第3話 旅立ちの朝
文字数 3,718文字
クパ族の朝は早かった。
彼らは、陽が昇る前に集落の中にある水辺から水の中に入り、その水の中で育てられている植物や生物の手入れをする。
そして、そこで必要な分の収穫と、狩りを済ませると陸に戻り、その収穫物を大きな貝殻を組み合わせて造られた祭壇の上にあげ、水辺でいくつかの儀式を執り行い、陽が昇り辺りが明るくなる頃になると、陸の上で活動を始め、水の中で使う道具を整備し、木々になる果物を取って食べたり、家族の世話をしたりしながら、眠るまでの間を陸の上で過ごす。
クパ族は、そんな水の中と陸の上を生活の場としている珍しい種族で、その森の中では、集落の子供たちの声が響き渡り、空や木や木陰から生物達の鳴き声が軽やかに奏でられている、平和で豊かな世界で満ちていた。
そんな平和な集落に陽が差し込んできた頃、森の奥にある木々に囲まれた、クパ族もいない静かな水辺で水が軽やかに跳ねる音が聞こえてきた。
バァァァ…
水面に打ち上げられた水滴で周囲がキラキラと輝き、
その輝きの中から、
優雅に踊りながら美しい女性が水面に現れ、
彼女は時折、微笑みを浮かべ、その水辺を楽しんでいる様だった。
ウフフ…
その女性は一時、水の中で踊り終えると、木陰に移動し、質素であったが美しく整えられた服をその身に纏い、身なりを整え終えると、その水辺を離れ、少し離れた大きな木々が生い茂る方へ向かって歩き始めた。
そして、巨樹の根元にある空間に、石で積み上げられた祠のような建屋の前に辿り着くと、その中に入って行った。
「カフラ様」
「もう、陽が昇りましたよ」
「おはよう、ネフティス」
「うん、今日も綺麗だ」
カフラがネフティスをみつめる
「昨夜はよく眠れたかい」
ネフティスが祠に入ると、カフラはすでに身なりを整え終え、簡素な椅子に座り、運んできた机の上で生物の革に書き物をしていた。
「何を書いているのですか」
「クパ族の生活を書いてるのさ、彼らは僕らと違い水と陸、両方で生活している、おもしろいよね」
「彼らの知識は、僕らの生活にも役に立つ事が多い、今後の為の記録さ」
カフラは実に生真面目であった、旅の道中に起きた事や、出会った種族、新しく発見した生物など、ありとあらゆる事を記録し、執筆用の机や道具、それらを保管する専用の荷台も用意している程である。
「さて、美しい女性の誘いだ」
「食事を済ませたら出発しよう、目的の大陸に」
カフラは仕度を終えると、森の中心にあるクパ族の祭壇へ向かい、クパ族と同じ朝の祭事を執り行うと、そばにいた若いクパ族に案内され、祭壇の前に置かれた、大木を加工した大きな食卓へと移動し、木の幹で出来た椅子に腰を下ろした。食卓にはカフラが見た事も無い食材が並べられ、カルーンでは貴重だった海の幸や、森から収穫した、様々な食材が食卓を彩っていた。
カフラとネフティスはそれら珍しい食材を興味深げに眺め、顔を見合わせながら話をしていると、クパ族の長であるヌークがカフラ達に声を掛けてきた。
「どれも美味しいですよ。どうぞお召し上がりください」
その言葉を聞いたカフラとネフティスは、ヌークの顔を見ると、目の前にある小さな魚料理を取り、恐る恐る口にした。
「おいしい!」
二人が食した魚は、カルーン族が食べても大丈夫なように火を通してあり、簡単な調理が施されていた。
「フォッ、フォ、フォ、フォ、フォ」
「お気に召されましたか」
「はい、親愛なるクパ族の長、ヌーク」
「どれも、美味しく、はじめて出会う食材や味ばかりです」
「海は、私達を育む母であり、教えを伝える父でもあります」
「その恵みに感謝し、必要な分を彼らから分けて頂き、とくに手を加えたりせず、彼らのありのままを頂く事としております」
「なるほど、なんと崇高で畏敬のある考え方でしょう」
「生と死、彼らは
「我がカルーンでは、死は終わりではなく、生の始まりなのだと考えられています」
「彼らの生が、私を介し、いつしかまた生を受け、この世に生まれいづる事でしょう」
「カフラ様は敬虔なお方だ」
「生命の死までをも、その胸に収めておられる」
「私がその時を迎える時は、カフラ様の所に伺うとしましょう」
「ヌーク様、それは相当先の話ですね」
「フォ、フォ、フォ、フォ」
「そうですな」
「ところで、ヌーク様、我々がこれより向かう大陸について伺いたいのですが」
「ラーム族が住む大陸の事ですね、私共は彼の地をエーレと呼び、”見えない何か”が住む地と考えております」
「見えない何か」
