第208話 近くて遠い距離 終 Cパート

文字数 6,169文字



 私の身体が、冷や汗によって中のシャツが不快に感じる中、最後までこの人の相手をしなかったからか、それとも返事はおろか質問にも答えなかったからか、私の肩から手を離した人の声が震え出す。
「お前らも、あの教頭も、それに俺をその気にさせた奴らも……どうして誰も俺の話を聞いてくれないんだ」
 だけれど私は、ただ嗚咽を今も漏らし続けている彩風さんを抱いているから、その表情を伺う事は出来ないし見る気もない。
 大体これだけ私の周りの女の子を傷つけて、涙させてこれ以上何を聞けと、どう協力しろと言うのか。
「倉本。お前誰も話を聞いてくれないって言うけどな、初めは彩風さんも雪野さんも。そして愛美さんに至っては本当に最後まで耳を傾けてくれてたんじゃないのか? 話を聞こうと協力しようとしてくれてたんじゃないのか? みんなの気持ちを全て蔑ろにして話を聞いてくれないって――」
「――ボッチのクセに知ったような口を利いてんじゃねぇぞ! 空木!」
「……」
 ……今も優希君がうまく伝えようとしてくれているのに、全く耳を貸さず声を荒げるこの人。
 要するに自分にとって都合の良い話しか聞かないって事で。初めから人の話なんて聞く気はないんじゃないのか。
 これじゃ大喧嘩をして大嫌いだった時のお父さんと全く同じだ。
「岡本さん。どうしてここ最近俺に対してそんなに余所余所しいんだ? 前みたいにもっと気さくに話して欲しい。それにそんなに他人行儀な呼び方も辞めて欲しい」
 なのにお父さんと一緒で、話を聞く気なんて元から無いのに私にその理由を訪ねて来る。だから私はお父さんと喧嘩した時と同じように返事なんてしない。
 誰であっても友達を大切にしてくれない人、私の話を聞いてくれない人なんて“お断り”なのだ。
 一方で嗚咽の止まった彩風さんを離すのに抵抗を感じたけれど、先週に続いて今週も話し合いとはとても言えない内容を議事録に残すために、一度彩風さんから離れて優希君との揃いのペン

