第1話 拝啓 山本先生

文字数 3,954文字

拝啓 新緑の候、山本先生におかれましては益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。この度、5年間にわたる乳がん治療を無事に終えることができましたのは、ひとえに先生のおかげでございます。改めて深く感謝申し上げます。
乳がんが発覚してから、度重なる治療や検査の中で不安な日々もありましたが、先生の的確な診療と温かいお言葉に支えられ、ここまで回復することができました。先生のおかげで現在は日常生活を取り戻し、元気に過ごしております。
長期間にわたり、親身に診ていただき本当にありがとうございました。先生の益々のご活躍とご健康をお祈り申し上げます。 草々

・・・な~んてね!山本先生、おひさしぶり。「菊池さん、こんな文章書けるの?!」って思った?残念でした。お礼状なんて書いたこともないから、ChatGPTに考えてもらった文章をコピペしてみました。便利な時代になりましたなぁ。
6か月に一度のリュープリン注射が終わり、先生と会う機会もめっきり少なくなりました。さみしい~ 

「オレはそうでもないよ」という先生の声が聞こえてきそうです。でも悪しからず。先生のクールなツッコミを受け続けて5年、冷たい仕打ちにもすっかり慣れました。今では先生からのツッコミ待ちをしてしまう自分がいます。
5年間のホルモン治療が終わり、気が付けば私はもう51歳。薬をやめても生理が戻ってくることはありませんでした。普通に閉経したのでしょうね。

リュープリンを打っていた時期は、生理がなくて楽な反面、ホルモンバランスが乱れて精神的につらい日も多かったです。考えても仕方がないことを考えて落ち込んだり、倦怠感で起き上がれなかったりした時期もありました。でも、パロキセチンを飲み始めてからは、クヨクヨしたり寝込んだりすることも減りました。人間の悩みなんて、脳内物質が見せるまやかしです。鬱の治療を始めてから特にそう感じます。

抗うつ剤を飲み始めてから、アルコールを一滴も欲しなくなったのには自分でも驚きました。お酒が飲める年齢になってから20年以上、休肝日もほとんど入れないで毎日のように飲んでいたというのに!
疲れやすさを紛らわすために、アルコールを飲んでいる自覚は少しありました。でもまさか“それだけ”だったなんて。味や高揚感も楽しんでいたんじゃなかったのかよ。そんな自分にちょっとショックを受けました。

「あのお酒は美味しかったなぁ」と思い出すことはたまにあります。しかしアルコールのことが頭に浮かんでも、飲みたくなることはありません。

閑話休題。難しい言葉を知っているな!と思ったでしょ?こう見えて私、大学まで出ているんですよ。M大学卒です。びっくりしましたか?M大まで出してもらってこの仕上がりですけど(笑)

また脱線しそうになったわ。え~っと何だっけ。そうそう、検索エンジンでパロキセチンについて調べると、サジェストに「性格が変わる」や「感情がなくなる」といったワードが出てくることがあります。実際にパロキセチンを飲んでみると、性格は変わらないし感情も普通にあるので、あれは嘘です。でも、今まで熱狂的に愛していたものが、全て脳内物質の見せる幻想だったと気がついてしまうので、そう感じるのかもしれません。

アルコールしかり、そして恋愛も。

「吊り橋効果」ってありますよね。恐怖や不安で心拍が高くなっているときに出逢った異性に、恋をしていると勘違いしやすいというアレ。大谷先生への私の気持ちも、きっと吊り橋効果だったのだと思います。

別府医療センターを退院する日の朝、最後の回診で大谷先生を呼び止め「お世話になりました、ありがとうございました」と伝えると、大谷先生は嬉しそうに微笑んで下さいました。その笑顔に私は心を撃ち抜かれてしまったのです。

それでも、心のどこかで「これって吊り橋効果だよな」と冷静に分析する自分がいました。でも、恋愛なんて全部気の迷いだと思います。吊り橋効果でもそうでなくても、大谷先生への気持ちは本物でした。あの日、トラブルになるまでは。

山本先生のところに転院してから、大谷先生には一度もお会いできていません。でも大谷先生のことは、ずっと心から離れませんでした。

パロキセチンを飲むと、そんな気持ちもどんどん薄らいでいきました。まるで「電影少女」の最終回みたい。…って、わかんないですよね?週刊少年ジャンプで1997年から連載されていた漫画です。山本先生が分かりそうなところでいったら、大林宣彦監督の「時をかける少女」のラスト?

心の中心でキラキラ輝いていた大好きな人の面影が、爆速で色褪せ遠退いていく。そんな感覚と、好きな人の記憶が徐々に消えていくのが似ているなって思ったのです。異論は認めます!

