§04 12/02 頼られたら断れない性分(1)

文字数 4,855文字

 教室は冷えるから自習棟のラウンジにしようと言い出したのは平木である。今日も紀平と俺、平木と茶山の四人が放課後に顔をそろえた。妙な顔ぶれの取り合わせではあるが、経緯は単純だ。昨日の平木は紀平へのお近づきの初手を探りにやってきた。今日の平木は俺の不名誉な煽られ事案を紀平から茉央を経由して耳にしたのである。それで昨日に引き続き、平木は茶山を引き連れてやってきたというわけだ。
 ところが自習棟のラウンジという空間は、試験前には当然のことながら混み合う。いったん教室で顔を合わせてから移動を始めた俺たちは、明らかに出遅れていた。空きを探して歩くまでもなくすべてのテーブルが埋まっていることは、扉を抜けた瞬間にわかった。平木はさっと踵を返し、図書室にしようと言って歩き出した。俺もそう思ったので平木に並んで校舎に戻ったのだが、そのとき、紀平と茶山がすぐにはついて来なかったことに(いくらか躊躇ったことに)、俺は気づかなかった。
 閲覧席でもなるべく入口に近いほうを選ぶ。俺と平木には情報の交換がまだ残っており、むろん声をひそめはするものの、言葉をまったく交わさないわけにはいかないからだ。紀平と茶山のほうはどこにどう座っても構わないのだが、やや遅れながらも一緒にやってきた手前、俺と平木の向かい側に席をとった。
 二人がなんだか落ち着かない様子であることは、しばらくして平木のほうで気がついた。ラウンジとは違って図書室の長机はデカく、向かい合って座った人間がしゃべるには適さない。従って、向かい合っていながらも、俺と平木、紀平と茶山、この二組は自ずとそれぞれに、独立した空気を纏うことになる。つまり、俺と平木のおしゃべりは紀平と茶山の耳には届かない。
「ねえ悟朗、あの二人、さっきから様子が変じゃない?」
「そう?」
「なんかソワソワして、周りを気にしてる感じしない?」
「あいつら周りのことなんか気にするタイプか?」
 ぐるりと辺りを見回したとき、そこで初めて俺は、貸出カウンターの中に栗林が座っていることに気がついた。つい最近、誰かの口から「栗林」の名前を聞いた記憶がある。が、すぐに取り出すことができない。なにかあったはず…だとは思うのだが。
「平木さ、最近あの栗林になんかなかったっけ?」
「さあ、栗林なんて一言もしゃべったことないし」
「いや、なんか聞いたんだよ。つい最近、たぶん先週くらいに……」
 そう、先週に二日続いた厄日のどこかで――あ、大迫か!
「なにか思い出した感じ?」
「日浦に蹴り飛ばされたらしい。てことは、佐藤由惟だ」
「栗林の顔見て紀平さんが日浦を連想したの?」
「いや、図書室には日浦と佐藤がいるんだよ」
「どこにも見えないけど」
「この図書室って実はけっこう広かったよな?」
「栗林に訊いてみましょう」
「おまえそれ鬼だろう……」
 だが、平木の表面(おもてづら)というのは――要するに世渡りのために拵えた独自のキャラのことだが――俺の制止など聴こえないふりをするのである。行きがかり上、仕方なく俺も席を立ち、カウンターに向かう平木を慌てて追った。
「ねえ栗林さ、あんたここに――」
 まさか正面からいきなり平木なんかに話しかけられるとは、栗林だって夢想だにしていなかったのである。キャスター付きの椅子に座ったまま、引き攣った顔で大袈裟に後ずさった。それを無理やり引き戻そうとするかのように(むろん伸ばしたところで腕が届くはずもないのだが)、平木がカウンターに身を乗り出した。
「おいこら、逃げるな」
「な、なんだよ、平木。俺になんの用が……」
「栗林ってずっとここに座ってるんだよね?」
「え、そうだけど……」
「日浦と佐藤、きた? どこにいるかこっそり教えて」
「し、知らねえよ」
「知らない? あ~ら、そ。じゃあ――」
「ま、待て!」
 おいおい、大丈夫だよ、栗林。このあとに続くセリフは間違っても「死になさい」じゃねえから。そんなにビビるな。横で見てる俺が吹き出しそうになるよ。
「書架の奥、校庭側の窓際」
「そこになにがあるの?」
「閲覧席が少しあるんだ」
「へえ、知らなかった。――ありがとう、栗林クン。今度ランチに招待してあげるわね」
「ふぇっ…!?
