§00 或る夏の少年の手の記憶

文字数 711文字

 人生の記憶に深く刻まれる特別な夏――そのような主題が多く描かれるのは、脚本家なり小説家なり制作者たちの人生の記憶に、あまねく特別な夏が深く刻まれているからではなく、映画や小説を受容する側の人間の大半に於いてそうであるように、「夏」が特別であることを期待させるからに過ぎず、しかし「夏」は決して特別であったためしなどなく、やりきれない想いが鬱屈するからだろう。
 だが、私にはそんな夏がひとつある。照りつける強い陽射しの下、蝉の声が煩く降りしきる中、よく日に焼けた少年と、露出した白い肌とが、縁側に並んで座っている情景だ。少年の手が肌に触れてくるたびに、最初はふざけているだけなのだと思っていた。しかし、肩から滑り下り、腿から滑り上がり、少年の手が明らかな目的地を目指す執拗な意思を持っていることに、私は気づいてしまった。
 たぶん、目的地への到達が許されるものと、あるいはすでに許されているものだと、その手にそう思わせてしまったのは、私の油断であり落ち度であったのだろう。まさか十歳の少年が女の肌に欲情し、外性器を狙って手を動かしてくるなんて、想像もしていなかったのだ。しかしそれは私の思い違いなどではなかったことを、その後の経過と結果とが証明している。
 私たちはその夏を最後に、二度と我が家の縁側に並んで座ることをしなくなった。私がその手を強く拒絶し、少年は永遠に失われた。もしかするとあの手は本当にふざけていたに過ぎず、悪ふざけが過ぎたというだけだったのかもしれない。真相はすでに手の届かないところにある。けれども私が彼の手を求めていなかったことは事実である。十歳の少年の手など、二十歳の女が求めるはずがないではないか。
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