第5話
文字数 1,680文字
二人の視線が届かないところまでくると、ようやく息をつくことができた。振り向く勇気はなかった。
一念発起した。あそこに行ってみよう。あそこに、あの小山に。
あれは尋常じゃない。あの二人の痩せ方は。表情、仕草、雰囲気、健を見上げる目は。
MASAくんとは何なのか、康葉と佳苗があそこで何をしているのか、突き止めよう。
翌日。健は部活を休み、例の小山への道を歩いていた。
陽はまだ高く、すっきり晴れている。周りには、畑が広がっている7。首を巡らすと、遥か空の下には、遠く霞んだ山々の影が見える。
山はそこにあった。幼い頃の記憶のままに、黒々とした威容を見せて健の前に聳(そび)えていた。
ごくり、と音を立てて唾を飲み込んだ。その音がやけにはっきり聞こえて、思わず辺りを見回した。
誰かがいるような気がしたのだ。でも誰もいない。
木々が両側から梢を差し伸べ、入り口を作っている。意を決して、健は足を踏み出した。
道は薄暗く、視界が慣れるまでに時間がかかった。外から見た以上に、中は光が入ってこないのだ。緩やかな上りとなっている道は、ときどき木の根がぼこんと突き出ていて、気をつけないと足を取られる。頭上では、幾重にも覆っている枝葉が、下を行くものから光を奪ってしまう。
ホウ、ホウ。チィーチチチチ。どこからか、何かの声が聞こえてくる。
健は肩に食い込むカバンの太い紐を、しっかりと手で抑えた。その重みに頼るように。
すでに中に入って二十分は経っているように感じたが、今だそれらしいものは見当たらなかった。もっとも、それらしいものといっても、それが何なのかはわからないのだが。
道なりに、奥へ奥へと進んでいく。周囲はどんどん鬱蒼としてきて、道の両側がせり上がるようになっていく。そこを歩いていると、まるで自分が山の割れ目に落ちてしまったかのような気分になる。
山の秘密を覗いてしまったみたいで、いよいよ本気で引き返したくなる頃、それは姿を現す。
それは大きな横穴だった。土壁に突然現れ、高さは大人の背よりやや高いくらい、幅は学校の廊下ほどだろうか。人が何人か入っていける大きさだ。穴を覗き込んでも、暗い。この穴があるゆえに、この山は特別なのだった。
何の穴なのかについて、子どもたちの間でいろいろな憶測がとんだ。ただの抜け道だとか、実はこの奥は別世界に通じているとか。やがて「これは戦争中に掘られた防空壕だ」という説が有力になった。健も、きっとそれが正解だろうと思った。けれどそう思っても、この穴に近づく気にはなれなかった。
その前に立った。心臓が早鐘を打っている。いつの間にか生き物たちの声は消え、聞こえるのは自分の息と、胸の中でダクダクいっている心臓の音だけになった。
健は穴の奥を見つめた。暗い。全身全霊を鼓舞し、その中へ足を踏み入れた。
闇だった。右も左も上も下も前も後も、どっちを向いても闇が広がっている。
「懐中電灯、持ってくればよかった……」
闇の中をどのくらい歩いたか。時計がないのでわからないが、あの横穴をずっと歩いているのなら、もう小山を突き出てしまっているのではないだろうか。それくらいの距離は歩いているはず。なのに、出口はちっとも見えてこない。
自分は、一体どこを歩いているんだろう。
天井から冷たいものが落ちてきて、背中を滑り落ちていった気がした。
「引き返そうかな……」
健は後ろを振り向いた。たった今自分が歩いてきたばかりのところが、もう闇に呑まれていて見えない。
「見るんじゃなかった……」
どうやら、何かを見つけるまでは、帰れないことになっているらしい。
ゴウウウウという、風の唸りとも何かの息遣いともわからない低い音が、行く手から聞こえた。ぞくりとした。それは禍々しかった。
「えーいっ」
音の瘴気を振り払うように、頭をブンブン振った。何かが聞こえるということは、何かがあるということだ。
目標ができたのを無理やり喜んで、足を進めた。前方の闇の中にぼんやりとした光が見えた。音はそこから聞こえる。足を速めた。光はだんだん大きくなっていく。