YE

と刻印の入ったペンで記録して行く……私に、あからさまな視線を感じる。
「……俺って一体何なんだ? 部活の交渉はみんなして喜んでくれて、勉強だってみんなは気軽に声を掛けてくれるし、ここ最近までは教頭ですらも俺の話を聞いてくれてたんだ。なのにお前らが俺の言う事も話も聞いてくれなくなってから、交渉はおろか、門前払いを喰らう羽目になったし、どうでもいい女はたくさん寄って来るのに『……』肝心の岡本さんは去年から俺の気持ちを知ってたにもかかわらず、俺の彼女にならずによりにもよって万年ボッチの空木の彼女になって、俺に協力するとか抜かしたおん――雪野や岡本さんの友達は、俺の心を弄ぶだけ弄んで手のひらを返しやがって……俺って一体何なんだよっ!」
 今の言葉の中のどこに悔しがる要素があるのか。声音を変えて半ば叫びながら机に拳を叩きつけるこの人。
 びっくりして怖いのもあるし、議事録を付けないといけないのもあるから辞めて欲しい。
「……弄ぶって。霧ちゃんを傷つけて、空木先輩に酷い言葉をかけて暴力まで振るって、岡本さんに怖い思いをさせたのも全部会長自身じゃないですか! それから岡本さんは去年から会長のお気持ちをご存じだった訳ではありません。岡本さんのご友人から“去年から会長が岡本さんに気があった”と伺って知ったにすぎません。事実を勝手に捻じ曲げないで下さい。
 一時(いっとき)でも会長に協力してしまったワタシに関しては、何を仰ろうがどう思おうとも構いませんが、他のメンバーに対する暴言だけは訂正して下さい」
 その中で、この人と喋りたくなかった私に代わって冬美さんが代弁してくれる……ただ、冬美さん自身への扱いには物申したいけれど。
「雪野。そうは言うけどな。元はと言えば雪野や霧華が協力してくれてもこんな事態は避けられたんだ。それを理解して発言してるのか?」
「だからワタシに関しては何を仰っても、どう思おうとも構いませんと申したじゃないですか。でも懸想する殿方から他の女性の話を聞かされ、ワタシ自身、自分自身がすぐそばにいるのに岡――他の女性の姿を探し続ける殿方を見続けるワタ――続けた霧ちゃんの気持ちだけは考えて下さい。そんな中で出来る協力なんてありません。少なくともワタシには辛くて悔しくて無理です。出来ませんっ!」
 そこで久しぶりに私と目が合った冬美さんの目が、文字通り悔しさからか潤みだす。
「……霧……ちゃん」
 それを受けて、彩風さんの目からまるでもらい涙のように、再び目がら綺麗な涙がこぼれ落ちる。
 でもそっか。どれだけ冬美さんと一緒の時間を優希君が過ごしたとしても、私が学校に行けなかった間でも、本当に私だけを見つめて探して、その上で私の話をたくさん聞いてくれていたんだ。
 だったら以前から冬美さんが私に反論していたように、ずっと悔しくてとても辛くて……そして私が彩風さんに大雷を落とした時に“失恋は辛い”と初めて笑顔を見せてくれた冬美さんの真意も分かる。
「だったら俺が近くにいるにもかかわらず、いつも空木の話ばかりされる俺の気持ちも分かるよな」
 なのにその気持ちすらも、自分のためだけに利用しようとするこの人。もう何て言ったら良いのか分からない。
 男の人って何でこう女の子を利用し尽くそうとするんだろう。どうして私たち女の子を大切にしようとしてくれないんだろう。
 それにこの人から、今日すると言っていた告白の話すらも全く無いし。この人は一体何を考えているんだろう。こんな何もかもを人のせいにして、後輩の女の子まで傷付けて涙させて心まで利用して……本当に私がこんな人に惹かれると思っているのかな。
「清くん……もうそれ以上は辞めよ? アタシの知ってる清くんは……もっとみんなを引っ張って、頼りになって……不器用で気遣いが下手でも……ちゃんと……伝わってたよ。でも。今の清くんは……もう……アタシの知ってる清くんじゃ……

んだ……ねっ」
 それ以上の言葉は、再び嗚咽に変わってしまって言葉が続かなくなる彩風さん。
 ……そっか。本当にそうなんだ。咲夜さんを見て分かった気になっていたけれど、こうやって目の当たりにするとまた違う見え方も出来る。
 想いが深くて強い分その切り替えには時間がかかるし、心の傷も悲しい思いでも増えてしまうけれど、それでもこの人への気持ち、恋心を過去の物に出来るんだ。
「謝って済む問題じゃないのは重々承知の上です。それでも本当に知らなかったとは言え、霧ちゃんの気持ちを……妨害してしまったワタシに謝らせて下さい。本当に……すみませんでした」
 その彩風さんの涙に思う所があったのか。これも以前理沙さんが言っていた冬美さんからの歩み寄りを示すように、彩風さんの元まで向かっての
「……良いの。アタシも酷い言葉、取り返しのつかなくなりそうな行動ばかり取って来たんだから、冬ちゃんだけが謝るなんておかしいよ」
 この人以外、ほぼ全員が望んだ二人の和解。
 こんなのを目の前で見せられて涙しない訳が無い。私が議事録を書く手を止めてハンカチで涙を拭っていると、
「……岡本さん。先週電話でお願いしてた通り、今から俺に誰にも邪魔されない二人きりの時間をくれないか?」
 この二人を見てもまだ何とも思わないのか、統括会自体も終わらせていないのに、ここで私への告白の話を持って来る。
 本来なら爆発したい感情、言いたい文句もたくさんあったのだけれど今日、目の前で彩風さんを見て、私も後輩に恥ずかしくないようにスイッチを切り替えてもらおうと
「……」
 一度優希君と視線を絡めてから、
「分かった。それでどこに行くの?」
「それは俺に付いて来て欲しい。それから少し長くなると思うからこれで今日の統括会を終了する――から、カバンなんかも全て持って出て来て欲しい」
 どこに行くのか分からないけれど、いつでも優希君に連絡出来るようにと携帯をスカートのポケットに入れて、この人の後に続く。

