醒める夢 Chapter.1

文字数 7,561文字


「何処だ! いったい何処に!」
 胸中を焦燥(しょうそう)一色(いっしょく)()め、カリナは城内を駆け巡った!
 迷宮の如き(つく)りが(わずら)わしい。
 彼女にしては珍しくも、ありのままの自分を露呈(ろてい)していた。
 それも無理はない。
 彼女が〝()()〟たるアイデンティティーが、見失われていたのだから。
 それだけを必死に捜し求め、彼女は駆け続けていた!
 霊気に満ち溢れた広い魔城内を、ただひたすらに……。
「何処にいるんだ! レマリアァァァアアッ!」
 慟哭(どうこく)とすら思える悲痛な叫びが、閑寂(かんじゃく)とした大回廊(だいかいろう)に響き渡った。



 天空の闇を()める紅蓮(ぐれん)(ほのお)
 ロンドン塔の城壁周囲を、大規模な朱舌(しゅぜつ)が取り囲む!
 その勢いは(しず)まる(きざ)しすら無い!
 ただひたすらに灼熱(しゃくねつ)(うたげ)を踊り狂っていた!
 城壁へと押し寄せる(おびただ)しい数の死体──(すなわ)ち〈ゾンビ〉の(むれ)である!
 謎の軍勢による夜襲(やしゅう)は、(きょ)を突いた()のままに展開していた!
「クソッタレ! 何なんだ、コイツ()は!」群がる屍兵(しへい)を破壊し続け、アーノルドが(いら)()つ。「(さば)いても(さば)いても減りゃしない。それどころか(ひる)む気配すらねぇぜ!」
 防衛部隊を(ひき)いて出陣したものの、予想以上に面倒な敵であった。
 加えて、戦場の条件も悪い。
 城門は南方角に当たり、表通りは東西へと伸びる。
 横たわるテムズ川に沿()った形だ。道幅(みちはば)はそれなりだが、乱戦に適したほど広いとは言い(がた)い。
 そんな路上を、(うごめ)黒波(くろなみ)が埋め尽くしていた。敵勢は両側から押し寄せて来ている。物量押しの挟撃(きょうげき)だ。
 結果として〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉は、城門前に固まる陣型を余儀(よぎ)なく()いられていた。
「このままじゃ圧倒的な敵数(てきかず)に消耗していくばかりだぜ! バリケード代わりの人身御供(ひとみごくう)に過ぎねぇ!」
(あせ)られるな! アーノルド殿!」
 背後からの(げき)が平常心を(うなが)す。
 東側の敵を相手取る吸血騎士──ジル・ド・レ卿だ。西側を受け持つアーノルドとは背中合わせとなる。
「単にタフネスさの底値が高いだけだ。()としては、たいした〈怪物〉ではない」
 騎士の剛剣(ごうけん)が敵兵の頭を破断(はだん)した。
 が、倒れた死体はゆるりと起き上がり、何事も無かったかのように戦線復帰を()たしてしまう。
「頭を破壊しても死なぬ……か。どうやらデッドとは勝手が違う」
「敵一体を沈黙させるのに、こちらは二人()られる! 割が合わねぇ!」
(いた)(かた)あるまい。我等と同じ〈不死者〉ではあるが、小奴等(こやつら)には自我が欠落しているようだ。つまり〝死〟や〝痛み〟を恐れない。玉砕(ぎょくさい)前提(ぜんてい)()(ごま)戦法は、物量押しに相性が良過ぎるのだ」
「基礎能力では我々〈吸血鬼〉の方が、圧倒的に(まさ)っているのにか?」
小奴等(こやつら)相対(あいたい)して、我等〈吸血鬼〉は生前の精神性を色濃く維持している。つまり〝焦燥〟や〝動揺〟といった感情が、(いま)だに()くという事。衛兵達の志気にも影響は出よう。そうした精神面の(もろ)さが、劣勢(れっせい)(まね)く要因ともなっているのだ」
「ハッ! そんな腑甲斐(ふがい)()さで、よくも〈闇暦大戦(ダークネス・ロンド)〉へ参戦しようとなんざ考えたもんだぜ」
 アーノルドの凡庸魔剣(ぼんようまけん)が、敵の眉間(みけん)(つらぬ)いた!
 無論、成果はない。
「……クソッタレ」
 見渡す限り、死体だらけであった──動くも動かざるも(へだ)たりなく。
 彼等〈吸血鬼〉の存在そのものも、例外にない。
 阿鼻叫喚(あびきょうかん)に展開するは、血の謝肉祭(しゃにくさい)
 エリザベート・バートリーの謀反(むほん)から、(わず)か三日後の凶事(きょうじ)であった。



