ジル・ド・レは黙想する。
思えば、信仰を
棄てたのは──神に敵意を
抱いたのは、いつであっただろうか。
愚劣な政略によって、心酔する
聖少女が処刑された日であろうか。
或いは、流れ者の魔術師によって〈吸血鬼〉へと
貶められた時からであろうか。
否、そうではない。
根元は、もっと以前だ。
幼き頃の悲劇が
発端だ。
母を失った。最愛の母を……。
神への祈りは無駄であった。
そして、信仰を
棄てた。
無力感に
苛まされた。
やがて、また取り戻した。
神の御使い〝ジャンヌ・ダルク〟との
邂逅だ。
されど、また
棄てた。
幼少期の無力感が
甦る。
闇に
堕ちた。
神への敵対者と
堕ちた。
そして、
現在に
至る──。
軋み開く城門の音に現実へと呼び起こされ、ジルは静かに
瞼を開いた。
十中八九、降伏は無い……それは承知の上だ。
が、迎え出て来た
決闘相手は予想外であった。
カーミラ・カルンスタインではない。
たった一人で出陣したのは、
不遜なる
流浪者だ。
白ではなく黒が現れた。
どちらでも構わない。
己が選択の
是非を確められるのならば……。
「よう、
髭面」不敵な笑みを浮かべ、
柘榴齧りに挑発してくる。「相変わらず
黙祷が長いな」
「フッ……捧げる相手など、もはやおらぬ」
自嘲を
交わす
猛者二人。
互いに望んでいた──いつぞやの決着を!
「さて、始めるとするか……カリナ・ノヴェール!」
今度は横槍など
入らない。
否、
入れさせない!
心行くまで殺し合おう!
ロンドン塔城門前──多勢のゾンビが
犇めく渦中で、激しい
剣舞が繰り広げられた!
周囲の
屍兵など歯牙にも掛けず、カリナとジルはぶつかり合う!
「「おおおぉぉぉぉぉーーーーーーっ!」」
暴れる
双刃に巻き込まれ、無頓着な
屍が
捌かれていく!
腐肉が破片と飛び、
死血が
霧と
弾けた!
この決闘の瞬間に立ち会ったのが、彼等の不運だ。
もっとも
嘆く自我など有りはしないが……。
「
失せろ!」
「邪魔だ!」
互いに好敵手を狙いつつ、片手間で障害物たる
屍兵を排除する!
剣舞を踊る足場を広く確保せねばならない!
黒集りに
拓いていく決闘場──それは滞空に戦況を
見定める魔術師の目にも
留まった。
「アレは……カリナ・ノヴェール? またしても邪魔をするか!」
プレラーティは
疎ましく
睨み、呪文を
詠唱した。
早口の
呪言が意味する内容は不明だ。
どちらにせよ敵意を
帯びた攻撃には違いあるまい。
獲物へと向けた
掌に
種火が収束していく!
圧縮された
炎塊が
一際勢いを増した
焔球と荒ぶる!
「……消えよ」
気取られぬ狙撃が放たれようとした瞬間、予期せぬ一撃が
焔を破壊した!
茨鞭だ!
奇襲方向を追い
睨む。
白い
麗姿が滞空していた!
「……カーミラ・カルンスタイン!」
「まさか〈魔女ドロテア〉の他に暗躍者がいたとはね……確か〝プレラーティ〟とか言ったかしら?」
「ィェッヘッヘッ……その名で
正解だよ」
虚空より
下卑た
濁声が
肯定する。
直後、カーミラの背後に
男が出現した。
見窄らしい品性に黒いジャケットスーツ──
卑しいニタリ顔に
飄々とした態度──プレラーティが見た事も無い怪人物だ。
「ィェッヘッヘッ……お初だねぇ? オレァ〝ゲデ〟──ハイチはブードゥー教の〈死神〉さ」
太々しく
葉巻を
蒸かしながら
卑俗な
嘲笑が名乗った。
魔術師が
睨めつけに
訊う。
「その〈死神〉とやらが、何故ハイチから出た?」
「
愚問だねぇ? ダークエーテルが
蔓延した
闇暦じゃあ、世界中が超自然的な魔界環境だ。
生地に縛られる
柵は無ぇっての。だったらよぉ──」深い邪悪を
含み笑う
道化者。「──広い
餌場へと
出歩いて、テメェから満喫した方が面白ぇじゃねぇかよ? ィェッヘッヘッ……」
さしものプレラーティですら
忌避感を覚えた。
この〝ゲデ〟なる〈死神〉は、純粋に
負念を楽しんでいる。理念も理想も情も無い。ただ悪意のままに
貪りたいだけだ。
「ま、そう警戒しなさんな。オレ自身が何かする気は無ぇよ。アンタを相手取るのは──」
ゲデが
一瞥で示すのは、臨戦意思の
白外套。
双鞭を構えたカーミラが
毅然とした誇りに宣誓する。
「悪いけど邪魔はさせない。カリナの邪魔も、ジル・ド・レ卿の邪魔もね」
ジルの
剛剣が重い突きを放つ!
