第61話 守りのない巫子

文字数 1,876文字

風が音を立てて吹き、町の家々の窓をガタガタとゆらす。
すでに酒場も店を閉め、人々が寝静まり、静かな中を時折見回りの兵が、ランプを手に夜回りをしている。
一つあくびをして、道ばたで酔って眠りこけた親父を見つけ声をかけた時、何かがブオンと風を切って通り過ぎた。

「な、なんだ?」

素っ頓狂な声を上げ、ランプをかざして辺りを見回す。
しかし手のランプに血が付いているのに気がつき、顔を近づけようとした瞬間、なにかがランプを貫き思わず地に落とした。

「あっ、ランプが!い、一体何だってんだ!」

壊れたランプからは油が漏れて、ゆるゆると燃える。
その側で、一束の金の髪がチリチリと焼けて消えた。
兵は見えない何かに恐怖を覚え、酔っぱらいを叩き起こして慌ててその場から逃げていく。

その様子を見下ろしながら、先の影を追う一つの影が家の屋根から屋根に飛び移った。
彼はレスラカーンの命で兄のキリルに頼まれ、リリスを守りに来たミスリルだ。
名をエリンと言った。
キリルとしてはレスラカーンに仕えさせたいと思っていたが、彼の獣の目と顔から耳を覆う獣の毛、その獣人の名残を残す容姿にサラカーンがそれを許さず、結局未だ兄の下で働いている。
仮面で顔を隠しながら、彼としてはその方が気がラクだと兄には言いつつも、この顔では主を得ることは諦めざるを得ないだろうと思い始めていた。


町中を駆け抜け、リリスを担いだままのはぐれミスリルの2人は、すでに追っ手に気がついている。

「ゼル、森で振り切るぞ!」

「兄者、腕を片方切られた!切られた!」

「血を流すな、あとを追われる。」

「わかってる、俺の血は毒だ。わかってる、血は毒だ!」

「巫子を落とすな!二度と無い得物だ。
守りのない巫子なんて火の巫子くらいだからな。こいつは食っても売っても精霊の守護がない。」

「兄者、兄者、でも……火の巫子は、火の巫子は、かか様に、かか様に……」

「ゼル!俺たちを火の精霊が助けてくれたことがあったか?火は力を無くし、火の精霊なんて見たこともない。そんなありもしない物を束ねる巫子なんて、今の俺たちに必要無い者だ。
いいか?今必要なのは金だ。お前は俺の言うと通りにすればいい。いいな!」

「わかってる兄者、これは金になる。わかってる、金になる!
兄者、金に換えてこの国出よう。出よう。」

「そうだな、まずは追っ手を切り抜けないとな。これが最後の仕事だ、気を抜くな。」

「うん、隣の国に行って畑を耕して暮らそう。普通に暮らそう。」

森に飛び込み、身を潜めて気配を探る。
あたりはしんと静まり、風一つ吹いていない。
葉っぱ一枚動いた気配もなく、兄弟はそれでも気配を消して森を奥へと進んだ。

追ってこないのか?
いや、そんなはずはない。
これは本物の巫子だ。まとっている気の色が違う。赤い、赤い火の色だ。
それは、懐かしささえ感じるほどの、暖かな色だ。

「う……うう……」

肩に背負ったリリスが、ようやくうめいて目を開ける。
目を開けてもそこは真っ暗で、頬に当たるヒヤリとした空気と、撫でるように触れた枝葉の感触で、ここが森の中だとわかった。

毒の血が少し口に入ったのかノドが焼けるように痛く、呪を唱えようにも声が出ない。
手足の先がしびれて抗うことも出来ず、薄く開けた目を左右させて状況をなんとか掴もうとした。

ミスリルの男は無言だが、時折息が乱れるのを聞くと、普通の人間には聞こえないほどの声でもう1人と会話しているのかと思う。
彼らは普通の人間を超越している。
果たしてどこに連れて行かれるのかと考えた時、あの先日の半獣のミスリル姉弟を思い出した。

“巫子を食べると精霊になれる”

ハッと息を飲み、ゾッと背に冷たい物が走った。
自分でなんとかしないと、こんな事で死にたくない。
自分はやる事が沢山ある。
誰か追ってくる気配はない、彼ら相手では誰も助けに来る事はできないだろう。

身体をなんとか動かしてみる。
男が気がつき、グッと腕に力を入れてきた。
そして、もう1人の男が、赤い髪を掴んで顔を上げさせる。

「動くな、何も喋るな」

暗闇に、双眸がギラリと光り息を飲んだ。


駄目だ、駄目だ、恐い。
母様!母様!ザレル!助けて!誰か助けて!


むなしく心の中で叫ぶと、涙がボロボロと流れイネスの顔とつぶやく声が浮かぶ。


“まったく、リリは泣き虫だなあ、もう泣くな”


ああ、イネス様!
もう、もう、リリスは会えないかもしれません……

もっと、もっと話をしたかったのに。
普通の人間の誰が彼らに敵うだろう。
フレアゴートも自分を救いに来るとは思えない。
リリスがギュッと目を閉じた時、何かが飛んできて、担いでいる弟が大きく後ろに飛んだ。
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