観念を
据えた
途端、乾いた
自嘲が
涌く。
「ク……フフフ…………」
自らが望んだ通り残されたエリザベートは、何故だか
可笑くなってきた。
こうして幕を閉じてみれば、実に
滑稽な
道化である。
目に掛けていた
懐刀には
見限られ、
侮蔑していた小娘共には温情を向けられる。
揚句、この
無様な
体たらくだ。
笑うしかない……
頬を
伝う熱さに
酔って。
「エリザベート・バートリー──名門〝ハプスブルク家〟の
遠縁にあたる
歪んだ血統〝バートリー家〟に
於いて、ある意味、その
極みに達した者」
「だ……誰だ!」
不意に聞こえた
濁声が、
辞世の
叙情を現実へと引き戻した。
その姿を確認したくとも、相変わらず身体を動かす事が叶わない。
先程の一幕とは状況が異なる。
正体不明の相手に
為すがままでは、さすがに焦燥と戦慄を覚えた。
濁声は
飄々とした
おどけに言う。
「そんな警戒しなさんな。ただの〈
死神〉だよ」
「死神……だと?」
「そう、ただの〈死神〉だ。だから、別にオマエさんをどうこうするつもりもねぇよ。ィエッヘッヘッ……」
身の
毛がよだつ薄気味悪さを感じた。
その独特で下品な
喋り方は、生理的嫌悪を
否応なく
触発する。
「その死神が
何用だ!」
「オイオイ、死神の
領分はひとつだぜ? そいつは〝
死〟を
頂き
迎える事だ。アンタは、もうじき死ぬ。その瞬間を
有り
難く
頂戴しようって
寸法だよ」
「ふざけるな! キサマ如き
下賤が我を……」
「フムフム、なるほどねぇ──最初は、戦地へと
赴いた
亭主の気を引くため……か?」
「な……何?」
濁声の
指摘に、瞬間、エリザベートはギョッとした。
彼女の
微々たる変化を
捕らえたのだろうか、続ける
濁声にはあからさまな優越感が
含まれている。
「けれど、実際にはテメェの
寂しさを
紛らわせるためだったってか?
随分とまあ
一途な理由で」
「キサマ、何を……?」
間違いない!
この男は──
下卑た死神は、彼女の心を読んでいる。
待て、そうではない。
エリザベート自身は、いま現在〝過去〟を思い起こしてなどいなかった。
つまり正確に言うならば、見通されたのは〝心〟ではなく〝過去の事実〟そのものだ!
「最初は黒人の使用人から学んだ〝まじない〟か……ま、ソイツの
根元は〝ブードゥー〟だな──初歩的な
稚技だけどよ。んでもって、そいつがエスカレートして、今度は〝黒魔術〟へと
傾倒したってか。そんなに
亭主の戦死がショックだったかィ? おっと違うか。現実逃避したかったのは〝
亭主の浮気〟だろ? ィエッヘッヘッ……」
「……や……めろ」
「やがて、口うるさい
姑が
目障りになってきた──ま、そいつは
姑側も同じだろうがよ。だから、殺した。
人気の無い階段から突き落とした。
師事していた
魔女と共犯でな。んで、首の骨ポッキリってな」
「……やめろ」
「犯行直後のオマエさん、いい
面してるぜぇ?
一仕事やり終えた充実感に満ちてやがる……ィエッヘッヘッ」
まるで現場を
目の
当たりにしているかのような
口振りであった。
いや、おそらく見ているのだろう。
だとすれば、それは〈
霊視〉の
類だ。
基より〈死神〉は、霊的存在である。
不思議ではない。
「
抑止力の
枷を取っ払った後は天下だったよなァ?
嫁ぎ先で、やりてぇ放題だ。で──ホゥホゥ、なるほど──
癇癪任せにメイドをどついた事が
発端かィ?