――――――――――――――次回予告(スペシャル)―――――――――――――

 愛美と倉本がお互い緊張した表情のまま出て行った役員室内。何故か彩風に寄り添う冬美を力なく見てる優希。
「冬ちゃんはアタシを恨んでないの?」
 切り替わった心の中で進む整理。間違ってもまだ声自体はいつもの調子とは言えないとは言え、本当にゆっくりと力が戻り始める中、倉本がいなくなったのもあり、本来の姿を見せ始める。
「恨む気持ちだなんて持ってません。万一そんな気持ちを持とうものなら、すぐに岡本さんの舌に絡め取られた上、ワタシの印象を下げようと、そこに座ってらっしゃる空木先輩に報告されてしまうんです」
 本当に久しぶりに目にした彩風らしさに、こちらも滅多に浮かべる事の無い笑顔を浮かべる冬美。
「……本当に愛先輩って副会長に一筋なんだ。なのにアタシってば愛先輩に酷い事ばっか言って……また愛先輩に“可愛い後輩”って言ってもらえるのかな」
 だけど二人の心の中にいるのは今、この役員室内にはいない二人が最も頼りにしてる、ある意味後輩の二人よりも純真で乙女な先輩だ。
「大丈夫ですよ。さっきの時点で岡本さんは霧ちゃんを赦してます。だから今日岡本さんがしっかり会長をフッて一段落ついた後、冬ちゃんが一言だけ謝れば全てが収まります」
 その愛美と、ここ最近一番長くいた冬美が、先輩の気持ちを断言する。
「ですが……空木先輩! 岡本さんを追わなくて良いんですか?」
 だからこそ、どれだけ愛美が優希を大切に深く想ってるのかも身を持って理解してしまってる。
「冬ちゃん……?」
 ここにはいない先輩から紐解いてもらったのも助けて、彩風が冬美の名を呼ぶも何故か優希の反応は鈍い。
「……何かあれば愛美さんからも連絡があるし、それに本当の僕を知ったら愛美さんだって僕に対して幻滅するだろうし」
 何が原因なのかは分からないけど、さっきまで周りに力と説得力を持ってた優希の声に全く力が無くなってる。
 しかも何があったのか、事もあろうか愛美を追いかけるのまで渋る優希。
「それ。本気で仰ってるんですか? ご自分の彼女が、岡本さんが心配じゃないんですか? 本気であの岡本さんが空木先輩に愛想を尽かすとお思いなんですか!」
 その優希を焦った声で、明らかに今までと異なる態度で煽る。
「冬ちゃんもどうしてそこまで……」
 その空気を感じ取ったのか、彩風の声が涙声から戸惑いの声へと変質する。
「岡本さんは敵に回すと、最強で最悪で最低の恋敵ですけど、逆に味方になって頂けると、どこまでも優しくて、思いやりもあって、そしてこの上なく、最も大切で最高の友達なんです。その友達に危険が迫ってるかもしれないんです。ですので最悪の事態になる前に岡本さんを助けて欲しいんです! ワタシの友達が心から待ってる空木先輩にっ!」
 そのただならぬ雰囲気に、
「危険って……」
「愛美さんに危険って?」
 二人の反応。特に優希の目から、さっきのは一体何だったのかと思う程にてきめんに変わる。それでもまだのんびりしてる二人がもどかしくなった冬美は、二人にも今朝倉本から送られてきたメッセージ、愛美の友だちの前で見せたメッセージを二人にもそのまま見せると、二人共の反応が激変する。
「まさか倉本の奴っ!!」
 今までの態度は一体何だったのかと言わんばかりに、その瞳には愛美だけをただ映しつつ電話をかけ――
「清……くん。まさかそこまで……本当にもう……アタシの知ってる清くんじゃなくなってしまったんだ……」
 彩風は完全に変わってしまった、お兄さんでもあり幼馴染だった倉本に涙する。
「ワタシがお二人にこのメッセージを見せた意味は――」
「――駄目だ! どうして?! どうして愛美さんに電話が繋がらないんだ! 愛美さんに万一があったら僕は今度こそ本当にっ――」
 冬美からメッセージを見せてもらい、電話をかけるも繋がらなかった優希の今まで見た事もない取り乱し方。
 それだけあの先輩を心配していると言う気持ちの現れでもあり、それだけ大切にしていると言う事でもあり……その気持ちが分かる、伝わる。そして……響く。
「もしワタシが岡本さんの立場だったら……空木先輩は焦って――」
「――愛美さんがどこに連れて行かれたか、どこで告白するかとか何か聞いてない? 他のメッセージにヒントは無かった?」
 その瞳、その表情にはあの先輩しか映ってなくて……あの先輩しか頭に無くて……冬美の声は全く届いてないと嫌でも理解するしかない優希の態度に――
「――分かりません。すみません!」
「冬ちゃん……それでも頑張れるの?」
 ――冬美の想いを伝えるのを完全に