初戦の再現
宜しく、カリナは
黒外套の回転に
纏わり
呑もうと転じた……が!
「二の
轍を踏むと思うか!」
力任せに横へと
凪ぎ、無理矢理に太刀筋を変える!
「かはっ?」
瞬時に魔剣を盾として
遮るも、頑強な
刃はカリナの脇腹を浅く
抉った!
その衝撃を緊急離脱の慣性へと転化し、黒の
吸血姫は間合いを取る。
片膝着きの体勢に着地すると、吸血騎士を
睨み
据えた。
押さえた傷口から零れ落ちる熱い感触──
久しく味わってなかった痛みだ。
「少しは学習したかよ、
髭面」
「先の決闘で貴様の傾向は覚えた。
如何に戦い慣れしていようと、女の身では非力……それを補うべく俊敏さを
軸とした奇襲へと転じるのであろう。されど読めてしまえば、どうという事はない!」
「そうかよ」
カリナは軽く
嘲笑を含み、静かに立ち上がる。
と、
徐に
紅い
刃を傷口へと当てた。
「吸え」
紅刃が
仄かに光り、
溢れる赤を
啜り
呑んだ。やがて、次第に血が止まる。「……ふう」
「
血を吸う魔剣……だと?」
「物珍しいかよ」
「なるほど。わざと適量を吸わせて、
止血の仮手段としたか」
「傷そのものは
負ったままだがな。それよりも──」挑発と皮肉を込めて、
吸血姫は不敵な蔑笑を浮かべた。「──よくも処女の身体を傷物にしてくれる」
刀身に残る
滑りを払い
拭う。
「おい、
髭面。地獄へ叩き落とす前に
訊いておきたい事がある」
「何だ」
互いに反目して
佇み、静かな敵意を
交わした。
「確か〝ブラッディ・タワー〟と言ったか──あの
城塔での拷問は何だ?」
「フッ、どうやら見つけたか」
吸血騎士が乾いた感情に
口角を上げる。
「
児童偏愛癖か?
或いは子供に怨みでもあるのかよ?」
「……分からぬ」遠い目を
虚空へと投げ、ジルは
愁訴を
吐露した。「
現在に始まった事ではない。かと言って〈吸血鬼〉と
堕ちたからでもない。生前からの
隠匿すべき
悪癖だ」
「何人
殺ったよ」
「
一過の犠牲など数えておらぬ」
「
偏愛の
歪み……ではないな? あの容赦ない
拷問痕からして、苦しめ抜いて殺す事自体が目的だ」
「確かに異常な
性癖だと自覚する。が、
我にも自制は
利かぬのだ」
「
狂気者は、
皆そう言う」
「理解されぬは百も承知。
俗論観念とは永遠に平行線だろう」
「それも言うのさ」
子供の存在に
依存しなければ自己確立が
出来ぬ者──その点では、両者共に同じかもしれない。
だがしかし、その
在り
様は対極過ぎた。
ジル・ド・レは、幼き命を悦楽の
贄とする。
カリナは、無垢な魂を
道標と
背負う。
相入れるはずがない。
「子供には罪が無い──などと綺麗事は言わん。
偽善者共の
利己的詭弁は
反吐が出る。されど、理不尽に
命奪われる
謂われも無いだろうさ」
「母性が言わせるか……やはり〈
女〉よ」
「さてな──」満たされぬ想いに
柘榴を
齧る。「──ただ、私の〈
レマリア〉が泣くのさ」
「……レマリア?」
「気にするな。オマエにも殺せぬ子だ」
吸血姫は静寂を破り、黒い
魔翼を
息吹かせた!
