龍の通る道

文字数 2,071文字

令和6年1月4日。新年一発目の診察である。皮膚科の予約時間は朝9時だ。病院に行く前に、八幡竈門神社へお参りに行く。この日は小百合ひとりだ。修二もまだ正月休みだったが、今日は病院についてきてもやることはない。家で留守番をしてもらうことにした。
初詣は2日に大分市の大分縣護國神社へ行った。大分で定番の初詣スポットである。梅や桜の名所としても有名だ。
護國神社は、戦没者慰霊のために建立された。小百合は、地元の神様を祀った神社に初詣に行きたいな…と思っていた。小百合のこだわりは普通の人に理解されにくい。それは自分でも分かっている。「護國神社に初詣に行こう」と修二に言われたとき、小百合は反対しなかった。

今日が小百合にとって本当の初詣である。八幡竈門神社には護國神社のようなにぎわいはない。普段より少し人が多いぐらいだ。出店も無い。駐車場には企業名が入った営業車が何台か停まっていた。今日から仕事始めの地元の会社だろう。
拝殿でお賽銭をあげ、柏手を打つ。お願いは相変わらず“あのこと”である。
(先生のこと本気で好きになっちゃったみたいなんです、神様。どうにかしてください…)
拝殿に背を向け、別府医療センターと別府湾を鳥居越しに眺めていると、後ろから突風が吹いた。舞い上がった砂ぼこりに、思わず目を細める。風は空気の塊となり、弾丸のように参道を駆け下りていった。

(今、龍が通った…)

何かが起こる予感がした。小百合は八幡竈門神社を後にして、医療センターへと向かった。
受付を済ませ、1階で血液検査をしてから、2階の皮膚科に向かう。1階も2階も今日はガラガラだ。
医療センターの皮膚科は、診察のたびに問診表を書くよう求められる。10日ぐらい前に書いたところなのに、この日もまた書いてくださいと言われた。何かよくわからんシステムである。
小百合は受付に問診表を出して、待合室の長椅子に腰をかけた。
今日は10分ほどで名前を呼ばれた。湿疹が出ていた胸から首回りを見せると、皮膚科の先生は言った。
「だいぶ赤みが引きましたね。塗り薬が効いたということは薬疹ではないでしょう。ホルモン治療をこのまま進めていただいて問題ありませんよ」
皮膚科の先生からお墨付きをもらった。小百合は診察室を出て、1階の乳腺外科へ向かった。
「もう皮膚科が終わったんですか?!早っ!」
外科外来の受付の人がびっくりしていた。この日は乳腺外科も空いていた。受付を済ませると、すぐに小百合の名前が呼ばれた。

「どうだった?」
大谷先生に聞かれた小百合は答えた。
「薬疹じゃないからこのまま治療を進めてもらって問題ないです、だそうです!」
それを聞いた大谷先生は貧乏ゆすりを始めた。

「あの先生、皮膚科にかかってみて思ったんですけど、大きい病院のほうが何かあったとき安心だなって…」
転院したいと言い出してからまだ10日である。短期間で気が変わったことを、大谷先生にどう説明したものか、小百合は考えあぐねていた。素直に「前回は待ち時間が長くイライラしていた。転院は本望ではなかった」と伝えればよかったのだが、何となくこのような言い方をしてしまった。すると突然、大谷先生の口調が変わった。
「大きい病院とか関係ない!」
吐き捨てるような強い声だ。机をコツコツと指で叩いている。見るからにイライラしていた。
いつもジッと目を見て話して下さる先生が、この日は全く目を合わせようとしない。見たことがない先生の様子に、小百合は面食らっていた。今日は先生の後頭部に、大きな寝ぐせがついている。
(お正月休み明けでイライラしてるんかな?当直やったとか?)
ようやくこちらを見た大谷先生は、この前のバッキバキの目つきになっていた。両腕を頭で組みながら先生は言った。

「今すぐ転院できるけど、どうする?」

すごい早口だ。声が上ずっている。
(えっ、転院しないって言おうとしてたんだけど。さっきの話の流れで分からん?)
小百合はおろおろしていた。
「あの、転院は…」
「今日転院しないならいつすんの?ねぇ?」
先生は後頭部で組んでいた両腕を、勢いよく机の上に叩きつけた。ドンっと大きな音がして、小百合はビクッとした。
「ねぇ、いつ?いつ転院するの?次の診察の時にする?それで決定!いいね?」
大谷先生は早口で畳みかけてきた。
(えっ?えっ?ちょっと待って??先生、どうしちゃったの?)
「2月22日に転院でいいね?」
「え、いやあの…」

「い、い、ね??(キレ気味)」

待合室で、小百合は呆然としていた。何が起こったかわからなかった。転院を見送った理由を病院の大きさにしたことに、先生のプライドが傷ついたのだろうか。
「先生、転院したいなんて言ってごめんなさい」
そう言えばよかったのだろうか。それにしたって、先生が患者の転院を勝手に決めるなんておかしな話である。
先生は前回の診察の時、小百合の気持ちを次の診察で再確認すると言っていた。小百合が転院をやめようとしていたことは、会話の流れでわかったはずだ。

(八幡様は先生の一面を私に見せようとしたのですか?)

小百合は考え込んでしまった。
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