第1話 旅立ち
文字数 3,536文字
「カフラ、旅の土産だ」
カフラの父と母であるゲブとヌトは、長い旅からカルーンの都に戻り、カフラにその土産として、旅の行商人から手に入れた古い人形を渡した。
「珍しい人形だね」
「骨董品らしいぞ、この辺りじゃ見た事も無い」
カフラは嬉しそうにその鉛色に光る人形を抱え、無邪気に遊びだした。
∫
あれから数え切れない程の陽が昇り、陰りを繰り返し、いつしか立派な大人へと成長したカフラは、カルーン族の中で新しい世代を担う王として期待され、その存在はニーヴァを支える程に大きくなっていた。
ある時、弟であるムメンが東の辺境へ遠征に向かった時の事である。
母であるヌトがカフラに夜の祭事へ参列するよう言葉を掛け、カフラはその母の言葉に従い、その日に執り行われる夜の祭事に参加する事になった。
陽が沈み、カルーンの都が漆黒の闇に覆われるとカフラは身なりを整え、祭事を執り行う術者達が集まる祠に姿を現し、少し肌寒い冷気に満ちた空気をその身に感じながら、静寂に支配された闇を見つめていた。
そのカフラが見つめる静寂に支配された漆黒の闇の先には、浮遊する大地へと向かうように灯された篝火が参道を照らし、冥界に渡された橋のように、
一本の光の線を漆黒の闇の中に描いていた。
カフラは静かに冷気を吸い込むと小さく息を吐き、祭事の杖をその身の横に立て、ゆっくりと夜の祭事を司る、トキの面を被るジェフティの後ろに歩み寄り、幾人かの術者も同じくジェフティの後ろに立ち終えると、ジェフティはそれを確認し、その集団は足元に灯された篝火を頼りに祭事が執り行われる浮遊する大地の方へと歩み出した。
ゆらゆらと照らされる漆黒の闇に灯された一本の光の線は、浮遊する大地との距離が近付くにつれて、その光の明るさを増しながら徐々に幅を広げてゆき、気が付くとその先に見える浮遊する大地の煌めきが、闇からの出口を示しているかのように周囲を明るく照らし出してゆき、漆黒の闇に煌々と輝く浮遊する大地へと辿り着くと、その周囲は日中のような明るさで覆われていた。
カフラは、煌々と輝く浮遊する大地の下で執り行われる、蒼白き稲妻による、荘厳な光の祭事を目の当たりにすると、その幻想的な光景に魅了され、浮遊する大地から暗黒の空へと放たれる光の柱に、
カフラの心は奪われていった。
それ以降カフラは、夜の祭事を行う際には自分も参加する意思をジェフティに申し入れ、術者として夜の祭事に参列するようになり、その献身的な姿勢を認められたカフラは、ジェフティからの信頼を得て、時折ジェフティの手伝いをする様になっていった。
「夜を守りしジェフティ、今宵も良き祭事でした」
「カフラ様。この度も無事に祭事を終える事が出来ました」
「これも、カフラ様の敬虔なる行いによる賜物でございます」
カフラはジェフティのその言葉を聞くと深く頭を下げ、
「大いなる意思の御加護があらんことを」
祭事の祝福を祈った。
その祈りを終えると、ゆっくりと顔を上げ、右の手をジェフティの前に差し出し、
「これは使い終えた鉱石の欠片です」
「ジェフティ様、お返しします」
小さな浮遊鉱石を手のひらに乗せ、ジェフティに見せた。
「フォッ、フォッ、フォッ、フォッ」
「カフラ様は、何と敬虔なお人だ」
「その大きさではもう祭事で使う事はできません、どうぞお持ち下さい」
ジェフティはそう言うと、その差し出されたカフラの手を閉じ、ゆっくりお辞儀をすると闇に消えて行った。
カフラは、ジェフティを見送ると、その小さな浮遊鉱石の欠片を腰に掛けた小さな袋に入れ、大切に家へと持ち帰り、石造りの建屋に入ると、直ぐに部屋の奥に祭られている小さな祭壇へと向かってゆく。
そして祭壇の上に浮遊鉱石の欠片を静かに置くと、その前で跪き祈りを捧げた。
祈りを終えたカフラは、浮遊鉱石の欠片を見つめながら、ゆっくりと立ち上がろうと床に少し力を入れた時、
ギッ…
コロッ…
「あっ」
カフラが立ち上がった振動で、小さな浮遊鉱石は置かれた祭壇から転がり落ち、
コロ コロ コロ コロ コロ…
コン
コン
コォ…ォォォ ン… コロコロコロコロ…
そのそばに置いてあった、子供の頃にもらった人形の懐の方へ落ちて行った。
…何処へ落ちてしまったんだ
浮遊鉱石が落ちた辺りを見回すカフラ、
ピ
「ん?」
ピ
