醒める夢 Chapter.6

文字数 13,429文字


 ロンドン塔敷地内には(いく)つかの城搭(じょうとう)(そび)えている。
 双色(そうしょく)吸血姫(きゅうけつき)が連れられた場所は、その内の一つ〝ブラッディ・タワー〟であった。
「ずいぶんとカビ臭い場所だな」
 カリナの毒突きを拾い、カーミラが簡潔な説明を(はさ)む。
「この塔は、かつて拷問処刑場でもあったの。(ゆえ)に現在でも、多くの拷問器具が眠っている。闇暦(あんれき)現在では利用されてないけれどね」
「ィェッヘッヘッ……そいつは、どうかねぇ? ま、お楽しみって事で……おおっと、此処だ此処だ」
 ようやく目的の部屋へと到着し、(いや)しい案内人は(きし)み鳴く扉を開いた。
「こ……これは!」
 あまりの惨状に言葉を失う吸血姫(きゅうけつき)達!
 霊気と冷気が(とどこお)る蒼い石室(せきしつ)──時代(とき)の眠りから再利用された痕跡(こんせき)を赤々と刻む拷問器具の数々──そして、処狭(ところせま)しと散乱する死体の山!
 子供! 子供! 子供! 子供! 子供!
 吸血鬼ですら()せるかと思える()(なまぐさ)さが部屋中に充満していた!
「これは……まさか、ジル・ド・レ卿が?」
 思い当たる吸血騎士の性癖(せいへき)に、カーミラは絶句した!
「ま、そういう事らしいな。いつから再発したかは知らねぇが……おっと、コイツだコイツ」
 室内を慣れて探る死神が一人の子供の前で()まる。
 見覚えのある少年であった!
「この子は……っ!」
 驚愕するカーミラ!
 居住区で出会った少年(リック)だ!
「何故、この子が此処に?」
「ィェッヘッヘッ……(さら)ったのは〝魔女ドロテア〟さ」
「まさか、ジル・ド・レ卿と魔女は通じていたの?」
「いんや? あのショタコン騎士と魔女は通じてねぇよ。けど、まあ〈魔女(・・)〉とは通じてねぇが〈魔術師(・・・)〉とは通じていたってトコかねえ? ィェッヘッヘッ」
 ゲデの示唆(しさ)は意味が判らない。
 判らないが……少年を守れなかったという後悔の念だけは、獄刑(ごっけい)のように彼女達を痛ぶった。
 この少年だけではない。(むご)たらしい部屋で(もてあそ)ばれた幼き(いのち)──その全てに対する懺悔(ざんげ)だ。
 虫の息で(あえ)ぎながら少年の瞳は縋っていた。
 自責に拘束されたカーミラを余所(よそ)に、カリナが少年の脇へと歩み寄る。
「何が言いたい?」
 片膝(かたひざ)()きに(のぞ)き込み、優しい瞳で(たず)ねた。
「ゼェ……があ……ちゃ……」
 言葉を(つむ)げぬもどかしさに幼い腕が伸びる。体を動かす事など叶わないというのに……。
 懸命(けんめい)(うったえ)えようと震える手を、黒姫(くろひめ)の両手が柔らかく(つつ)み込んだ。
「心配するな、オマエの母は無事だ」
 苦しみ(あえ)ぐ少年の顔が安堵(あんど)を覚える。
 母親が死んでいるか生きているか──真実は知らない。
 それでもカリナは、そう()げた。
「オイ……ラ……どうじで……ごんな……?」
「……私の強さは知っているな?」
「う……ん」
「なら、安心して待っていろ。吸血鬼如き、敵ではない」
「……うん」
 苦しそうに、嬉しそうに、命が微笑(ほほえ)んだ。
 ()れた母性が優しく()でる。
 直後、少年が吐血(とけつ)(せき)()んだ。
 最期(さいご)は近い──だからこそ、カリナは(てい)する。
「ひとつだけ選ばせてやる……私と共に生きる(・・・)か?」
「ぎゅ……げづぎ?」
「ああ」
 事の()()きをカーミラは(もく)して見守る。
 その確固たる眼差(まなざ)しは、この後の展開を信じているかのようであった。
「どうする? 私と共に来れば、そんな苦しみからは永遠に解放されるぞ?」
 されども、少年は困ったように首を振る。
「ううん……があちゃ……の……子……いい……」
「……そうか」
 黒の吸血姫(きゅうけつき)慈愛(じあい)微笑(ほほえ)んだ。
 予想通りの返事であった。
 望んだ答えであった。
 少年の(まぶた)をそっと()じると、凛然とした所作(しょさ)にカリナは立ち上がる。
 (おごそ)かに引き抜いた(あか)(やいば)が小さな胸へと()(さき)(さだ)めた。
「私を信じろ。痛みなど無い」
 そして、魔剣は墓標(ぼひょう)となり、幼い命を生き地獄から解放した。
 約束通り、一瞬たりとも痛みなど与えずに……。