超人的跳躍に
生じた風を
孕み、空中からの強襲戦法へと転じる!
命削る
輪舞の再開だ!
「飛ぶか! カリナ・ノヴェール!」
ジル・ド・レは腰を落とし、安定した重心に構えた。
(
鎧装束の重量では飛行など叶わぬ。なれば、攻撃に接近した瞬間を返り討ちにするしかなかろう)
この戦術に
於いては、カリナの軽装が利点と
活きた。
前から、背後から、右から、左から、休む
暇も無く
黒翼が襲い来る!
一撃離脱の
攪乱戦法だ!
彼女の軌道取りは、優美なカーミラに比べて鋭利で素速い!
「
燕と
化すか!」
忌々しく
追い
睨みながらも、ジルは
刃応えに
高揚する。
四方八方から
縦横無尽に襲い来る
紅い
嘴!
突撃の勢いを
帯びるため、軽い体重であっても一撃が重い!
加えて、レイピア形状の魔剣も相性が良かった。
突きを
肝とした攻撃は、まさに
迅速の
槍の如し!
戦人として
培った感覚で、騎士は強襲方向を予測する!
愛剣を盾に
紅い
突尖を
弾き続けた!
言うは簡単だが、それを
為すジル・ド・レの技量は並々ならぬものである。
そして、重々しい反撃を繰り出した!
「むぅん!」
「当たると思うか!」
直進軸を
僅かに浮かせた
黒外套は、
剛刃の軌道から
擦れ
擦れ上を
滑る!
すぐさま直角上昇による離脱へと移行!
が、
浴びた
剣圧には違和感を覚える。
あまりにも標的への捕捉がアマい。
(当たらぬは承知の上で……か。手数を減らすための
牽制だったかよ)
小賢しさを見極めた。
だがしかし、その流れすら敵の
思惑通りだ。
易い
化かし
合いに過ぎない。
「
二度手間を掛けさせてくれる!」
滞空静止から方向転換し、急速降下で再強襲を
試みる!
ジル・ド・レが上空を
睨み構えた!
今度は確実にカリナを捕捉している!
(クソッ! 軌道を強制させるためだったかよ!)
降下の勢いに
呑まれ軌道変更は難しい。
なれば、
最早突っ込むしかなかった。
「
髭面ァァァーーーーっ!」
「カリナ・ノヴェーーーール!」
鋭利な
紅刃と
剛剣の突き上げが、互いの
顔脇を
掠めて
擦れ違う!
間髪入れずに、またも強引な
凪払い!
カリナは
開脚後転に反動を
生み、ジルの間合いから
跳び
離れた。その華麗な回避動作は、
ジプシーの踊り子を連想させる。
慣性のままに
滑る
路面を
踏み
止まるカリナ。
上げる瞳に
睨んだ吸血騎士は、平然とした態度を崩していない。
「……腹立たしいヤツだ」
頬に
刻まれた赤い
筋を親指で
拭った。
同様に、騎士も
拳で
拭う。
両者が繰り出した一撃は、
惜しくも敵を
貫く事は
出来なかった。
掠り
傷の
痛み
分けだ。
(
剣技は互角か……いま一歩で
埒が開かんな)
かつてカーミラが
示唆した通り、なかなか
厄介な実力者であった。
表層では
苛立ちながらも、カリナは冷静に
思索を
巡らせる。
朧気ながら状況打開の
妙案が見え始めた。
「カーミラに出来て、私に出来ぬ道理はあるまいよ」
そう、
同じ血ならば……。
薄く勝算を
含む。
その瞬間、不意に背後から右腕を
掴まれた!
「何!」
ゾンビの
捕縛である。
それを
皮切りに、次々と
亡者共が少女の
四肢を封じ始めた!
「クッ?」
腕一本に一体ではない!
足一本に一体ではない!
凡そ、しがみつけるだけの死体数が、
四肢の
枷と
化して
拘束を
強いる!
如何に〈吸血鬼〉が
剛力とは言っても、とてもではないが
振り
解く事など不可能であった!
