第4話 のりおちゃんのこと

文字数 3,320文字

のりおちゃんは、小百合の守護霊的な何かである。小百合にもその姿は見えない。声も聞こえない。そもそも守護霊なのかどうかも分からないが、物心がついた時にはすでに小百合の近くにいた。そして、小百合に人生の転機が訪れた時、それとなくメッセージをくれる。

小百合には、人知を超えた能力があるらしい。昔から周りの人にそう言われていた。小百合に特殊な力があるように見える原因の99%は、小百合が自閉症であることに起因している。残りの1%はのりおちゃんであろう。

のりおちゃんという名前は、小百合が勝手に名付けた。西川のりおのオバQのコントが好きだったので、霊的な存在という共通点から、のりおちゃんと呼ぶことにしたのだ。

のりおちゃんは小百合の「イマジナリーフレンド」ではない。友達の代わりに遊んでいる感じではないからだ。どちらかというと、保護者の大人のようである。イマジナリーフレンドは、実在するかのように鮮明に目に見えるというが、のりおちゃんは姿も見えず声も聞こえない。ただ近くにいる気配がするだけだ。そして小百合が中年になった今でも、変わらずそばにいる。

今日は大切な検査の日だ。のりおちゃんも着いてきてくれるだろうか。ここしばらく気配がなかったので、小百合は少し心細くなっていた。のりおちゃんに来てほしいとき、小百合は神社にお参りすることにしている。そうすると、のりおちゃんが戻ってきてくれる。霊的なエネルギーを、神社から補充できるのではないかと小百合は考えている。RPGでいうところの、ライフが回復する泉みたいな感じで。知らんけど。

小百合は大阪府の出身である。大阪南部の「河内」と呼ばれるエリアに生まれた。ケンカをしているわけでもないのに、語尾にボケとカスが付く。田舎のくせに柄が悪い。最悪な地域である。

河内の小学校教諭の母のもとに、小百合は生まれた。父親は写真でしか見たことがない。家族は4歳年上の姉がひとり。そして母方の祖父母も同居していた。祖父はサラリーマンだったが、曾祖父は著名な書道家だったという。昔は住み込みの書生さんが何人も家にいたそうだ。小百合が生まれたとき、曽祖父はもう亡くなっていた。

小百合の母親は気難しい人で、火垂るの墓の和泉のおばさんみたいな雰囲気がある。職業がら言葉遣いにとても厳しく、小百合は他の子たちのようにボケとかカスとかワレとか、そんな言葉は使ったことがない。

ちなみに、お笑い芸人がよく使う「オトン・オカン」という言葉。小百合の実家がある河内エリアでは、普通に「お父さん・お母さん」と言っていた。ダウンタウンが世に出るまで、そんな呼び方があることすら小百合は知らなかった。あれは関西北部の方言だろうと思う。じゃりン子チエでも、チエはテツとヨシエを「お父はん、お母はん」と呼んでいる。

小百合の家では、ゲームや漫画も禁止だった。小百合が小学校に上がったぐらいの頃に、赤と白の初代ファミリーコンピューターが発売されたが「目が悪くなる」「姿勢が悪くなる」と、学校では推奨されていなかった。教え子にゲームをしないように言っていた手前、自分の子供にいいとは言えなかったのだろう。

母親が定年した年、お盆に帰省した小百合は、母から「一度でいいからクレーンゲームをやってみたい」と請われ、スーパーのゲームコーナーについて行ったことがある。大阪府下の田舎町では、学校の先生は有名人だ。どこに行っても教え子や元教え子、その親や兄弟にであう。在職中はゲームコーナーに行きたくても、人目が気になって行くことができなかったのだ。

小百合も小さいころから「先生の子供」として育ってきた。同級生の家に集まってゲームをやったり、漫画を読んだりすることも禁止されていた。母親にバレた日には親同士で根回しされ、次からは誘ってもらえなくなった。ゲームセンターに行ったのをよその父兄に見つかり、母親の職場に苦情の電話をかけられたこともある。学校の先生の社会的信用の高さに、大人になってからは驚かされたが、子供の頃は嫌な思い出しかない。