恋心が消えていくのは少しさみしかったけれど、もう苦しまなくて済むと思いホッとしたのも本音です。恋も心の病気なのだと痛感しました。中年になってからの恋愛って、苦しいことばかりです。同年代はたいてい結婚しているし、仕事でそれなりのポジションに就いていることも多いです。不倫のリスクを考えると、素敵な人に出会っても我慢するしかありません。恋なんかしたって、辛い片思いが待っているだけです。

「つーか、お前も結婚してるじゃん」って思いましたか?結婚したら恋をしなくなるほど、人間は便利に出来ていないと思います。行動さえ起こさなければ、心の中は自由なのではないでしょうか。

それに、ダンナのことは好きだけど、ドキドキしたり胸が苦しくなったりしたことは一度もありません(ごめんダンナ)。

ダンナと知り合ったきっかけはマッチングアプリでした。その時、条件的に一番良かったのがダンナだったので選んだだけです。でも、パロキセチンを飲み始めてからも、ダンナへの気持ちに変化はありませんでした。これが“愛”と“恋”の違いかと思いました。

愛している人への気持ちには変化がなく、恋している人への気持ちは冷めていく。面白い薬です、パロキセチンって。

私はM大を卒業後、39歳まで東京で暮らしていました。別府に来た理由は、旅行で訪れた別府温泉にひとめぼれしたからです。引っ越した当初は、鉄輪にある某ホテルに住み込みで働いていました。大卒だったので「頭がいい=何でもできる」と思われたのか、事務職で採用されたにも関わらずフロントに入れられました。接客業未経験で死ぬほど気が利かない私は、すぐ仕事に行き詰まりました。でも、仕事を辞めると住むところも一緒に失ってしまいます。そこで考えたのが

「男の家に転がり込む」

です。別府で一人暮らしをしている年齢の近い男性、という条件で効率よく相手を探すために、マッチングアプリを利用しました。今のダンナの家に転がり込むことに成功した私は、めでたくホテルを退職。「生活費が折半できれば楽になるな~」くらいにしか考えていませんでしたが、ダンナの熱烈なラブコールの末に、同棲をはじめて3か月で結婚することになってしまったのです。

「そんなよーわからん人と結婚して大丈夫なん?」実家の母からはずいぶん心配されました。しかし結婚してすぐに、別府市の特定検診で乳がんが見つかったのです。会社員のダンナと結婚していなければ、大変なことになっていたでしょう。私なんかと結婚したせいで、苦労をかけることになったダンナには本当に申し訳ないけれど。でもダンナは「小百合と結婚できて幸せだ」と言ってくれます。優しい人です。

若いころならともかく、40歳を過ぎてからもこんなガバガバな人生設計でどうにかなっちゃってるなんて、我ながらスゴイ思います。今回の乳がんの件では、母親から「アンタ…またか?」と言われました。

私は小さいころから、「人間に見えないものが見えている」といろんな人からよく言われました。人はそれを「霊感」や「超能力」と呼びます。

私に不思議な力があるように見える原因の多くは、私が自閉症だからだと思います。
自閉症の診断を受けたのは45年ぐらい前です。私が5~6歳の時だったと母から聞いています。発達障害とかグレーゾーンとか、そんなカテゴリーは無かった時代です。今なら違う診断が下りるかもしれませんが、そういう“特性”がある人間であるのは間違いありません。

私は昔から「空気を読む」ということが全くできない人間でした。人の気持ちを汲むことも苦手で、人と接触すること全般が苦痛で仕方ありませんでした。勉強はできたので、特別学級ではなく普通のクラスに入りました。小さいうちから社会に揉まれる訓練をしたほうがいいと考えた母の意向でした。

小学校の低学年のうちはまだよかったのですが、大きくなるにしたがい周囲とうまく行かなくなりました。雰囲気で人間関係をこなすことが難しかった私は、パターンを覚えることでそれらをどうにかしようとしました。将棋の手のように、こう来たらこう、こう来たらこう、というのを丸暗記するのです。

そんなやり方でどうにかなるほど、人間関係は単純ではありません。しかし、年齢が上がりデータの蓄積量が増えると、プロ棋士のように何十手も先まで作戦を立てながら話すことができるようになりました。私に人知を超えた能力があるように見えるのは、99%それのせいです。

でも、残りの1%は?よく分からない力が働いているとしか思えない時があります。

今回だって、結婚願望なんてぜんぜん無かったのにバタバタ結婚したら乳がんが見つかったり、引っ越した家のすぐそばに乳がんの専門医がいる大病院があったり。まるで、ガンになるのが分かっていたみたいです。

空気を読む力が弱いから、他の感性が研ぎ澄まされるのだと自分では思っています。他の感性というのが具体的にどういうものか、うまく説明できないけれど…。

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