 暗い静寂──。
 またひとつ命が()った。
 たった数時間で、(とうと)き魂が続けて()った。
 重い現実だ。
「さて……と、じゃあ約束通り教えてやるかね。お嬢の過去を──」
 頃合(ころあ)いを見計(みはか)らい、ゲデが切り出す。
「アンタはカルンスタイン令嬢が言う通り〈ジェラルダインの血統(けっとう)〉だ……って、それはいいか。聞きてぇのは、そっから先だろうからよ。ま、百聞(ひゃくぶん)一見(いっけん)にしかずってな。直接見た方が早ぇ。オレの手間も(はぶ)ける」
「直接見る? どうやって?」
 怪訝(けげん)を浮かべるカーミラに、酒瓶(さかびん)(あお)りの優越が答える。
霊視(・・)共有(・・)してやるって話よ。コイツもまた、出血大サービスだ……ィェッヘッヘッ」
 そして、ゲデの(いや)しい目は目映(まばゆ)くも毒々(どくどく)しい赤光(せっこう)()(はな)ち、吸血姫(きゅうけつき)達を悪夢へと()み込んだ。



 旧暦(きゅうれき)中世、イギリス・ウェールズ地方に存在したしがない(・・・・)田舎村──。
 風そよぐ小高い丘にカリナ達は降り立った。
 空は清々しいほど青く、萌える草花は健全な生を息吹(いぶ)いている。足下(あしもと)の緑が風に()でられる(たび)に、(ほの)かに甘い香りが鼻腔(びこう)(くすぐ)った。ラベンダーの香りだ。見渡せば遠景に山々が見え、丘陵(きゅうりょう)を越えた先には質素な集落が日常を(いとな)んでいた。
「なんだか懐かしいわね、この正常な光景は……」
 周囲の情景を展望したカーミラが、しみじみと懐古に(ひた)る。
「どうやら村の(はず)れか」
 呟いたカリナは奇妙な違和感を覚えた。
 (おのれ)の両手を視認し、(さら)に全身を(なが)(まわ)す。
 まるで幽霊(ゴースト)のように自分自身が()けていた。
 いや、彼女だけではない。カーミラも、ゲデも──全員が霊体化しているではないか。
「幽体化した覚えはないが……」
 途惑(とまど)いを察知した案内役が、安い優越感で教示する。
現状(いま)のオレ達は〝時空を越えた意識体〟そのものだ。ただ眼前(がんぜん)の出来事を鑑賞するだけ……どう逆立ちしても史実に介入できないようになってるのさ。つまりは〝時空の摂理〟ってヤツだ。ま、アチラさん(・・・・・)コチラ(・・・)を見る事が出来ねぇがな……おおっと、来た来た」
 急に身構えるゲデの注視を追った。
 一人の娘が丘を登って来るのが見える。
 純白ドレスに、花摘(はなつ)みのバスケットケース。赤い髪はツインテールに(まと)められていた
 その少女を見るなり、吸血姫(きゅうけつき)達に衝撃が走る!
 とりわけ、カリナの驚愕は殊更(ことさら)に強い!
「アレは……()?」
「この村の領主〝アンカース家〟の娘──それが生前のアンタ(・・・・・・)だよ」
「なるほどな。だから、キサマは〝お嬢(・・)〟と呼ぶ……か」
「まあな」
「に、しても──」過去の〝自分(・・)〟を、まじまじと観察する。「──まるで真逆(まぎゃく)だな。実感が()かん」
 自嘲(じちょう)苦笑(にがわら)う。
 どちらかと言えば、カーミラ()りのお嬢様だ。
 ()(なまぐさ)い生き方に身を投じる自分と同一人物には思えない。世間知らずが(にじ)み出た雰囲気は、むしろイケ好かないぐらいだ。