 こいつアホだな。そんなの真に受けてどうする?
 そこからさらに、問題の閲覧席にはどこからどうアプローチすればいいのかと平木に尋ねられた栗林は、たぶん我が校のこの学年を代表する美女とランチテーブルを挟む魅惑の情景にでも思いを馳せていたのだろう、いかにも要領を得ない説明を展開し、「女帝」と恐れられている女を苛立たせて果てた。つくづく気の毒な男だ。
 しかしいくら広いとは言うものの、ざっくり教室三つ分くらいの話である。書架のあいだを適当に見当をつけて歩けば、いずれなんとかなる話だ。そして俺たちは程なく校庭を見渡す閲覧席の後ろに出た。窓に向かって横に並ぶ閲覧席である。こんな場所があるとは今日まで知らなかった。その右端に、なるほど好さげな雰囲気の男女が並んでいる。
 後ろから歩み寄る気配を察したのだろう、二人は同時に振り返った。
「……女帝に袴田? 本校最恐コンビじゃんかよ。――あ、今の〈キョウ〉は『恐れ』のほう使ったから」
「日浦、抹殺されたいの?」
「おまえらもここ使うならさ、向こうの端っこのほう座って――」
「へえ、普段ならここ真下に陸上部が見えるのねえ。あ、それでこっから茶山が見えたって話なのか。なんかいろいろ合点がいっておもしろいわあ」
「おい、だから隣りに座るなって!」
 思いもしなかったのだが、どうやら平木と日浦はずいぶんと親しいようである。平木がすぐ隣りの椅子を引くと、日浦は泡を食ったように(しかし露悪的にわざとらしく)佐藤のほうへと身を寄せた。――しかし佐藤由惟ってのは実に蠱惑的な女だね。平木とは意味合いが違うけど、近寄り難いと噂に聞くのはわからないでもない。
「マジでさ、平木と袴田って、どういうこと?」
「私が悟朗と一緒にいちゃいけない?」
「いけなくはないけど、物騒ではある」
「あんたさ、ちょっと調子に乗ってるでしょ? 佐藤みたいなの彼女にして」
 平木、それは無理からぬことだろうよ。
「あのさ、日浦はなんで俺のこと知ってるの? 俺らどっかで交錯してる?」
 そう、俺のほうではさっきから、どうもそこが気にかかっていたのだ。
「いやいや、袴田知らない人間なんている? へたしたら茶山より有名なんじゃないの?」
「それって茉央のせいか?」
「畏れ多くもあの吹雪提督を

で呼んでしまう男」
「やっぱそういう話か……」
「加えて平木女帝から親し気に『悟朗』なんて呼ばれてしまう男」
「もういい、やめてくれ」
「さらに加えて提督からは――えっと、なんだっけ?」
「いい、いい。そいつは思い出さなくていい」
 平木と日浦の向こうで佐藤由惟がくすくすと笑った。ということは佐藤もまた、俺が茉央から「ゴロッち」なんて不名誉かつ不愉快な呼ばれ方をしている事実を承知しているわけである。茉央には即刻やめさせなければならない。が、無理だろうなあ……。
 ちらりと覗き見るに、二人はどうやら古典の勉強をしていたらしい。二年では文理でさほど大きく違わないとは言うものの、さすがに古典は文系にしかない。まことに慶賀すべきことだ。古文書? あり得ないね。平木、おまえやっぱり理系でガンバレ。
「無駄に顔の広い日浦にちょっと訊きたいんだけどさ」
「無駄じゃないよ」
「最近どっかで悟朗の悪い噂とか耳にしてない?」
「城田と野口がしっぽ巻いて逃げた、て話?」
 ……んなッ!?
