§22 03月14日(水) 26時頃 無用の長物と化す

文字数 3,675文字

 回復期リハビリテーション病棟に移ってから深夜にナースコールをする機会がめっきりと減った。この一月(ひとつき)ばかりはまったく記憶にない。なにしろここは如何にして人手を借りずにできることを増やすかを獲得目標に据えている病棟なのだから、まあ当然の成り行きである。要するに彼らにとっては頗る順調に万事終了ということなのだろう。ベッドから車椅子に移り、一人でトイレを済ませ、あるいは一人でシャワーを済ませ、またベッドに這い戻る。彼らはこれをもって順調と評価するわけだ。○印を付けるのかレ点を付けるのか知らないけれど。ふむ、いいだろう。それもひとつの考え方ではある。それを認めることにやぶさかではない。
 昨日、もう一昨日か、母がリフォーム後の我が家の写真を持ってきた。自慢げな顔つきをしていた。薫曰く、母はずいぶんと張り切っているらしい。なにしろもう半年も見ていないものだから、いきなりリフォーム後の写真を見せられても、それを我が家として呑み込むのに手間取ってしまった。母は気づかなかったようだが、薫には悟られた。ちょっと心配そうな顔をした。張り切っている母とのあいだに温度差を感じ取ったのだろう。誰かが妙に張り切っていたりすると往々にして発生する空気を。しかし薫が心配する必要がどこにある? 諸手を挙げて歓迎すべき事態ではないか。
 学校の写真も見せてくれた。こちらも半年ばかりご無沙汰しているわけだが我が家ほどには違和感を覚えなかった。リフォームの有無のせいではない。学校というところはどこであろうと誰にでもわかりやすい表象を張り付けてあるものだから面食らうことがなかっただけだ。しかしあの学校にエレベーターがついているとは知らなかった。それも大型の機材などを搬入・搬出するために用意されたものではなく、明らかに人が乗るものとしてデザインされている。ユニバーサルデザインとかいうやつなのだろう。県下有数の進学校であるからにはそのようにあらねばならないと主張する人間が少なからず教育関係者やOB・OGのあいだに存在するというわけだ。まことにけっこうな話である。何者か知らないがお礼の手紙でも書いて送ってやれば額に飾って地元の新聞社を呼び満面の笑みで一緒に写真に納まろうとするような人物であるに違いない。その手紙の送り主である少年は美人の警察官と病室でいいことをしていたなんて話を聞いたら卒倒してくれるかもしれない。
 今日は、いや昨日はその美人警察官にちょっと驚かされた。迂闊にも女性には定期的に生理というやつがやってきてその間は性器に触れるのは避けるべきだという事実をこれまで本当に考えたことがなかった。経験を伴わない、そもそも伴いようがない知識の限界を突きつけられた気分である。薫にも母にも同じようにそれがやってきていたはずであり、これまでそれを意識することなく過ごしてきた事実にも思い至り、さらに愕然とした。まったく世の中には知らないことが多すぎてうんざりする。そういう事情だから今日は自分でマスターベーションをしてくれと言われた。だからてっきりベッドサイドの椅子に座って眺めていてくれるのかと思ったら違った。たとえば胸元を開いてくれて、いつものように乳房を触ったりしながらできるのかと思ったら、それでは自分も欲情してしまうから後始末に難渋すると言われた。代わりに、仕方なく不承不承そうするのだという様子を殊更に押しつけがましく演じつつ、ハンカチを置いて行ってくれた。ハンカチというのがどのようなフェティシズムと結びつくのか知らないけれど、明らかに彼女のものとわかる匂いがした。匂いは時間を内包する。従って彼女が病室を去ったあと、言うまでもなく視覚も聴覚も触覚も味覚も彼女を失うことになるわけだが、ハンカチを媒体とする嗅覚だけは彼女をこの部屋にとどめてくれた。つまりそれで充分に用は足りた。
 もうひとつ、美人警察官がおもしろい話を聞かせてくれた。どこにでもありそうな三角関係のエピソードだったけれど、その三角形を描く三点のひとつに彼女が立っており、ずるずるとなんの展開もないままに維持されてきた三角形がようやく解けたという話だった。しかしそれは明らかに終わりの出来事ではなく始まりの出来事のように思えたので安堵するのは早計なのではないかと指摘すると彼女はずいぶん驚いた顔をした。いや僕はなにもわかってはいない。当てずっぽうで言ってみただけだ。しかしどこにでもありそうな話でも登場人物に彼女がいればおもしろい話に聞こえるのだから不思議なものである。どんなにくだらない、どんなにつまらない出来事であったとしても、そこに彼女が関係していれば特別な色彩を帯びる。きっと彼女が美しくてやさしいからなのだろう。それに僕が彼女を大好きだからなのだろう。
