「チクショー! どうしてオイラは、こうなんだよ!」
リック少年は自らの不運を呪った!
死に物狂いで街路を駆け抜ける!
振り返ると、追っ手の三人組は加虐心に
漲っていた。
居住区を見回り警護する衛兵──
即ち〈
下級吸血鬼〉だ。
「待てよ! ボウズ!」
「オレ達ァ、オマエ等〈人間〉を守ってやってるんだぜ? 少しは
御褒美があってもいいだろうが……へへへ!」
要するに「オマエの血を吸わせろ」という事だが、冗談ではない。
そもそも、対デッド警護は
無償政策だ。
「オイラ〝
血税〟なら、ちゃんと
納めてるよ!」
怪物が統治する
闇暦の国々では、
税の在り方も人間社会とは異なる。要求されるのは
主に支配怪物の
糧となる物であり、此処ロンドンでは〝
血〟だ。月一回は
徴税隊による
強制採血が行われ、それが居住区在住を認可する
税として扱われる。
いつしか誰とでもなく呼称し始めたが、文字通り〝
血税〟だ。
それは吸血鬼達に給与として割り与えられる。
だが、当然ながら
均等とは言えない。階級格差による等分比率は、人間社会に
於ける
それと変わらなかった。
故に
下級吸血鬼には、こうした横暴も
稀に現れる。種族的優位性と
官軍的奢りによる
腐敗だ。
公にさえ知られなければ良いというのは、人間社会から受け継がれた
負の組織伝統かもしれない。
ともかくリックは、そうした
質の悪い連中に目を付けられた。
追撃状況を確認すべく、少年は振り返る。衛兵達には諦める気配も疲労の様子も無い。
元来、体力の底値も人間とは違うのだろうが……。
「ぅあ?」
疲労困憊で足が
縺れ、派手に転んだ!
背後に気を取られたのは失敗だった。
土煙の中で痛みを
堪えて
蹲まる。
ややあって追いついた足が、何者かは言うまでもない。
「おいおい、大丈夫かァ~?」
「素直に言う事を聞いてりゃあ、痛い目を見ないで済んだのによ~?」
好き勝手に茶化し並べる
下級吸血鬼達。
膝から流れる
僅かな血を、一人が指で
掬い
舐めた。
「あらら、勿体
勿体ねぇ」
「だよな。オレ達〝
下級吸血鬼〟は、常に満足のいく食事にありつけねえってのに」
「おまけに脆弱で下らねぇ人間なんかを、
無償警護しなきゃならねぇなんてよ……貧乏クジそのものだぜ」
「オ……オイラ〝
血税〟は、ちゃんと……」
「オマエ、人の話聞いてる? オレ達は『
満足のいく食事にありつけねえ』って言ってるんだぜ?」
「そんな配分、オイラの知った事じゃ……」
「この際、配分量はいいんだよ。とっくに諦めてるさ。ただ、スパイスが足りねぇのさ。味だよ! 味!」
「要するに〝味付けの無いステーキ〟を食ってるようなモンだ。空腹感の
足しにはなるが
無味乾燥──
如何に
好物でも食った気するか? あん?」
「つまり、オレ達が欲しいのは──」「──恐怖と悲鳴だよ!」
恐ろしい本性を
剥き
出しにする魔物達!
口角が
耳元まで大きく
裂け、
歯茎が別生物のように
競り
出した!
ズラリと並び生える
鰐のような
鋭歯!
爛々とした赤い目は、血に飢えた魔獣そのものだ!
理性無き狂気に染まっている!
「う……うわぁぁぁああ!」
少年が叫ぶ!
恐怖に!
戦慄に!
それぞまさに、彼等の望んだ
スパイス!
卑しい欲望を
垂らす牙が、少年の
喉笛へと噛みつかんとした瞬間──「
随分と安物のスパイスだな」──不意に割り込んだ少女の声が、鮮血の
宴に水を差した。
得体の知れぬ声に
血獣達の動きが止まる。
だが、少年だけは聞き覚えがあった!
月明かりの一角で、壁へと
背凭れる
華奢な影──。
柘榴齧りの不敵な
傍観視──。
吹き抜ける風に
靡くツインテールと
黒外套──。
まるで再現の如き光景が、少年の視界を
滲ませる。
「カ……リナ?」
「やれやれ……つくづく襲われるのが好きだな、オマエ」
少女は
呆れ気味にボヤくと、
物臭そうに身を起こした。
相変わらずの
拈れた態度。
けれど、その裏に隠された
心根を少年は知っている。
あの日の〝
柘榴〟を通じ……。
だからこそ、安心して
委ねる事できた。
「な……何だ、テメエ?」
寸分違わず聞き覚えのある安い
口上。
が、そこに
性蔑的な
侮りはない。
同属故の感知だろうか、彼等は少女が
人外である事を察知したようだ。
「どいつもこいつも……キサマ達のような
輩は、同じ
台詞しか吐けんのか? それとも、そういうルールでも
流行ってるのかよ?」
無造作に近付いてくる少女を警戒し、吸血鬼達が身構える。
と、今度は背後から女性の声が聞こえた!