 城郭(じょうかく)(いただき)から戦況を見据える白き麗影(れいえい)──カーミラ・カルンスタインの姿だ。眼下の混戦を観察する表情は渋い。
 防壁を吹き登る熱風が強烈な異臭を運んだ。()飛沫(しぶき)の鉄分臭と戦火の(こげ)(くさ)さが混じり合ったものだ。
「不快ね。まるで〈終末の日(アンゴルモア・ハザード)〉を思い出させる」想起(そうき)される回顧(かいこ)(うと)む。「ねえ、メアリー? あの時よりも、ゾンビの数が増えていなくて?」
 (わき)に並び()う真紅のドレスが、形式的な恐縮で答えた。
「そのようですね。カリナ殿の教示(きょうじ)を考慮すれば、あの時の三倍はいるかと」
(およ)そ一八〇体ってとこ? (わず)か三日程度で、そんなに増えるものかしら?」
「あの後、私なりに〈ゾンビ〉の文献(ぶんけん)を調べました。どうやらネックとなるのは、甦生呪術に要する儀式時間だけのようです。魔術精通者であれば、三日は充分過ぎるかと」
(きも)である〝()()〟は?」
「大前提として〈デッド〉化していない〝純粋な死体〟に限るようですが……その気になれば、いくらでも調達できましょう」
 メアリーの見解に(まゆ)を曇らせた。平静を(よそお)った言い回しではあったが、明らかな(ふく)みがある。
「それって、まさか?」
「恐れながら、居住区の人間達を虐殺(ぎゃくさつ)した可能性も……」
 カーミラは強く唇を噛んだ。望まざるべき返答でありながらも、予想通りの示唆(しさ)に。
 居住区画の煉獄(れんごく)は、まだ生々しく胸中に刻まれている。
(なまじいエリザベートと対峙(たいじ)しただけに、彼女の謀反(むほん)(かく)だと思い込んでいた──それは迂闊(うかつ)短絡(たんらく)だったわね。傀儡(かいらい)の裏には〝()()〟たる存在が別にいる。となれば、その目的は違っても当然なのだから)
 カリナが追求し、エリザベートが言い(のこ)した〈魔女〉の名前が思い出された。
「ドロテア……か」