 花摘(はなつ)みに(すわ)るアンカース令嬢が、ふと背後へと気を取られる。誰かを待っているかのようだ。
 小さな人影が、せっせと()けて来た。
 その姿を視認した瞬間、カリナは絶句に(かた)まる!
「まさか……レマリア?」
 絞り出した声が震えていた。
 懐かしさと、(さび)しさと、(いと)しさと、哀しみ──鎮静化(ちんせいか)していた(すべ)ての感情が息を吹き返す。
「レマリアーーーーッ!」
 思わず駆け出していた!
 感情に支配されるままに!
 ただ(いと)しさのままに!
「ああっと! 待てよ、お嬢!」
 制止の声など知った事ではない!
 歴史の改変が、どうした!
 あの(ぬく)もりと安らぎが再び得られるなら、時空神(クロノス)にさえ(つば)()こう!
 ()けて来る我が子を片膝(かたひざ)()きに待ち、抱擁(ほうよう)せんと両腕を広げた。
「此処だ! 私は此処にいるぞ、レマリア!」
 されど屈託のない笑顔は、()()びる母性を()()けていく。
「もう! わたし、まってっていったのよ!」
 満面の笑顔で幼女が抱きついたのは〝忌まわしき吸血姫(きゅうけつき)〟ではなく、清廉貞淑(せいれんていしゅく)な〝アンカース令嬢〟であった。
「おねえちゃん、ズルい! わたし、こどもなのよ! おそいんですからねーだ!」
「うふふ、ごめんなさいね。さあ、(ふく)れてないでこっちへいらっしゃいな。ダリヤやラベンダーが一杯よ?」
「わあ、ほんとなの! これ〝おはなばたけ〟なのよ?」
「そうよ? 綺麗でしょう」
「うん、きえいね」
 噛み締める虚無感(きょむかん)には、背後から聞こえる微笑(ほほえ)ましい(たわむ)れが残酷だった。あまりにも残酷過ぎた。
 現実の無情を突きつけられた(くろ)外套(マント)を、ゲデが(あざけ)(わら)う。
「ィェッヘッヘッ……だから言ったじゃねぇかよ? オレ達ァ〝時空を越えた意識体〟そのもの。過去には介入できねぇんだよ」
「……分かっている」
「意識体が抱擁(ほうよう)しようなんざ笑っちまわぁ。()してや相手は過去の史実(・・・・・)に過ぎねぇ。金縛りにすら出来ねぇよ」
「分かっていると言っている!」
 癇癪(かんしゃく)のままに()えた!
 さぞかし失意に沈んでいる事だろう──(いや)しい下衆(ゲス)根性(こんじょう)は、それを期待してほくそ笑む。
 しかし、立ち上がった美姫(びき)は、意外にも気丈(きじょう)(たも)っていた。
「そうか……あの子供が〈レマリア〉の前身(ぜんしん)か」
「ありゃ? 思ったよりも平然としてやがらぁ」
()のままにならぬ現実など、とっくに受け入れている」
「クソッタレなタフさな事で」
 正直、カリナにしても平気なわけではない。
 傷心(しょうしん)()えてなどいなかった。
 むしろ一生(いっしょう)(ぬぐ)えぬ。
 それでも、受け止めるだけの強さ(・・)を学んだ──いや、ふたつの(とうと)(いのち)によって(さず)けられた。
 後は〈現実〉に()まれるか(いな)か……それだけの話だ。
 無論、言うほど簡単ではないが。
「……あの二人、姉妹なのか?」
「ああ、あのチビスケはアンカース令嬢の妹──つまり〝生前のアンタ〟の妹さ」
「……そうか」
 実感を(ともな)わない(おも)()(なが)め続けた。
 心を満たしてくるのが〝嬉しさ〟なのか〝寂しさ〟なのかは、彼女自身にも判らない。


