第7話

文字数 2,253文字

 給食が食べ終わるのも待ち遠しく、健は隣のクラスに急いだ。目当ての人間は、教室の一番後ろで本を読んでいた。クラスの子に頼んで呼んでもらうと、大和田は、健の姿を認めて怪訝な表情(かお)をした。当然かもしれない。
 健と大和田は、一年のときに同じクラスだった。だけどほとんど口を利いたことはなかった。仲が悪いわけではなく、接点がないのだ。サッカー部という、自分で言うのも何だが運動部の花形に属している健に対し、大和田は、文芸部という何をやっているのかよくわからない文化部にいた。共通の趣味があるわけでもなく、学校の外で一緒に遊ぶ機会もなかった。
 だが大和田には、大和田大和(おおわだやまと)という個性的な名前以外に、強力な特徴があった。歴史に詳しいのだ。

 あの首には見覚えがある、と健は思った。
 鳥の巣みたいなぼさぼさの髪、わさわさ生えている髭とゲジゲジみたいな眉毛。赤黒くて汚い、大きな顔。顔面から発せられる異様なパワー。
 あの首には見覚えがある。いや、見覚えがあるどころの騒ぎじゃない。この、健の生まれ育った北関東の片田舎。この地のただ一つと言っていい特産品が、歴史なのだった。
 この町は、ある歴史上の有名人の、本拠地だった場所なのだ。関東平野の広大な沃野を舞台に、一千年もの昔に活躍した、偉大な坂東武者。すなわち「平将門(たいらのまさかど)」。
 康葉が言っていたMASAくんというのは、将門のMASAだ。
 見たときはあんまり驚いてわからなかったけれど、後でぴんときた。が、それだけだった。慌てて教科書を繰ってみたが、わかったのは、
・平安時代に、京都の有力貴族たちが政治を疎(おろそ)かにしたので、関東の荒くれものたちを率いて反抗した、らしい
・一時は関東一帯を支配するほどの勢いがあり、自ら「新皇」とまで名乗ったが、結局貴族たちに征伐された、らしい

 だけだった。使えない! と自分でも思った。そうして思い出したのが大和田というわけだった。
 何か、役に立つことを教えてくれるかもしれない。何かって何なのか、よくわかんないけど。
「何か用?」
 訝(いぶか)しげな顔をしながら大和田が来た。大きな眼鏡と、それがずり落ちないよう何度も指で押し上げている仕草が面白い。
「実は……」

「じゃあ首は、東京の大手町にあるわけ?」
「そう。こっちで討ち取られた将門の首が、京都に運ばれて晒し首にされた。でも執念深い首は、胴体を求めて京都から飛んでくるんだ。だけど力尽きて、途中の静岡の辺りで落ちてしまった。一方胴体のほうも首と呼応して起き上がり、西の京都に向かったんだけど、武蔵国(むさしのくに)、つまり今の東京で力尽きて倒れてしまった。祟りを恐れた人々によって首は静岡から運ばれ、胴体と一緒に大手町に埋められた。それが今の将門公の首塚ってわけ」
「なんかすごい……」
「大手町の首塚は、戦前には関東大震災で倒れたり、戦後には、GHQが取り壊そうとしたときに関係者が死んだりっていう恐ろしいことが起こって。結局今にいたるまで、大切に祭られているんだよ」
「うわ……」
「でもね」
 大和田は眼鏡を指で押し上げ、唇を軽く舐めた。何だか嬉しそうだ。
「首や胴が埋まっていると伝えられるのは、実は大手町だけじゃないんだ。他にも、将門の胴や腹や手を祭っている神社もあるし、首は、実は西から東に飛んだんじゃなく、東から西に飛んだというまったく逆の説もある。最もこっちは信憑性が薄いと、僕は思っているけど。体の一部じゃなくって、兜やら、霊そのものを祭っているところもあるんだよ」
「……ばらばらだ」
 歴史に名を残す偉人ともなると、死後に体がばらばらにされなければいけないのか。自分だったらいやだ。
「そうだね。まあ、だから結局、本当のところはよくわかんないんだよ」
「首も、大手町にあるとは限らない…?」
 昼休みを潰して二人は話していた。二人のいるグラウンドの隅からは、ボールや追いかけっこをして遊んでいる子たちの姿が見える。
「だね。大手町が一番有名ではあるけどね。だけど首が東京にあったとしたって、将門が一番執念を残しているのは、多分」
 大和田は、そこで一旦言葉を切った。思わせぶりに健を見る。
「ここ……?」
 大和田がこくんと頷いた。二人の周りだけ、急に気温が下がったような気がした。グラウンドで騒いでいる声が、すっと後ろに引いていく。
 と、突然大和田が笑い出した。
「あははは。何、本気でびびってるの」
 けれど、健は一緒に笑うことはできなかった。
「大和田! いや、大和!」
「な、何⁉」
「今日の放課後、ヒマだよな⁉」

 首はいた。昨日と同じように、浮かんでいた。ぽっかりと。
暗闇の洞穴を進んだ奥深く、現実から隔絶されたような異世界、そこに突如現れるドーム。
 その中央にそれは座していた。見えない臣下にかしずかれ、見えない玉座に鎮座しているかのように。昨日、健の前で開きかけた瞼は、再び真一文字に結ばれていた。
 隣で息を呑む気配がした。
「平将門……?」
「多分」
「作り物……じゃ、ないよね」
「多分」
 大和田は大胆にも一歩踏み出した。宙に浮かぶ首に向かって手を伸ばす。
 すると、瞼がゆっくり開き始めた。その奥に、奇妙に紫がかった光が見える。
「うわあああああっ」
「わっわあああああああ」
 二人は期せずして合唱すると、そのまま百八十度回れ右をした。それから脱兎のごとく走り出した。ゆっくり慎重に進んできた暗闇の中を、無我夢中で逆走する。
「生きてる! あの首、生きてるよっ‼」
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