 退院というXデーが近づいてきてさすがにいくらかソワソワする感覚がある。不安はないが緊張はある。外の世界が想像通りの姿をしているのか、想像から外れているところがあったとしてそれが歓迎すべき方向なのか歓迎すべからざる方向なのか、歓迎できないときにそれを矯正なり拒否なり無視なりすることは可能なのか。早くそれらを見極めたい。なにがどうなっているのかわかってしまえばどうなっていようとかまわない。きっと複雑な斑模様になっていてこちらの予想をあちこちで裏切ってくるのは凡そ想像がつくし当然そうだろうと思う。しかし具体的な姿が見えるならいい。それが鬼であれば鬼として、蛇であれば蛇として、それぞれに付き合い方があるというものだ。
 そう、「新しい地図」と彼女は言った。地図を持たなければ現実は意味を持ち得ない。意味を付与すべき現実が多くなるのか少なくなるのかはこちらの考え方次第だ。意味が多ければ世界が広がるという話ではない。世界の広さというなら意味が多くなるほど世界は狭くなる。当たり前である。それに広い狭いは少なくとも世界のおもしろさとは無関係だ。そう言えばなんと彼女の部屋は庭に面した一階にあってそこから出入りすることができるらしい。飛び石をどけ木を一本抜き車椅子でアプローチできるようにしてくれた。つまり玄関からではなく縁側から這い上がるわけだ。世界がおもしろいというのはたとえばこうした事態を指して言う。そこに新しい意味が付与される。意味が付け替えられる。まさに「世界制作」だ。それこそ「新しい地図」だ。しかし縁側から這い上がる僕の様子はずいぶん異様な光景に映るだろうな。
 とは言え、やはり厳然として、僕には決めなければならないことが残っている。ここでは回復期リハビリテーション病棟の皆さんの善意を挫かないようお付き合いをしていたわけだけれど、それもやっと終わる。動かせないものは動かせないのだとの結論がいわば公式に記録される。この役立たずの膝下は無用の長物と化す。そうであることが公式に記録される。やはり捨て去るべきなのだろう。壊死のリスクが回避されていても腐っていることに変わりはないのだから。血液が循環している一事をもって血が通っているとは言えないのだから。言うなればこいつは屈曲点の象徴であると同時に了解事項が途切れてしまったという事実の物理的な証拠なのだ。屈曲点の前後で受け渡すことができなかったものを後生大事にぶら下げている必要はない。それはかつてあったものかもしれないがいまはもうなくなっている。かつてあったことを確かめるためにだけ残されている。残しておいたのでは地図は更新され得ない。むしろ地図の描き換えの邪魔になる。
 母はヒステリックに抵抗するだろうし薫は思考停止に陥ることだろう。だから話し合うべき相手は衛にとって友香里しかいないように思える。友香里の賛同が得られればこの夏にでも断行する。それが友香里の言う「新しい地図」を描くことに繋がるのは間違いないし、描かれる「新しい地図」を複雑なものに、すなわち美しいものにしてくれるのも間違いない。だから友香里は賛同してくれるだろう。友香里はきちんとそのことの意味を受け取ってくれるだろう。受け取れないはずがないではないか。友香里が受け取れないとなればほかにもう受け取れる人間なんていなくなってしまうのだから。
 衛は時計に目を向けた。考え事をしているうちにまたも午前二時を回ってしまった。どうしていつも午前二時なのだろう。いったいここになにがあるのだろう。いやそんなことよりもさすがに眠くなってきた。友香里に電話をしておやすみさなさいと言ってもらいたかった。けれども午前二時に電話をするなんて非常識にもほどがある。隣りに眠っていてくれたらいいのにな、と衛は思った。友香里は衛の寝顔を見ているのに自分のほうはまだ友香里の寝顔を見ていないのは不公平なことだと思った。友香里のいる前で衛が眠ってしまったことがあるように、衛の目の前で友香里が眠ってしまうことがこれから先のどこかであるだろうかと考えた。それはずいぶん素敵なことに違いないと確信できる情景だった。(第一部 了)
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