§02 11/25 今日も厄日かよ?(2)

文字数 3,030文字

「男バレの城田って、まだいる?」
 教室に入ってすぐの机に取りついておしゃべりをしていた女に声をかけると、ちらりと視線を交わした二人はそろって窓側に上体を捻り、黙ってちょうど真ん中くらいを指さした。なるほど、座っていても長身とわかる短髪の男が、机に向かって教科書を開いている。
 教壇を横切って男の正面から歩み寄ると、ハッとこちらの接近に気がついたように顔を上げた。なかなかに造作の整った、ちょっといい男である。世の大半の人間が「ストーカー」と聞いて思い浮かべるイメージからは、かなり遠いと言って構わないだろう。そして、確かにこの顔には見覚えがある。お互い同じ体育館と部室棟を往来しているのだから、当然そういう話になるはずだ。
「城田、ちょっと話がある」
「え~と、袴田だっけ?」
「吹雪茉央の一件だよ」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
「廊下に出てるわ」
 背中を向け、ふたたび教壇を、今度はゆっくりと時間をかけて横切り、先ほど声をかけた女たちからの無遠慮な眼差しを浴びつつ、廊下に出た。(おまえら、ホモサピエンスのオスがそんなに珍しいか?)
 もちろん、後方の扉から逃げ出す隙を、城田に与えたわけである。が、程なくして城田もやってきた。なるほど、瀬尾よりいくらか大きいが、大迫ほどではない。それでもずいぶんと見下ろされる感じがするものだ。
「ここで始めても?」
「いいよ」
「城田――吹雪に付き纏うのはやめろ」
「袴田は吹雪さんのカレシ?」
「いいや」
「じゃあどうしてそれを袴田に言われなくちゃならない?」
「そこに理由は必要ないと思うけどね」
「……まあ、そうだね。誰に言われても一緒か」
「いや、そこは一緒じゃないぞ」
「どこが?」
「おまえが吹雪に付き纏うのをやめないと、俺がおまえに付き纏うことになる」
「具体的に言うと?」
「毎朝おまえの机に挨拶に行く」
「ほお」
「男バレの練習前にも挨拶に行く」
「ふむ……」
「昼休みには弁当を持ってくるかもしれない」
「いや、待て――」
「むろん練習が終わったあとも一緒に駅まで――」
「待て、待て。――わかったよ。それはやめてくれ。俺もやめる」
「理解が早くて助かるよ」
 肩を竦めるような仕草をして見せてから、城田は片手にリュックをぶら下げて立ち去ろうとした。が、俺はふと思い出したことがあって、城田を呼び止めた。
「今日、なんで直前になって場所を変えた?」
「ああ、それね。――いつも朝は一人で来る吹雪さんが、今朝は袴田と一緒に来た。昼休みにもくっついてくるのか確かめたかった。それだけだよ」
「それを確かめて、でも、なんで現れなかった?」
「……ふう」
 と、城田が溜め息をついた。
「それには答えたくない」
「なんで?」
「袴田、もういいだろう?」
「ああ、悪い……」
「じゃあな」
 ん…? なんだこれ? この妙な疎外感みたいなやつ――これはなんだ?
 廊下の窓辺で向き合っていた俺の前から城田が去ったことで(壁に背を凭せかけて教室から出てくる城田を待っていたわけだ)、女たちの姿が――教室に入ったときに声をかけた二人の女が――ちょうど正面に見えていた。俺が正面から見られていた。こいつらなんで見てるんだ? こっそり覗き見していたのはいい。その心情は理解できる。しかしもう演目は終わっており、幕が下りているはずだろう。それなのに、おまえらなんでまだ俺を見る?
 ――と、二人がリュックを肩にして、つつつっと廊下に出てきた。
「ねえねえ、なにがあったの?」
「城田、なんかやらかした?」
「卓球部の女子に手ぇ出したとか?」
「それで袴田くん来たの?」
 あ、なんだよ、こいつら女バレじゃねえか!
「さっきビビったよね。袴田くん急に声かけるんだもん」
「ほんと、心臓に悪いよ」
「城田さ、顔引き攣ってなかった?」
「引き攣ってたねえ」
「袴田くんに呼び出されたら引き攣るよねえ」
 は…? おまえらもそう思ってるの? なあ、それってどういう意味なのか、ちょっと教えてくれねえかな…? 俺にはどうにもこうにもよくわからないんだよ……。
「でもほら、瀬尾くん辞めちゃったでしょ? それで城田さ、少し腐ってたんだよ」
「そう、そう。だからあんまり責めないでね。まあ、よっぽど悪いことしたならしょうがないけどさ」
「いま男バレって空気最悪だしね」
「うん、ちょっと魔が差したって言うか、そんな感じかもしれないから。なにしたか知らないけど」
「あ、袴田くんて、いつもどこで勉強してるの?」
「今日は自習棟」
「ほんとに? 私たちもこれから自習棟行くんだよ。一緒に行っていい?」
「ああ、いいよ」
 でも俺さ、まずは平木に報告しなくちゃなんだよ。それにきっと瀬尾が一緒にいるぜ。茉央もな。あいつら最近一緒に勉強してるっぽいから。一緒に、つってもただ並んでるだけで、お菓子食いながらくっちゃべってるわけじゃねえけど。

