第11話 さびれた方の天岩戸神社が好き

文字数 2,850文字

椎葉村と高千穂は、直線距離では20㎞ほどしか離れていない。しかし、車で2時間ぐらいかかる。平家本陣の駐車場でナビに目的地を入力した時、小百合は初めてそのことに気が付いた。

(やべぇ・・・)

高千穂や椎葉村には幾度となく来たことがある小百合だった。しかし、同日に両方へ行ったことはなかったのだ。直線距離と同じ時間で行けるとは、さすがに思ってはいない。しかし、予想以上だ。2時間は、熊本駅から高千穂に行くのとほぼ同じ時間である。

冷静に考えれば当然だろう。椎葉村は日本三大秘境に数えられる僻地なのである。

山の神に嫌われていないことを祈りながら、国道327号線を東へ進んだ。諸塚村役場を経由し、国道503号線で北に向かう。地図上では立派な国道が通っているように見えるが、実際のルートの約半分は離合困難な細い道がしめていた。

高千穂に到着したとき、ふたりは安堵の声をあげたのだった。

「はぁ、着いた。よかった…」

高千穂の市街地には、スーパーやホームセンター、金融機関もある。この辺りでは最大の町だ。高千穂神社や高千穂峡は、市街地に近い。

天岩戸神社は、高千穂の町から2㎞ぐらい北東にある。西本宮と東本宮の2社からなり、岩戸川をはさんで鎮座している。

西本宮と東本宮は、かつては違う神社だった。西本宮は「天磐戸神社」、東本宮は「氏神社」だったが、昭和45年に合併し東西の天岩戸神社になった。

観光客が多いのは西本宮である。西本宮には、天岩戸や天安河原(あまのやすかわら)など、見どころが多い。

「天安河原」は、天照大神が岩戸にお隠れになったとき、八百万神が集まり神議されたと伝えられる大洞窟だ。神秘的な雰囲気で写真映えするスポットである。小百合は初めて天岩戸神社に参拝したとき、天安河原を天岩戸と勘違いしていた。

天岩戸は、西本宮にある遥拝所から離れて拝むのみである。直接行くことはできない。遥拝所へは神職の人が案内して下さる。天岩戸を岩戸川の対岸から拝むことができる、展望台のような場所だ。

天岩戸は、直径15mぐらいの丸い岩窟である。あの穴を塞ぐことができるのは、相当な大岩だろう。天照大神と天手力雄命(アメノタヂカラヲ)は、それを動かすことだできたのだ。とんでもない怪力である。

東本宮は西本宮と違い、いつ訪れても人がまばらだ。今日の目的地は東本宮である。小百合は東本宮のほうが好きだ。東本宮に人が少な理由は、参道が石段だからかもしれない。何段か数えていないが、100段ぐらいあるだろう。東本宮の駐車場は、いつもガラガラである。だから観光バスの待機所になっている。

東本宮の境内には、小さな社殿と神楽殿、授与所のような小屋があるだけだ。しかし、それが良い。社殿は神明造である。直線だけで構成された簡素さが最高だ。拝殿とその奥に本殿がある。本殿の扉の前には鏡が祀られていた。

東本宮は、天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀った神社である。天岩戸に閉じこもっていた天照大神を誘い出すのに使われたアイテムが“鏡”だ。天岩戸-天照大神-鏡の関係は切っても切れない。

天照大神は女神である。そのせいだろうか。東本宮の空気には、緊張感の中に優しさを感じる。西本宮は一度行けば充分だ。東本宮は、嬉しいことや悲しいことがあると帰ってきたくなる。

小百合と修二は拝殿でお賽銭をあげ、柏手を打ち祈った。

東本宮の社殿のすぐ裏手には、御神水が湧く巨木がある。杉の大木の根本から、澄んだ水がコンコンと湧いているのだ。空のペットボトルを小百合は持参していた。しかし、飲んでみようという気にはなれなかった。ご時世的に。

御神水の奥には、「七本杉」と呼ばれる御神木がある。根元がつながった7本の杉の巨木で、江戸時代に植えられたそうだ。樹高は約40メートルもある。境内の立て看板の地図を見ると、七本杉までの道のりは険しそうだが、実際は御神水から徒歩1分である。道も舗装されていて歩きやすい。

東本宮の見どころはこんなところだ。あっという間に見終わってしまうだろう。でも、神社って本来、そんなものじゃないだろうか。

のりおちゃんも今日は神聖な空気をガンガン吸って「肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい!」って感じになっているに違いない。

(頑張ってくれよ、のりおちゃん。私も頑張るから。)

小百合は心の中で祈った。

高千穂からの帰り道。ふたりは「道の駅 北川はゆま」に立ち寄った。東九州自動車道北川インターチェンジの出入り口にある道の駅である。

パーキングエリアやサービスエリアが東九州自動車道には少ない。それらの代わりに、道の駅が併設されているインターチェンジがいくつかある。北川はゆまも、高速のサービスエリアを兼ねた道の駅だ。

小百合は延岡方面に来ると、よくここに立ち寄る。お気に入りの焼酎を買うためだ。土産物コーナーにある “くり焼酎”がお目当てある。製造元は延岡の佐藤焼酎製造場(株)だ。商品名は“三代の松”というらしいが、パッケージには「宮崎名物 本格くり焼酎」と大きく書かれ、商品名は目立たない。

くり焼酎といえば、全国的には高知県四万十市の「ダバダ火振」が有名だろう。小百合はダバダ火振も好きだ。

三代の松はダバダ火振よりまろやかで、”栗感”が強いように思う。度数は25だが、25度もあるとは思えないほど、やさしい口当たりだ。アルコール臭さが全くない。ロックでスイスイいけるので危険である。というか、栗の風味を味わうためにもロックで飲んで欲しい。そんな焼酎である。

内容量は4合。イガグリの写真をプリントした紙箱に入っている。小百合はその箱を2つ手に取った。ひとつは自宅用、もうひとつは大家さんに上げるためである。

小百合の家は借家だ。だだっ広い土地に、6棟の借家が建っている。これらをすべて所有しているのが。小百合の大家さんだ。大家さんの年齢は60代後半だろうか。借家が建つ広場の隣に、ご夫婦で住んでいる。

ご主人がお酒好きと聞き、小百合は以前にもこの焼酎を大家さんに差し上げたことがあった。大家さんはとても喜び、旅行のときなど小百合にお土産をいつも買ってきてくれる。今回は、そのお礼である。

小百合は帰宅すると、くり焼酎を持って大家さんの家に行った。インターフォンを鳴らすと、奥さんが出てきた。お土産を手渡すついでに、乳がんの手術をすることを伝えると、奥さんは驚いて奥へご主人を呼びに行った。

「命に別状はないみたいなんですけど、右乳房全摘になりました。一週間ぐらい入院します」

小百合はそう伝え、大家さん宅を後にした。

人間関係を築くことが苦手な小百合だが、別府では上手くやれている。別府は港町だ。船乗りのような流れ者が行きつく町である。ホテルで働く仲居や板前の中にも、他人に話せない事情を抱えている人は多い。

そんな土地柄だからだろう。別府の人は他人の人生にあまり干渉しない。人間関係の距離感が心地よいのだ。

(この町で末永く暮らしたい)

その思いが、小百合の不安な気持ちを支えてくれている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み