第15話 心はキャプテン・ハーロック
文字数 2,075文字
手術から一週間がすぎた。経過は順調だ。リンパ液の色は透明に近づいている。チューブが外れる日もそう遠くないだろう。
その日の朝の回診で、大谷先生は言った。
「もうドレーンを取りましょう」
それを聞いた小百合は、うれしいようなちょっと恐ろしいような気分になった。小百合の胸に巻かれているバストバンドは、一日に2回外される。回診の時と、看護師さんが蒸しタオルで体を拭いてくれる時だ。小百合はバストバンドを外す時はいつも、胸から目を逸らしていた。自分の胸を見る勇気がまだなかった。
ドレーンが外れたら、蒸しタオルは卒業だ。自分でシャワーを浴びることになる。そうすると、嫌でも手術した胸を見なければならなくなるのだ。
ドレーンはズルンという感じで体から離れていった。バイバイ、一週間ありがとう。
先生はドレーンを外した後、胸元でバチンバチンと何かを切っているようだった。
(あれ?糸を切っている?)
抜糸は必要なかったのでは?胸元から目を逸らしている小百合には、何をされているのか分からない。そうこうしているうちに処置は終了した。
「今日からシャワーをあびて構いませんよ」
大谷先生は小百合に言うと病室から出ていった。
(何の音だったんだ…)
小百合はモヤモヤしたが、すぐに「ま、いっか~」となった。
初対面で小百合は大谷先生のことを「無愛想な人だな」と思っていた。しかし、入院して毎日顔を合わせているうちに、先生も小百合に慣れてきたようで、ニッコリしてくれるようになった。いつしか小百合も、先生の笑顔を見るのが毎朝の楽しみになっていた。
(事情があって縫わないといけなくなったのかもね?)
例の音のことを、小百合は深く考えないことにした。
回診の後、小百合は談話室に行き窓際に座った。八幡竈門神社に手を合わせる。毎朝のルーティンである。
別府医療センターの建物は、八幡竈門神社に合わせて設計されたのだろうか。神社の境内からは、石段が一直線に医療センターの正面玄関へ続いているように見える。まるで龍の通り道だ。
入院病棟からは神社の建物がよく見える。これも粋な計らいだと思う。神様が見守って下さっている。辛いけどがんばろう。そう思えるのである。
小百合が談話室で缶コーヒーを飲んでいると、近くに気配を感じた。のりおちゃんが来てくれたのだ。
(ありがとう、のりおちゃん…)
小百合は空になった缶をごみ箱に捨てると、お風呂セットを持ってシャワー室へ向かった。シャワー室は患者が好きな時に利用できる。夕方以降は利用者が多くなるので、空いている午前中にシャワーを浴びることにしたのだ。
シャワーの個室はめちゃくちゃ狭い。ユニクロの試着室より狭い。せいぜいしまむらぐらいだ。のりおちゃんも入ったらギューギュー詰めになってしまう。
(のりおちゃんは外で待っててな)
小百合はそう思いながら個室のカギを閉めた。
のりおちゃんの性別は男だと小百合は思っている。根拠はない。男だと思ったから“のりおちゃん”と名付けたのだ。のりおちゃんがお風呂の中までついてきたことは、これまで無かったと思う。
「幽霊になったら心霊スポットなんかじゃなく女湯に行く」
男の人がよく言うセリフだが、女湯に入ろうとしないのりおちゃんはジェントルマンだ。
小百合は個室の脱衣所でパジャマを脱いだ。緊張で高鳴る胸を抑えながら、バストバンドのマジックテープに手をかける。
ビリビリビリビリ…
マジックテープが外れて、止血用のガーゼの束が落ちた。鏡に写った自分の姿を見たとき、小百合は心の中で歓声を上げた。
(キャプテン・ハーロックみたいやんけ!)
極太の針でガシガシ縫った跡が、小百合の右胸にたくさん付いていた。
松本零士作品なら、女性でクイーン・エメラルダスという顔にキズがあるキャラがいる。しかし小百合の第一印象は、片目のハーロックだった。
それに、松本零士の描く女性は美しすぎる。自分になぞらえるのはおこがましい。そう思った。
少年マンガのイメージが強い松本零士だが、デビュー作は少女マンガだったらしい。松本零士の描く女性キャラは、小百合が子供時代から女の子の憧れだった。最近はポリコレうんぬんでセクシーな女性を描きづらい。しかし、松本零士のキャラがやり玉にあげられたことは無いように思う。女性のために作品を描いていた経験が生きているのだろう。
小百合の予想では、自分の胸はスパッと乳房を切り取った感じになっていると思っていた。実際はクレーターみたいにえぐれている。小百合はぽっちゃり体形だ。周りの肉の加減でそう見えるのかもしれない。
(ダイエットしたらもっとカッコよくなるんとちゃうの?)