「クソッ! 命令を変更したか!」
焦燥に
足掻くも動けない!
まるで
磔刑だ!
正面からは剣を
携えたジル・ド・レが、ゆらりと歩いて来る。
(さて、どうするか……)
この
窮地を脱出する手段は──ある。
しかし、それは
閃いたばかりの
策を
用いるという事だ。
(
ネタバレした手品では、ヤツの
虚は突けまいよ)
とはいえ、このままでは〝なます斬り〟だ。
(やはり秘策を
先出しするしかない……か)
本音では
渋りながらも、カリナは決心する。
眼前まで来たジルが
仰々しく剣を振り上げた。
(チィ……背に腹は
代えられぬ!)
不本意ながらも秘策を
披露しようと覚悟した──直後、彼女を
拘束する
屍が一体
崩れ
倒れる!
「何?」
予想外の展開に動揺を浮かべるカリナ。
振り下ろされた
刃が
捌いたのは、
吸血姫ではなく
屍兵であった!
宿敵の
疑問を
余所に、ジルは次々と
戒めを
潰していく!
愚鈍な
加勢を
一頻り
捌き終えると、騎士は背後の
闇空へと
怒号を
吼えた!
「プレラァァァティィィーーーーッ!」
地の底から響いてくるような獅子の
猛り!
「出過ぎた
真似をするでないわ! これは
我とカリナ・ノヴェールの決闘!
何人たりとて
邪魔立てする事はまかりならん!」
心底からの
激昂であった!
それは大気を震わせるかの如く、テムズ川上空にて戦う
従者の耳にも届く。
「……ですって」
相見えるカーミラが愛らしく小首を
傾けた。
「チッ!」
舌を鳴らす
黒魔術師。
大局よりも
些末な
騎士道に
囚われる
傀儡に、
貞淑ぶった余裕に挑発を織り交ぜる実力者──
全てが彼の意にそぐわない。
さりとて、ジル・ド・レの機嫌を
損なっては
万事が
水泡だ。エリザベートのような失態は
避けたい。
彼は
眼前の
難敵だけに標的を絞り込んだ。
「それで? 今度は、どうなさるのかしら?」
「……
頭に乗るなよ、カーミラ・カルンスタイン」
平然を
崩さぬ白き
麗姿を
睨めつける。
「コライサラム・エキシサラム・シューサラム──」
早口の
詠唱に呼応し、
掌へと
火元素が収束していく。
「──ファイアーボール!」
火種は
炎球と
育ち、
焔と
吼えた!
さりながら、白き
吸血姫には動じる
素振りもない。
僅かに立ち位置をずらして、滞空のままに回避するだけだ。まるで
地を
踊り
滑るように……。
「リスペルサラム」
再発動の
簡略詠唱を
唱える!
多数の
焔が
生まれ襲った!
炎球魔法の
連射攻撃!
しかし、それさえもカーミラは
避わし
続ける。
時折、
避けきれぬ数発があったが、それは
茨鞭の
的と
砕いた。
小気味良く舞い踊る白き
麗影──
存在しないはずの足場が存在している。
万能的に魔術を発現出来るとはいえ、魔術師や魔女は
大別的な
種族分類では〈
人間〉だ。
根本から〈
魔物〉たる吸血鬼とは
異なる。ただ
超自然的な
行使術に
長けているに過ぎない。
魔術によって飛行能力を得ていても、それは
仮付随の能力──
不可視の
翼上に
縋り立っているのと変わらぬ。
対して吸血鬼の
それは、地上を歩行するのと大差ない通常動作だ。存在自体が〈翼〉と言ってもいい。
結局〝鳥の翼〟と〝イカロスの翼〟では、根本的に
雲泥差があるという事だ。
「……
素より空中戦で渡り合おうとは思っていない」
邪瞳が
策謀に
歪んだ。
「サラムプリズモルグ!」
二指を立てた手を
肘折に突き上げる!
カーミラの周囲に砕けた
残り
火達が、
一際大きく
息吹を
甦らせた!
「何ですって?」
炎は
柱と
昇り、小鳥を捕らえる!
灼熱の
檻だ!
