第208話 近くて遠い距離 終 Aパート

文字数 6,841文字




 三階役員室の扉の前。中からは何も話し声も物音もしない。だから私たちはお互いに最悪の展開にはなっていないと頷きあって室内へと足を踏み入れる。

 確かに最悪の事態にはなっていなかったけれど、室内の空気はおろか話には聞いていたけれど、本当に彩風さんの状態が酷い。
 なんせ私から逸らした表情からでも分かる、そのやつれた顔と明らかに手入れが届いていない、いつもなら軽く巻いていた髪。その上、逸らす一瞬見えた充血した赤い目。
「岡本さんも空木先輩もお疲れ様です」
 そして同じ二年の冬美さんは、お昼を一緒したのも手伝ってか比較的落ち着いてはいたけれど、
「岡本さん酷いじゃないか。どうして今週俺がいつ教室に行ってもいてくれなかったんだ? 俺は雪野の件で相談したかったんだぞ」
 この人までなんかやつれている気がするんだけれど。
「何ですかそれ。私が休み時間にどこで何をしようが勝手じゃないですか。どうしてそこまで会長に言われないといけないんですか?」
 ただ、私の返事と言うか喋り方に対して心底驚く、頭の固い私の友達兼可愛い後輩に、私と頑なに視線を合わさなかった全く可愛さの無くなった後輩二人と、私を悔しそうに見つめるあの人。 (186話以降)
「岡本さん。冗談は辞めてくれ。大体雪野残留の交渉は岡本さんとしたい『……っ――』って言っただろ。なのにどうして協力してくれないで女たらしの空木なんかとイチャついてるんだ」
「会長。何度申し上げれば分かって頂けるんですか? 空木先輩が女たらしだって言うのは訂正して下さい。空木先輩はワタシたちのために、岡本さんやワタシの友達と話し合って頂いてるんです」
 それでもあんなひど過ぎるメッセージを送ったにもかかわらず、なんの一言もないまま冬美さんに一切振り向く事なく、ただ私だけを見て来るこの人。
 私の方こそ、訳の分からない笑えない冗談を言うのは辞めて欲しい。彩風さんとの交渉は今までも、これからも変わらないはずだ。
 なのになんで会長だからってそんな訳の分からない話を教頭にもっていくのか。それに束縛まで受けないといけないのか。あんたがそんな事ばっかり言っているから、そのフォローに優希君が走り回って、私の友達からも文句を言われながら叱られながらも事態の収束に動いてくれているんじゃないのか。
 自分は他の人をお断りしているかどうかは知らないけれど、人の彼氏を捕まえてまるで女たらし見たいに言うのは辞めて欲しい。
 いくら冬美さんとお昼のメッセージについて約束したとはいえ、自分は女の敵みたいに平気で女の子を放っているのはもう知っているんだから。
 だからあの人に対する嫌悪感がすごい勢いで膨らんで行く。これは告白の時間も含めた残り時間、別の意味で大変かもしれない。
「ふざけてなんていません。だいたい冬美さんの交渉はあな――会長と総務の彩風さんじゃないですか。会長だからっていくら何でも越権行為にならないんですか?」
 その上、彩風さんの気持ちも、下手をしなくてもその存在すら気にする素振りすら見せない。
「こいつはもう良いんだ『……』それに今日の昼だってせっかく顔出したのに、泣いてるばかりで全く話も出来なかったんだから、俺としてもどうしようもないだろ」
 この人の言っている意味が分からない。まずこの人は今日のお昼、私の教室へ来たんじゃないのか。なのに彩風さんにも顔を出したと言うのはどう言う事なのか。
