第95話 新、魔導師の仮の塔
文字数 2,061文字
夜の酒場の喧噪の中、笑い声の間からヒソヒソと話し声が聞こえる。
ここ、城下町の酒場には、城に務める者が仕事帰りに立ち寄る事が多い。
またこう言う場所にも息抜きに、身分の高い者や顔を知られたくない者がフードで顔を隠してくることも珍しくは無い。
隣り合って言葉を交わすことはあっても、互いに詮索しないことは暗黙のルールだ。
黒いローブに身を包み、顔も見えないその男は会話もせずひっそりと酒を口にしながら、ヒソヒソ声に耳を傾ける。
「……随分大慌てで……で、…箝口令だぜ。」
「あの声、夜だったし……て、城下の奴らみんな聞いて……」
「あれってつまり、……王子の兄弟ってどっちが上なんだ?」
「……箝口令だぜ?まさか本当の世継ぎは………」
「そうとしか考えられないさ、みんなそう思って……」
「あの王子じゃな……赤い髪の子見たか?ずいぶんとしっかりした……」
酒場の噂はすでにフレアゴートが最後に言い放った言葉で持ちきりだ。
『王妃ヨ!トウノ昔ニ捨テタあの子を今更何とする!
抗うすべもない乳飲み子を、お前たちは平気でうち捨て命さえ奪おうとした!』
これを聞いた噂を好む人々が、何を指しているのかを詮索するのは容易なことだ。
なんと言うことを言ってくれたと、激怒するサラカーンがどれだけ箝口令を敷いても、火の神の叫びは胸に響いて聞き漏らそうはずも無い。
男はもう十分だと思ったのか、まだ酒の残るグラスを置いてテーブルに酒代を置き、滑るように歩いて酒場を出た。
左右を見渡し、人気の無い路地へと入る。
次の瞬間、男の姿はかき消えてポッと小さな赤い火が浮かび、風に吹かれて消えてしまった。
テーブルの上の大きく燃え上がっていたろうそくの火が、小さくしぼんで風に揺れる。
それに手をかざして精神を集中していた城の魔導師ルークは、我に返って息をついた。
魔導師の塔崩壊後、ゲールから長を引き継いだ彼は、塔全ての魔導師たちに塔崩壊の責任を取らせ下城を申しつけると宣言し、全ての魔導師たちを解雇してしまった。
そして短期間で目を付けていた魔導師達を呼び寄せ、城の一角にとりあえず仮の魔導師の塔の部屋を設置し、ようやく落ちついたところだ。
先日訪れたリリスの事は、シャラナに任せて個人的には会っていない。
なぜかあの時、彼はこの部屋から一歩も出ず、魔導でずっと彼の姿を追って見ていた。
「やはり、あの声は城下まで響いたか。
フレア様にも困った物よ、サラカーン様が怒り狂って何をされるか先読みにも苦労する。」
クスッと苦笑して人の気配に振り向く。
「どうぞ」
ノックの音が聞こえる前に、ルークがドアに向けて言った。
そのドアを開けもせず、杖を持った若い男がドアを通り抜けて入ってくる。
「長殿、街に行くなら声をかけてくれればいいのに。僕だってたまには酒場に行ってみたい。」
ルークが大きく首を振ってため息をつく。
彼はいつもドアを開けずに通り抜けるので、プライバシー皆無だ。
「ニード、ドアは開けて入れ。」
「連れて行ってくれたら、ちゃんと開けて入ったさ。ちぇっ」
不機嫌そうに舌打ちながら、向かいの椅子にドスンと腰かける。
そして呪を唱え、床を杖でコンと叩いた。
それで部屋の中が閉じられた空間となったわけだが、ニードの術はそれを感じさせない。
それを見ていないと、気がつかない事さえある。
ごく自然に空間を閉じ、息をするように強力な結界を作る。
地の魔導師ニードは、まだ18才だが若くして結界を作る天才と言えた。
だが、それほどの天才がこれまで魔導師の塔に呼ばれることはなかった。
それは、彼の若さとこの不作法さが、塔の魔導師にふさわしくないとゲールに不興を買っていたためだ。
だが、ルークは能力を優先した。
水の魔導師シャラナも同じだ。
シャラナは生まれが問題だった。くだらない。
親が妾だと、何が悪いという。子に親を選ぶことは出来ない。
シャラナはしかし、その母親がしっかりした人だった。
自分と同じ道を歩ませたくないと、幼少の頃に彼女を水の神殿に預けたのだ。
妾の子は妾になりやすい。
それだけはと子を大切にした母心を、ゲールはわかってくれなかった。
彼女は、生活の為に妾をするしか無かった母親を大切にしている。
今では母親は彼女の支援で一人、水の神殿の近くの村に暮らしていた。
本当に、ルークにとっては、そんな物にこだわるのも馬鹿馬鹿しいほどくだらないことだ。
ルークはゲールの弟子だが、師のそういうところは心底嫌いだった。
「心底だ。心底嫌いだ、あんな奴。」
「は?俺?」
「違う!俺が大っ嫌いな奴がこう、モヤモヤモヤッと頭の中に沸いて出たんだ!