 如何(いか)に不死身の〈吸血鬼〉といえども、今回の持久戦は(いささ)か不利な状況にある。
 敵軍先陣へと深く切り込んだジル・ド・レも、さすがに(あせ)りを覚えていた。
(アーノルド・パウルが(いら)()つのも無理はない。こうも不死身では……)
 先程、彼自身が口にした通りであった。物量押しの戦術は、ゾンビ兵に相性が良過ぎる。()して自我が欠落しているが(ゆえ)に、玉砕(ぎょくさい)前提(ぜんてい)()(ごま)扱いを物ともしない。
 剛剣の一突きが、まとめて二体の頭部を破砕した!
 西瓜(すいか)の如く弾け散る!
 当然、意味など無い。首無し死体として復活するだけだ。 
下等(かとう)(ゆえ)に上位を(くだ)す……か。皮肉な下克上(げこくじょう)だな」
 浅く自嘲(じちょう)を浮かべる。
 頭では理解していながらも、対デッド戦のノウハウが自然と(にじ)み出てしまう。体に()み着いた〈戦士〉としての習性であった。
(確かにゾンビ共のタフな性質は厄介だ。さりとも()が軍の兵が不慣れな点も、劣勢要因としては大きかろう──実戦経験の不足だ。所詮(しょせん)近代吸血鬼(モダン・ヴァンパイア)(いくさ)()を知らぬ。安寧(あんねい)世代の(ゆる)さよ)
 内政面では一目(いちもく)の価値を尊重(そんちょう)してきたが、前線に()いては軟弱な有象無象(うぞうむぞう)に過ぎない。
斯様(かよう)な組織実態では〈闇暦大戦(ダークネス・ロンド)〉へ参戦したところで(そこ)は見えておるな)
 ()(がゆ)い。
 数世紀の間、摂理(せつり)(はん)して生き長らえた。
 それもこれも(いだ)く理想へと邁進(まいしん)すればこそだ。
 理想──いや、待て。
 理想とは何だ?
 そもそも()を追い求めていたのだ?
 取り留めもなく涌いた自問に戸惑(とまど)う。
 と、混戦の渦中(かちゅう)で見知った顔を見つけた。
 深々と(かぶ)った漆黒の長外套(ローブ)姿。まるで様子を(うかが)うかのように、城壁(すそ)へと(たたず)む男。
 疑心(ぎしん)誘発(ゆうはつ)忠臣(ちゅうしん)に他ならない。
「プレラーティか?」
 死体を(さば)きながら確認する。
「ジル・ド・レ様、()(おとず)れました」
()だと? 何を言っておるのだ!」
 意味不明な()()けを拾いつつ、数体の敵兵を(まと)めて破壊した!
斯様(かよう)謎掛(なぞか)けを(たわむ)れる(ひま)があれば、()が片腕として加勢(かせい)せぬか!」
「……()(おとず)れたのでございます」
「だから、何を──」
 叱責(しっせき)する中で、違和感(いわかん)を覚えるジル・ド・レ。
 混戦状況そのものは変わらない。
 しかし、黒集(くろだか)りに空間が(ひら)いていくではないか。(むら)がるゾンビ達が緩慢(かんまん)的な動きに退(しりぞ)いていったのだ。ジル・ド・レの周囲に限り……。
「こ……これは?」
()(おとず)れたのでございます」
 暗い瞳が淡々(たんたん)(うなが)す。
 直感、ジル・ド・レは(さと)った。
 ゾンビ共の撤退は、この男の術だと。
 黒魔術によって排除したわけではない。そうした術に不可欠な動作を振舞(ふるま)ってはいなかった。
 ともすれば、絶対的な支配権の行使(こうし)とさえ思える。
 根拠も証拠も無い確信だ。
 だがしかし……。
(いな)、それ以外にも不自然さはあったではないか!)
 ジルは(いぶか)しんだ洞察(どうさつ)(にら)む。
(そもそも、この男は何故(なにゆえ)襲われずに()たのか?)
 これらの状況を客観的に分析すれば──この軍勢(ゾンビ)(ひき)いていたのは、プレラーティ自身という可能性が高い!
「プレラーティ! キサマ、一体(いったい)?」
「私は従者(じゅうしゃ)──貴方(あなた)(さま)の願いを叶えるべく()()い続けた()でございます」
「ワシの……願い?」
 正視に(にら)()えた魔術師の目が爛々(らんらん)と赤い()りを()びる。
 吸血貴族(ヴァンパイア・ロード)たる自分ですら不気味な禍々(まがまが)しさを感じた。
 ()まれるような赤い闇──自我も意識も思考も何もかもが、混沌と攪拌(かくはん)されて境界線を無くしていく。
 (さなが)ら、彼等〈吸血鬼〉の常套(じょうとう)手段ある〈催眠術〉を連想させた。
 が、その魔力の源泉は、もっと根深く感じられる。魔界の深淵(しんえん)から湧き出るようなパワーソースだ。
 つまりは、単なる精神技巧(ぎこう)ではない。
 そうした分析観を(いだ)きつつも、ジルは次第に己を見失っていった。
 夢遊のように全てを受け入れ、誘惑の声へと歩み寄る──全てを受け入れ? 何を?
 何(ひと)つ確かな情報も無いというのに?
 この男は何者だ?
 目的は?
 何故、自分を(いざな)う?
 そして、(おのれ)は──ジル・ド・レ自身は()を求めてきたというのだ?
 明答など見えない。
 見えぬまま、ジルは受け入れつつあった。
 やがて並び立った主人と従者(じゅうしゃ)は、そのまま屍群(しぐん)陣営の奥深くへと()まれ去る。
 背後から投げ掛けられるのは、部下の制止と断末魔──(あか)飛沫(しぶき)の悲鳴──骨身(ほねみ)(つぶ)され果てる醜音(しゅうおん)
 それらを手向(たむ)けと浴び、吸血騎士は決別の(あゆみ)を刻む。
 もはや戦況の行く(すえ)など、どうでもいい。
 これから満を持して刻むべきは、ジル・ド・レ自身の足跡(そくせき)なのだから。



