醒める夢 Chapter.2

文字数 6,411文字


 カリナの疲労はピークに達していた。肉体的に……ではない。精神的消耗だ。
 そもそも〈吸血鬼〉は〝死人(しびと)(がえ)り〟であると同時に〝幽鬼(ゆうき)〟の(たぐい)でもある。スタミナによる束縛など無いに等しい。
 されど〝()〟は、そうではない。
「何処だ……何処に行ったんだ……レマリア」
 回廊(かいろう)の石段へと腰掛け、(つぶや)(ふけ)る。
 まるで不安定で(もろ)い印象であった。普段の孤高は見る影も無い。
 現在(いま)の彼女は、単に無力な少女に過ぎない。


 そもそも悲劇の発端(ほったん)は、カリナが自室を離れていた事に(さかのぼ)る──(すなわ)ち、ジル・ド・レ率いる防衛部隊が出陣した直後だ。
 (きょう)の臭いを嗅ぎとった黒の吸血姫(きゅうけつき)は、好奇心のままに城外へと飛び立った。城壁の天辺(てっぺん)で足組ながらに腰掛けると、冷ややかに眼下(がんか)(なが)める。喧噪(けんそう)けたたましい下界(げかい)には、(すで)苛烈(かれつ)な戦いが展開していた。不毛な(つぶ)し合いは、単に柘榴(ザクロ)(さかな)でしかない。
「まるで(アリ)の縄張り争いだな」
 高見(たかみ)に観察する黒集(くろだか)りは、カリナの目にそう映った。
 (しき)りに散る赤花(あかばな)だけは華々しいが……。
「さてと、御手並みを拝見させてもらうか」
 吸血貴族(ヴァンパイア・ロード)(たち)の迷走を期待し、攻撃的にほくそ笑む。
 戦況などは、どうでもいい。ただの退屈(しの)ぎだ。
「片や選民意識に溺れた死体、片や自我損失に動かされる死体──どちらにせよ、殺し会うのは〝()()〟同士だ。そして、生き残るのも〝死体(・・)〟……滑稽(こっけい)だよ」
 (あざけ)りに満ちた達観(たっかん)()らす。
 別段〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉へと加勢する気など無い。どのみち、自分は招かれざるべき部外者だ。
 と、尾を(なび)かせながら飛来する幾条(いくじょう)もの紅蓮(ぐれん)
 火矢(ひや)だ!
 敵陣後方からの遠距離攻撃である!
 次々と()られる炎の加勢!
 それさえも、カリナは冷静な分析で片付けた。
「デッドと違い、ゾンビには道具を使う応用性がある。それを()す指示者がいれば……な」
 (かり)に吸血鬼の城が陥落(かんらく)しようと、無頼者(ぶらいもの)の自分には影響など無い。
 堅固な石壁に(はば)まれ、火矢(ひや)が落ちていく。
 奇跡的な(なが)(だま)が、カリナへと目掛けて飛んできた。
 しかし、彼女は微動だにしない。(かす)かに顔だけをずらして()ける。脆弱(ぜいじゃく)な炎がチリッと頬の横を過ぎた。
「投石機でも据えれば良かろうよ」
 数本は窓から城内へと飛び込んでいたが、だからといって戦局を(くつがえ)す事などあろうはずもない──そう(たか)(くく)っていた。
 直後、城内からの炎上!
 (いきお)いに息吹(いぶ)いた炎が、窓から雄叫(おたけ)びを上げた!
「何っ?」
 予測外の事態である!
 悪運強く部屋へと辿り着いた火矢(ひや)が、可燃性の内装へ引火したに違いない!
 瞬時に脳裏を()ぎったのは、何よりも優先されるべき保護対象──レマリアの存在!
「マズい!」
 判断も(つか)()、無数の炎が降り(そそ)ぐ!
 敵は休む()すらなく放ち続けた!
 次々と容赦無く撃ち込まれる灼熱の流星群!
「チィ、確実に城窓狙いか……有効策と判断したな!」
 種火(たねび)種火(たねび)(たが)いに助長(じょちょう)し、巨大な轟炎(ごうえん)へと()ける!
 外敵を堅固に退(しりぞ)け続けるロンドン塔は、しかし内部から(むしば)まれていた!
 一際大きい爆発!
 城郭(じょうかく)の一部が吹き飛ぶほどの威力であった!
「クッ! 火薬庫でも誘爆したか!」
 それが何処に在るかなど知らない。知ろうとする気さえ起きない。どうでもいい情報だ。
 肝心なのは、その炎害(えんがい)()()()へと(およ)ぶ危険性!
 城塔の一角から、爆音を帯びた巨炎(きょえん)が生まれ(はじ)けた!
 頑強な石壁が内側から瓦解する!
 それは、カリナの恐れる箇所──(すなわ)ち、自室の近くだ!
「レマリアァァァアア!」
 ()き昇る熱風を(はら)み、黒い外套(マント)魔翼(まよく)(ふく)れる!
 それを滑空(かっくう)(すべ)と転じ、カリナは城壁から飛び降りた!
「いま行くぞ! レマリアァァァアア!」
 渾身(こんしん)の叫びに大きく旋回(せんかい)すると、防壁を(つらぬ)いた穴から内部へと(くぐ)()る!
 到達した先は、まるで爆撃跡のように崩壊していた。状況把握に左右を見渡すも、焦臭(こげくさ)粉塵(ふんじん)が見通しの邪魔をする。普段ならば霊気漂う陰湿な通路は、破壊の(あと)によって荒々しく(にぎ)わっていた。中には通路幅の大半を占拠する瓦礫(がれき)も有り、爆発被害の深刻さを物語っている。
「クソッ! 無事でいてくれよ、レマリア!」
 武骨な進路障害を物ともせず、カリナは駆け抜けた。ひたすらに目指すは自室──それ以外に関心は無い。
 もはや(いくさ)顛末(てんまつ)など、どうでもいい!
 吸血鬼だろうとゾンビだろうと、好きに死に残れ(・・・・)