小百合が東京の大学を志したのは、親の知り合いがいないところに行きたかったから、という理由がひとつにある。

小百合が思春期の間、のりおちゃんは小百合の前にあまり出てこなかった。地元を離れたいがために、小百合は休日や睡眠時間もけずって猛勉強をしていた。そんな状況で、のりおちゃんは出る幕がなかったのかもしれない。

霊的な存在を小百合が再び感じたのは、祖父が亡くなった時である。小百合が36歳の時だった。

小百合の実家は三世帯住宅だ。小百合の実家の隣家に、祖父母と姉の家族が住んでいる。二軒の家は廊下で繋がっていて、それぞれの家族は独立しながら自由に行き来ができた。

小百合の祖母は整理整頓が全くできない人だ。今ならADHDと診断されるようなタイプだろう。祖父が寝たきりになってからは、祖父母宅はごみ屋敷同然の有様になっていた。

祖父が亡くなり、葬儀の段取りをすることになった。「そういえば、セレモニーホールの会員証があったよな」と母親が言い出した。

祖父は10人兄弟の長男である。曾祖母が亡くなったとき、祖父はセレモニーホールの会員になっていた。四十九日や一周忌・三周忌など、親せきを集めて法事を行うときに、セレモニーホールを利用する機会が多いだろうと考えたからだ。自宅は人を呼べる状況ではなかった。

祖母は書類の管理も全くできない。セレモニーホールの会員証や契約書なども祖父が管理していた。祖父がいない状況では、それらがどこにあるのか見当もつかなかった。しかし小百合は、一発で探し当てたのだ。それらがどこにあるか、最初から知っていたかのように。

それだけではない。遺品整理をしていた小百合は、何の気なしに目についた戸棚を開けた。中には古びたスーパーのレジ袋が突っ込んであった。今は無き「ニチイ」のものである。袋の中を確かめてみると、大量の綿と、干からびた小枝のようなものが入っていた。小百合はレジ袋をゴミ箱に捨てようとした。しかし、その手を制止する力を感じたのだ。

「のりおちゃん?」

この袋にはなにか大切なものが入っている。そう直感した小百合は、袋を祖母のところに持っていった。

「これは…へその緒や。」

小枝のようなものは3本あった。小百合の母は3人姉弟である。祖母はわが子のへその緒を、レジ袋に入れて戸棚に突っ込んでいたのである。3人のうち一人は子供のうちに亡くなっている。3人で唯一の男の子だった。祖父は息子が亡くなった時、声をあげて号泣したという。祖父が泣くのを見たのはその時が最初で最後だったと、祖母が話していた。

へその緒は桐の箱などに入れられているのが普通だろう。しかし、長期間ぞんざいに扱われたせいで、箱は劣化し粉々に崩れ去っていた。

その後、小百合は別の場所から祖父のへその緒が入った桐の箱も発見した。へその緒と一緒に、祖父の証明写真が入っていたので、祖父のものとすぐに分かった。祖父は自分の死後、こうなることを予想していたのだろう。まるでタイムカプセルである。

遺体を焼くとき、棺に故人のへその緒を入れる風習があるそうだ。祖父の棺にも、祖父と子供たちのへその緒が入れられた。

小百合は、へその緒を見つけた直後に、祖父方の先祖の位牌を5柱と、曽祖父が野辺送りの際に着用した白い紋付袴も発見している。

今、小百合のもとにいるのは、ひょっとするとのりおちゃんではなく、亡くなった祖父なのかもしれない。しかし、あの棚の中に子供たちのへその緒が入っていたことは、祖父も知らなかったはずだ。知っていたらどうにかしようとしていただろう。仕舞った張本人の祖母も、その存在を忘れていた。あそこにへその緒があることを知る人間は誰もいなかったのだ。

祖父には、近くに自分の娘がいる。長年同居してくれた小百合の姉と、ひ孫もいるのだ。ずっと実家を空けている小百合に、祖父が憑く理由は無い。だから今、ここにいるのはのりおちゃんだと小百合は思っている。

今日の検査ははのりおちゃんが着いてきてくれる。ひとりのときよりもずっと心強い。小百合は車に乗り込み、八幡竈門神社を後にした。
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