一念発起した。あそこに行ってみよう。あそこに、あの小山に。
あれは尋常じゃない。あの二人の痩せ方は。表情、仕草、雰囲気、健を見上げる目は。
MASAくんとは何なのか、康葉と佳苗があそこで何をしているのか、突き止めよう。
翌日。健は部活を休み、例の小山への道を歩いていた。
陽はまだ高く、すっきり晴れている。周りには、畑が広がっている7。首を巡らすと、遥か空の下には、遠く霞んだ山々の影が見える。
山はそこにあった。幼い頃の記憶のままに、黒々とした威容を見せて健の前に聳(そび)えていた。
ごくり、と音を立てて唾を飲み込んだ。その音がやけにはっきり聞こえて、思わず辺りを見回した。
誰かがいるような気がしたのだ。でも誰もいない。
木々が両側から梢を差し伸べ、入り口を作っている。意を決して、健は足を踏み出した。
道は薄暗く、視界が慣れるまでに時間がかかった。外から見た以上に、中は光が入ってこないのだ。緩やかな上りとなっている道は、ときどき木の根がぼこんと突き出ていて、気をつけないと足を取られる。頭上では、幾重にも覆っている枝葉が、下を行くものから光を奪ってしまう。
ホウ、ホウ。チィーチチチチ。どこからか、何かの声が聞こえてくる。
健は肩に食い込むカバンの太い紐を、しっかりと手で抑えた。その重みに頼るように。
すでに中に入って二十分は経っているように感じたが、今だそれらしいものは見当たらなかった。もっとも、それらしいものといっても、それが何なのかはわからないのだが。
道なりに、奥へ奥へと進んでいく。周囲はどんどん鬱蒼としてきて、道の両側がせり上がるようになっていく。そこを歩いていると、まるで自分が山の割れ目に落ちてしまったかのような気分になる。
山の秘密を覗いてしまったみたいで、いよいよ本気で引き返したくなる頃、それは姿を現す。
それは大きな横穴だった。土壁に突然現れ、高さは大人の背よりやや高いくらい、幅は学校の廊下ほどだろうか。人が何人か入っていける大きさだ。穴を覗き込んでも、暗い。この穴があるゆえに、この山は特別なのだった。
何の穴なのかについて、子どもたちの間でいろいろな憶測がとんだ。ただの抜け道だとか、実はこの奥は別世界に通じているとか。やがて「これは戦争中に掘られた防空壕だ」という説が有力になった。健も、きっとそれが正解だろうと思った。けれどそう思っても、この穴に近づく気にはなれなかった。
その前に立った。心臓が早鐘を打っている。いつの間にか生き物たちの声は消え、聞こえるのは自分の息と、胸の中でダクダクいっている心臓の音だけになった。
健は穴の奥を見つめた。暗い。全身全霊を鼓舞し、その中へ足を踏み入れた。
闇だった。右も左も上も下も前も後も、どっちを向いても闇が広がっている。
「懐中電灯、持ってくればよかった……」
闇の中をどのくらい歩いたか。時計がないのでわからないが、あの横穴をずっと歩いているのなら、もう小山を突き出てしまっているのではないだろうか。それくらいの距離は歩いているはず。なのに、出口はちっとも見えてこない。
自分は、一体どこを歩いているんだろう。
天井から冷たいものが落ちてきて、背中を滑り落ちていった気がした。
「引き返そうかな……」
健は後ろを振り向いた。たった今自分が歩いてきたばかりのところが、もう闇に呑まれていて見えない。
「見るんじゃなかった……」
どうやら、何かを見つけるまでは、帰れないことになっているらしい。
ゴウウウウという、風の唸りとも何かの息遣いともわからない低い音が、行く手から聞こえた。ぞくりとした。それは禍々しかった。
「えーいっ」
音の瘴気を振り払うように、頭をブンブン振った。何かが聞こえるということは、何かがあるということだ。
目標ができたのを無理やり喜んで、足を進めた。前方の闇の中にぼんやりとした光が見えた。音はそこから聞こえる。足を速めた。光はだんだん大きくなっていく。