 (くだん)の爆発は、やはり自室付近にも被害をもたらしていた。
 半壊した部屋の扉が視野に入ると、カリナの疾走が拍車を増す。
「レマリア!」
 室内へと飛び入ると同時に叫ぶ!
 瞬間、愕然(がくぜん)と立ち尽くした。
 あまりの惨状である。
 チロチロと目障(めざわ)りな息吹(いぶき)。可燃性の(エサ)に爆炎の子供が(むさぼ)りついていた。崩れ倒れた石壁が、全てを重圧に(つぶ)す。意匠に凝った家具類も見事に粉砕し、いまや木材の(くず)でしかなかった。
 視界が悪い。濛々(もうもう)とした煙が(とどこお)っているせいだ。
「レマリア! サリー! 何処だ!」
「ぅぅ……」
 虫の息を気配に感じた!
「サリーか?」
 血の匂いを頼りに捜索すると、老婆は大きな瓦礫の下に埋もれていた。
 鎮座する障害物を片腕払いに退(しりぞ)ける!
 華奢(きゃしゃ)な腕とはいえ〈吸血鬼〉の腕力は超人的だ。
「ぅぅ……ぁぁ……カリナ様?」
 ()()り出されたサリーが、(かす)む意識に(あるじ)を認識した。
 見るも痛々しい無惨さだ。右腕は引き千切(ちぎ)れ、両足も膝下(ひざした)から(つぶ)されている。
「サリー、しっかりしろ!」
「ぅ……」
「レマリアは……レマリアは、どうした!」
「ぅ……ぁ……」
 どうやら言葉を(つむ)ぐ事も(まま)ならない様子だ。いや、そもそもカリナの()()けすら、耳に届いてないのであろう。それほどの重傷だった。
 これ以上は(こく)(さと)り、カリナは質問を中断する。
 それよりも、現状で優先すべきはサリーの救命処置だ。
「待っていろよ、いますぐ屍棺安置室(しかんあんちしつ)まで運んでやる」
 肩を貸して(かつ)ぐと、彼女は荷重(かじゅう)()って歩き始めた。
 この重みは、そのまま命の重さだ。
 数少(かずすく)なくも心許(こころゆる)した存在だ。
 失いたくはない──(いな)、失ってはならない。