 月明かりがテラスから射し込む。
 穏やかな気候だ。寝苦しさは無い。
 にも(かか)わらず、アンカース令嬢は寝汗に(むしば)まれ苦しんでいた。ネグリジェを乱し、苦悶(くもん)(あえ)ぎ続ける。
「ぅぅ……ぁぁ……ハァ……やめ……て」
 (なま)めかしく悩ましい(さま)は、まるで夢魔(インキュバス)夜這(よば)いに()っているかのようであった。
 その(はずかし)めを、カリナ達はベッドの(かたわら)(たたず)んで(なが)めた。
「……どういう事?」
「それはどちらの意味だ、カーミラ?」
「どちらも……よ、カリナ。わたし達はさっきまで花香(はなかお)丘陵(きゅうりょう)に居た。けれど、気がつけば此処にいる──時間帯も変わってね。それに……」苦しみ(もだ)え続ける寝姿(ねすがた)を心配そうに見つめる。「生前の貴女(あなた)、とても苦しそう。この苦しみ方、ただの〝悪夢(ナイトメア)〟じゃなくってよ?」
「ああ、微弱ながら魔力を感じる。(のこ)()にも近いものだがな」
 彼女達〈吸血鬼〉が吸血行為に(かよ)(さい)、似たような事象を獲物へと()す事がある。相手に催眠効果を及ぼし、夢幻(むげん)の中で(むさぼ)るのだ。常套(じょうとう)手段(しゅだん)のひとつだ。
 眼前(がんぜん)痴態(ちたい)は、それと同じ臭い(・・)がした。
「さて……と、まずは軽く説明してやるかねぇ?」
 耳障(みみざわ)りな濁声(だみごえ)が、揚々(ようよう)と解説を名乗り出る。
「まずは〝時間と場所の推移(すいい)〟だが、コイツは自然と(しょう)じるのさ。時間(じく)は〝生前のお嬢〟で、観察対象は〝吸血姫(きゅうけつき)へと変貌(へんぼう)した経緯(けいい)〟だ。それを基準として(なが)めているわけだから、関係事象だけをピックアップして過ぎていくって寸法(すんぽう)さな。そうでもなきゃ、一生分(いっしょうぶん)の時間経過を付き合わなきゃならねえ。クソ長ぇ駄作(ださく)映画の()れ流しみてぇなモンだ。とてもじゃねぇが、オレでさえ御免(ごめん)だね」
 実体無き葉巻(はまき)を深く吐いた。
「で、お嬢を気持ちよ~く(もだ)えさせている──」カリナの殺気(さっき)を感じ、(たの)しげに言い直す。「──苦しめている〝悪夢(ナイトメア)〟だが、いまは野暮(やぼ)に語らねぇよ。それこそが今回の〝()〟だしな。ただし、相手はチンケな(・・・・)夢魔(・・)〉なんかじゃねぇ。それだけは教えといてやらぁ」
「ハァ……ぃゃ……ぃゃ……」
「この現象は毎夜続き、日毎(ひごと)に強くなっている。今晩で五日目(あた)りかねぇ?」
「ぅぁぁぁあああーーーーっ!」
 突然、アンカース嬢が絶叫に()()ねた!
 それは絶頂にも悲痛にも似た叫び!
 呼応するように、吸血姫(きゅうけつき)達は真っ赤な波動を感じる!
 カーミラは身に覚えがあった。
 魔剣を手にした時の荒れ狂う波動だ。
 ただし圧迫感は、あの時の比ではない。
「こ……この波動は?」
「まさか〝ジェラルダイン〟か?」
「イヤ……イヤァァァアアーーーーッ!」
 悪夢の餌食が激しく乱れ苦しむ!
 と、赤き圧迫が次第に(しず)まっていった。
 汗塗(あせまみ)れに紅潮(こうちょう)したアンカース嬢は、荒息(あらいき)ながらに軽く痙攣(けいれん)している。
「ィェッヘッヘッ……果ててやんの」
「……殺すぞ、キサマ」
 いつもよりも気色悪く感じるニタリ顔を、カリナが殺気任せに()めつけた。
「けれど、これでハッキリしたわね。生前の貴女(あなた)魅入(みい)っていたのは──」
「──ああ、間違いなく〝ジェラルダイン〟だ」
 カーミラの演繹(えんえき)を、カリナが忌々(いまいま)しげに噛む。
 ややあって、アンカース令嬢が起き上がった。
 その表情に自我は(うかが)えず、(うつ)ろな瞳は(ほの)かに赤く(とも)っている。
「やはり〝催眠効果〟を植え付けたかよ」
「いいえ、カリナ。どちらかと言えば、これは〝遠隔支配〟だわ。何故なら〝ジェラルダイン〟自身は訪れていないのですからね」
「さすがは〈原初吸血姫(デモン・ヴァンパイア)〉だ。たいした〈怪物(・・)〉だよ」
 皮肉を吐き、柘榴(ザクロ)(かじ)った。
 アンカース令嬢が虚脱的に(すべ)り出たのは、夜風吹き抜けるテラス。
「いよいよ迎えに来るのかしら?」
「オマエなら、そんな面倒を()くか?」
 カリナの指摘に、カーミラは苦笑(にがわら)いで首を振る。
「いいえ、あそこまで(あやつ)れるなら、呼ぶ(・・)わね」
 観察対象が芝庭(しばにわ)へと跳んだ!
 まるで猫のように、しなやかな身のこなしで!
 二階の高さから物音(ひと)つ立てずに!
「あら、この頃から体術に覚えがあって?」
「……なワケあるかよ。どう見ても、アレ(・・)は運動音痴な箱庭(はこにわ)()いだ」過去の自分を誹謗(ひぼう)するのは、なんとも奇妙な感覚だ。「遠隔支配で身体能力までコントロールしてやがる。まさに〈怪物(・・)〉だな」
 思わず腰の魔剣へと警戒心を向けていた。


