第99話 王妃のため息
文字数 1,996文字
カップを置いて、まだ日が高い時刻だというのに薄暗い空を窓越しに見上げる。
雨は勢いが収まった物の、風が強くて時折どこからか笛を吹くような音が響き、それが不気味で耳障りに感じた。
茶を楽しむような日ではないというのに、王妃は静かにカップを傾け、最初は最近の気候から、やがていつもと変わらぬ様子で勉強は?仕事は?と、まるであの夜の話題を避けるように、うんざりする話しを息子に投げかける。
人払いしたとき、もしや隠し事を話してくれるのではと期待したが、結局いつもの説教でガッカリした。
自分が何を思い悩んでいるかなど、この母親はわかっているのだろうか。
キアナルーサは生返事を返しながら、あまりにも落ちついたその姿に苛立ちを覚えた。
あの夜……あんな姿を見せながら、母は僕に何も話してくれない……
リリスがさらわれた夜、騒ぎに駆けつけたキアナルーサは、リリスを心配して取り乱した母を見た。
叔父に叱咤されながら泣き叫ぶ姿は恐ろしささえ感じるほどショックで、しかもそのあとフレアゴートの声を聞いた兵たちの、自分に向けた視線はどれも疑惑を含み、プライドを打ち砕いてひどく自分を傷つけた。
自分は蚊帳の外だ。
王位継承者とは名ばかりで、まるで期待されていないことを肌で感じる。
「……馬鹿にして、この僕を……」
小さくつぶやいた声に、母が怪訝な顔で話しを止めた。
「なにか?私の話を聞いているの?
お前にはもっと歴史の本を読むように勧めて欲しいと、教育係から頼まれているのよ。
歴史のことを知るのは大切です。
かつての王たちがどのような判断をし、それでどのような結果を得たか、アトラーナの今はすべてそれまでの歴史を踏んできての……」
「わかってますよ!だから今、ゼブラに適当な本を選ばせているのです。
先日司書のロナ爺がよこしたのは難しくて……もう少しわかりやすいものをと。」
あからさまに、母が大きなため息をついて首を振った。
「お前は…本当に小さい頃から本が苦手でしたものね。
まあいいでしょう、剣の方は筋がいいようだし……」
「ええ、先日は指南役のレビンを打ち負かしたのです。
次に負けたら剣を一本取り上げると言ったら、ひどく困っていました。」
自慢げに言う息子に、王妃がまたため息をつく。
どうしてそれがわざと負けたのだとわからないのか。
この年になって、わざわざそれを伝えるのも馬鹿馬鹿しい。
だが、言わねばわかるまい。
「レビンは騎士団長補佐役の騎士、お前に負けるような腕の持ち主ではない。
お前がケガをせぬように、下の者達が気を使っているのはわかってお上げなさい。間違っても騎士の命である剣を取り上げたりせぬように。」
「わ、わかってますよ、そのくらい。
僕だって下々にも色々と、ちゃんと配慮しているんです。
それに、本当に僕は強いんですよ。ゼブラだって、僕に勝ったことは無いんです。
母上はご覧になったことがないから。」
王妃がため息をついて茶を一口飲む。
配慮が出来ないから心配なのよと、心でつぶやいた。
「わかりました、では今度見に行きましょう。
でも、勉学もおろそかにならぬようになさい。
レスラカーンは本の虫だと聞くけれど、あなたと足して割ったらちょうど良いのに。
あの子はいずれ、あなたの補佐になるでしょうけど、頼るばかりでは王の威厳は保てませんよ。」
「は!僕がレスラに頼るだって?
母上、あいつは目が見えないんですよ?周りも見えないあいつにどう頼るって言うんです?
だいたい手を引かれなきゃろくに動けないあいつに、宰相なんて出来るわけ無いじゃないですか。
僕としてはいい迷惑ですよ。
あいつは、 ……自分の城に引きこもって子でも成していればいい。
女相手に本が何の役に立つと言うんだ、あいつの勉学など意味が無い、無駄なんですよ。」
王子の口から聞いたことが無いような下品な話に、王妃が思わずハンカチで口元を覆った。
「なんて下品な!酷いことを。キアナルーサ、こちらを向きなさい。
なんと言うこと、 ……お前はこれまでレスラカーンの何を見てきたのです。
あの子はあなたの何倍も努力を……」
バンッ!
キアナルーサが舌打ち、腹立たしそうにテーブルを叩いて立ち上がった。
「もう!もう結構!ああ……もう、うんざりだ!