「
茨鞭では……無理そうね」
実体無き元素を斬り裂けるわけがない。
下手をすれば、武器の方が
焼け
朽ちてしまう。
魔術師が
焔格子前まで
滑り来た。
「……対決
早々に動き回るべきだったのだ、キサマは」
「あら、今頃
御忠告かしら?」
「エリザベート戦で見せた戦法は知っている。その機動力を封じれば、
脆弱な
金糸雀だ。それに──」
眼下の決闘を
一瞥する。「──今回はカリナ・ノヴェールの
助力も期待出来ない」
唯一の不確定要素があるとすれば例の〈死神〉だが、ニタリ顔は向けられた視線に
戯けて肩を
竦めるだけ。宣言通り、介入する意思は無さそうだ。
関心を
虜囚へと戻す。
「キサマを
屠り、ジル・ド・レへと
荷担すれば事が終わる」
「ジル・ド・レ卿は、それを望んではいなくってよ?」
「……関係無い」プレラーティの冷酷なる真意。「
我が
思惑は〈
吸血鬼勢力の壊滅〉にある。あの男の意向など眼中に無い」
「
体よく利用したってトコかしら?」
「……
如何にも」
「ひとつだけ
訊いてもいいかしら? できるだけ疑問は残したくないの」
「……何だ?」
虜囚が無力化したと
踏んだか、返す
抑揚は高圧的だ。
「
貴方の
同胞〈魔女ドロテア〉は何処かしら?」
名を聞いた途端
途端、プレラーティは
嘲笑を
含む。
「クックックッ……まだ気付かんのか、カーミラ・カルンスタイン」
直後、魔術師が
幻像と
霞んだ。
宛ら残像効果のように
姿形が
歪み、
一回り小さな
体躯が重なる。
やがて
陽炎が
収まると、実体となったのは小柄な
身体の方であった。
「
貴女は──魔女ドロテア!」
仇敵を前にしたカーミラが、思わず
驚愕の声を上げる。
同時に、
万事合点がいった。
何故、こうも続けて
謀反が
生じたのか?
何故、魔女と魔術師の
手口が似ていたのか?
策謀者は二人ではない──最初から
一人だったのだ!
「暗躍が
為の〈性転換魔法〉だ。
我は〝プレラーティ〟であり〝ドロテア〟でもある」
「どちらが〈
正体〉なのかしら?」
「さてな……あまりにも
永い
歳月を掛け持ちした。
最早、
我にも判らぬ」
「ジル卿やエリザベートの生前から、今回の根回しを? そうは思えないけれど?」
「生前の
奴等に接近したのは、単に〈
魂〉を
堕落させる
為だ。さすれば、契約悪魔への
献上品となる。おかげで多彩な魔術も
授かった。されど〈一級魔術師〉には
後一歩といったところか……まだまだ
足りぬ」
「あ……
貴女は……自身の魔力向上の
為だけに、
彼等の〈魂〉を魔界へと
貶めたと言うの!」
「
我等〈魔女〉にとっては〈
魔術〉
こそが総て。行使魔術が強大であればあるほど、その地位と権限は大きくなる」
カーミラの
胸中に
嫌悪が
募る!
「
他人の〈
魂〉を何だと! その〈
命〉と〈
生〉を!」
「
愚直だな。
我は
奴等の
内に
燻る
闇を解放させてやったに過ぎん」
「もう、いいわ」
「……
辞世は満足したか」
「ええ。もう何も語らなくていい。聞くに
耐えない
醜さですもの」
我慢していた
憤りを解放し、白い
外套が踊り狂う!
優美な回転に舞う白い波!
自らを軸とした
吸血姫の円心は、みるみる加速を上げていった!
「な……何をしようという! カーミラ・カルンスタイン!」
高速自転が続く!
既に実像が捕らえられない!
炎の
牢獄には白き竜巻が
暴れ
育っているだけだ!
「
辞世は
済んだ──けれど、それは
貴女の
辞世よ!」
気流の暴力が
膨れていく!
自身も
呑まれそうになりながら、ドロテアは
踏ん
張り
堪える!
そして、炎の
戒めが
弾けた!