「何か変な音がする… どこからだ…」
周囲を見渡すが、何処から音がするのか見当がつかない。
ピ
耳を欹て、その音を探し、
ピ
ピ
ピ
…もしかして 人形 か
ゆっくりと古い人形に近付き、
ピ
人形の胸に耳を近付けると、
ピ
「あっ!」
「に、人形か、人形から おと が するのか…」
カフラはもう一度、人形の胸に耳を当て、
ピ
人形の胸の辺りから奇妙な音を発しているのを見つけた。
「ここか…」
「しかし、どうして音が、今の今までこのような事は無かったのに」
その奇妙な現象で不安な気持ちになったカフラは、人形の胸に顔を近付け良く見ると、折り重なった硬い覆いの奥に、小さな浮遊鉱石の欠片を見つけた。カフラは鉱石を取り出すと、何度も人形に近付けては離しを繰り返し、この人形が浮遊鉱石に反応しているであろう事がわかったが、その不可解な現象の為、その夜はあまり眠る事が出来なかった。
カフラは朝日が昇ると祭事を済ませ、ジェフティの祠へと急いで向かい、ジェフティはその少し慌てたカフラの顔を見ると何事かと驚いたが、カフラが口早に話を始めたのを見ると、少し落ち着かせながら話を聞いてみる事にした。
「慌てたご様子で、如何されましたカフラ様」
カフラは間髪入れず話し出す。
「ジェフティ様」
「この浮遊鉱石の事で教えて頂きたい事があります」
「浮遊鉱石がどうしました、カフラ様」
「この浮遊鉱石を、私が持つある人形に近付けると、その人形が奇妙な音を発するのですが、このような事はあるのでしょうか」
ジェフティは首を傾げ、しばらくの間、カフラが持つ浮遊鉱石を見つめると何かを思い出したかのように、顔を上げ話し始めた。
「そう言えば、遥か昔、東南の大陸にカフラ様がお持ちの人形に近い物が祭られている祠があったそうです」
「その祠の周囲は、奇妙な物体が点在し、時折、聞いた事も無い音を発していたそうで」
「ゲブ様とヌト様は、その祠を探しに旅に出られ、それを発見する事は出来なかったのですが、帰路の途中で出会った旅の行商人から、カフラ様がお持ちの人形を手に入れたそうです」
「そうか…」
「あの人形も、私が聞いた事も無い音を発していた」
カフラは左の手で、口を覆うように添え、しばらくその場で考えると、何かに気が付いたかのように、ジェフティに顔を向け、また勢いよく話し始めた。
「ジェフティ様」
「私は、そこに行ってみたい」
「そこに在る何かと、この鉱石が関係しているのであれば」
「私はそれを… 」
「 知りたい 」
カフラはそう言うとジェフティに感謝の言葉を伝え、すぐさまニーヴァの下へ向かい走り出し、ニーヴァが執務をしている祠へと急いだ。
浮遊大地の近くにあるニーヴァの祠に辿り着くと、カフラは足早にニーヴァのそばに駆け寄り、ニーヴァの顔を見つめながら真剣な眼差しで、事の成り行きと、遠征の許可を申し出た。
ニーヴァも急ではあったがその旅の目的を理解し、将来の王となるカフラに良い経験をさせるべくその申し出を快諾すると、ニーヴァはカフラの護衛に少数の兵と共に、ニーヴァを守護するモントゥを同行させる事を決め、カフラはその兵達と共に東南の大陸に向かう事となった。
すぐさま旅の準備を進めるカフラ。次の陽が昇ると早速、父と母であるゲブとヌトの下を訪れ、人形が祭られている祠の話を訪ねた。ゲブとヌト懐かしい話に微笑みながら色々な事を話し始め、ゲブが何かに気が付いたかのように手を叩くと、大陸に渡る強靭な舟が必要な事と、その地に暮らすラーム族について幾つか教えてくれた。
それから陽が数度登り、旅の準備を整え終えたカフラは、同行する兵達を都の入り口に待機させ、旅立ちの挨拶をする為に、ジェフティの祠へ向かって行く。
「夜を守りしジェフティ」
「しばらくのお別れです、ニーヴァ様とカルーンをお守りください」
「カフラ様、お気を付けて」
「カルーンを守護する大いなる意思は、カフラ様をお守りする事でしょう」
ジェフティは少し寂しそうな表情を浮かべていたが、これからの期待と旅の無事を願い、数個の浮遊鉱石を小さな袋の中に入れカフラに渡した。
「ご無事で、カフラ様」
「しばしのお別れです、敬愛なるジェフティ」
お互い顔を見合わせると微笑み、これから出会うであろう希望を胸に軽く肩を抱き合い、
別れの言葉を掛けると、
カフラは東南の大陸に向かい旅立って行った。