第19話
文字数 1,879文字
ついさっきまで腹までだったのが、もう手足の一部まで現れている。しかもすでに着物と武具を纏って。
「デフォルトで服付きだ」
健が言った。
「この分じゃ、手が現れたときは刀も持ってるかもな」
佳亜が冗談ともつかぬ口調で言った。
体積をさっきまでの二倍にも増やした将門は、半分の腕をぶんと振り上げると、三人に向かって振るった。まるでそこに手があり、刀を持っているかのように。
びゅんと風を切って、鋭い衝撃波が健たちを襲う。約三人は大体飛んだ。正確には、後方に跳躍したのが佳亜。頭を屈めて、すんでのところでかわしたのが健。驚いてよろけて、免れたのが大和。
健の額から、切られた前髪がぱらぱらと落ちる。
「ひええ……」
紙一重だ。こんなことが本当にあるんだ。
「あああっ」
叫ぶと同時に、佳亜は首に踊りかかった。
クリティカルヒット。将門の大きな顔に拳が入った。蛙がトラックに轢き潰されたような声を出して、将門の顔が歪んだ。口から鼻から汁を跳ばす。
健もすぐに続いた。木刀を高く振り上げる。木刀は将門の藪のような髪の毛に食い込み、髪の間からどろどろの液体が滲み出る。健はすぐに刀を引き抜いた。液が飛び散り、頬につく。酸のように自分を溶かしてしまうような気がして、慌ててごしごしと擦った。
咆哮が響き渡った。
おおおおおお、おおおおおおお。
まるで砲声だ。叫びが地響きを呼び、地響きが洞穴全体を揺るがす。風が吼え狂う。壁が震動し、土がぱらぱらと落ちてきた。地面が震え、体の平衡を保っていられない。
「こいつ! まだこんなに元気なのかよ!」
おおおおお、おおおおおおおおおお。
何とか体のバランスを保ちながら、雄猛る首に次を浴びせようと、健は木刀を構えた。
「待てよ、なんか聞こえないか?」
「え?」
「ほほほほほほ」
突然、高らかな女の笑い声が響いた。なぜ女の声は、他のどのような音も圧して響き渡る力をもっているのか。
健も佳亜も膝をついていた大和も、声のしたほうを振り向いた。さっき気を失ったはずの康葉が立っている。
「康葉……!」
「ほほ、ほほほほほ」
康葉は、この震動にも関わらず、小さな顔に醜悪な笑みを浮かべて平然としている。
「くそ、この揺れの中で、なんで立ってられるんだ!」
佳亜の声に、大和が答えた。
「立ってないからだよ」
「えっ⁉」
健と佳亜は同時に康葉の足下を見て、その意味がわかった。康葉の両足は、地面とわずかな隙間で別れている。浮いているのだ。
「康葉、おまえ……!」
健が妹に近づこうとしたそのとき、康葉の口から、それまでの女の高笑いとはうって変わった男のような声が洩れた。
「おまえたちの負けじゃ」
その声が合図だったかのように、すべての音がぴたりと止んだ。耳を聾(ろう)するように響いていた将門の叫びも、空間全体を揺るがすような地響きも、吹き荒れる風の凄まじい鳴りも、すべて消えた。
「間」は突如、静止に支配された。健たちは金縛りにあったように動けない。その中で、康葉のか細い腕がすうっと上がり、将門を指した。その動きに導かれるように、健は康葉の指の先を見た。そして愕然(がくぜん)とした。
風が凪ぎ、揺れが静まり、すべてのものが時間を止めたような中、首のそばには早苗がいた。
早苗は、康葉と同じように宙に浮いている。ただし康葉よりずっと高く。首の上、まるで将門を見下ろしているかのように、厳然と。
青黒くこけた頬に酷薄な笑みを浮かべ、長い黒髪は千々に乱れて、顔や胸に乱雑に降りかかっている。服は白装束に赤袴。手には、葉の繁る木の枝を一振り。
巫女だった。康葉が薙刀を振るう将門の娘であるなら、早苗は、目に狂気の光を宿した鬼女の巫女だ。
巫女はゆっくりと、枝を将門に向かって下げた。早苗の腕が将門の首を指し、そこでぴたりと動きを止める。首と枝と女が一直線で結ばれた。早苗の口が、ゆっくりと動いた。
「たいらの……まさかど……」
しゃがれた声だった。
「我こそ……八幡(はちまん)、大菩薩の……命により……遣わされしもの……」
ぐぐぐっという声を、聞いたような気がした。
「八幡様……八万の軍を…」
「はちまんが、はちまんって何だっ……饅頭かっ……」
佳亜の声だ。このバインドの中で声を発するのは、相当の激痛に耐えているのだろう。
「違うよ……後の八は、意味ないよっ……。とにかく、大軍ってことだろ…………それか、もしかして、坂東八国……」
大和の声が続いた。
だがそんな声などまるで聞こえていないかのように、巫女の早苗が続けた。