「……クッ?」
鎮まる
台流に
佇み、白い
麗姿が
種を
明かす。
「精霊魔法にて〈火〉を
相殺するのは〈水〉のみ──その
概念に捕らわれ過ぎていたようね。確かに〈風〉は〈火〉を
助長する。けれど、圧倒的に
過剰な
暴風なら、どうかしら? 今回は
暴飲暴食が過ぎた……
許容量越えよ!」
「キサマ、最初から抜け出せる算段を?」
「ええ、少しでも情報を収集したかったの」
にこりと
微笑む
貞淑。
実力に裏打ちされた余裕であった。
「それじゃあ、
先程の
御忠告に
従うわね!」
白い翼が
疾風と舞い飛ぶ!
エリザベート戦で見せた
厄介な
攪乱戦法だ!
「ラジュガ・ミフェ・ディーヨ──」
早口な
呪文詠唱!
「──マヴォラ!」
魔女の姿が三人と増えた!
三人が五人となり、五人が十人となる!
「分身魔術?」
「間抜けなエリザベートと同格に
侮るな。みすみす標的と
留まる気は無い」
「
的が増えたなら、その
総てを
潰せばいい!」
気迫を
吼えるカーミラ!
白き
疾風が、
茨鞭の
連撃を乱発する!
次々と
貫かれていく
幻影!
「な……何っ?
力押しを!」
カーミラの戦闘能力を改めて
脅威に感じる。
脅威?
否、これは〈
恐怖〉だ!
真正の
魔性と
対峙した
人間の〈
恐怖〉だ!
「
水泡に
帰してなるか! 今回の戦乱は、大きなチャンスなのだ! これだけ大量の
贄を
捧げれば〝次期魔女王〟の座すら
掌握出来るかもしれんのだぞ!」
「それが
貴女の〈目的〉……そんな
下らない事が!」
「キサマには分かるまい! 強大無比な魔力に恵まれたキサマに、
我等〈魔女〉が
苛まされる
積年の
渇望は!」
虐げられてきた歴史を思い起こす。
迫害の痛みを忘れてはいない。
そして、
忌まわしき〈
魔女狩り〉の
暴虐を……。
「
貴女にも〈吸血鬼〉の
虚無感は判らない!」
「生まれながらにして
闇に
祝福されし者が! よくもほざく!」
ドロテアは
更なる呪文を
詠唱した!
しかし──!
「そこォーーーーッ!」
「かはっ?」
魔術発現と
紙一重で、
渾身の一撃が
本体の腹を
貫通した!
飛行魔術の集中も乱され、無様に
墜ちていく!
墜落の
様を滞空静止に
見下し、カーミラは魔女の敗因を指摘した。
「動作は
真似出来ても、
呪文詠唱そのものは出来なかったようね……
魔力蓄積と
呪文発声は〈本体〉である
貴女だけだったのよ」
同情など
抱く必要は無い。
狡猾なる〈魔女〉は
私利私欲の
為に、あまりにも多くの犠牲を
踏み
躙ってきた。
エリザベート──ジル・ド・レ──そして、カーミラが温情を
傾ける〈人間〉達を。
テムズ川が
汚らわしい
水柱を
上げる。
「わたしと踊ろうなんて百年早かったようね」
「おい、
従者が
逝ったぞ」
「プレラーティの愚か者が……カーミラ・カルンスタインを
侮ったな」
遠方に起きた黒い
水柱に、カリナとジルは戦況の進展を
把握する。
魔力の
源泉を失い、周囲の
屍兵が〈死体〉へと
還っていった。
とはいえ、どうでもいい。
両者の目が捕らえているのは眼前の敵のみ!
叩き折りたい
敵刃のみ!
手数は圧倒的にカリナの方が多い。
それら
紅い
閃光を確実に
弾き
防ぎつつも、ここぞとばかりに重い一撃を繰り出すジル・ド・レ。
突発的に
生まれ
迫る
剣圧を、
黒姫は
輪舞の如き
体捌きで
避わし続けた。
目まぐるしい
一進一退が
刻まれる。
「
鬱陶しい
相手だ。さっさとくたばれよ」
「死すべきは貴様よ!」
騎士の剣が大きく振り上げられた!
小競り
合いを無視した
力任せだ!
密着した状態では、
如何にカリナでも
離脱回避などできない!