随分(ずいぶん)と大掛かりな人形劇ね」
 辟易(へきえき)とする気持ちを押し殺して、カーミラは思索を巡らせていた。
(ゾンビ自身は単なる労働力……自己判断力や知恵なんかは持ち合わせていない。つまり攻城戦を指揮している()()近場(ちかば)にいるという事)
 (いま)だ見ぬ〈魔女〉の存在が憎々しい。
 主人を捨て駒とした外道(げどう)。これだけの兵力を水面下で整えていた狡猾(こうかつ)な策士。
「メアリー、此処数日で襲撃被害に()ったと思われる居住区画は?」
「それはまだ調査していませんが……なにより、居住区の実態調査はコンスタンスではないので」
「大至急調べて下さい。必要とあれば、貴女(あなた)(みずか)らが城外へ(おもむ)いても構いません」
「この状況下で戦場を離れろ……と?」
「構いません。わたしからの勅命(ちょくめい)です」
 カーミラの瞳には毅然(きぜん)たる意志が宿っていた。
 それを()むが(ゆえ)に、メアリーも素直に(じゅん)ずる。
 背後で一礼を払うと、彼女は紅い蝙蝠(こうもり)へと変化した。
 居住区の方角へと飛び去る知獣(ちじゅう)を見送り、少女城主が瞳を上げる。
 と、はたして()むべき敵は、()()に存在していた!
 黒月の巨眼を(うし)(だて)に浮遊する人影!
 距離にして約二〇メートル先──黒い長外套(ローブ)(なび)かせ、戦火の頭上に滞空(たいくう)している!
 一瞬、エリザベートの亡霊かとも思った。
 だがしかし、それは有り得ぬ話だ。呪われたる魔物と堕落した〈吸血鬼〉の魂は、霊界の(ことわり)から除外排斥されているのだから。(ゆえ)に〝再生〟こそすれ〝輪廻転生(リィンカーネーション)〟などしない。()してや〈幽霊〉などになるはずがない。
「まさか……()()は?」
『ああ、私が〝ドロテア〟さ』
 カーミラの推察に影が答える。肉声ではない。低く静かな(ささや)き声を聞き取るには、互いの距離が離れ過ぎている。当然ながら〈魔術〉による無声(テレパシー)会話だ。
「満を()して〝黒幕〟(みずか)らの御登場かしら?」
 思念を返す。
『黒幕? クックックッ……』
「あら、何か可笑(おか)しくて?」
『クックックッ……(われ)(つゆ)(はら)いに過ぎん。イギリス全土を掌中(しょうちゅう)(おさ)めるためのな』
「やはり、()()は別に(ひか)えているって事ね。(ある)いは〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉同様に、(いま)だ母国で胎動中(たいどうちゅう)なのかしら?」
『……何?』
「敵対勢力の本格的侵攻ならば、全面攻撃を打ってくるでしょうからね。けれど、エリザベートの謀反(むほん)(そそのか)した暗躍に、夜闇(よやみ)(まぎ)れた消耗品による奇襲──あまりにも小規模で場当(ばあ)たり的過ぎる」
『…………』
「背後にいるのは、エジプト? イタリア? それとも、まさかフランスかしら? どちらにせよ〈魔女の勢力〉なのでしょう?」
『……よく(しゃべ)る』
 ドロテアの声音(こわね)から抑揚(よくよう)が消えた。それは情報隠匿(じょうほういんとく)を再意識した証拠である。