 クラスのみんなが嘘を付く訳が無いのだからこの人が嘘を付いているのか。その上目の前で涙している女の子を放っておいてどうしようもないと言うのもどう言う事なのか。彩風さんはこの人にとってどうあっても、恋愛感情が無いとは言え、大切な幼馴染なんじゃないのか。
「……愛美さんに説明しとくと、今日の昼休み時間的に僕らの方が先だと思うけど、倉本が来たんだ。ただその時に完全にキレた中条さんが倉本を追い返した後、愛美さ『空木は黙ってろっ! 喋んじゃねぇぞ!』――愛美さんの教室へ行って九重さんや島崎が弾いた――っ!」
「おいこら空木っ! 副会長のクセに女と遊んでばっかの奴が調子乗んなよ? お前が俺と岡本さんの邪魔をするからこんな事になったんだぞ! お前が岡本さんに俺と会うな! 喋り方にしても何にしても他人行儀にしろって言ったんじゃないのか? おいっ! 空木っ! どうなんだ! 答えろっ!」
 優希君が説明してくれた昼休みのこの人の動きをかき消すように、大声で怒鳴り上げるこの人の声に私の身体が強張る。
 しかも手近なと言うか、優希君の方の机まで蹴り上げたのかすごい音がして、びっくりして恐怖に染まってしまったのか冬美さんの顔からも血の気が引くのがハッキリと分かる。
 もちろん私も男の人の本気の力を体に刻み込まれてから、喉がひきつって声が出なくなってしまう。
 その中でも私の想いは止まらないし、声に出せない分、感情がものすごい勢いで動くのが自分でも分かる。
 私は優希君に言われたからこの人への呼称や喋り方を変えたわけじゃない。私は私の意志で大切な親友や友達を平気な顔で傷付けられたから、これ以上は嫌だと、ごめんだと言わんばかりに自分の意志で決めたのだ。
 私は決して優希君の人形なんかじゃないし優希君もそんなのは望んでいない。
「倉本。お前結局最後まで周りが見えないのか? 僕は前に言っただろ。別に倉本なんて気にしてない。好きにしたら良いって。ただ僕は愛美さんが分からないって顔をしてたから説明しただけだ」
 だけれどさすが男の人って言って良いのか、あの優珠希ちゃんのお兄ちゃんだからと言って良いのか分からないけれど、全く物怖じせずにいつも通り言い返してくれる優希君。
「それからな倉本。今日告白するはずの愛美さんを『っっ』怖がらせてうまく行くと思ってんのか? それに同じ統括会メンバーの雪野さんや彩風さんを傷つけて、ビビらせて、蔑ろにして。こんなのでまとまりが出ると思ってんのか? こんなやり方で一つのチームとして――」
「――お前。調子乗んなよ? 俺のやり方に口出さないって言ったのはてめぇだろ! だったら大人しくしとけや!」
 とても役員室内とは思えないほどの殺伐とした空気の中、今まで耳にした事の無いくらい酷く汚い言葉まで使うこの人。
 こんな声や言葉を使われたら、私じゃなくてもみんな身が竦むと思う。
 だから大きな怒鳴り声をあの人が上げて以来、男二人の声が響くだけで女三人は物音一つ立てられないし、いつものように飲み物すら用意できない。
「……空木。俺の質問に答えろ。俺と会うな、俺との距離を空けて他人行儀にしろって言ったのは空木! お前なんだろ!」
 この人もどうしてそんな的外れな結論にこだわるのか。自分には全く悪い所は無いと思っているのか。私だけじゃなくて女の子を困らせている、怖がらせているって分かっていないのか。これだけ的外れに怒鳴り散らして恥ずかしくないのか。
 逆に私たち女の子を、言う事を聞かなかった彩風さんに文句を言って、優希君の言う事を聞いたと思い込んでいるこの人は、男の人の人形か何かだと思い込んでいるのか。冬美さん宛てに送ったあのメッセージ。“脱げ”って言うのがどうしても心の中から剥がれない。
「……

