第202話 印象と心象による感受変化 Aパート

文字数 7,127文字


 本当に私はこのままで大丈夫なのか。万が一教室の中で私がお付き合いをしている相手が会長になっていたらと思うと、とてもじゃないけれど怖くて聞けない。
 午後の授業の間そんな事ばかり考えていたからか、集中なんて出来なかったし、せっかくお母さんが作ってくれたお弁当ですら、胸が一杯になり過ぎて食べきれなくて残したままになってしまっている。
 何となく今の気持ちを優希君に伝えておいた方が良い気もするし、今この気持ちで優希君と喧嘩みたいになったらこの不安ももっと大きくなりそうだから会長の話もしにくい。
 結局よく分からない不安のせいで長く感じた午後の授業もやっと終わる。
 人数の少なくなってしまった教室内。見ただけでみんなの印象が分かる訳ないと分かってはいても様子を窺ってしまう。
 それに会長も会長だ。いくら私に本気で既成事実を作りたいかどうかは知らないけれど、女の子の気持ちが分からない、気遣いの無い人は嫌だってずっと逃げ続けているのにどうして追いかけて来るのか。
 もちろん朱先輩から教えてもらった狩猟本能って言うのが、この事なんだろうけれどこんなのはやっぱり理屈じゃない。
 周りの人の印象まで既成事実になってしまってまで、追いかけ回される方からしたら恐怖でしかないのだから、本当に今すぐ辞めて欲しい。
 私が男の人の狩猟本能とかに恐怖を感じていると、
「愛美さん大丈夫? 顔色良くないよ?」
「昼休み帰って来た時も元気なかったしギリギリだった。原因は昼休み」
「昼休みって事は、あの約束してるとか言ってた、空木君とよく一緒にいる議長の雪野さん……だっけ」
「ちょっと咲夜っ!」
 いつもの二人が来てくれる。
「ありがとう実祝さん。私は大丈夫だから――咲夜さんも。優希君は私のお願いと、統括会全体を意識して冬美さんについてくれているんだから、そんな誤解を招くような言い方は駄目だよ。それに冬美さんとはもう友達でもあり、私にとっては“頭の固い可愛い後輩”でもあるんだから、あんまり悪く言うと怒るよ」
 私のお願いを聞いてくれている優希君と、私の大切な友達でもある冬美さん。いくら冬美さんから優希君への気持ちがあるとは言っても、私の友達には誤解して欲しくなかった。
「空木君とデートしてた議長とまで仲良くなってしまうなんて……」
「愛美の優しさは今更だからもう諦めてる。そうじゃなくて、愛美の元気が無い理由、早く言う」
 冬美さんの立場とか印象も中々変わらない。
「……私とあの会長がお付き合いしていると思ってしまっている人がどれくらいいるのかなって考えてしまって」
 そう言って、昼休みの会話をかいつまんで話す。
「えっとごめん愛美さん。ものすごく不安になってるところ申し訳ないんだけど、その不安や心配は全くの的外れだから気にしなくても良いと思う」
「咲夜の言い方がおかしい。そんなに前置きが長かったら逆に不安になる。でも咲夜の言う通りこのクラスで愛美と会長がなんて考えてる人も思ってる人も誰もいない。むしろ大事件があったばかりで、誰も喋らない重い空気のこの教室に来て愛美を探したり、咲夜や結芽と言い合ったりしてるのを何度も見てるから、むしろ会長の印象は悪い。その上、夏季講習の時に会長の誘いを愛美が全部断ってるのを三年、特にあの講義に出てた人間はみんな知ってるから、二人の間は脈なしって話になってる。だから愛美は何も気にしないで良いし、今まで通りで良い」
「じゃあ私の心配は――」
「――無駄。むしろ何も知らないのに愛美を不安にさせた二年の罪は重い。よって蒼依に報告」
 蒼ちゃんにって、最近私に関する話は蒼ちゃんか優希君のどちらかの耳には必ず入っている気がするし、そんな事したら今日も蒼ちゃんから、例の言葉で叱られることになっているのだから、可愛そうなくらい説教を受けることになると思うんだけれど。
「でも“頭の固い可愛い後輩”も、最近“可愛さの戻った後輩”も私の身を案じての話だから、悪い取り方はしないで欲しいな」
 冬美さんへの印象もそうだし、彩風さんへの働き掛けもあるし。
「あたしもまた何か聞いたり気付いたりしたら都度言うようにはするし、万一会長と愛美さんがって思ってる人がいたら訂正もしとくからあんまり気にしなくても良いと思う。特に九重さんなんて“人間としても異性としても会長みたいなタイプは受け付けないから、教室に顔出すな”ってかなりきつめに言ってたよ」
 咲夜さんも追随するように気負いなく言ってくれたけれど、そっか。本当にこのクラスに限っては変な話にはなっていないんだ。
 そう思えたら一杯だった胸が、少しずつ空いて行く。
「二人とも本当にありがとうっ! 気持ちも体も楽になったよ」
 だから予鈴が鳴って自分の席へと戻っていく二人の背中に、改めて笑顔と共にお礼を口にするのを
「……」
 九重さんが見ていた。