私は戻ります、あなたの小言を聞いてるヒマはない!」
王妃が驚き、席を離れようとする息子の顔を見る。
優しく穏やかだった顔はゆがみ、苦々しさと苛立ちに満ちている。
この子が人を、いつも庇うことしかしなかった従兄弟を、これほど悪く言う事があったろうか。
まして自分の前で、これほど激しい感情を見せたことが無い。
いつからこれほど変わったのか、引っ込み思案で大人しく、いつも自信なさげだった息子の、これまで見たことも無い反応にひどく驚いた。
自分自身もリリスの事で感情が穏やかでは無かっただけに、最近とみに苛立ちを見せる王子とゆっくり話しをする機会が無かったことに、ひどく後悔を覚えた。
雨は勢いが収まった物の、風が強くて時折どこからか笛を吹くような音が響き、それが不気味で耳障りに感じた。
茶を楽しむような日ではないというのに、王妃は静かにカップを傾け、最初は最近の気候から、やがていつもと変わらぬ様子で勉強は?仕事は?と、まるであの夜の話題を避けるように、うんざりする話しを息子に投げかける。
人払いしたとき、もしや隠し事を話してくれるのではと期待したが、結局いつもの説教でガッカリした。
自分が何を思い悩んでいるかなど、この母親はわかっているのだろうか。
キアナルーサは生返事を返しながら、あまりにも落ちついたその姿に苛立ちを覚えた。
あの夜……あんな姿を見せながら、母は僕に何も話してくれない……
リリスがさらわれた夜、騒ぎに駆けつけたキアナルーサは、リリスを心配して取り乱した母を見た。
叔父に叱咤されながら泣き叫ぶ姿は恐ろしささえ感じるほどショックで、しかもそのあとフレアゴートの声を聞いた兵たちの、自分に向けた視線はどれも疑惑を含み、プライドを打ち砕いてひどく自分を傷つけた。
自分は蚊帳の外だ。
王位継承者とは名ばかりで、まるで期待されていないことを肌で感じる。
「……馬鹿にして、この僕を……」
小さくつぶやいた声に、母が怪訝な顔で話しを止めた。
「なにか?私の話を聞いているの?
お前にはもっと歴史の本を読むように勧めて欲しいと、教育係から頼まれているのよ。
歴史のことを知るのは大切です。
かつての王たちがどのような判断をし、それでどのような結果を得たか、アトラーナの今はすべてそれまでの歴史を踏んできての……」
「わかってますよ!だから今、ゼブラに適当な本を選ばせているのです。
先日司書のロナ爺がよこしたのは難しくて……もう少しわかりやすいものをと。」
あからさまに、母が大きなため息をついて首を振った。
「お前は…本当に小さい頃から本が苦手でしたものね。
まあいいでしょう、剣の方は筋がいいようだし……」
「ええ、先日は指南役のレビンを打ち負かしたのです。
次に負けたら剣を一本取り上げると言ったら、ひどく困っていました。」
自慢げに言う息子に、王妃がまたため息をつく。
どうしてそれがわざと負けたのだとわからないのか。
この年になって、わざわざそれを伝えるのも馬鹿馬鹿しい。
だが、言わねばわかるまい。
「レビンは騎士団長補佐役の騎士、お前に負けるような腕の持ち主ではない。
お前がケガをせぬように、下の者達が気を使っているのはわかってお上げなさい。間違っても騎士の命である剣を取り上げたりせぬように。」
「わ、わかってますよ、そのくらい。
僕だって下々にも色々と、ちゃんと配慮しているんです。
それに、本当に僕は強いんですよ。ゼブラだって、僕に勝ったことは無いんです。
母上はご覧になったことがないから。」
王妃がため息をついて茶を一口飲む。
配慮が出来ないから心配なのよと、心でつぶやいた。
「わかりました、では今度見に行きましょう。
でも、勉学もおろそかにならぬようになさい。
レスラカーンは本の虫だと聞くけれど、あなたと足して割ったらちょうど良いのに。
あの子はいずれ、あなたの補佐になるでしょうけど、頼るばかりでは王の威厳は保てませんよ。」
「は!僕がレスラに頼るだって?
母上、あいつは目が見えないんですよ?周りも見えないあいつにどう頼るって言うんです?
だいたい手を引かれなきゃろくに動けないあいつに、宰相なんて出来るわけ無いじゃないですか。
僕としてはいい迷惑ですよ。
あいつは、 ……自分の城に引きこもって子でも成していればいい。
女相手に本が何の役に立つと言うんだ、あいつの勉学など意味が無い、無駄なんですよ。」
王子の口から聞いたことが無いような下品な話に、王妃が思わずハンカチで口元を覆った。
「なんて下品な!酷いことを。キアナルーサ、こちらを向きなさい。
なんと言うこと、 ……お前はこれまでレスラカーンの何を見てきたのです。
あの子はあなたの何倍も努力を……」
バンッ!
キアナルーサが舌打ち、腹立たしそうにテーブルを叩いて立ち上がった。
「もう!もう結構!ああ……もう、うんざりだ!
私は戻ります、あなたの小言を聞いてるヒマはない!」
王妃が驚き、席を離れようとする息子の顔を見る。
優しく穏やかだった顔はゆがみ、苦々しさと苛立ちに満ちている。
この子が人を、いつも庇うことしかしなかった従兄弟を、これほど悪く言う事があったろうか。
まして自分の前で、これほど激しい感情を見せたことが無い。
いつからこれほど変わったのか、引っ込み思案で大人しく、いつも自信なさげだった息子の、これまで見たことも無い反応にひどく驚いた。
自分自身もリリスの事で感情が穏やかでは無かっただけに、最近とみに苛立ちを見せる王子とゆっくり話しをする機会が無かったことに、ひどく後悔を覚えた。