手術跡を見てこんなにぶち上るとは。変な奴だと我ながら思う。小百合は「変わってる」と言われるとうれしくなっちゃうタイプである。他人と違うことが何より好きだった。おっぱいだって片方なくてカッコイイ!縫い目もイケてる。ロックじゃん。はぁ、惚れ惚れ…
「退院したらダイエットがんばるぞ!」
目標は夏木マリさんだ。ああいう感じのシャープでロックなおばちゃんを目指したい!小百合は心に誓ったのだった。
その日の朝の回診で、大谷先生は言った。
「もうドレーンを取りましょう」
それを聞いた小百合は、うれしいようなちょっと恐ろしいような気分になった。小百合の胸に巻かれているバストバンドは、一日に2回外される。回診の時と、看護師さんが蒸しタオルで体を拭いてくれる時だ。小百合はバストバンドを外す時はいつも、胸から目を逸らしていた。自分の胸を見る勇気がまだなかった。
ドレーンが外れたら、蒸しタオルは卒業だ。自分でシャワーを浴びることになる。そうすると、嫌でも手術した胸を見なければならなくなるのだ。
ドレーンはズルンという感じで体から離れていった。バイバイ、一週間ありがとう。
先生はドレーンを外した後、胸元でバチンバチンと何かを切っているようだった。
(あれ?糸を切っている?)
抜糸は必要なかったのでは?胸元から目を逸らしている小百合には、何をされているのか分からない。そうこうしているうちに処置は終了した。
「今日からシャワーをあびて構いませんよ」
大谷先生は小百合に言うと病室から出ていった。
(何の音だったんだ…)
小百合はモヤモヤしたが、すぐに「ま、いっか~」となった。
初対面で小百合は大谷先生のことを「無愛想な人だな」と思っていた。しかし、入院して毎日顔を合わせているうちに、先生も小百合に慣れてきたようで、ニッコリしてくれるようになった。いつしか小百合も、先生の笑顔を見るのが毎朝の楽しみになっていた。
(事情があって縫わないといけなくなったのかもね?)
例の音のことを、小百合は深く考えないことにした。
回診の後、小百合は談話室に行き窓際に座った。八幡竈門神社に手を合わせる。毎朝のルーティンである。
別府医療センターの建物は、八幡竈門神社に合わせて設計されたのだろうか。神社の境内からは、石段が一直線に医療センターの正面玄関へ続いているように見える。まるで龍の通り道だ。
入院病棟からは神社の建物がよく見える。これも粋な計らいだと思う。神様が見守って下さっている。辛いけどがんばろう。そう思えるのである。
小百合が談話室で缶コーヒーを飲んでいると、近くに気配を感じた。のりおちゃんが来てくれたのだ。
(ありがとう、のりおちゃん…)
小百合は空になった缶をごみ箱に捨てると、お風呂セットを持ってシャワー室へ向かった。シャワー室は患者が好きな時に利用できる。夕方以降は利用者が多くなるので、空いている午前中にシャワーを浴びることにしたのだ。
シャワーの個室はめちゃくちゃ狭い。ユニクロの試着室より狭い。せいぜいしまむらぐらいだ。のりおちゃんも入ったらギューギュー詰めになってしまう。
(のりおちゃんは外で待っててな)
小百合はそう思いながら個室のカギを閉めた。
のりおちゃんの性別は男だと小百合は思っている。根拠はない。男だと思ったから“のりおちゃん”と名付けたのだ。のりおちゃんがお風呂の中までついてきたことは、これまで無かったと思う。
「幽霊になったら心霊スポットなんかじゃなく女湯に行く」
男の人がよく言うセリフだが、女湯に入ろうとしないのりおちゃんはジェントルマンだ。
小百合は個室の脱衣所でパジャマを脱いだ。緊張で高鳴る胸を抑えながら、バストバンドのマジックテープに手をかける。
ビリビリビリビリ…
マジックテープが外れて、止血用のガーゼの束が落ちた。鏡に写った自分の姿を見たとき、小百合は心の中で歓声を上げた。
(キャプテン・ハーロックみたいやんけ!)
極太の針でガシガシ縫った跡が、小百合の右胸にたくさん付いていた。
松本零士作品なら、女性でクイーン・エメラルダスという顔にキズがあるキャラがいる。しかし小百合の第一印象は、片目のハーロックだった。
それに、松本零士の描く女性は美しすぎる。自分になぞらえるのはおこがましい。そう思った。
少年マンガのイメージが強い松本零士だが、デビュー作は少女マンガだったらしい。松本零士の描く女性キャラは、小百合が子供時代から女の子の憧れだった。最近はポリコレうんぬんでセクシーな女性を描きづらい。しかし、松本零士のキャラがやり玉にあげられたことは無いように思う。女性のために作品を描いていた経験が生きているのだろう。
小百合の予想では、自分の胸はスパッと乳房を切り取った感じになっていると思っていた。実際はクレーターみたいにえぐれている。小百合はぽっちゃり体形だ。周りの肉の加減でそう見えるのかもしれない。
(ダイエットしたらもっとカッコよくなるんとちゃうの?)
手術跡を見てこんなにぶち上るとは。変な奴だと我ながら思う。小百合は「変わってる」と言われるとうれしくなっちゃうタイプである。他人と違うことが何より好きだった。おっぱいだって片方なくてカッコイイ!縫い目もイケてる。ロックじゃん。はぁ、惚れ惚れ…
「退院したらダイエットがんばるぞ!」
目標は夏木マリさんだ。ああいう感じのシャープでロックなおばちゃんを目指したい!小百合は心に誓ったのだった。