 その後、終礼のために改めて先生が入って来て、週末の部活は土曜日が体育会系。日曜日が文科系。その上で顧問の先生の都合で若干の変更がある旨の連絡の後、
「それから、そろそろ“推薦入試”の願書締め切りが近づいて来てるから願書出し忘れてる奴は急げよー。それから迷ってる者がいたらいつでも相談に乗るから、気軽に訪ねて来いよー。最後に岡本。確認したい事があるから少しだけ俺に時間をくれな。それじゃ解散!」
 朝と同じように間延びした声で連絡事項を締めた先生。先生の気持ちもこのクラスの雰囲気に当てられたからか、間延びした声に小さな笑顔まで零れ始めている。その上さっき二人が教えてくれたようにこのクラスには会長との仲を信じている人もいなさそうなのも手伝って、穏やかな気持ちで先生元へと向かう……のを、久しぶりに感じる“悪い笑み”を浮かべた咲夜さんの視線を感じながら。
「どうしたんですか?」
 先生の表情からして、不安な話であるとか問題があるような話とは思えないけれど、教室から離れて階段の踊り場付近まで移動する。
「……まあなんだ。岡本の顔が綺麗に治ったのと、連休中と今朝は課題の提出や授業の準備なんかもあって、ゆっくりと岡本の顔を見る事も話す事も出来なかったからな」
 頭を掻きながら照れだす先生だけれど、こっちとしてはその理由にびっくりすると言うか呆れる。
「先生。理想の先生は職権を乱用するんですか? それにそう言うのは私が卒業するまで待つんじゃなかったんですか?」
 こんな誰が見聞きしているか分からない学校内で、私への気持ちを言葉と行動で暴露しても大丈夫なのか。
「確かにそうなんだが、この四連休の間、俺が岡本の心配をしてたのは本当だからな。今朝の岡本の表情と今の岡本を見る限り大丈夫だとは思うけど、岡本の通院は予定通り今月で終わりそうか?」
 ああそう言う事か。今回は私の意識が過剰だったみたいで恥ずかしい。確かに今日が9月23日の水曜日で、残りは25日の金曜日と29日の火曜日で終わりなのか。
「はい。病院からはもう塗り薬一本だけで、今月一杯で通院も終わりだって昨日の診察の際に言ってもらえました」
 その代わり病院の先生には嫌味もたくさん言われたけれど。
「そうか。それを聞けて安心した。そしてまた元気になって戻って来てくれてありがとうな」
 でもそんな皮肉のこもった会話なんて今は必要無くて。先生が本当に嬉しそうにしてくれるけれど、私に直接触れるような事はしない。
 その私の頭の上に置こうとしてくれたであろうその手を、伸ばして持ち上げて……そして降ろした先生。
 もちろん理由が理由だから今回先生から頭を撫でられたとしても、私は逃げないけれどやっぱり会長とは違って、そんなに簡単に女の子に触れない先生。だから私からは頭を撫でる事、今の先生の動き、それに絶対に先生に触れるような事はしない。
 こういう形ででも、先生としてのけじめが見えるから、分かるから先生相手に嫌な気持ちにはならないし、気兼ねなく応援も出来るのだ。
 私が先生に対して改めて好感を持っていると、
「あ『――っ』岡本さん……と、先生」
 本当にまた会長が私の前に姿を現す。
「……倉本。悪いが岡本と話をしてるから急ぎじゃなかったらまた後にしてくれ」
 私が会長からの視線を露骨に逸らしたからか、会長を弾いてくれるけれど、せっかく実祝さんと咲夜さんの話を聞いて落ち着いていた心が不安からまたざわついて来る。そう言えばこの先生はどう思っているんだろう。先生の気持ちに応える可能性は全く無いのに、無責任にも気になってしまう。
「いえ。俺も岡本さんにはどうしても用事があるので、ここで待たせてもらいます」
 私の病院の経過の話は、あまり人に聞かれたくないからと人気の少ない場所に移ったはずなのに、ここで会長に聞かれたら何の意味も無いのに……。どうして