 白い夢遊病が辿り着いたのは、閑散とした石造りの()であった。奥には祭壇のような角石(かくせき)が祭られており、一振(ひとふ)りの剣が気高く突き刺さっている。
 魔剣〈ジェラルダインの牙〉だ。
 その前まで進むと、アンカース嬢は崩れ落ちた。
 様子を見る意識体が気配すら()まずに会話する。
「おい、ゲデ……此処は何だ」
「此処は〝ジェラルダインの墓〟だな」
「……何?」
「人も寄りつかねぇ墓地裏(ぼちうら)雑木林(ぞうきばやし)──そこには見つけにくい(ほこら)があってな。ま、(ある)いは魔力で見つからねぇようにしてる(・・・・・・・・・・・・)のかもしれねぇが……ともかく、その中だ」
「じゃあ〝ジェラルダイン〟は、この村で最期(さいご)を?」
 食いついてきたカーミラを一瞥(いちべつ)すると、葉巻(はまき)()かしの物臭(ものぐさ)が答える。
「さあねぇ? (ある)いは此処で一度死んで、また復活した可能性はあるが……相手は〈伝説上の怪物(・・・・・・)〉だ。オレ()とは存在自体が格違い。その真相詳細なんか把握(はあく)出来ねぇよ。何にせよ、此処に〝ジェラルダインの想い〟が強く(のこ)されているのは事実だがな」
 アンカース嬢が朦朧(もうろう)とする意識を起こした。
 眼前(がんぜん)に構える剣を認識した途端(とたん)、その表情が(こわ)ばる。
「アナタなのね……毎晩、私を苦しめているのは!」
 わなわなと抗議の声音(こわね)を震わせているのが、怒りか恐怖かは(さだ)かにない。
「何故? 何故、私を苦しめるの? アナタとは会った事すら無いというのに!」
 傍目(はため)に不可解な状況であった。
 彼女の反発は魔剣へと向けられたものではある。
 しかしながら、その口調や態度は明らかに〝()〟へと向けられたものではない。目の前に居る〝何者か(・・・)〟へと向けられたものだ。
「どういう事かしら?」
「おそらく見えている(・・・・・)のさ。いや、見えるようにされている(・・・・・・・・・・・)のかもな」
「それって〝ジェラルダイン〟の魂?」
(ある)いは魔剣に巣食(すく)う残留思念だ。どちらにせよ〝選ばれた〟って事さ……クソ忌々(いまいま)しいがな」
 哀れな(にえ)の抵抗が続く。
「なんでよ! なんで毎晩『血を吸え』と()いるの! そんな異常で恐ろしい事を、私にさせようとするの!」
 愁訴(しゅうそ)が涙を(ふく)んでいた。表情も感極(かんきわ)まりつつある。
「アナタは恐ろしい精神異常者よ! そして、私にも一線(いっせん)を越えさせようとしている! 悪い仲間に引き込もうとしている!」
 必死な無力を(なが)め、黒の実力者が零した。
「どうやら相手を〈吸血姫(きゅうけつき)〉とまでは認識していないようだ。まだ〈人間の異常癖性者〉だと勘違いしてやがる」
 (われ)ながら馬鹿らしい白痴(はくち)さだ。情けなくて笑えてくる。
「私は狂ってなんかいない! 血を飲みたいなんて思ってない!」
 一心不乱に頭を振って、否定し続けた。
 それが何にもならぬ事を〝カリナ・ノヴェール〟は知っている。
血液嗜好症(ヘマトディプシア)は無かったのかしら? 強引に〝ジェラルダイン〟から植え付けられた?」
「いや、潜在的に有ったはずだ──何せ〈血統(けっとう)覚醒(かくせい)〉だからな。さもなくば、魂の共鳴など起きん。その現実を直視出来ず、駄々に拒絶しているだけさ」
 とはいえ、それは〈()〉で在り続けるには大事な線だ。
 屈した者こそ〈外道(げどう)〉へと堕落(だらく)する。
「もう、やめてよ! 父様も、母様も、村の人達も……そして、レマリアさえ──大事な人が、みんな美味(おい)しそうに見えるの! その肌の下に熱く赤い物が流れていると思うと、食らいつきたくなるほど(かわ)くのよ!」
 アンカース嬢は(うずく)まり、苦しみの吐露(とろ)(すす)り泣いた。
「それを理性で()()くのが、どれほど苦しい事か! アナタに分かって? 猟奇(りょうき)を美徳とするアナタに〈人間(・・)〉であろうとする心が理解出来て?」
 魔剣は黙したまま語らない。
 が、傍観する魔姫達は意思意向を感じる事が出来た。
「……次だな」
 カリナが確信を(つぶや)いた直後、それは現実の展開となる。
「い……いや!」
 アンカース嬢の身体(からだ)が、本人の意思とは関係無く動かされ始めた。
「これって、まさか強制支配を?」
「ああ、遠隔支配の延長だろう。まったく……強引な手に出てくれる」
 魔剣が()いたにせよ〈原初吸血姫(デモン・ヴァンパイア)〉が()いたにせよ、(おのれ)が〈吸血姫(きゅうけつき)〉と()す瞬間を見るのは気分がいいものではない。
「いや……やめて……いやよ!」
 理性を振り絞って抵抗するも、少女の細腕(ほそうで)不可視(ふかし)剛腕(ごうわん)で無理矢理動かされた。
「私は、アナタの〈()〉なんかじゃない! 私は〝アンカース家〟の娘よ! 御父様と御母様の娘なのよ! 絶対に〈吸血姫〉になんかならない! なりたくない!」
 クシャクシャに泣き崩れた顔で、それでも〈人間〉としての尊厳に(すが)り続ける。
 されど、強大な〈魔〉の前では、小鳥の(さえず)りに過ぎなかった。
 震える手が着実に(つか)へと伸び、そして──。
「いやあぁぁぁーーーーっ!」
 彼女は呪われし魔剣を引き抜いた。
 血塗(ちぬ)られた(ごう)と共に……。