「八万の、軍を起こして……帝位を授ける」
《新皇》
「デフォルトで服付きだ」
健が言った。
「この分じゃ、手が現れたときは刀も持ってるかもな」
佳亜が冗談ともつかぬ口調で言った。
体積をさっきまでの二倍にも増やした将門は、半分の腕をぶんと振り上げると、三人に向かって振るった。まるでそこに手があり、刀を持っているかのように。
びゅんと風を切って、鋭い衝撃波が健たちを襲う。約三人は大体飛んだ。正確には、後方に跳躍したのが佳亜。頭を屈めて、すんでのところでかわしたのが健。驚いてよろけて、免れたのが大和。
健の額から、切られた前髪がぱらぱらと落ちる。
「ひええ……」
紙一重だ。こんなことが本当にあるんだ。
「あああっ」
叫ぶと同時に、佳亜は首に踊りかかった。
クリティカルヒット。将門の大きな顔に拳が入った。蛙がトラックに轢き潰されたような声を出して、将門の顔が歪んだ。口から鼻から汁を跳ばす。
健もすぐに続いた。木刀を高く振り上げる。木刀は将門の藪のような髪の毛に食い込み、髪の間からどろどろの液体が滲み出る。健はすぐに刀を引き抜いた。液が飛び散り、頬につく。酸のように自分を溶かしてしまうような気がして、慌ててごしごしと擦った。
咆哮が響き渡った。
おおおおおお、おおおおおおお。
まるで砲声だ。叫びが地響きを呼び、地響きが洞穴全体を揺るがす。風が吼え狂う。壁が震動し、土がぱらぱらと落ちてきた。地面が震え、体の平衡を保っていられない。
「こいつ! まだこんなに元気なのかよ!」
おおおおお、おおおおおおおおおお。
何とか体のバランスを保ちながら、雄猛る首に次を浴びせようと、健は木刀を構えた。
「待てよ、なんか聞こえないか?」
「え?」
「ほほほほほほ」
突然、高らかな女の笑い声が響いた。なぜ女の声は、他のどのような音も圧して響き渡る力をもっているのか。
健も佳亜も膝をついていた大和も、声のしたほうを振り向いた。さっき気を失ったはずの康葉が立っている。
「康葉……!」
「ほほ、ほほほほほ」
康葉は、この震動にも関わらず、小さな顔に醜悪な笑みを浮かべて平然としている。
「くそ、この揺れの中で、なんで立ってられるんだ!」
佳亜の声に、大和が答えた。
「立ってないからだよ」
「えっ⁉」
健と佳亜は同時に康葉の足下を見て、その意味がわかった。康葉の両足は、地面とわずかな隙間で別れている。浮いているのだ。
「康葉、おまえ……!」
健が妹に近づこうとしたそのとき、康葉の口から、それまでの女の高笑いとはうって変わった男のような声が洩れた。
「おまえたちの負けじゃ」
その声が合図だったかのように、すべての音がぴたりと止んだ。耳を聾(ろう)するように響いていた将門の叫びも、空間全体を揺るがすような地響きも、吹き荒れる風の凄まじい鳴りも、すべて消えた。
「間」は突如、静止に支配された。健たちは金縛りにあったように動けない。その中で、康葉のか細い腕がすうっと上がり、将門を指した。その動きに導かれるように、健は康葉の指の先を見た。そして愕然(がくぜん)とした。
風が凪ぎ、揺れが静まり、すべてのものが時間を止めたような中、首のそばには早苗がいた。
早苗は、康葉と同じように宙に浮いている。ただし康葉よりずっと高く。首の上、まるで将門を見下ろしているかのように、厳然と。
青黒くこけた頬に酷薄な笑みを浮かべ、長い黒髪は千々に乱れて、顔や胸に乱雑に降りかかっている。服は白装束に赤袴。手には、葉の繁る木の枝を一振り。
巫女だった。康葉が薙刀を振るう将門の娘であるなら、早苗は、目に狂気の光を宿した鬼女の巫女だ。
巫女はゆっくりと、枝を将門に向かって下げた。早苗の腕が将門の首を指し、そこでぴたりと動きを止める。首と枝と女が一直線で結ばれた。早苗の口が、ゆっくりと動いた。
「たいらの……まさかど……」
しゃがれた声だった。
「我こそ……八幡(はちまん)、大菩薩の……命により……遣わされしもの……」
ぐぐぐっという声を、聞いたような気がした。
「八幡様……八万の軍を…」
「はちまんが、はちまんって何だっ……饅頭かっ……」
佳亜の声だ。このバインドの中で声を発するのは、相当の激痛に耐えているのだろう。
「違うよ……後の八は、意味ないよっ……。とにかく、大軍ってことだろ…………それか、もしかして、坂東八国……」
大和の声が続いた。
だがそんな声などまるで聞こえていないかのように、巫女の早苗が続けた。
「八万の、軍を起こして……帝位を授ける」
《新皇》