は頭はすごく回るのに、こう言うのは分からないんだろう。
 私一人いるせいでそう言う機微が全く見えなくなってしまうのなら、どう考えても私は悪影響を与えてしまうこの人の近くにいない方が良いとしか思えない。
「悪い岡本。もう一つ他人に聞かれたくない話で、岡本にも確認しておきたい事があるから、職員室へ場所を移しても良いか?」
「ちょっと待って下さい。先生が他人に聞かれたくない、岡本さんへの話ってどう言う事ですか? 先生は以前にも人目のつかない所で岡本さんと二人きりで話してましたよね。そんなに頻繁に一人の生徒――岡本さん――に用事って出来るものなんですか?」
 その上、私の状態を気にしてくれていた先生にまで、下世話な勘繰りを始めるこの人。
「……会長は帰って

。『……岡本さん……』先生と私は会長が勘ぐっている関係ではありませんし、仮にそう言う関係だったとしても、会長には何の関係もないじゃない

。ハッキリ言って私はものすごく不愉快です」
 そして気が付いた時にはもう言葉にしてしまっていた。もちろん私も意識過剰にもよく似た勘違いもしたけれど、これを他の人、しかも

から下世話な勘繰りとして聞かされたら、何て言うか生理的な不快感まで伴ってしまう。
「……続きは職員室で聞かせてもらっても良いか?」
 先生もこの人に何か言いたかったと思うのだけれど、
「分かりました。そしたら帰る準備もしてきますから、先生は先に行っていて下さい」
 ため息と共に吐き出したその想いを無駄にしないために、私からもこれ以上の言葉は全て飲み込むことにする。


 それからあの人がどうしたのかは、徹底して視線を逸らし続けたから分からないけれど、付いて来る事もなく待たれていると言う事も無かったから、意識して努力してあんな人なんて考えないようにする。
 ただ教室にカバン、教材を取りに戻った時私の雰囲気が激変していたからか、待っていてくれていた二人が驚き駆け寄って来てくれる。
 だから公欠期間中の話なんかもあって私の傷病の途中経過を、先生が確認してくれていた時に、会長が私と先生の仲を勘ぐった話だけはさせてもらう。
 もちろんその勘繰りは咲夜さんのものとは経緯も受ける感覚も全く別だとは伝えておいたけれど、二人の表情は何となく嬉しかった。