(これ以上は語らず……か。誘導尋問(ゆうどうじんもん)は失敗みたいね)
 詳細看破(しょうさいかんぱ)を突きつける事で動揺を(さそ)ってみたが、結果として裏目(うらめ)に出たようだ。逆に警戒心を誘発し、これ以上の聞き出しは(のぞ)(うす)となってしまった。
(けれど、それは当たらずとも遠からずって事を語っているようなものよ……魔女ドロテア!)
 互いに出方を(うかが)反目(はんもく)が続く。
 ややあって、浮遊する影が揺らいだ。
 魔女が消え去るのを察知し、カーミラが制止を叫ぶ!
「御待ちなさい! 魔女ドロテア!」
 しかし対応は紙一重で遅く、その幻姿(げんし)(かすみ)と消えた。
『カーミラ・カルンスタイン、キサマ達〈吸血鬼〉の軍勢は今宵(こよい)滅びる。ロンドンの領有権(りょうゆうけん)は、我等の掌中(しょうちゅう)に……』
 置き土産(みやげ)の声が拡散して響く。
(むな)しい支配権なんて、どうでも良くってよ」カーミラは虚空(こくう)(にら)()え、忌々(いまいま)しく本音を吐き捨てていた。「けれど、貴女(あなた)を許す気は無いわ。(みずか)らの姦計(かんけい)のために忠義(ちゅうぎ)()き捨てる──わたしの(もっと)も嫌う人種ですもの」
 静かなる敵意に、エリザベートの哀れさを(うれ)える。心より信頼を置いていた腹心(ふくしん)に裏切られ、道化(どうけ)()ちた哀れさを……。
 それは、如何(いか)に絶望的な(みじ)めさであっただろうか。あのような無慈悲な姦計(かんけい)を、繰り返させてはならない。
 (すべ)ての元凶(げんきょう)は、あの〈魔女〉だ!
 絶対に()たねばならない!
 次なる〝エリザベート〟を生み出さないためにも!
 と、背後に何者かの気配を感じた。
 重々しい男性の声が、彼女へと呼び掛ける。
「カーミラ様」
「ジル・ド・レ卿?」こうした戦況には頼もしい人材であった。「丁度良かった。折り入って御願いがあるの。しばらく、わたしに代わって戦局の指示を──」
 そう告げて振り返ると同時に、腹部で熱さが燃える。
「……え?」
 状況が呑み込めず、カーミラは確認の視線を落とした。
 彼女の腹部を(つらぬ)簡易魔剣(かんいまけん)
「珍しくも(きょ)を突かれましたな。この目まぐるしい乱戦下では、無理からぬ事ではありましょうが」
 力強く(やいば)捻込(ねじこ)む!
 それは(さなが)ら、エリザベートの仇討(あだう)ちにも思えた。
「かふっ!」
 白が赤を()く!
所詮(しょせん)貴女(あなた)は浮き世離れ。(いくさ)には(うと)()ぎる」
「ジル……ド……?」
「いま一度、生まれ変わらねばならぬのです──このロンドンも──我等〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉も──そして、私自身も────」
 魔剣に断腸(だんちょう)(ねん)を込めるジル!
「っああ!」
 可憐が鮮やかに生命(いのち)()く!
 理不尽な餞別(せんべつ)を引き抜かれると、麗しき少女吸血姫(きゅうけつき)(みずか)らの血溜(ちだ)まりへと崩れ倒れた。
 まるで、冷たい眠りへと落ちるかのように……。