「まさか、衛兵まで腐敗していたとは……」
汚職衛兵達が振り向くと、そこには新たな介入者が二人──清廉そうな
白外套の少女と、厳格な気品を漂わす
赤外套の淑女だ。
声の主は、おそらく
赤外套の方だろう。
「コ……コイツ等?」
いつしか彼等は、逆に包囲される形になっていた。
白外套が心底
失望して
嘆く。
「本当に我ながら情けないわ」
「何も
貴女だけのせいではありますまい。
疎むべきは、これら
恥ずべき
汚点の
愚劣さです」
「これは、やっぱり責任を取るべきでしょうね」
「
僭越ながら、
私も……」
何気に聞き逃せない決断へ、カリナが不服を
挟んだ。
「オイ、これは私の
興だぞ」
「
頭数は合ってるんだから、一人づつで
宜しいんじゃなくて? それに
傍観だけじゃ
寝覚めが悪くてよ」
「フン、勝手にしろ」
不機嫌に投げる。
「な……何なんだ、コイツ等?」
衛兵達は不気味さを味わっていた。不敵な会話は、自分達を
歯牙にも掛けていない。
途端、彼等の一人が
驚嘆を発する。
「あっ!」彼は仲間の存在すらも畏怖に忘れ、ただ小刻みに震えだした。ただでさえ
生気のない顔が、
更に
血の
気を失う。「ち……違……オレ、違うんです!」
明らかに恐怖を
帯びた叫びを残して、彼は
一目散に逃げ出した!
「一人減ったぞ」
黒外套が不満そうに
疎む。
「じゃあ、これ以上減る前に始めましょうか?」
清純な
微笑みと共に、
白麗の少女は愛用の
荊鞭を取り出した。
命辛々逃げ
仰せた
彼は、ようやく心拍を整えていた。
相当に距離を
稼いだ場所で、建物へと背中を預ける。
過敏に怯えた魂が自身の気配を殺させた。
「ま……間違いねぇ。アレは──」
城主〝カーミラ・カルンスタイン〟に
他ならない。
「生きた心地がしなかったぜ」
あまりに強大で格違いな妖気を、まざまざと見せつけられた気がした。
幸いにも正体を
悟れたのは〈魔〉の本能だ。おかげで、より鋭敏な感覚に察知できた。
彼女達にしてみれば、
威嚇したつもりもないだろう。ただ普段通りに
振舞っていたに過ぎない。それでも強烈な圧であった。
「へっ……へへっ……」
自然と乾いた笑いが零れ始める。身の安全を確保した実感からだろうか。
否、それは精神的自衛かもしれない。
骨身に染みた恐怖を
誤魔化すための……。
「
アレに気付けないなんて、アイツ等は
間抜け過ぎるぜ」
置き去りにした仲間達へと
嘲りを
手向けた。精一杯の現実逃避であり、取って付けた自己弁護だ。そうでもしないと罪悪感を割り切れない。彼等の絶望的な
末路は見えているのだから。
スゥと
頬を
撫でられた気がした。冷ややかな感触だ。
湿った風の
戯れ──ではない!
「ひっ?」
はっきりとした体感を確信し、思わず
跳び
退き構えた!
先程まで背後に在った暗がりから気配を感じる!
逃れ
仰せたはずの強大な妖気を!
硬い足音を響かせ、戦慄の魔性が歩み出てきた。
血のように真っ赤な
外套が!
「仲間を見捨てて逃げるとは、どうやら最も恥ずべき
下郎は貴様のようだな」
深紅のロイヤルドレスに身を包んだ凛然たる美貌──〝ブラッディ・メアリー〟だ!
「勘弁して下さい! アイツ等に
唆されて!」
「
更には保身に仲間を売るか……見下げ果てた
性根。
如何なる理由とて、貴様達が領民に
暴虐を働いた
咎は消えぬ」
「た……たかが、ガキ一人じゃないですか」
「たかが?」聞き捨てならぬ暴言に、メアリーの細眉がピクリと反応した。「その〝たかが〟の
尊き血によって、我等の
生は
繋がれている。なればこそ、血の重きを知らねばならぬ。『血は命なり』だ」
これ以上は何を主張しても無駄と
悟る。赤の吸血妃は、あまりにも人間へ肩入れし過ぎていた。
「な……何が『血は命なり』だ!」
ヤケクソな叫びを吠えて、吸血妃へと斬り掛かる!
衛兵の武装として携えた
凡庸魔剣だ!
メアリーに動じる様子は無い。
迫る狂犬を冷ややかな
蔑視で捕らえ続け、そして──!
「なっ? 消えた?」
瞬間的な異変だった。
刃が
裂いたと思えた瞬間、彼女は赤く
霧散したのだ!
実体が消えたとはいえ、その存在が周囲に
潜むのは確かだった。
例えようもない不安に踊らされ、一心不乱の剣が狂う!
「ドコだ! チクショウ! ドコに消えた!」
下級吸血鬼である彼は
霧化は
疎か、
霧化した存在を察知する事も
叶わなかった。
上級と
下級故の絶対的な魔力差だ。
ひたすら空を斬る必死な抗いは、無様で
滑稽な踊りにしか映らない。
「チクショウ! チクショウ! チクショウ!」
次第に
涙声と
化した
罵倒に彼は狂い続けた。
手応えは無い。
やがて
緩慢化した動きの
僅かな
隙が、彼の
命運を終わらせる。
「ヒィ!」
しなやかな指がヒヤリと
頬を
撫でた。背中で感じる弾力に
富む
膨らみは、女性の
それだ。
いつの間にか赤の吸血妃は背後へと現れ、処刑の
抱擁に
贄を捕らえていた。
「何か言い残す事はあるか?」
耳元で甘く
囁かれる破滅への
誘い。
「オ……レは……」
「フム、貴様は?」
「け……
敬虔なカトリック信者なんです」
情けない泣き
面へ、美しき
冷笑が
応える。
「もうよい」
鈍い
砕骨音と共に、彼女は価値無き首を
捻り
千切った。