 現ロンドン塔の地下には、幾つかの増築施設が在る。
 全て〈吸血鬼〉の必要性によって要求されたものだ。
 それは(かて)を貯蔵する〈血液貯蔵庫(けつえきちょぞうこ)〉であり、(ある)いは血液搾取用人間を()らえた牢獄であった。
 此処〈屍棺安置室(しかんあんちしつ)〉も、そうした一環(いっかん)となる。過剰ダメージを負った〈吸血鬼〉が、再生休眠を(こころ)みる場所だ。言うなれば、彼等の〝集中治療室〟というところか。
 石造りの部屋は陰気な冷涼が支配していた。光源と照らすのは、古ぼけた蛍光灯。そのせいか、弱々しくも薄暗く浮かび上がる。色濃く充満する鉄分臭は、言うまでもなく血の匂い。床一面を埋め尽くす無数の棺桶(かんおけ)は、規律然とした列構成で安置されていた。奥行きに連れて暗くなるため、部屋の(はし)を見通す事は難しい。
 戸口の脇へと据えられた樫卓(かしたく)には、青年吸血鬼の姿が在った。見た目にも明らかなティーンエイジャーである。外見に限っては。
 彼──〝マーティン・エドワード〟は、此処の管理番であった。
 青年吸血鬼は文庫本の黙読へと耽入(ふけい)り続ける。それだけ(ひま)な部署という事だ。彼にしてみれば、日課として()せられた時間の浪費でしかない。
「無理解の果てに蓄積していく社会的阻害感と、それが暴発した激情か──(さなが)ら〝ムルソー〟の孤独は、僕達〈吸血鬼〉が内包する心情と似通い過ぎているな」
 小説の主人公へと感情移入を()らす。
「もっとも、僕達は死後転生する事で(しがらみ)から解放されたけど……果たして、それは(さいわ)いだったのか不幸だったのか」
 皮肉な顛末(てんまつ)自嘲(じちょう)に乗せた。
人身堕落(じんしんだらく)と引き替えに得た物は、永劫に死ねない無限地獄だ。如何(いか)(つら)い現実が在ろうとも、直視して生き続けなければならない。(ある)いは、それこそが摂理(せつり)(はん)した者への神罰(しんばつ)かもしれないな……」
 直後、けたたましく叩かれる樫戸(かしど)
 ささやかな楽しみを阻害(そがい)され、彼は()(いき)混じりに『異邦人』を閉じた。
 物臭(ものぐさ)に扉を開ける。
 と、青年は思わず息を()んで見惚(みと)れた。
 戸外(とがい)に立っていたのは、(くろ)外套(マント)の少女。(あで)やかな赤髪のツインテールがキュートであった。しかしながら、未成熟さが残る顔立ちには凛然とした気高さが共存している。
 彼女が肩を貸しているのは、肉塊(にくかい)寸前(すんぜん)の老婆──血塗(ちまみ)れで、四肢(しし)の損傷も激しい。右腕が千切(ちぎ)れていたが、それは少女が持っていた。
 ツインテールの少女は、鋭い口調で簡潔に言い放つ。
「スコットランド、グラスコー地域だ!」
「何だって?」
床土(とこつち)だ! 早く用意しろ!」
 器量の足りない管理番に、カリナは切迫を叫んだ!
 気圧(けお)されたマーティンが、たじろぎつつも応対する。
「ああ……いや、用意するまでもなく有るよ。此処には在城吸血鬼の床土(とこつち)()いた棺桶が、常時保管されているからね。幹部吸血鬼たちは、各自の部屋に個人所有しているけれど」
「能書きはいい! 何処だ!」
「中央の列、奥から六番目……」
 聞くが早いか、カリナは連続した跳躍に突き進む。他の棺は踏切扱いだ。
「コレか!」
 目的の棺を手早く見つけると、まどろっこしさに(ふた)を蹴り跳ねた!
 老婆と右腕を棺内へと納め、次の手順を語気荒く指示する。
「血だ! 再生用の血液を注げ!」
「そんなに(あせ)らなくとも、すぐに出来るよ。血のバケツで運ぶわけじゃないんだから」
 マーティンは壁に通る金属管へと向かった。その脇にフックしてある大口径のホースを取ると、老婆の棺へと(もた)れ差す。再び管まで戻ると、据えてあるバルブを(ひね)った。
 ホース先端から流れ出る毒々しい赤。同時に、鮮度高い鉄分臭が室内へと充満し始める。
「この供給管は貯蔵血液庫に直結してるからね。即時対応可能なのさ」
 カリナは無視に(てっ)していた。深刻な面持(おもも)ちで見つめるのは、なみなみと(そそ)がれる貯蔵血液。
「サリー、(しばら)く我慢しろよ。(じき)に傷も痛みも()える」
 慈しむ鼓舞を残して、彼女は棺の(ふた)を閉めた。
 (きびす)を返す黒姫(くろひめ)をマーティンが後追いする。
「ねえ、キミ?」
「なんだ」
 振り返りもせずに無愛想を返した。
 ()慳貪(けんどん)な態度にも心折れず、青年吸血鬼は続ける。
「本気で言ってるのなら申し訳ないけれど、彼女は相当な深手だ。だから、その……再生する可能性は低い。気休めでしかないよ」
「知っている」
「知っているだって?」
「そもそも〈吸血鬼〉という身に()いても、サリーの魔力底値は低い。()してや老体では厳しいダメージだ。確率は五分以下だろうよ」
「それが判っていて、何であんな?」
 立ち止まったカリナは、苛立(いらだ)ちに睨み返した。
「キサマなら言えるのかよ──救かる見込みは低い……などと!」
 胸ぐらを掴んで激情を()える。
「そうか……キミも〝ムルソー〟なんだね」
「何?」
「クールな仮面を装っても、本当は人一倍強い激情家なんだ……だから苦しむ。人知れずね」
「……戯言(ざれごと)を!」
 怒気を()がれ、(おそ)れ知らずの若者を解放した。
 持て余す(いきどお)りに唇を噛む。
 しかし、気持ちを切り替えねばなるまい。現状は最優先すべき問題があるのだから。
 (あゆみ)を再開したカリナは、憮然(ぶぜん)とした態度で命じる。
「いいか、死なせるなよ」
「無茶ぶりだなあ。ま、やれる事はやってみるよ」
 管理番は困惑気味に軽い苦笑を返した。