 本格的な戦ともなれば、来賓(らいひん)や使用人たる〈吸血鬼〉の出る幕はない。率直に言えば〝役立たず〟だ。
 ジョン・ジョージ・ヘイとペーター・キュルテンによる合同部隊の任務は、そうした(やから)を保護する役目にあった。
 狼狽(ろうばい)に踊る来賓(らいひん)達が、速やかに安全な場所へと誘導される。具体的には屍棺安置室(しかんあんちしつ)血液貯蔵室(けつえきちょぞうしつ)等だ。こうした部屋は総じて地下に(もう)けられているため、緊急避難壕(きんきゅうひなんごう)としての側面も(おぎな)っている。
 慌ただしい誘導を終えると、ジョンは一階へと登った。正面大回廊へと続く通路だ。(もと)より深い霊気を漂わせる情景が、(さら)に拍車を掛けた蒼い虚構(きょこう)へと染まっている。
 城内には、人の──(いな)〈吸血鬼〉の姿気配(すがたけはい)は全く無い。避難するか戦地へ(おもむ)くか……その二択だ。
 手近な窓から外を眺めると、城壁の向こうには朱宴(しゅえん)(あざ)やかだった。
 加勢できぬ弱さが歯痒(はがゆ)い。だが、自分達は戦火が鎮まるのを待つしかなかった。
「とりあえず全員避難させたな」
 背後からの声に振り向く。遅ればせながら登ってきたペーターだ。
「非戦闘的なボク達には適した任務だね」
 軽く自嘲を含むと、ジョンは視線を城外へと戻す。
 ペーターも、それを追った。
「ジル・ド・レ卿とアーノルドに任せるしかないさ」
 と、ペーターは異変を感じる。
「な……何だ?」
 (にわか)血相(けっそう)が変わった。
 ジョンは、まだ気付かない。 
「どうしたんだい?」
 声も届いていないかのように、ペーターは睨み据えている。どうやら焦点は城門だ。
 釈然としないままそれに(なら)い、ようやくジョンも驚愕(きょうがく)()らした!
「城門が……揺れ(きし)んでいるっ?」
 外側からの大きな圧力だ!
 それはつまり、敵勢が押し寄せているという事実に(ほか)ならない!
()られたっていうのか? ジル卿とアーノルドが……()が軍きっての防波堤(ぼうはてい)が?」
「僕にしても(にわか)には(しん)(がた)いよ。けれど、これは(まぎ)れもなく現実──有無(うむ)()わさずね」
「クソッ! どうすればいい!」
「まだ現在(いま)は巨大(かんぬき)が耐えているけど、それも(わず)かな猶予(ゆうよ)でしかないだろうね」
「実戦部隊は(すべ)迎撃(げいげき)に出たんだぞ! 応戦できる兵力なんか残っちゃいない!」
 加熱するペーターに反して、ジョンは沈着冷静を(たも)っていた。口元に手を添えて黙々と思索する姿は、まだ希望を捨てていない。
「おい、ジョン?」
「我々は、戦闘能力で〝吸血貴族(ヴァンパイア・ロード)〟に(おと)る──傭兵経験者のアーノルドは別としても。つまり、それさえ(おぎな)えれば応戦する事も可能なはず」
「だろうさ。けど、現実的に無理な話だ。いまから訓練でも重ねるってのか?」
「待ち(たま)えよ。僕は『()()には応戦手段が無い』と言ったのさ──つまり僕と君に限った話だ」
 城門を警戒に(にら)み続け、ペーターが()れる。
「正直、話が見えないな。手短(てみじか)に要点だけを言ってくれ」
 その時、威勢(いせい)猛々(たけだけ)しい勧告が(つげ)げられた!
 城門の外からだ!
「聞けぃ! 残留兵共(ざんりゅうへいども)!」
 気迫だけで通る叫び声!
 聞き覚えを抱き、二人は顔を見合わせる!
「この声は……ジル・ド・レ卿か!」
貴様等(きさまら)主君(しゅくん)カーミラ・カルンスタインは、(すで)()(やいば)に倒れている! 防衛線たるアーノルド・パウルも、(われ)(ほふ)った!」
 ようやく合点(がてん)がいった。
 この急変した劣勢(れっせい)は、ジル・ド・レ卿が寝返(ねがえ)ったが(ゆえ)なのだ!
 理由は判らない。
 が、突破された防衛線が、その事実を立証している!
「速やかに降伏し、我が軍門へと(くだ)れ! 一時間だけ猶予(ゆうよ)を与えてやる! よく考え、賢い選択をするがいい!」
 そう言い残して、気配は消えた。夢幻(ゆめまぼろし)であったかのように鎮まる城門。
 訪れた静寂の中で、ペーターが嘆息(たんそく)()じりに(こぼ)した。
「やれやれ……カーミラ様が倒され、アーノルドも死んだ──何よりも主戦力であるジル卿が寝返った以上、我々には打つ手は無いぜ?」
(かり)にカーミラ様が()られたのだとしても、我々には匹敵する一騎当千(いっきとうせん)がいる」
 思いの(ほか)、ジョンは涼しい。
「そいつは〝ブラッディ・メアリー〟の事か?」
「いいや」
「もしかして、ドラキュラ伯爵なんて言うつもりじゃないだろうな? 確かに〈伝説の吸血王〉かもしれないが、来城した事すら無いんだぜ?」
「いいや」妙案(みょうあん)(ふく)んだ微笑(びしょう)(たずさ)え、ジョンは明答する。「カリナ・ノヴェールさ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

名前:カリナ・ノヴェール

(Karina Noveil)


性格:

 孤高。攻撃的。達観的なひねくれ者。

 しかし内面は人一倍心優しく、とりわけ子供へ傾ける母性は強い。


特徴:

 流浪の吸血姫。

 戦闘能力は極めて高く、とりわけ実戦経験で鍛えられた剣技は屈指の実力。

 常に柘榴を嗜好品としている。

名前:カーミラ・カルンスタイン
(Carmira Karnstein)



性格:

 閑雅にして優麗。

 自分本意な恣意的性格も孕んでいる。

 同時に達観的な観察力を常時張り巡らせており、性格的には抜け目が無い。

 また、柔和な物腰に反して〈吸血鬼〉らしい冷酷さも兼ね備えている。



特徴:

 スチリア出身の伝説的吸血姫。

 彼の〈吸血王ドラキュラ〉と双璧として語り継がれている魔性。

 かつて原典小説『吸血鬼カーミラ』の物語を経験した後日談が、本作での背景設定となっている。

 見た目の貞淑さに反して戦闘能力は極めて高く、その実力と潜在魔力はカリナと同等のようである。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み