双色の
吸血姫達は、ようやく
小汚い
安息所へと帰って来た。
その外観を見上げ、カリナは軽い安心を
抱く。
(取り立てて、異変は感じられんな。
縦しんば何かあっても、心配には
及ばんだろうが……そのために、メアリーのヤツを残しておいたのだから)
軋む階段を踏み登る。
先の
経緯からか、互いに黙々と
歩を刻むだけだった。
ひたすらに会話は無い。
激闘の疲労感もあるだろう。
されど、カーミラに限っては、それだけではなかった。
胸中を巡る思いが
釈然としないからだ。
エリザベートの
末路……ではない。
その事は
既に割り切っている。
胸中に
逡巡するのは、もっと別な
事柄であった。
「ねえ、カリナ? ちょっといいかしら?」
黒外套に続いて登る
最中、我慢しきれず
訊ねる。
背後からの不意な
訊い
掛けに、カリナは無愛想な仮面を再武装した。
「何だ?」
「
貴女の魔剣、いったいどういった
代物なの?」
「フン……やはり、それかよ」
登りきると目的の部屋は、すぐ
側である。
故か、カリナは踊り場で小休止とした。
対話応対が多少
込み
入るのを予測しての判断だろう。
「正直、感心したぞ。
コレを組み
敷ける者が、私以外にもいたとはな」
黒艶にくすむ
樫の
手摺へと背を預け、軽い優越を
含んだ態度に返す。
相変わらず、
軽視的な
毒気を
帯びた言い方だった。
「あら、そう思ったからこそ、
投げ
託してくれたんじゃなくて?」
「まあな。万にひとつの可能性だが、そうした展開が有り得るなら見たくもあったさ。それと、もうひとつ──」
「何かしら?」
「──〈伝説の
吸血姫〉とやらが、無様にしくじるのも面白い……ともな」
悪戯的な笑みを浮かべている。
さりながら、敵意ではない。
そこから判断する限り、おそらく本気ではあるまい……と思いたい。
「それは残念な結果だったわね。で? いつから愛用しているのかしら?」
「最初からだ」
「
闇暦以前の記憶が無いと
伺ったけれど?」
「ああ、そうだったな。だから、私が認識した時点からの話さ」
「単刀直入に
訊くけれど、それは何なの?」
「さあな。だが、
コイツの中には〝
ある者〟が
棲む」
その事実は
既に知っている──そう思いつつも、カーミラは言葉を
敢えて
呑んだ。
カリナ自身が
把握している
詳細を引き出すためである。
要は探りだ。
が、ポーカーフェイス戦に
於いては、流れ者の方が
上手だったようだ。
「その
面じゃ、オマエも会ったようだな」
微々たる不自然さを鋭敏に感じ取り、例の如き冷ややかな口調を先制する。
「ま、当然か。だからこそ、コイツを
組み
伏せる事ができた。一応は
合点がいったぞ」
「お見通し……か」
カーミラは、はにかんだ苦笑に誤魔化した。
「会えたのは幸運だったな。でなければ、コイツは制御できん。さもなくば、オマエの魂すらも
糧と喰らっただろうよ」
「
糧と喰らう……つまりは〝
生きている〟という事よね」
「ああ。
操者の
魂も、斬り捨てた敵も、
等しく
コイツの
餌だ。そうして魔力
底値を上げていく。戦えば戦う
程、そして喰らえば喰らう
程、コイツ自身が強くなるのさ」
「正直、驚いたわね。確かに〝自我〟や〝
残留思念〟を
宿す魔剣は、
世に
幾つか存在するわ。精製魔法によって
付随形成された〝
疑似〟
人格もね。そうした魔剣は総じて
稀少な武具だけれど……それは一線を
画する」
「ま、おそらく
唯一無二だろうな」
「ええ。その魔剣は〝
魂〟そのものを内在させている。ううん、どちらかと言えば転生体に近い物よ」
「事実、そうなんだろうよ」
「その魔剣に
巣喰う人が、誰かは
御存知?」
「かつて、
真名を聞き出した事がある。確か〝ジェラルダイン〟と言ったな。第一世代吸血鬼──つまり〈
原初吸血鬼〉の魂らしい。だから私は、この魔剣を〈ジェラルダインの牙〉と名付けた」
浅く
渇きを覚え始めた
喉を
柘榴啜りに
潤す。
「相変わらず、続けるのね」
「……何がだ?」
「それ──
柘榴よ」
白から
指さされ、軽く嗜好品へと見入る。
「菜食主義も結構だけど、度が過ぎると身体に
障るわよ」
「ほっとけよ」
カリナは軽く鼻を鳴らし、目線を
逸らした。
こうした指摘である以上は、間違いなく
柘榴の意味合いを
見透かされている。
なんとも面白くない。
「
適度に
生き
血を
摂取しなければ、魔力も低下するわ」
「ハッ……先の戦闘で、私の魔力が
劣っているように見えたかよ?」
(……そこなのよね)
カーミラが知る限り、カリナは吸血行為を断っている。
にも関わらず、魔力に
陰りは無い。
自分に匹敵する強大さだ。
(
蝕んでいないはずはないのだけれど……)
ともすれば、底値自体が高いという事だ。
稀にみる存在ではある。
それだけの魔力という事は、少なくとも第三世代以降ではあるまい。実に興味深い。
「まあ、いいわ。で、経歴は?」
「……どちらのだ?」
「どちらの?」
「剣か?
