如し。
 ジルの幼年期も、そうした情勢にあった。
 両親から(あつ)い信仰心を受け継いだ少年は、そうした世相(せそう)に心を痛め続ける。
 だから、決意をした──大人になったら、この戦争を一刻(いっこく)も早く食い止めよう……と。
 その瞳はまだ純粋で、(まぶ)しい希望に満ちていた。


 旧暦一四一五年──最愛なる母が()った。
 ジルが十一歳の頃である。
 母は病弱な人であった。
 されど、無力な自分がしてやれる事など無い。
 (ゆえ)日々(ひび)祈り続けた。
 神へと(すが)った。
 だが、結局は無駄であったと思い知る。
 続けて、父が()った。
 戦死だ。
 口々(くちぐち)名誉賞賛(めいよしょうさん)されようと、それが何になろうか。
 少年に与えられた神の見返(みかえ)りは、理不尽な無情のみ。
 後見人(こうけんにん)に引き取られる中、彼の瞳には〈()〉が芽生(めば)え始めた。
 (あつ)い信仰心は一転して、神への憎悪(ぞうお)へと推移(すいい)する。
 だから、少年は信仰を()てた。
 救済無き信仰など〈呪い(・・)〉でしかない。


 旧暦一四二九年──百年戦争へと参加する。
 看過(かんか)出来ぬ戦況に自警団(じけいだん)旗揚(はたあ)げした。
 私兵(しへい)とはいえ、局地戦(きょくちせん)()ける貢献度(こうけんど)は大きい。
 フランスの(ため)では無い。
 苦しみ(あえ)ぐ民衆の(ため)だ。
 そんな中で、後々(のちのち)まで彼の人生観を決定付ける存在に(めぐ)り会う。
 オルレアンの野原で出会った娘は、(みずか)らが受けた〈神託(しんたく)〉を粛々(しゅくしゅく)と語り聞かせた。
 さすがに(いぶか)しんだが、一応は国王への謁見(えっけん)御膳(おぜん)()てしてやる事とする。
 そこで少女は〈奇跡(・・)〉を見せつけた。
 謁見(えっけん)した王が偽物(にせもの)見抜(みぬ)き、傍聴(ぼうちょう)へと(かく)(まぎ)れていたシャルル七世を見事に言い当てたのである。初面識(はつめんしき)にも(かか)わらず……だ。
 少女を間者(かんじゃ)(うたが)ったが(ゆえ)奸計(かんけい)──それを知るのは立案者(りつあんしゃ)である国王(シャルル)自身と、ジルを含めた宰相(さいしょう)達のみ。
 何故、それが看破(かんぱ)されたのか?
 もはや〈(かみ)御使(みつか)い〉としか思えなかった。
 聖少女(ピューセル)〝ジャンヌ・ダルク〟との邂逅(かいこう)──それは喪失(そうしつ)した信仰心を取り戻すに充分過ぎた。


 旧暦一四三一年──百年戦争末期、()むべき魔女裁判。
 激しい混戦下での撤退とはいえ、実に不覚であった。
 心酔(しんすい)するジャンヌ・ダルクが、事もあろうに敵陣(てきじん)へと取り残されたのである。
 狼狽(うろた)えながらも、ジルには希望もあった。
 英仏間の戦争協定により、保釈金を払えば捕虜は取り戻せたからである。
 イギリスより提示された保釈額は、決して払えぬ額ではない。
 にも(かか)わらず、祖国フランスは拒否した。
 救国(きゅうこく)英雄(えいゆう)を見捨てたのである。
 この一連(いちれん)失望(しつぼう)した彼は、表舞台(おもてぶたい)から姿を消した。
 信仰も愛国心も()()てて……。
 隠遁(いんとん)生活の中で魔術師プレラーティが訪れたのは、これより(わず)か数年後の事である。


「フフフ……思い返せば、実に波乱な人生であったな」
 乾いた笑いに(おのれ)(なぐ)める。
 遠くから(おだ)やかな安らぎが近付いて来た。
 母だ。
 (おさな)くして死に別れた母が、(いつく)しむ微笑(ほほえ)みを向けている。
 (ひさ)しく忘れていた膝枕(ひざまくら)(ぬく)もり……子守歌(こもりうた)のように頭を()でる細指(ほそゆび)──ジルは童心(どうしん)想起(そうき)する。
「ああ、そうであったか……ワシが本当に()(ころ)したかったのは──」
 ──自分自身(・・・・)
 ──(おさな)き日の無力な自分。
 ──(いと)しい母を救えなかった後悔。
 ようやくジルは、(おのれ)の真実へと辿(たど)()いた。
 殺したかった自分(・・・・・・・・)を、児童(じどう)への拷問行為(ごうもんこうい)()()えていたのだ……と。
「……()いても戻らぬ」
 時間も、経歴も、子供達の命も……。
 ひたすらに(いと)しく()が子を()で、母は(うなず)いた──ジル、もういいのよ。
嗚呼(ああ)……母よ(ママン)
 慕情(ぼじょう)に差し出した手が、されど届く事など無い。
 慈愛(じあい)に満ちた母は天国へと(みちび)かれ、血塗(ちぬ)られた自分は()(かえ)るのだから。



 闇空(あんくう)凝視(ぎょうし)(ころ)がる亡骸(なきがら)へと、勝者(しょうしゃ)は静かに語り聞かせる。
「最初から瞬間(しゅんかん)霧化(きりか)()だったのさ。その(ほか)大技(おおわざ)は、派手(はで)(おとり)だ」脇腹(わきばら)(きず)を、鈍い苦痛に押さえた。「もっとも精神集中が(まま)ならぬ実戦下では、私にしても()けではあったがな」
 それを易々(やすやす)()せるカーミラの実力を、改めて噛み締める。
 視野(しや)片隅(かたすみ)霧散(むさん)消滅(しょうめつ)が始まる。
 カリナは無関心に(きびす)を返し、その(さま)見届(みとど)けようとはしなかった。
 好敵手に対する、彼女なりの手向(たむ)けである。
 ()()死霧(しぎり)闇空(あんくう)へと拡散(かくさん)し、誇り高い鎧と剣だけが(のこ)った。

 闇暦(あんれき)三〇年──ジル・ド・レ、死す。
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登場人物紹介

名前:カリナ・ノヴェール

(Karina Noveil)


性格:

 孤高。攻撃的。達観的なひねくれ者。

 しかし内面は人一倍心優しく、とりわけ子供へ傾ける母性は強い。


特徴:

 流浪の吸血姫。

 戦闘能力は極めて高く、とりわけ実戦経験で鍛えられた剣技は屈指の実力。

 常に柘榴を嗜好品としている。

名前:カーミラ・カルンスタイン
(Carmira Karnstein)



性格:

 閑雅にして優麗。

 自分本意な恣意的性格も孕んでいる。

 同時に達観的な観察力を常時張り巡らせており、性格的には抜け目が無い。

 また、柔和な物腰に反して〈吸血鬼〉らしい冷酷さも兼ね備えている。



特徴:

 スチリア出身の伝説的吸血姫。

 彼の〈吸血王ドラキュラ〉と双璧として語り継がれている魔性。

 かつて原典小説『吸血鬼カーミラ』の物語を経験した後日談が、本作での背景設定となっている。

 見た目の貞淑さに反して戦闘能力は極めて高く、その実力と潜在魔力はカリナと同等のようである。

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