 夜風は(おだ)やかだった。
 窓から吹き込む風精霊(シルフ)が踊る(たび)に、幼き寝顔は髪や(ほほ)()でられて笑う。
 夢現(ゆめうつつ)で、いい匂いがした。
 レマリアが大好きな人の匂いだ。
 だから、ゆっくりと意識が覚める。
 お姉ちゃんが胸へと沈めてくれていた。
 髪を()でる優しさは、いつからか風の(たわむ)れではなかったようだ。
「……ん、おねえちゃん?」
 寝ぼけ(まなこ)で見た表情は、優しく、寂しく、何処か冷たい。
 これから起こる事を確信しながらも、カリナは傍観するしかない。それが、とても歯痒(はがゆ)かった。
「……ゲデ、いま一度()う。過去は変えられぬのだな?」
「ああ、無理だね」
 喜色(きしょく)に酒の小瓶を(あお)る。
「例外的な措置法も無いのか?」
「無いね」
「……そうか」
 それ以上は(あらが)わなかった。
 覚悟を決めて直視するだけだ。
 確定された哀しみを強く抱き締める。
 ()(がた)い展開に心折れぬように。
「おねえちゃん、どうしたの?」
「どうもしないわ、レマリア」
 魔性の()()けは、優しく髪を()で続けた。
 幼い妹は、(いま)だ本性を見抜けていない。
 軽く感じた違和感さえも、警戒心へ直結させる事が出来なかった。
「ねむねむできないの?」
「そうね。ちょっと眠れないの」
「イタいイタいなの?」
「ううん、もう苦しくないわ」
「うん?」
 親指吸いにコテンと頭を(ゆだ)ねる。
 姉は──姉だった者(・・・・・)は、(いと)しさのままに細指(ほそゆび)を動かし続けた。時折(ときおり)、髪を()いてやりつつ。
 感情を浮かべぬ冷たい表情が、若干(じゃっかん)寂しそうな(はかな)さを(ふく)んだ。けれども、それは仮面(・・)ではなかっただろう。
「ねえ、レマリア──」
「うん?」
「──大好きよ」
「わたしも、おねえちゃんだいすきなのよ?」
「……有り難う」
 悲しみを微笑んだ。
「ずっと大好き……ずっとずっと一緒だからね」
「うん。ずっといっしょなの」
 幼さが嬉しそうに染まる。
 深く顔を(うず)めた愛を、幻夢(げんむ)はあやし続けた。
「さあ、もう眠りなさい……それまで、こうしていてあげるから」
「うん」
 約束通り、幼き(いや)しが寝付(ねつ)くまで続けた。
 (おだ)やかな寝息が聞こえると、ようやく魔性が行動を起こす。
 静かに──そして、ゆっくりと喉笛(のどぶえ)に牙を刺した。
 起こさぬように──声を上げさせぬように──痛くないように──そして、恐怖を与えないように。
 気品に愛された(うるわ)しき令嬢は、血を(すす)(いや)しい(けもの)畜生(ちくしょう)()ちた。
 咥内(こうない)(なま)(あたた)かさで満たされていく。鉄分の臭いが鼻を抜けていく。
 (いと)しい生命(いのち)を自分の中へと受け入れた瞬間、彼女の脳内で()(はじ)けた。
 それを契機(けいき)に満たされぬ(かわ)きが暴れ出す。
 爛々(らんらん)血走(ちばし)った目から(こぼ)()ちた涙は、彼女が哀しみに(のこ)した〈人間(・・)〉の一滴(ひとしずく)であった。