「
真っ
向から
止めるか!」
「それしかなかろうよ!」
広刃と
細刃がぶつかり合い、
鍔迫り
合いの
態勢を
余儀なく
強いられる!
男と女の差は、カリナにとって
些か不利に働いた。
力も
体躯も……だ。
それでも
押し
止まるだけの技量は、戦闘慣れした実体験からか──
或いは意地か。
「惜しい……実に惜しいものよ」
「あんな大振りが惜しいものかよ」
「そうではない。以前も言ったが……何故、貴様のような
傑物が〈女〉の身に生まれたのか? それが実に惜しいのだ」
「また、それか。何か〈女〉にトラウマでもあるのかよ」
吸血姫は
辟易を
帯びた
蔑笑を返す。
「貴様程の実力があれば……貴様が〈男〉であれば、
我が片腕にも
誘えたものを」
「いいや、そうはならんさ」
「何?」
「暑苦しいジジイのお
守りなど、私が
御免被るからだ!」
僅かに魔剣を引き、
均衡を
崩した!
虚を突かれグラついた鎧を
渾身に
踏み
蹴る!
その勢いを加味して、カリナは大きく
跳び
退った!
再び得た間合いに黒い翼を
膨らませる!
「またも飛ぶか!」
「腹立たしいなら飛んでみせろよ」
黒き矢が天を
射す!
自らを回転軸とした
螺旋上昇!
二つの高速運動を
一つの
力点と
転化し、カリナは
黒槍と飛ぶ!
「一撃必殺と
穿つ気か!」
旋回に迫る
黒渦を
睨み
据え、ジル・ド・レは迎撃を構えた!
狙うは
軸芯……
真紅の
切っ
先だ!
迫り来る数秒が数分にも感じられた。
焦れる──次の一撃が決着の
瞬間だと確信するからこそ
焦れる!
唸り
哮る
螺旋が
射程へと入った!
「
逝けぇぇぇーーーーィ! カリナ・ノヴェェェーーーール!」
全身全霊を込めた
剛剣の突き!
雄々しくも
逞しい
刃が、美しき
吸血姫の
脳天をブチ抜く!
死の瞬間に見開かれる
眼!
荒ぶる
魔姫を
貫いた──ジルがそう思えた瞬間、眼前に在った
亡骸が
霧散して消えた!
「
瞬間霧化だと!」
「……此処だよ」
冷めた
警鐘に視線を落とす。
黒外套は
懐に
潜り
込んでいた!
繰り出す突きに身を乗り出した体勢へと!
「実体化を?」
「遅い!」
対応する
隙も与えず、
紅い牙が騎士を
貫く!
前屈み
故に無防備となった
喉笛へと!
「吸えぇぇぇええ! ジェラルダイィィィイイン!」
雄叫びを
吼え、全身の力で突き上げた!
百舌の
早贄の如く、
串刺し刑と
晒される吸血騎士!
鮮血の
噴霧に
映える魔剣のシルエットは、皮肉にも〈逆十字〉に見えた。
彼等〈
不死十字軍〉のシンボルに……。
白い空間に優しく包まれ、ジル・ド・レの意識は
走馬燈を
眺める。
痛みも恐怖も無い。
ただ
胎内回帰にも似た安らぎだけが在った。
旧暦一四〇四年──フランス名門貴族の家系にて、彼は生まれた。
財も人脈も恵まれた環境である。
当時、フランスは百年戦争の
渦中に在った。
日々何処かで戦火が上がり、
日々何処かで
儚い命が散った。戦果と落とされる貧困は
人心を
蝕み、国内情勢も不安定に
陥っていた。
明日への希望は
陽炎の如し。
ジルの幼年期も、そうした情勢にあった。
両親から
篤い信仰心を受け継いだ少年は、そうした
世相に心を痛め続ける。
だから、決意をした──大人になったら、この戦争を
一刻も早く食い止めよう……と。
その瞳はまだ純粋で、
眩しい希望に満ちていた。
旧暦一四一五年──最愛なる母が
逝った。
ジルが十一歳の頃である。
母は病弱な人であった。
されど、無力な自分がしてやれる事など無い。
故に
日々祈り続けた。
神へと
縋った。
だが、結局は無駄であったと思い知る。
続けて、父が
逝った。
戦死だ。
口々に
名誉賞賛されようと、それが何になろうか。