『なっ!』それだけ大声上げて怒鳴って、愛美さんを怖がらせるような奴に――っ!」
 私の気持ちと感情を知っている冬美さんが、優希君の“

”に、驚く間もなく役員室内に立て続けに上がる女の子三人の小さな悲鳴。
 あの人が今度は優希君が座っている椅子ごと蹴り飛ばしてしまう。
 その瞬間を目にしてしまった私は、元から強張っていた体に、あの人の男の人の純粋な暴力を目の当たりにして体が震え出すと同時に再び嫌な汗が出始める。
「お願いですから、ワタシの懸想する殿方、空木先輩をそんなに殴らないで下さいっ! 蹴らないで下さいっ!」
 目の前で起こっている事に対する行動が何一つとれないもどかしさが悔しくて下唇を噛んでいると、その間に地面に倒れ込んだ優希君を冬美さんが守ろうと覆いかぶさってしまう。
 冬美さんが今、打算無く動いてくれている、優希君をあの人の暴力から守りたくて優希君に抱きつくようにして覆いかぶさってくれているのを分かってはいても、どうしても恐怖で動いてくれない自分の身体が悔しくて、その場所は例え体勢が変わっても、形が変わっても私専用の場所だったはずなのにっ。
「雪野。お前、まだ何も聞かされてないのか? こいつのせいで、俺と岡本さんの邪魔をしたこいつのせいで! 俺の交渉は失敗に終わったんだぞ! 俺たち五人で一つのチームだったはずなのに、岡本さんを盗った挙句駄目にしたんだぞ! つまり雪野の交代が、この任期の途中にもかかわらず決まってしまったんだぞ! それでもこの女たらしの空木を雪野は守るのか! 雪野は続けられなくなっても本当に良かったのか? あと正味三ヶ月無かったんだぞ?! そこまでして女に遊び慣れてる男が良いのか? 女ってのは」
 まさかの展開に私の頭の中が真っ白になる。だったら私へのあの絶壁続きの課題は一体何だったのか。
「……っ。それでも空木先輩の責任じゃありません。ワタシ自身も教頭先生に言ってしまってる以上、ワタシも同罪です」
 ここまで色々時間も割いて頭を絞って。時には喧嘩やぶつかり合いもしながら少しずつでもこぎつけて来たんじゃないのか。
「それに岡本さんのために、ワタシのために休み時間も返上して走り回って頂いた空木先輩を女たらしだなんて仰らないで下さいっ!」
 言いながら優希君の胸で嗚咽を漏らす冬美さん……を見ていられなくて、動いてくれない体にも悔しくて完全に感情を持て余してしまった私も、顔を俯けてしまう。
「愛……先輩……」
「そこまでして空木が良いんなら、俺がメッセージで頼んだ内容。今ここで実践してくれるのか? それで空木の奴が反応して勃てば岡本さんから――」
 あの人からのメッセージの内容……つまり冬美さんが優希君の前で裸になるって事で……結局は私との初めては

冬美さんに持って――
 いかれるのかと、目から悔し涙を止めることが出来なくなってしまった私に終礼時先生の言葉を――
 ――“今月末を楽しみにしています”―― (207話)
 ――思い出して涙に濡れて綺麗でも可愛くもないむくんだ顔をハッと上げると同時に、冬美さんの背中に手を回そうとしてピタッと止めた優希君と、ほんの一瞬だけ視線が絡まる。間違いなくこの一瞬で、私たちお互いの気持ちは通じ合ったのだと確信出来た。
 ほんの一瞬って言うのはその後、優希君が私から微妙に視線を“下”に逸らしているから。
 その証拠に、優希君の両手は完全に地面に着いたまま、全く冬美さんに触れようともしないし冬美さんにそんなに体全体、私でもそこまでベッタリなんて経験がないにもかかわらず、本当にいつだって私にしか興味が無いって言うのを示してくれるかのように、隣に私よりもスカートの短い彩風さんが座っているにもかかわらず、机の下の私の足と言うか、膝と言うか……太ももと言うか……。
 言ってしまえば、かなり長めにもかかわらず私のスカートの中を、気付かれないようにだと思うけれど、断続的に意識して視線を送ってくれているのがどうしたって分かるから……
「……」
 絶対見えていない。大丈夫だと思うけれど、優希君には悪いなって思う反面、余裕のある優希君に安心と言うか呆れるけれど。間違ってもあの人に気付かれたくも、そう言う目で見られたくもないから、そっとしっかりと足を意識して閉じた上で、少しでもスカートを長く伸ばさせてもらう。
 優希君の視線に気づいたのがバレたのか、見えていたのかそうでないのかはとてもじゃないけれど恥ずかしくて聞けないなと諦め半分、こんな時にエッチな優希君を見て呆れ半分で折り合いをつけたところで、
「雪野さん。僕は大丈夫だし今はまだ雪野さんの交代は無いだろうから、涙を止めて一度退いて欲しい」
 本当にまさか。私の心、課題まで読み取ったのか教頭先生からの課題をピタリと言い当てた上、優希君からは本当に触れる事無く、冬美さんを退かしてしまう。
 本当に優希君は私の心を全て守ってくれる王子様みたいだ。
 ……カッコいい王子様じゃなくて、とってもエッチでとっても頼りになる王子様だけれど。
 その証拠に、優希君から私への想いを受け取った私の身体から、さっきまでの恐怖心と強張りが抜けて、代わりに私の心がホカホカと温かくなり始める。
 よし。顔と目は涙で腫れぼったくなってしまったけれどこれならもう大丈夫だ。
「おいこら空木! いつまで調子乗ってんだ! 女と遊び呆けてたクセに何夢見てカッコ付けてんだ? お前はそのまま雪野と乳繰り合ってろよ」
「もう辞めて下さい! ワタシは以前それで一度失敗してます。だからワタシは二度同じ間違いはしませんっ!」
「……冬……ちゃん……」
「雪野もな。そんなキレイ事なんて言ってられないんだぞ! そこの空木が全て邪魔したから雪野の交代が決まった上、来月の頭。10月4日の月曜日に補欠選挙の公示なんだぞ!」
 だけれど何も知らない冬美さんと、自分の独り相撲による責任で、完全に交渉を失敗して教頭から言われたであろうあの人が、勝手に話を進めるから、冬美さんが完全に脱力してしまう。
 本当にまさか。あの教頭から励ましてもらえるとは思っていなかったけれど、課題の内容を話せない私に一体この場をどうしろと言うのか。
「雪野さんもう一回聞きたいんだけど、さっきから倉本が話してる交代の話、学校側……いわゆる雪野さんの担任から伝えられた?」
 あまりにも好き勝手するこの人と、無理難題を押し付けているとしか思えない教頭に半ば匙を投げかけていると、こかされて制服のカッターに着いた汚れを(はた)きながら優希君が立ち上がる。
「――っ」
 一方私の方も、今までの態度に関する想いは複雑だけれど、先週から本当に身も心もボロボロ、下手したら満身創痍の状態の彩風さんをそっと抱きしめる――
 ――のを、優希君と冬美さんが驚き見た後、嬉しそうに、安心した表情を浮かべる。
「――いえ。まだ何も言われてません。ですがそう言う話は会長から伝えられるのが筋なんじゃないんですか?」
 でも、いつだって頭の固い冬美さん。筋を通した上で納得しない。