 旧暦中世──かつてウェールズ地方には、しがない田舎村が存在した(・・・・・・・・・・・・)
 一夜(いちや)にして地図から消えた〈呪われし村〉だ。
 紅蓮に染まる灼熱と、阿鼻叫喚(あびきょうかん)木霊(こだま)させる殺戮(さつりく)の赤き(やいば)──血に飢えた狂気の麗獣(れいじゅう)が、(すべ)てを根絶(ねだ)やしに終わらせた。


 墓地裏(ぼちうら)に在る(ほこら)は発見される事も無く、()びた鉄扉(てつとびら)を硬く閉ざし続ける。
 その奥深くで、魔性は眠りに()いた。
 ()むべき牙を抱きかかえ、いつ目覚めるかも判らぬ眠りに……。
 激情任せの虐殺(ぎゃくさつ)を忘却したかった。
 (おのれ)の存在さえも消し去りたかった。
 されど──。
「──レマリア」
 (いと)しい存在だけは忘れたくない。
 魂が疲れ果てた。
 その心労(しんろう)誘眠(ゆうみん)()え付ける。
 そして、彼女は石の如く眠った。
 運命の目覚めまで──。



 気がつけば、カリナ達は例の拷問場に居た。
 状況が動いた形跡は無い。
 現実時間は数秒しか経過していなかった……という事だろう。
「そう……そうだったの」
 カーミラは(ひと)り納得する。
 闇暦(あんれき)以前の記憶が無い──カリナの奇妙な経歴が、ようやく説明付いた。
 同時に、彼女が〈レマリア〉という幻像を生み出し、狂気的固執(こしゅう)(いだ)いていた理由も。
(けれど、彼女は〝同属化〟をしなかった──妹を始めとして、村人の誰一人として)
 カーミラの(いつく)しみを()き消すように、下衆(ゲス)な死神が声高(こわだか)雄弁(ゆうべん)を演じる。
「最愛の妹をテメェで(あや)めた罪悪感に()えきれず、理性がブッ壊れた。コレが惨劇の幕開けだ。血に飢えた魔獣と()ち、一晩で村を全滅させちまいやがった。家族も、村人達も、それこそ(おんな)子供(こども)も、一人残らずな。ま、それさえも魔剣の支配意志かもしれねぇが……さすがのオレ様も、そこまでは判らねぇ」
 聞いているのかいないのか……カリナは無反応だ。
 少年の亡骸(なきがら)へと黙祷(もくとう)(ささ)げるだけである。
「何にせよ、それからお嬢は(なが)い眠りに就いた。忘却(ぼうきゃく)の眠りってトコか──ま、オレから言わせりゃ現実逃避(・・・・)だわな……ィェッヘッヘッ。ところが目覚めの時が(おとず)れる。旧暦(きゅうれき)一九九九年七の月にな」
「それって〈終末の日(アンゴルモア・ハザード)〉で?」
御名答(ごめいとう)さ、カルンスタイン令嬢。ダークエーテルが呼び起こしたのは〈デッド〉だけじゃなかったって事だ。(おびただ)しい負念(ふねん)を魔剣が吸い、お嬢の(かて)へと転じた。眠りながらにして、吸血行為に等しい魔力吸収が(おこな)われていったのさ。もっとも(しばら)くは(たくわ)えて眠るだけ……準備(じゅんび)万端(ばんたん)に目覚めるのは、闇暦(あんれき)年号が始まってからだ」
 またひとつ、カーミラの疑問が氷解(ひょうかい)した。