「それもう都市伝説化してるってこと?」
「しょんべんちびったらしい…とまでは言われてないけどね」
「悟朗もさ、ああいうことするなら、ちゃんと人の目がないところ選びなさいよ」
「直接訪ねていけばさっさと終わるはずだって、けしかけたのは平木だぜ?」
「あら、そうだった?」
「野口の時だって、気利かせて席外そうとしたら無理くり引き留めたろう?」
「記憶にないわ、それ」
 クソッ! この女、都合よく「女帝」モードに入りやがって。
「でもあいつら男バレだよね? 要するに瀬尾の一件だよね? 大迫シメめればいい話でしょ。大迫って体はデカいけど気はちっさいんだよね。袴田が困ることなんてないんじゃない?」
「大迫とは話がついてるんだ。だから男バレがやってるんじゃねえんだよ」
「なにが? いや、なにを?」
「ああ、そいつはちょっと……」
「悟朗を煽ってくる連中がいるみたいなのよね」
「マジで? いやそれあり得ないよ。提督のことイジメるくらいあり得ないよ」
「それが

から薄気味悪いっていう話なの」
「ねえねえ、さっきから平木さ、なんか女の子みたいなしゃべり方してるんだけど――」
 おい、今そんな余計なこと――
「悟朗がいるからね。悟朗がいるときは私、頑張らなくていいの」
「へえ、そうなんだ。平木は頑張ってあれやってたんだ。おもしろいね、それ。――でも、そうか。いや袴田の話だけどさ、じゃあ男バレの一件を盾にしてるって話なのかな。瀬尾が辞めて、大迫が惨敗して、城田も野口も腐ってるところに、上手いこと袴田を嵌め込んだ。それで自分たちの姿は見えにくくなる。そう考えたわけだよ。ちゃんと論理立てて考えたかは知らないけど、そういう発想だよね、それ」
「そこなんだけど、まだちょっと足りない感じね。日浦もう少し掘ってみてくれない? それでどうして悟朗になるの?」
「あれこれ思い通りにいかないことが多くてさ、いよいよ具体的な姿形をして迫ってきてるわけよ。瀬尾が辞めて大迫が惨敗する、インハイ出た茶山があっさり引退する、里美は中間で首位を奪還できなかった、そういうのがいっぺんに重なってきてる感じしない?」
「確かにみんな悟朗を怖がるけど、別に立ち塞がってなんかいないわ」
「そういうのじゃない。でっかい壁とかじゃなくて、躓きの石みたいなやつだよ。ちゃんと壁にブチ当たったのなんて茶山くらいしかいないよね? ほかはみんなちょっとした躓きなんだ。イラっとくるやつだ。イラっときて、つい蹴飛ばしたくなる」
「要するに、私たちはいま正しく十七歳をやってる、そう言いたいわけ?」
 なるほど。そこに佐藤由惟がいるのもそうした物語の小さな断片に過ぎない、と。
 しかし驚いたな。日浦ってのは、こんなややこしい男なのか。紀平が執着するのもわかる気がするよ。紀平と日浦は、俺と茉央とは違う。俺たちのほうがよっぽど牧歌的だ。まさに保育園児が婚約発表するみたいな低レベルの腐れ縁だわ。
 それで日浦、仮におまえの見立てが正しいとして、俺はどうすればいいわけよ?
「どこに消えちゃったかと思えば、やっぱりここ」
 紀平が顔を出すのは遅かれ早かれだ、とは思っていたところである。
「里美も袴田の一件に噛んでるわけ?」
「私は女神のように現れてそっと手を差し伸べてあげたの。――ね、袴田?」
「まあ、文意は間違ってない。が、フォントの選択がおかしい」
 だれが女神だよ? 笑わせるな!
「ねえ紀平さん、日浦が言うにはね、みんな苛立ってるからだ、て話なのよ」
「袴田のこと? 確かにそうかもね。わざと怖いものに手を出す、て振る舞いを現象面から説明できるね。内面のイラ立ちに唆されてるわけでしょ。でもちょっと時期が早くない? 来年の今ごろなら、それもわからなくはないけど」
「そっちじゃないんだよ。おまえが首位から転げ落ちたやつとか、瀬尾や茶山が退部したやつとか、それに、あれだ、雨野が結城を拾い上げて見せたのが最初なんだ。雨野が転校してきてから、そういうのがずっと続いてるんだよ」
「そこには日浦奎吾と佐藤由惟のお話しも入るのかな?」
「え? いや、それはどうかな……」
 なるほど。日浦の言わんとするところは、なんとなく理解できた。が、この俺がその標的にされる謂われはない。そこの説明が抜け落ちている。「正しく十七歳をやってる」だとか、そんな捉えどころのない話じゃあ、とうてい納得できないね。
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