第16話_① 大切な人

文字数 1,602文字

なぁ、あれ、ミラー先生じゃね?
そう言って、沖田保はホテルの特別室の窓から湖を指差した。
あぁ、彼、今日明けだから…
朝の回診に来た私は保にそう答える。


私達は大学時代、一時期付き合っていた。

俳優を目指して、養成所に通っていた彼は私のアパートに転がり込み、半分同棲のような日々を過ごしていた。

えっ!?

一緒にいるの紗奈ちゃん??

保が指を差している先を見るとミラーと信江さんが湖のベンチに2人で座っていた。
えっ!?死んだって聞いたけど?
あぁ、あの子は紗奈さんじゃないわ。

まぁ、驚くほど似てるけど…

えっ!?マジ?

めっちゃ似てるんだけど…

あの子は紗奈さんそっくりの「別人」

マジか~。世界中探せば、自分に似てる奴が何人かいるって聞くけど、ホントいるもんなんだなぁ~。
そうね…
保の言葉に耳を傾けながら、カルテの入力用タブレットを見る。
てかさ~俺に似てる奴連れてきて、そいつに今の俺の仕事やらせれば、俺自由ってコト?
ほんと相変わらずね~
タブレット上の電子カルテに名目上、回診記録をつける。


保はあの頃の夢を叶え、今や超人気の演技派俳優となった。

そして、あの時と同じく、たくさんの女を抱え、スキャンダルがおおやけになりすぎて、一時避難の意味でここへ来た。

さっさと似てる人見つけて、このホテルから出てってよ
そんな、つれない事言うなよ~鏡子セ・ン・セ・イ
このホテルに来たのも体調不良っていうのは名目で、実際はマスコミからの緊急避難でしょう?…なんでここ選ぶかな?
俺さ~鏡子に会いたくて、事務所の社長に無理言ってこの病院お願いしたんだぜ
ホント、口が上手いのは昔も今も変わらないわね!
いや~俺ぐらいの人気芸能人ともなると、言い寄る女も多くてさぁ~
相変わらず、女にフラフラしてるアンタが悪いんだから自業自得でしょう!?

俺さ、分かっちゃったんだよ!
保はベッドから立ち上がり、私を見下ろすほどの距離まで詰め寄ってきた。
…鏡子ほどいい女はいない、って…
保の口から何度も聞いて、聞き飽きているそのセリフを耳から耳へ流して、タブレットに入力を続ける。
はいはい、また調子の良いこと言って…

いや、真面目に………

ほら、まだ無名の役者だった頃、俺ら裸ですべてをさらけ出した仲じゃん

保は私の髪を撫で、頬を指で撫でる。
沖田さんは今日もお元気そうで何より!

では、次の患者さんの所へ…

彼の脇をすり抜けて、部屋の入口まで移動しようと体の向きを変え、窓の外を見た瞬間、ミラーと信江さんが笑い合っているのが見えた。


一瞬、胸が締め付けられるような痛みを感じる。

私は冷静を装うため、下唇を咬む。

…んな顔すんなよ…

ん?何か言った?
いや、別に…

保は窓枠に手をかけ、窓の外を見ていた。
なぁ、鏡子………


ミラー先生のこと、学生の頃からずっと好きだろ?

はぁ!?

なにバカなこと言ってんの?

俺さ、こう見えて、一流の役者なわけ…人の心情とか読む天才なわけ…
また、訳のわからないことを…
誤魔化したって、解っちゃうの…付き合ってた頃もそう。


俺はあくまでも、ミラー先生のか・わ・り

いい加減にして!
部屋を出ようと歩き出す前に保が立ち塞がる。
男として、好きな女の気持ちが他の男にあるなんて、これ以上寂しいことないんだぜ…
再び、私の髪を撫で指の背で私の顎を持ち上げる。
なぁ、鏡子。

もう一度やり直さないか?

保に正面に立たれたまま歩み寄られ、自然と後ずさりするような形で壁際に追い詰められた私は、保の真っ直ぐな目に射抜かれる。
ちょっと…何よ急に?
俺、あの頃と違って男として成長した…


アイツの代わりじゃなくて俺をみて、「俺」と付き合って欲しい

一瞬だけ、学生時代に保と過ごした濃密な時が頭をよぎる。


手をつなぎ近所のスーパーへ行き、狭いキッチンで2人並んで夕飯を作ったこと。

夜のベランダで夢を語りながらビールを飲んだこと。

西日の入る暑い部屋の中で汗だくになりながら抱き合った日々を…


第16話_② 大切な人』 へ続く
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登場人物紹介

加藤 信江

会社員

ミラー

SLSG研究所 所長

内科・精神科 医師

芳賀 鏡子

医師

ミラーの助手

吉川 咲枝

研究所家政婦

近藤 紗奈(旧姓 富樫)

沖田 保

俳優

警官

ミラーの母親

医師

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