第14話 中年男性の家事について

文字数 2,102文字

修二が面会にやってきた。19時過ぎである。最後に修二が小百合の姿を見たのは、小百合が全身麻酔から覚めてもうろうとしていた時だった。元気そうな姿を目にし、修二はホッとした様子である。談話室の椅子に腰掛けると、修二は言った。

「手術の後、退院の予定日を先生に聞いたらな、18日っち。手術から十日後や。一週間て言うとったんにな」

小百合としては、入院が一週間から十日に延びたことは正直どうでもよかった。入院生活は快適だ。食事の準備や片づけ、パジャマの洗濯は病院がしてくれる。テレビを見て昼寝しているだけでよい。携帯も通じる、食事制限もない。最高だ。一階にはコンビニまである。

だが修二はそうではない。修二は料理がまったくできないのだ。やれることは、せいぜい米を炊くぐらいである。

結婚前、修二はマッチングアプリに「わびしい男の一人暮らしっぽい食事」の画像をよく上げていた。スーパーで買ったお惣菜や、ほか弁などである。

小百合と修二が出会ったアプリには、プロフィールを投稿するページとは別に、SNSのような機能があった。テキストや画像、動画で近況報告ができる。

中年男性はそこに総菜やコンビニ弁当、ファーストフードの画像を上げがちだ。可哀想と思って欲しいのか、日記的に上げているだけなのかは不明だが。

いずれにしても、そんな画像なら上げない方がマシだと小百合は思う。マッチングアプリは異性にアピールする場である。普通のSNSとは違うのだ。それを分かっていない男が多すぎる。家事能力がない男のフォローなんて、誰だって嫌だろう。結婚後、女が家事を負担するのは構わないと思っていても。

投稿時間も重要だ。日勤の仕事で19時や20時に、惣菜の画像を投稿してる男なんてありえない。そんな時間に帰れるなら自炊ぐらいしろよと思う。女だって最初から料理ができるわけではないのだ。なぜ男はやらなくていいと思うのか。逆に考えてみて欲しい。女が夕飯の時間帯に、スーパーの総菜を投稿していたら。それと同じである。

念のため言っておくが、料理ができない人を否定しているわけではない。マッチングアプリに投稿してしまう感覚が分からないのだ。マッチングアプリは品評会なのだから。

しかし小百合は、いつも19時前に帰宅し惣菜の画像を投稿する修二を選んだ。そのわけは修二が「掃除が好き」と言っていたからである。

修二はきれい好きというより、掃除が趣味だ。お風呂の掃除が特に好きらしい。バスタブや洗面器だけでなく、風呂の壁にも全体に洗剤を吹き付け、電動ポリッシャーで念入りに掃除をする。たまにではない。毎日だ。洗剤がすぐ無くなるので、業務用の大容量サイズを購入している。

掃除機掛けにも一家言ある。普段、掃除機は小百合がかけているが、週末は修二が担当する。動かせる家具は全部動かして、裏まで掃除機をかけるのだ。家具を移動するとき引きずるので、畳がボロボロになる。そっちの方が小百合は気になるのだが。

修二は洗濯もマメだ。しかし洗濯物のシワには無頓着である。干す前にパンパンと振ってシワを伸ばすようなことはしない。清潔にさえなれば、見た目は気にならないようだ。

小百合は自分のことを「自閉症にADHDが混ざったタイプ」だと思っている。不注意のミスが多く、空気が読めない。先延ばし癖もある。しかし、掃除と料理だけはできている。こだわりが強いわけではなく、常識の範囲だと思う。

定型発達の人にも、整理整頓が苦手な人はいる。足が遅い人がいれば絵が下手な人もいるのと同じだろう。しかし発達障害になると「ADHDは整理整頓ができないことがマスト」みたいになるのはなぜなのか。発達障害だって人によって違うと思うのだが。

小百合も一人暮らしを始めたころは、家の中がいつもめちゃくちゃだった。時間が経つうちに整理整頓ができるようになったのだ。しかし、不注意や先延ばし癖は頑張っても治らない。

小百合が修二と上手くやれているのは、修二が「自分のやり方を小百合に押し付けない」からだ。小百合も、修二がやりたいようにさせることにしている。

帰りのエレベーターを待つ修二に、小百合は洗濯物が入った袋を手渡した。ドライシャンプーで頭を洗った時に、タオルを何枚か使ったのだ。

今年は例年にない異常気象だ。11月中旬だというのに真夏日がつづいている。医療センターの空調は集中管理で、業者に頼まなければ暖房を冷房に切り替えることができない。病室は温室のような暑さになっていた。寝ているだけでも汗だくである。体は看護師さんが拭いてくださるが、頭も洗わないと気持ち悪くて仕方がない。
「明日は家からアイスノンを持ってきて」
小百合は修二に頼んだ。

消灯前、リンパ液の容器を看護師さんがきれいにしてくれた。溜まったリンパ液を計量器で測っている。リンパ液には血が混ざり真っ赤になっていた。これが日を追うごとに透き通っていくらしい。

「チューブを外すのはリンパ液が透明になってからです」

看護師さんが教えてくれた。シャワーはチューブが外れてからである。それまではドライシャンプーで我慢だ。

今夜は暑くて眠れないかもしれない。小百合はそう思った。
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