しまう冬美。
「どうしようっ。本当に愛美さんに何かあったらっ」
「だったらワタシたちにかまわず早く行って岡本さんを探し出して下さいっ! そして岡本さんに万一が起こってしまう前に見つけ出して下さい!」
 もうその瞳には全く自分は映ってない。その代わりに最低のライバルであり、最高の友達しか映ってない優希の背中を断腸の思いで、涙を流して押す。
「早くっ!」
「冬ちゃん……」
 未練を断ち切るように、自分一人で何とか諦められるように……
「――ありがとう雪野さん。必ず愛美さんを無事に見つけ出すから! それから……雪野さんの気持ちにはどうあっても応えられなくてごめん。やっぱり僕には愛美さんが全てだから……本当にごめん。そしてこん――僕を好きになってくれてありがとう」
 そして最後。一瞬映した冬美自身に向けて落とした優希の言葉。それはとても残酷で優しくて。でも次の瞬間にはもうあの先輩だけをその瞳一杯に映して、繋がらない携帯を手にそれでも持って、ただ前だけを向いて役員室を猛然と飛び出す。
 その後ろ姿を見送った後輩二人のうち一人……
「こんなにも……こんなにも懸想してたのに……悔しい! ワタシの方が早く空木先輩をお慕いしてたんです! 一時期は岡本さんが身を引いて下さってたんです。なのに……なのにっ……いつからか空木先輩は岡本さんばかりを追いかけて……ワタシの何がご不満だったんですか……何が岡本さんとそこまで違ったんですかぁ……悔しくて辛くて……本当にたまりませんっ! この胸がどうにかなりそうな気持ち……どうしたら良いんですかぁっ!」
 役員室に響く、冬美の優希への想い……絶叫が響き渡る。
「冬ちゃん……」
「ワタシは、ワタシはっ。空木先輩に少しでも気に入って頂けるようにお弁当だってお料理だって頑張りました。空木先輩に近くに寄って欲しくて、体臭にも気を遣いました。髪だっていつでも清潔に保ちましたっ! 空木先輩と同じ空間、役員室で過ごすために勉強だって頑張りました。なのにそれでも尚、岡本さんを選ばれたんです……これ以上何をどうすれば良かったんですかっ……ワタシの気持ちを返して下さいよぉ――」
 それは絶叫か嗚咽か……役員室内に留まらず三階全体に響き渡るのを、同じ二年のもう一人が
「冬ちゃん……辛いよね。失恋って本当に誰に対しても辛いよね……」
 ただ一人、優しく受け止めた。

 そして、愛美の恋物語は終局へと向かう。
 
              次回 209話 私の騎士様
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