柘榴か?」
「剣よ」
「知らん。正直、興味が無いしな」
「そう」
それ以上は追求せずに、カーミラは話題を終息させる。
(
十中八九、わたしが行き着いた〈真相〉に間違いないでしょうね。けれど、それを語り聞かせるタイミングは、いまではないわ。それよりも優先すべきは──)
想起した瞬間、カーミラの瞳は強い
固執を燃え上がらせていた。
(──そう、最優先すべきは〈レマリア〉の存在!)
尋常ならざる
凄みが
魔眼に
宿る!
けれども、それが表層化したのは数秒にも満たない。
自覚したカーミラは、すぐさま普段の貞淑な物腰へと
返ったからだ。
その変化に気付けなかったカリナの
迂闊さは、カーミラにとって
幸いな油断である。
(事前に動揺させる事は、
極力避けたいものね)
そして、実行すべき時期は遠くない──そんな予感を確信と
抱いていた。
ガタつく扉を開くなり、満面の
安堵が
出迎える。
リック少年とメアリー一世であった。
「カリナ! マリカル!」
「
御双方、どうやら御無事で……」
左腕の痛みを押し隠したカーミラが、
憂いある苦笑を返答とする。
とはいえ、高貴なる純潔を
損なう腹部の赤は、無言の心配を
課したようだが。
一方でカリナは、そわそわと落ち着きを無くしていた。
まるで
心在らずの
様子だ。
その視線は、
些か
焦燥気味に周囲を捜している。
目敏く察知したカーミラが声を
潜めて
訊ねた。
「どうしたの?」
「いや、レマリアの姿が……」
「あら、あそこにいるのは違って?」
目線で
指す先を追うと、
柱時計の
陰から若草色のスカート
裾がはみ出ている。
それを認識したカリナは、ようやく平静さを取り戻したようだ。
「どうやら隠れきれないでいるらしいな」
「きっと怖くなって、隠れていたんじゃなくて?」
「ああ、そうか。そうかもな……」
「身の守り方、教えてあったんでしょう?」
「うむ。万ヶ一、私と離れた場合は、物陰へと隠れるように教えてあったはずだな──そうだとも」
「そうでしょう? きっと、それを守ったのね」
母性に
染まる
黒姫は隠れた女児へと歩み寄る。
その
側で片膝付きに
屈むと、
悪戯っぽくスカート
裾を軽く
摘んでやった。
「……見えてるぞ」
ひょこりと顔を覗かせる
無垢。
「わたし、みつかってないのよ? だって、ちゃんとかくえてますからねーだ」
拙い負けん気が「イーッ」と顔を
歪めた。
どうやら簡単に見つけられた事自体が不服らしい。
そんな愛しい
おしゃまさを、彼女は優しく抱き上げる。
「そうだな。だが〝かくれんぼ〟は、もう終わりだ」
「おわり?」
「ああ、敵がいない」
「おにさん、バイバイしちゃった?」
つまらなさそうに意気消沈していた。
その背中を軽く叩いて、あやしてやる。
カリナにしてみれば、
駄々封じの
先手は
慣れたものであった。
親指吸いにおとなしくなったレマリアが、頭をコテンと
胸枕へ
委ねる。
それから
左程も
経たずに、幼女は
微睡みへと落ちていった。
「……よく寝るヤツだ」
軽く
呆れながらも、愛らしさに
癒される自分がいた。
身体を
揺り
篭と泳がせ、たゆとう波長を共有する。
しばらくして、
徐にリックが近付いてきた。
心無しか、その態度は怖ず怖ずとしているようにも見える。
「あのさ、カリナ?」
「何だ」
「う……ん、さっきリャムから聞いたんだけど……」
些か
訊き
辛そうに
躊躇っていた。
察したカリナは、慣れた無愛想を
装って
促す。
「どうした? 黙っていても進展はないぞ」
「うん……じゃあ、思い切って
訊くけどさ」
深い一息を吸うと、少年は迷いを
断った。
その勢いのまま、
意を
決して疑問をぶつけてみる。
「カリナって〈
吸血鬼〉なのか?」
「…………」
「…………」
「……フッ、
今更かよ」
黒外套は砕けた苦笑を
携え、その答えとした。