     *

 自習棟の入り口で、実は約束があると告げると、女バレの二人はなんと言うこともなく、あっさり二人で席を探しに行った。教室を離れてからここまで、ほぼ二人が勝手にしゃべっていた。俺は適当に相槌を打ったり首を傾げたりしながら、女バレと男バレは噂に聞くほど仲が悪いわけでもないらしい…などと考えていたわけだ。それならどうして瀬尾の送別会に平木と茉央を呼んだりしたのだろう? やっぱり元凶は大迫か、いや瀬尾か。もう終わったことだから、どっちでも構わないけど。
 たぶん平木は待ち構えているだろうと考え、集中スペースを探し歩く前に、ラウンジに立ち寄った。やはり平木はそこにいた。テーブルに一人で座り、教科書を開いている。声をかけるな…とのメッセージを、全身にオーラのように纏いつつ。だから、俺が向かいの椅子を引くと、キッと睨みつけるような顔を上げ、ハッとしたように柔らかく微笑んだ。――というわけだ。いちいち面倒くせえな、ほんと、こいつら。
「隣りに座ってよ」
 円形の机を回り込み、隣りに座り直した。
「終わった?」
「終わったよ」
「よかったあ。城田はちょっとは粘ったの?」
「そうだな。ちょっと粘ろうとしたよ。でもまあ、ちょっとだ」
「なんて言ったのか聞いてもいい?」
「茉央のカレシでもない俺になんでそんなことを――」
「そうじゃなくて、悟朗がなんて言ったのか」
「ああ、それなら――朝昼晩と俺のほうから挨拶に行くぜ、て言ったよ」
「え? あははっ!」
 と思わず声を上げてしまい、平木は慌てて口元を押えた。
「それ最悪ね」
「確かにそんな顔してたな。勘弁してくれ…てな感じで。――でもさ、平木、どうしてなんだ?」
「なにが?」
「俺より明らかに二十センチはデカい。体格もいい。殴り合えば間違いなく城田が勝つ。俺には空手も柔術も心得がない。そうだろう?」
「さっきもそんなこと言ってたけど、たぶんそういう話じゃないよ」
「じゃあどういう話なんだよ?」
「さあ、私に訊かれてもねえ。――それより悟朗さ、ちょっと漸化式のお話ししてくれない? なんか私、数列って苦手っぽくて、するっと腹落ちしてくれないの。柔らか~い感じでお話ししてくれると助かるんだけどな」
 別にいいよ、漸化式くらいなら。
「お礼にさっそく世界史の『傾向と対策』を授けてあげる」
「世界史は平均点とれりゃいいんだよ」
「いつもすれすれのくせに」
「まあ、確かに……」
 て、おい、なんで席立つんだ?
「カフェテリア行こっか」
「ここでいいだろ」
「でも、ここ目立つから」
 そんなの、平木なら、どこでも一緒じゃね?
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