第25話 今この瞬間を…忘れるな!

文字数 904文字

あのとき、主治医の先生の後ろで、よくもまぁ~悲しそうな表情してたわよね
落ちそうになる、意識の中、信江さんの声が遠くで聞こえる。



櫻井葵……名前は聞き覚えがある気がするが、私の記憶を辿ったところで、顔も病状も覚えているはずがない。


私の研修医時代の失敗は数知れなかった。



その度に尻拭いをしてくれていたのは、院長である父の権力の配下にある者たちだった。

ねぇ、覚えてる? あのとき私に言ったこと…
信江さんは私の頭に手を置きぐしゃぐしゃと撫でた。
「何か困った事があったら、いつでも頼ってきてね!」


そう言って、あなたは私の頭を撫でたのよ…

もう一度、今度は私の髪を整えるかのように優しく撫でた。
悲しそうな表情を取り繕って、母を見殺しにしたその手で、私の頭を撫でたの…
信江さんの手を払いのけたかった、でも体が思うように動かない。
全身に鳥肌がたったわ…そして誓ったの。


『今この瞬間を………忘れるな! 母を殺したこの女に、いつか必ず復讐してやる!』ってね…

閉じそうになる瞼を必死に開き、信江さんを見た。
ハハハ~その顔たまんないわ…。


ねぇ、沖田ってあの俳優? アイツとアンタって、ホント似た者同士よね。

アンタ達、欲しい人には一生届かずに人生を終えるのよ

指先や足の感覚がなくなっていく。
そういえば、紗奈さん。

あなたが癌の診断を隠したこと、気づいていたわよ!

遺書にしっかりその事が書かれていたわ……。


カバーが変えられてた本に挟んであったのよ、彼女の遺書が…

そう言って、手に持っている封筒で信江さんは私の頬を叩いた。
皮肉よね…アンタが手に入れたいと思ってる男の『愛する女』が最後の最後に伝えた言葉が「あの女には気をつけろ」だなんてね……
信江さんはポケットから注射器を取り出し、私に見せる。



もう、私には体を動かせる力は何処にも残っていなかった。

いろいろと復讐の方法を考えていたけど、あなたは「愛する男」を追いかけて、自殺してもらう事にするわ
左腕に注射針が刺さる。




それと同時に、息が苦しくなっていく。





心配しないで……明日の朝、咲枝さんが冷たくなったあなたを見つけてくれるから…





思うように呼吸ができない。














胸が押し潰されていく……

タ…ス……ケ……
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登場人物紹介

加藤 信江

会社員

ミラー

SLSG研究所 所長

内科・精神科 医師

芳賀 鏡子

医師

ミラーの助手

吉川 咲枝

研究所家政婦

近藤 紗奈(旧姓 富樫)

沖田 保

俳優

警官

ミラーの母親

医師

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