「今日は岡本にまで不快な思いをさせてしまってすまんかった」
 先の件があったからか、咲夜さん達とと少し喋って遅くなってしまった私を待ってくれていた先生が、いつものパーティションの中で頭を下げて来る。
「辞めて下さいよ。先生は何も悪くないんですから頭を上げて下さい。むしろあの――会長から引き離して下さってありがとうございました」
 でもそれは全くの見当違いで、あの気持ちの状態であの人と向き合うなんて耐えられそうになかった私からしたら渡りに船でもあったのだから。
「ただですら色々あったこのクラスで、そう言ってもらえると俺もホッとはするんだが……ああ言うの続いてるのか? 確か以前も俺たち二人で話してる時に姿を見せてたよな。何だったら俺の方から倉本の担任に言っとくか?」
 その上で、前回の蒼ちゃんの事があるからか、私を気にして策と言うか案まで出してくれる。ただあの人の恋情に対しては明後日の金曜日に気持ちと告白を聞いた上で、私が全力で断れば終わると言う話だから、現時点で話を大きくして良いのかどうか分からない。
「……分かった。それじゃ今は何も言わないが、どうしても耐えられそうになかったら、受験とか内申とかは全く気にしなくて良いから、今度こそ力になるからどんな些細な事でも教えてくれな。もちろん俺の方も出来るだけ気にしておくからな」
 本当に先生が前回を悔いてくれているのが分かる、伝わる。
「それでしたら今日の件。穂高先生にもお伝えして頂いてもよろしいですか?」
 だからこそ、朱先輩が紹介してくれたあの穂高先生ももう一度信用したい。
 それに今朝の朝礼、今の先生の態度、どこを見て聞いてもあの月曜日の話、生活指導の先生とのやり取りは聞こえてこない。
 つまりあの先生もどう言う状況であれ、信用しても良いって判断できるくらいの口の堅さは持っているし、それに月曜日の先生は別人かと思うくらい私の気持ちを分かってくれたのだ。
「穂高先生って……あの養護教諭に話しても大丈夫なのか?」
 でも先生は私とあの先生の成り行きと言うか、今までの話をある程度知っているからか、やっぱり驚いている。
「はい。大丈夫です。ただ先生にしても穂高先生にしても、悪戯に広めて欲しい訳じゃ無いので他言無用でお願いしたいんです」
 ただ、それでも金曜日が終わるまでは先生たち学校側には出来るだけ広まって欲しくなくて、お願いと言う形はとらせてもらう。
「分かった。そしたら保健室など他の先生方がおられない場所で話をするようにするな」
「はい。それでお願いしますね。それでまだ私に聞きたい事があるんですか? それともあの会長から離れるための方便だったんですか?」
 先生からの気遣いだとはっきり分かった以上、先生に感謝はするけれど、何もなければ校内にまだ残ってくれていれば優希君と帰ろうか、それとも園芸部に寄るかしようと腰を浮かしかけたところで、
「ああ! スマン。大事な本題があるんだがあと少しだけ良いか?」
 本当に他の用事があったのか呼び止められる。再び私が腰を落としたのを確認してから先生が口を開く。
「実はな、以前岡本のご両親に説明に上がった時に一度お伝えはしたんだが、やっぱり当初の予想通り、サッカー部員の保護者からはほとんど賛同は得られて無いらしくてな、生徒を預かる学校側として、一度保護者説明会みたいなのを開こうと考えて『まさか、そこで蒼ちゃんや私の身に降りかかった説明をするって事ですか?』――岡本の言いたい事は分かるが、まずは落ち着いて聞いてくれ」
 そんな話を落ち着いて聞ける訳が無い。そんな事されたらもうこの学校にいる間はずっとそう言う目で見られるんじゃないのか。
 もちろん全てにおいて私たちが満足いくような配慮は無理かもしれないけれど、私の言いた事を分かってくれているのなら、余計にこの話はあんまりじゃないのか。
「その話をどこまでしても良いのかを確認したかったんだ。もちろん全て話しても良いとは言っても個人が特定出来てしまうような話し方をするつもりは無いし、今回の件を生徒に責任を押し付けるような真似をするつもりは無い。
 逆に何も話して欲しくないとあれば戸塚や、あの結局は自主退学して行った男子生徒の処分の話に留めるつもりだ。もちろんこっちの話にしても個人を特定出来るような話にはしない」
 ……要は私たちの身に起こった出来事をどこまで話しても良いのかの確認なのか。
「もちろんこんな大事な話を岡本一人で今すぐ決めろなんて言わないから、一度家に帰ってじっくりとご家族の方と相談して欲しい。ちなみにこの件で何かご質問や相談などがあれば、俺はもちろん校長先生、教頭先生も対応すると言う事だ」
 そうか。たまにテレビや新聞なんかで目や耳にする学校説明会の事前確認なのか。
「でもそれだったら私だけじゃなくて――」
「――もちろんだ。(つつみ)自身がまだ登校出来る状態じゃないから、対面ではなくて電話でだが、(つつみ)のご両親にも連絡をさせて頂いて、一度考えて欲しいとは伝えてある」
(つつみ)の状態や心境を考えると気は進まなかったけどな”と両肩を落として大きく息を吐いて付け加える先生。
「分かりました。そしたらこの後家に帰ったら一度お母さんに話してみます」
 だったらお父さんに話して話がややこしくなったら面倒だから、まずはお母さんに話してから改めて判断する事にする。
 っと一つ大切な事を聞くのを忘れていた。
「それで先生。いつまでに返事すれば良いんですか?」
「そんなに急いでは無いが、10月の上旬。10日くらいまでに返事を貰えれば十分だが……今日は家にご両親いらっしゃるのか?」
 そうか。前に週末しか家にいないって話したかもしれない。 (94話:面談)
 だから親じゃなくて私に確認して来たのか。
「はい。あの日からはお母さんがずっと家にいてくれています」
 今のところ私の受験が終わるまでと言う話になっているけれど、お父さんには気の毒だけれど私がお願いしたらずっと家にいてくれる気がする。
「そうか。分かった。じゃあこの後改めて俺の方からご自宅に連絡を入れておくから、じっくり話し合ってくれたら良い。それじゃ今日は遅くまで引っ張って悪かったな」
 これで先生の話は全部終わったのか、先生が立ち上がるのに合わせて私も職員室を後にさせてもらう。

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