あーイラッとした!」
「なんでそんな嫌いなのに、師に選ぶんだかなあ。俺にはさっぱり、はー、さっぱり。」
やれやれと首を振る。
するとルークが、急に胸を張って彼に誇らしげに言った。
「そりゃ決まってるさ、出世への早道だからな。
見ろよ、シリウスのルーク様は、最年少で魔導師の塔の長になったぞ。」
するとニードが、死んだような目で「わー、凄いや」と棒読みしてパチパチ手を叩く。
彼は昔から気が合う少ない友の一人だった。
ここ、城下町の酒場には、城に務める者が仕事帰りに立ち寄る事が多い。
またこう言う場所にも息抜きに、身分の高い者や顔を知られたくない者がフードで顔を隠してくることも珍しくは無い。
隣り合って言葉を交わすことはあっても、互いに詮索しないことは暗黙のルールだ。
黒いローブに身を包み、顔も見えないその男は会話もせずひっそりと酒を口にしながら、ヒソヒソ声に耳を傾ける。
「……随分大慌てで……で、…箝口令だぜ。」
「あの声、夜だったし……て、城下の奴らみんな聞いて……」
「あれってつまり、……王子の兄弟ってどっちが上なんだ?」
「……箝口令だぜ?まさか本当の世継ぎは………」
「そうとしか考えられないさ、みんなそう思って……」
「あの王子じゃな……赤い髪の子見たか?ずいぶんとしっかりした……」
酒場の噂はすでにフレアゴートが最後に言い放った言葉で持ちきりだ。
『王妃ヨ!トウノ昔ニ捨テタあの子を今更何とする!
抗うすべもない乳飲み子を、お前たちは平気でうち捨て命さえ奪おうとした!』
これを聞いた噂を好む人々が、何を指しているのかを詮索するのは容易なことだ。
なんと言うことを言ってくれたと、激怒するサラカーンがどれだけ箝口令を敷いても、火の神の叫びは胸に響いて聞き漏らそうはずも無い。
男はもう十分だと思ったのか、まだ酒の残るグラスを置いてテーブルに酒代を置き、滑るように歩いて酒場を出た。
左右を見渡し、人気の無い路地へと入る。
次の瞬間、男の姿はかき消えてポッと小さな赤い火が浮かび、風に吹かれて消えてしまった。
テーブルの上の大きく燃え上がっていたろうそくの火が、小さくしぼんで風に揺れる。
それに手をかざして精神を集中していた城の魔導師ルークは、我に返って息をついた。
魔導師の塔崩壊後、ゲールから長を引き継いだ彼は、塔全ての魔導師たちに塔崩壊の責任を取らせ下城を申しつけると宣言し、全ての魔導師たちを解雇してしまった。
そして短期間で目を付けていた魔導師達を呼び寄せ、城の一角にとりあえず仮の魔導師の塔の部屋を設置し、ようやく落ちついたところだ。
先日訪れたリリスの事は、シャラナに任せて個人的には会っていない。
なぜかあの時、彼はこの部屋から一歩も出ず、魔導でずっと彼の姿を追って見ていた。
「やはり、あの声は城下まで響いたか。
フレア様にも困った物よ、サラカーン様が怒り狂って何をされるか先読みにも苦労する。」
クスッと苦笑して人の気配に振り向く。
「どうぞ」
ノックの音が聞こえる前に、ルークがドアに向けて言った。
そのドアを開けもせず、杖を持った若い男がドアを通り抜けて入ってくる。
「長殿、街に行くなら声をかけてくれればいいのに。僕だってたまには酒場に行ってみたい。」
ルークが大きく首を振ってため息をつく。
彼はいつもドアを開けずに通り抜けるので、プライバシー皆無だ。
「ニード、ドアは開けて入れ。」
「連れて行ってくれたら、ちゃんと開けて入ったさ。ちぇっ」
不機嫌そうに舌打ちながら、向かいの椅子にドスンと腰かける。
そして呪を唱え、床を杖でコンと叩いた。
それで部屋の中が閉じられた空間となったわけだが、ニードの術はそれを感じさせない。
それを見ていないと、気がつかない事さえある。
ごく自然に空間を閉じ、息をするように強力な結界を作る。
地の魔導師ニードは、まだ18才だが若くして結界を作る天才と言えた。
だが、それほどの天才がこれまで魔導師の塔に呼ばれることはなかった。
それは、彼の若さとこの不作法さが、塔の魔導師にふさわしくないとゲールに不興を買っていたためだ。
だが、ルークは能力を優先した。
水の魔導師シャラナも同じだ。
シャラナは生まれが問題だった。くだらない。
親が妾だと、何が悪いという。子に親を選ぶことは出来ない。
シャラナはしかし、その母親がしっかりした人だった。
自分と同じ道を歩ませたくないと、幼少の頃に彼女を水の神殿に預けたのだ。
妾の子は妾になりやすい。
それだけはと子を大切にした母心を、ゲールはわかってくれなかった。
彼女は、生活の為に妾をするしか無かった母親を大切にしている。
今では母親は彼女の支援で一人、水の神殿の近くの村に暮らしていた。
本当に、ルークにとっては、そんな物にこだわるのも馬鹿馬鹿しいほどくだらないことだ。
ルークはゲールの弟子だが、師のそういうところは心底嫌いだった。
「心底だ。心底嫌いだ、あんな奴。」
「は?俺?」
「違う!俺が大っ嫌いな奴がこう、モヤモヤモヤッと頭の中に沸いて出たんだ!
あーイラッとした!」
「なんでそんな嫌いなのに、師に選ぶんだかなあ。俺にはさっぱり、はー、さっぱり。」
やれやれと首を振る。
するとルークが、急に胸を張って彼に誇らしげに言った。
「そりゃ決まってるさ、出世への早道だからな。
見ろよ、シリウスのルーク様は、最年少で魔導師の塔の長になったぞ。」
するとニードが、死んだような目で「わー、凄いや」と棒読みしてパチパチ手を叩く。
彼は昔から気が合う少ない友の一人だった。