返り
血で照ったテメェの肌を『若返った』なんて勘違いしてやがる……実にバカだねえ。その錯覚を維持するために、次々と処女を
拷問したってか。そんなにも〝
老い〟が怖ぇかよ?」
「やめろ!」
「だが、こりゃ
羨ましい限りだぜ。悲痛な
懇願と恐怖と恨み──極上のスパイスが豊富に
添えられた〝
死〟が日常的に
垂れ流されてやがる。オレ様も
御相伴に
預かりたかったぜ……ィエッヘッヘッヘッ」
「やめろと言っている!」
「イヤだね」
侮辱への我慢が限界に達した瞬間、視界の
隅に死神がヌッと顔を
覗かせた。
薄汚く
痩せた黒人の男だ。
悪徳に
濁る目は
喜悦に
歪み、
葉巻を
銜えた大口が
卑しく笑って歯を見せている。
「オレ様はよ、相手の
人生を見通せるのさ。そいつで死に
逝くヤツの
羞恥を
煽る──そうすると〝
死〟に
旨味が増すんだなコレが」
「キ……キサマ! ズケズケと立ち入りおって!」
「そう怖い顔しなさんなって。言った通り、オレ様は何もしやしないぜ? ただ〝事実〟を見通してるだけだ。もっとも
赤裸々に〝過去〟を
直視させられて、後悔と
羞恥を
抱かねぇヤツなんていやしねぇがな」
ゲデは自分を呪い
睨む顔へと、これ見よがしに
葉巻の煙を吹きかけた。
「実に
滑稽なもんだぜ。聖職者も犯罪者も〝
死〟の前にゃ同格だ。どいつもこいつも、テメエが
刻んだ
足跡を
美化に
誤魔化してやがる。
詭弁に
彩られた
自己弁護──
嘘八百の
免罪符だ。そうでもしねえと、テメエが
歩んできた
人生を受け止められねぇらしい。そこまで恥ずべき人生なら、いっそ生まれて来なきゃ良かったのによ……ィエッヘッヘッィエッヘッヘッヘッ」
「こ……の
下衆が!」
予想以上に最低な
輩である。
引き裂いてやりたい殺意に
呑まれたが、
指一本動かす事すら叶わないのが忌々しい。
「さて、続けようぜ? 誇り高き〝
吸血貴夫人〟様──」
「キ……キサマァァァ!」
「──と言いてぇトコだが、どうやら幕引きみてぇだな」
どうした心境の変化か、ゲデは
口撃をやめた。
真意が
汲めぬ違和感にエリザベートは
懸念を
抱く。
だが、それはすぐに
氷解した。
次なる事態を認識した瞬間、彼女は戦慄を覚える。
周囲の
瓦礫や
物陰、路地裏や
棟から、ぞろぞろと現れ始める人影。
最初はデッドかとも思った。
覇気無き動作は、それを錯覚させるに説得力があったからだ。
しかし、彼等はれっきとした人間──居住区画の在住者達であった。
一人……また一人と数が増え、あれよあれよと集団になっていく。
やがてそれは、地べたへと
縫い付けられた
贄に集まって来た。
「……〈吸血鬼〉だ」
「俺達を苦しめる悪魔が此処にいるぞ」
「なんでこんな……いままでだって、おとなしくオマエ達に
従ってきたのに……何だってこんなマネを!」
「ふざけやがって! コイツ等にとっちゃ、俺達人間なんて
ゴミ虫でしかなかったって事さ」
「返せ! 私の子を! 妻を! 私の家族を返せ!」
口々に
罵られる
呪詛。
彼等の手に握られているのは、鉄の
鎌──
白木の
杭──聖水────いずれも〈吸血鬼〉を殺せる物だ。
「おやおや、どいつもこいつも
殺気立ちやがって。怖ぇ怖ぇ……ィエッヘッヘッ」
「キ……キサマ!」
「おいおい、勘違いしねぇでもらいてぇな? コイツ
等は自発的に集まってきたのさ。ま、全部テメェ等が
強いた政策の
ツケだな。オレ様のせいじゃねぇや」
「クッ!」
「もっとも、さっき散歩がてらに歌ったか。『この襲撃を
仕組んだのは
吸血妃だ~! そいつが、この先でくたばってるぞ~~!』ってな。ィエッヘッィエッヘッィエッヘッヘッヘッ……」
「キサマァァァァァアア!」
我を忘れた
憤怒で
妖妃の瞳が赤く染まる!
だが、
睨み付けるべき相手は、何処吹く風で群衆の
芋洗いへと
掻き消えた。
──重い衝撃と鈍い
痛覚!
自我を呼び戻されたエリザベートが認識したものは、地面へと打ち付けられた
己の
四肢であった!
「う……うあああああああああああああああああっ!」
肩に!
脚に!
手首に!
膝に!
狂気に
呑み込まれた群衆は、
一心不乱に
杭を叩き打っていた!
「吸血鬼! 吸血鬼! 吸血鬼! 吸血鬼!」
「死ね! 死ね! 死んじまえ! 殺してしまえ!」
握り
締めた
煉瓦や石を、憎しみのままに
杭頭へと殴り付ける!
ある意味、人間は怪物以上に〈怪物〉──カリナの
持論だ。
その認識は間違いなく
正論のひとつだろう。
いままさに、その
側面は表層化していたのだから。
もっとも、その警鐘をエリザベートが知る
由もない。
朦朧と
霞み始めた意識に
抗いながら、彼女は
皮肉を
噛み
締めていた。
あれほど
至悦だった
鮮血の
拷問が、今度は
一転して自分を苦しめる!
首筋に感じる鉄の感触。
冷たい
刃が、
柔肌の
弾力に食い込むのを感じた。
例え死すとも、その
散り
際は
気高く美しく──そう想い描いていた
吸血妃の最期は、けれども叶う事がなかった。
一際大きな
赤花が
散り
咲き、黒い
塊が
跳ね飛ぶ!
それでも、
残虐な
狂気に
取り
憑かれた
暴徒は
鎮まらなかった。
もはや
自制も
倫理も働かず、
積年の恨みを
肉塊へとぶつけ続ける……ただひたすらに。
遠巻きに
瓦礫へと腰掛けるゲデは、
止まぬ赤の
狂宴を
肴と
眺めていた。
「ま、頭部切断は〝吸血鬼殺し〟の
常套手段だわな」
飄々と
嘲りながら、
携帯していたウイスキーを最後の一滴まで流し込む。
呷る
視野に入ったのは
漆黒の月。
黄色く
淀んだ巨眼は、間違いなく、この惨状を
眺めていた。
卑しく、
悪辣に、興味
津々と…………。
「喜べよ〝
血塗れの伯爵夫人〟様、オレの御主人様も
堪能してやがるぜ……ィエッヘッヘッヘッ」