 だから私は、二人の会話を耳にしながらやっと捕まえられた彩風さんとお話をする。
「今まで本当にごめんね。私がハッキリしないから、不安にもなったしたくさん傷ついたんだよね」
 いくら彩風さんを想ってとは言っても、煽る言い方もしたし、不安に落とすような言葉も使った。その上、私を盾にあんな人から二度も“お断り”をされて心に深い傷を負った彩風さん。こんな姿を見てしまったらやっぱり同じ女の子としては責められない。
「アタシは、アタシは……」
 しかも目の前で後輩の女の子が涙しているにも関わらず、迷惑扱いしたり仕方がないと言ってお荷物扱いをしたこの最低な人。
 もちろんそれまでに何の行動を起こしていなかったのはこの彩風さんで、そこだけは私の考えは変わらない。
 だけれど元々は私を慕ってくれる、とっても可愛い後輩ではあったのだ。
「おい霧華。少しは話しをする気になったのか――」
「――彩風さんに触れないで下さい。私、前に女の子に軽々しく触れるものじゃないって言いましたよね。どうして不用意に二度も彩風さんを傷つけたのに、ここでまたそうやって触れようとするんですか?」
 だけれどそれを

今みたいに彩風さんに優しくしたり触れようとしたり……理沙さんじゃないけれど、二度も“お断り”したにもかかわらずどう言うつもりなのか。
 私たち女の子は男の人の愛玩動物でも何でもない。そう言うのを色々まとめてしまうと、この人が女の子を弄んでいる一番の元凶じゃないのか。
 私はどうあっても女の子だから、どうしたって最後には女の子の味方をしてしまう。その相手が私の友達に暴言を吐いたりしている私の大嫌いな相手なら尚の事。
「傷つけたって……俺は岡本さんにまっすぐな気持ちをぶつけるために、俺の意志を示したくて――」 
「――私はそんな事、一度も頼んだ覚えはありません。勝手に人のせいにばかりしないで下さいっ! ――彩風さん。私と席、代わろっか」
「愛……先輩っ!」
 だから私は理沙さんとの約束通り、女の子の意地としてこんな人に彩風さんを好きにされるのが我慢ならなくなったから、私にしがみついたまま離れずに嗚咽を漏らす彩風さんの全ての盾となろうと決める。
 そこには、ひょっとしたら二度も“お断り”を貰っている彩風さんのスイッチが切り替わって、心の整理が始まっているのかなと期待する気持ちもある。

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