少年に与えられた神の
見返りは、理不尽な無情のみ。
後見人に引き取られる中、彼の瞳には〈
闇〉が
芽生え始めた。
篤い信仰心は一転して、神への
憎悪へと
推移する。
だから、少年は信仰を
棄てた。
救済無き信仰など〈
呪い〉でしかない。
旧暦一四二九年──百年戦争へと参加する。
看過出来ぬ戦況に
自警団を
旗揚げした。
私兵とはいえ、
局地戦に
於ける
貢献度は大きい。
フランスの
為では無い。
苦しみ
喘ぐ民衆の
為だ。
そんな中で、
後々まで彼の人生観を決定付ける存在に
巡り会う。
オルレアンの野原で出会った娘は、
自らが受けた〈
神託〉を
粛々と語り聞かせた。
さすがに
訝しんだが、一応は国王への
謁見を
御膳立てしてやる事とする。
そこで少女は〈
奇跡〉を見せつけた。
謁見した王が
偽物と
見抜き、
傍聴へと
隠れ
紛れていたシャルル七世を見事に言い当てたのである。
初面識にも
拘わらず……だ。
少女を
間者と
疑ったが
故の
奸計──それを知るのは
立案者である
国王自身と、ジルを含めた
宰相達のみ。
何故、それが
看破されたのか?
もはや〈
神の
御使い〉としか思えなかった。
聖少女〝ジャンヌ・ダルク〟との
邂逅──それは
喪失した信仰心を取り戻すに充分過ぎた。
旧暦一四三一年──百年戦争末期、
忌むべき魔女裁判。
激しい混戦下での撤退とはいえ、実に不覚であった。
心酔するジャンヌ・ダルクが、事もあろうに
敵陣へと取り残されたのである。
狼狽えながらも、ジルには希望もあった。
英仏間の戦争協定により、保釈金を払えば捕虜は取り戻せたからである。
イギリスより提示された保釈額は、決して払えぬ額ではない。
にも
拘わらず、祖国フランスは拒否した。
救国の
英雄を見捨てたのである。
この
一連で
失望した彼は、
表舞台から姿を消した。
信仰も愛国心も
投げ
棄てて……。
隠遁生活の中で魔術師プレラーティが訪れたのは、これより
僅か数年後の事である。
「フフフ……思い返せば、実に波乱な人生であったな」
乾いた笑いに
己を
慰める。
遠くから
穏やかな安らぎが近付いて来た。
母だ。
幼くして死に別れた母が、
慈しむ
微笑みを向けている。
久しく忘れていた
膝枕の
温もり……
子守歌のように頭を
撫でる
細指──ジルは
童心を
想起する。
「ああ、そうであったか……ワシが本当に
責め
殺したかったのは──」
──
自分自身。
──
幼き日の無力な自分。
──
愛しい母を救えなかった後悔。
ようやくジルは、
己の真実へと
辿り
着いた。
殺したかった自分を、
児童への
拷問行為に
擦り
変えていたのだ……と。
「……
悔いても戻らぬ」
時間も、経歴も、子供達の命も……。
ひたすらに
愛しく
我が子を
撫で、母は
頷いた──ジル、もういいのよ。
「
嗚呼……
母よ」
慕情に差し出した手が、されど届く事など無い。
慈愛に満ちた母は天国へと
導かれ、
血塗られた自分は
無に
還るのだから。
闇空を
凝視に
転がる
亡骸へと、
勝者は静かに語り聞かせる。
「最初から
瞬間霧化が
肝だったのさ。その
他の
大技は、
派手な
囮だ」
脇腹の
痕を、鈍い苦痛に押さえた。「もっとも精神集中が
儘ならぬ実戦下では、私にしても
賭けではあったがな」
それを
易々と
為せるカーミラの実力を、改めて噛み締める。
視野の
片隅で
霧散消滅が始まる。
カリナは無関心に
踵を返し、その
様を
見届けようとはしなかった。
好敵手に対する、彼女なりの
手向けである。
朽ち
逝く
死霧が
闇空へと
拡散し、誇り高い鎧と剣だけが
遺った。
闇暦三〇年──ジル・ド・レ、死す。