第4話

文字数 1,900文字

 何もおかしな様子はない。なのに、痩せていっている。ただ痩せていくというだけなら、まだいい。だけど、痩せるというより「やつれていく」ように、健には思えるのだ。頬が落ち込み、顔色が悪い。親といるときは、笑顔と元気なおしゃべりでごまかしているけど。
 やっぱりおかしい。たまらず、健はまた問い正した。
「おまえ、やっぱ犬飼ってんだろ、こっそり」
飼ってないよ! と、少し怒ったような声で言い返してくる。という健の予想に反して、康葉は黙ったままだった。ますます不安が募った。
「犬じゃなきゃ、猫?」
「猫じゃない……」
「どっちだって、そのままにはできないだろ。犬じゃなくて猫じゃなくて何だか知らないけど、生き物なんだろ? それで、成長してきてるんだろ?」
「……あ、宿題、まだやってなかった」
とわざとらしい口調で言うと、康葉は体を翻して行ってしまった。

 結局よくわからなかった。だけど、ちゃんと話ができたことにほっとした。
それにしても、犬でも猫でもないその生き物って何だろう。康葉はMASAくんと呼んでいた。MASAくんの食べ物は、康葉と友達の二人で、一体どうやって賄っているんだろう。
 健は、足を組んで机の上に投げ出した。その角度に合わせて椅子を斜めに傾ける。椅子の一本足を軸にして、上半身と下半身でVの字を作り、ゆらゆら揺らしてバランスを取る。この姿勢は落ち着いた。
 机の上には白紙のプリントが置いてある。社会の宿題で、「街の郷土史に関するもの」というテーマでレポートを出さなければいけないのだが、やる気が起きない。
「面倒くさいもの、気軽に出してくれるよ……」 
 I市の歴史は古い。広がる湿地と豊かな地味とで、遥か昔の時代から、近隣の中心として栄えてきた土地だった。歴史の教科書に載っているような有名人も輩出していて、町のいたるところに、神社や寺やよくわからない史跡がある。だから探せば、「郷土史に関するもの」なんてすぐに見つかる。なのでぎりぎりにやればいいやと思い、レポート用紙は美しいままなのだった。
 頭の中は、すぐに康葉に向いた。
 第一、お金だ。餌代をどうしているんだろう。
『美味しい』
 そう言っていた。何か引っかかる。何を「美味しい」と言っているのだろう。
『大きくなっている』
 美味しいものを食べて、MASAくんは大きくなっている。胸の中がざわざわする。
「あの痩せ方は、普通じゃない」健は呟いた。
 そう。犬だか何だかを飼って、どうしてあんな風に痩せていくのか。自分の食事を分けている様子はない。
 足元から寒気が立ち昇ってきた。何を怖がっているんだろう、自分は。

 自分の部屋に戻って後ろ手にドアを閉めると、ようやく表情を崩すことができた。兄の前では見せられない笑いが込み上げてくる。
 くっくっくっ。
 康葉は声を押し殺して笑った。しゃがれた声だった。

 もっと喰いたい。もっと、もっと。
 それらは、彼の欲するままに、彼の飢えを満たすものを持ってきてくれた。彼はそれを喰った。喰うのは素晴らしいことだった。喰うほどに、彼は自分が〝強く〟〝大きく〟なるのを感じた。 
 きっかけは、それらが、彼の要求を満たすほど喰うものを持ってこなかったことだった。彼は腹を立てた。怒り、暴れた。あんまりお腹が空いたので、それら自身に喰らいついてしまった。するとそれらの体は、それらが今まで持ってきたどんな喰いものよりも、美味かった。 
 もっと喰いたい。もっと、もっと。

 たったの数日で、陽は一段と長くなった。健が部活を終えて帰る頃でも、まだ辺りは明るい。
 健はまた二人を見かけた。今日は、MASAくんのところへ行ってきた帰りなのか、いつもとは反対に向こうから歩いてきた。
 康葉のほうも健に気づいたようで、手を振る。健もを上げて応じた。だが二人が近づくにつれ、健はぎょっとした。
 康葉の隣にいる佳苗が、ひどく痩せている。康葉よりずっとひどい。普通の小学生に考えられる痩せ方ではなかった。頬がこけ、頬骨がくっきりと出ている。大きな目は落ち窪み、周りが黒ずんでいる。唇は青紫で、変に歪んで見えた。
 生気……そう、生気がない。 
「こんにちは」と、佳苗が言った。
「あ、こ、こんにちは……」
 健は気圧(けお)されていた。小学生の女の子に見つめられ、びくびくしている。部活と湿気でかいた汗が冷えていく。
 健は、「じゃ、……あんま遅くなんないようにな」と言うと、二人に背を向けた。駆け出しそうになる足を押さえて、わざとゆっくり歩いた。
 歩いている間中、二人の視線が背中に注がれているのを感じた。緊張して背筋が伸びる。駆け出したらだめだ、と思った。
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