柘榴(ザクロ)偏食(へんしょく)ながらも、(おとろ)えを感じさせない魔力底値の高さ──それは魔剣の性質によるものだったのね。吸血行為を自粛(じしゅく)するカリナにとって、魔剣は〈武器〉であり〈牙〉なんだわ。つまり敵を斬り捨てれば斬り捨てるほど、吸血行為に等しい(かて)()られるという事……)
()くして最強最悪の〈怪物〉たる〝カリナ・ノヴェール〟の誕生でござ~いってな……どうよ? 御満足(ごまんぞく)(いただ)ける御伽話(おとぎばなし)だったかい?」
 沈思(ちんし)(ひた)るカリナへと、ゲデの値踏(ねぶ)みが投げられる。今度こそ、さぞかし失望しているであろう──ゲデは内心(ないしん)ほくそ笑んでいた。
三文(ハム)役者、聞くに()えん狂言(きょうげん)は終わったか?」
 期待を裏切り、カリナは平然と憎まれ口を返す。
 目の前で眠る少年の顔を(なが)めていると、何故か〝レマリア〟が(かさ)なった。
 見渡す限りの未熟(みじゅく)な命──約束された未来を奪われた不条理。その哀れさを思うと、(おのれ)の過去など些末(さまつ)にさえ思えた。
生憎(あいにく)、もはや過去などに興味は無い」
「はあ? お嬢が説明しろって言うから、わざわざ──」
「結局、現在(いま)の私は〝カリナ(・・・)ノヴェール(・・・・・)〟だという事だ。それよりも優先すべき事がある」
 腹立たしさを噛むゲデ。
 とはいえ、結局は折れるしかない。
 (しゃく)だが、それが両者の力関係だ。
「チッ! 何だよ、優先すべき事ってのは?」
「この部屋で息絶(いきた)えた子供達の無念(・・)──一人(ひとり)(のこ)さず、私に伝えろ! 一人(ひとり)(のこ)さずだ!」
 激情(あら)わに立ち上がり、孤高なる愛(・・・・・)()えた!
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登場人物紹介

名前:カリナ・ノヴェール

(Karina Noveil)


性格:

 孤高。攻撃的。達観的なひねくれ者。

 しかし内面は人一倍心優しく、とりわけ子供へ傾ける母性は強い。


特徴:

 流浪の吸血姫。

 戦闘能力は極めて高く、とりわけ実戦経験で鍛えられた剣技は屈指の実力。

 常に柘榴を嗜好品としている。

名前:カーミラ・カルンスタイン
(Carmira Karnstein)



性格:

 閑雅にして優麗。

 自分本意な恣意的性格も孕んでいる。

 同時に達観的な観察力を常時張り巡らせており、性格的には抜け目が無い。

 また、柔和な物腰に反して〈吸血鬼〉らしい冷酷さも兼ね備えている。



特徴:

 スチリア出身の伝説的吸血姫。

 彼の〈吸血王ドラキュラ〉と双璧として語り継がれている魔性。

 かつて原典小説『吸血鬼カーミラ』の物語を経験した後日談が、本作での背景設定となっている。

 見た目の貞淑さに反して戦闘能力は極めて高く、その実力と潜在魔力はカリナと同等のようである。

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