 頼りない管理番に事を任せると、すぐさまカリナは自室へと駆け戻った。
「レマリア! 返事をしろ! 無事なんだろう! レマリア!」
 四方に我が子の無事を求めるも、返事は無い。
「レマリア! 声を出すんだ! レマリアーーーー!」
 やはり返事は(おろ)か、生命(いのち)の気配すらも感じない。
 だが、それは心のどこかで予感していた事ではあった。
「いない……この部屋には」
 では、何処に?
「死んでなどいない……死んでなどいるものかよ!」
 そう、必ず何処かにいるはずなのだ。
 城内の何処かに……。
 何よりも〝()〟の匂いがしないではないか。
「きっと一人で避難したのさ。日頃から危険の回避方法は教えてあるからな。そうだ──そうとも」
 それだけを(かたく)なに信じ、カリナは魔城を汲まなく捜し続けた。


「何処にいる……レマリア」
 回廊の石段へと腰掛けると、力無い声が(かす)()れる。
 捜索の甲斐(かい)は無かった。
 心の(よりどころ)を見失った現在(いま)の彼女は、単に(もろ)い少女に過ぎない。
 困憊(こんぱい)状態にあって、カリナは喪失感を抱きしめていた。
 初めて体験する〝心細さ〟と共に……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

名前:カリナ・ノヴェール

(Karina Noveil)


性格:

 孤高。攻撃的。達観的なひねくれ者。

 しかし内面は人一倍心優しく、とりわけ子供へ傾ける母性は強い。


特徴:

 流浪の吸血姫。

 戦闘能力は極めて高く、とりわけ実戦経験で鍛えられた剣技は屈指の実力。

 常に柘榴を嗜好品としている。

名前:カーミラ・カルンスタイン
(Carmira Karnstein)



性格:

 閑雅にして優麗。

 自分本意な恣意的性格も孕んでいる。

 同時に達観的な観察力を常時張り巡らせており、性格的には抜け目が無い。

 また、柔和な物腰に反して〈吸血鬼〉らしい冷酷さも兼ね備えている。



特徴:

 スチリア出身の伝説的吸血姫。

 彼の〈吸血王ドラキュラ〉と双璧として語り継がれている魔性。

 かつて原典小説『吸血鬼カーミラ』の物語を経験した後日談が、本作での背景設定となっている。

 見た目の貞淑さに反して戦闘能力は極めて高く、その実力と潜在魔力はカリナと同等のようである。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み