「はい、エーレにはラーム族の他に数種類の種族が暮らしておりますが、そのどの種族でも近付けない地があるそうで、そこは見えない何者かに守られ、その地に辿り着くことは出来ないそうです」
カフラは静かにヌークの言葉に耳を傾ける。
「唯一、その地に辿り着けるのが、ラーム族の中でもごく一部」
「エーレに許された一族のみだそうです」
「なんと奇妙な…」
「えぇ、その昔、私共の仲間と共にカルーンの皆様とエーレに向かった事がありました」
「ゲブとヌトですね」
「おぉ、そうです、ゲブ様とヌト様です、カフラ様と同様に伝説の祠をお探しにこちらに来られ、私共の仲間と共にエーレへ向かいました」
「ですが…」
「発見できなかった」
「はい、その地に辿り着ける一族にも合う事は叶わず、様々な場所を調べたそうですが」
「それが現れる事は無かったそうです」
「そうですか…」
「では、ヌーク様、この石の事はご存知でしょうか」
カフラは小さな袋から浮遊鉱石を取り出し、ヌークに見せた。
「おぉぉぉ…」
「なんと神々しい」
ヌークは目を見開き、浮遊鉱石を見つめ、
「蒼き光をその胸に抱き、我を導く」
「エーレの伝説で語られていた言い伝えで、その祠の祭壇に祭られているメジェド像には、蒼く輝く鉱石がその胸の中に飾られていたそうです」
「やはり、この鉱石が何か関係していそうですね」
「そうかもしれませんね」
「今回は、前回同行したマトケリス達を随伴させます、ラーム族とも親交があり、お役に立てるでしょう」
「ありがとうございます」
カフラとヌークは朝の食事を済ませると、旅の支度を始め、
「波が穏やかなうちに、エーレに向かいましょう」
ヌークはそう言うと、水辺に太い木材で堅牢に出来た少し大きめの舟を数隻用意していた。
「素晴らしい舟ですね、カルーンの舟とは違い、とても丈夫そうだ」
「はい、普段、私共は使う事は無いのですが、カフラ様がお越し頂くことを事前に聞いておりましたので、東の辺境の民に造って頂きました」
「ほう、その民はここに居るのですか」
「残念ですが、随分前に大切な戦があると、元の地に戻られました」
「そうですか、このような素晴らしい技術を持つ民の話を聞いてみたかったのですが、仕方ありませんね」
「その民はどの様な種族なのですか」
「はい、ヤァー族と言います」
「彼らは、森の住人で、水辺の民でもあります」
「東の辺境にある大陸で暮らし、とても平和な種族なのですが、炎を操る種族にその地を追われ、その地を取り戻すべく、戦に戻ったそうです」
「東の辺境か… ムメンが向かった大陸と同じかもしれないな…」
「おぉ、そうですか、私共も彼らの事が気になっておりましたので、屈強なカルーンの民が向かわれていると思うと、安心できます」
カフラは少しの間、何かを考え、
「モントゥ」
そばにいたモントゥを呼び、
「モントゥ、すまない、数名の兵を東の辺境にある大陸に向かわせる事はできるか」
「どのような目的で」
「ムメンの状況が知りたい、常に連絡が取れるよう、整えてくれないか」
「承知しました、二名をムメン様の下へ向かわせます、ですが未知の領域を進む事となりますので、少し時間を要するかと」
それを聞いていたヌークが、カフラに話し掛けた。
「それであれば、私共の若い戦士をお供させましょう、時折かの地まで伺う事がありますので、行程は熟知しております」
「それは頼もしい、お願いできますか、ヌーク様」
「はい喜んで」
モントゥもそれを聞き、納得したようで、モントゥは彼が一番に信頼を置くホルフレーを呼び、その任に当たらせた。
ホルフレーは、クパ族の戦士、スフィラとナマルと共に東の辺境に向かう準備を始め、用意が整うとカフラとモントゥ、ヌークに挨拶し、東の辺境の大陸に向け歩き出して行った。
ヌークは心配そうに見つめるモントゥを見ると、
「大丈夫ですよ、彼の地までは点在する陸地を進む事になりますが、途中に翼竜を操る種族が暮らす村があり、彼らの助けを得て、無事にたどり着く事が出来るでしょう」
「ありがとうございます、ヌーク様」
モントゥはヌークの方を向き、深々とその頭を下げた。
「さぁ!出発だ!」
カフラが兵達に声を掛け、
「ヌーク様、ありがとうございました」
「目的を果たし、マトケリス様と共に、無事にヌーク様のもとへ戻ってまいります」
「それまでの間、しばしのお別れです」
カフラはヌークと固く握手をし、軽く肩を抱き終えると水辺に停留している舟に乗り込み、クパ族の村を後にした。
「お気を付けて、カフラ様!」
「ヌーク様!」
「また会いましょう!」
ザァァァ…