第7話
文字数 2,555文字
「参中を彩った個性ちゃんたち」
中学2年生、3年生になっても、M谷による15センチの距離のぴったりストーキングは相も変わらなかった。
その間学年が上がる度に2度のクラス替えが行われ、僕にとってもそれはまた新たな同級生との出会いを意味していた。
関西人丸出しで、口癖が「ええっちゅうねん!!」のK谷。
秀才なのだが、とにかく外見を含め野暮ったいというかオッサン臭かった。
昼のワイドショーを主な情報源とした芸能界の動きに、レポーター顔負けの知識を持ち、口の両端に唾をためながら、芸能情報を猛々しくまくし立てていた。
また中学生のくせに妙に美食にこだわっている一面を併せ持ち、ふぐなどの高級料理から、リーズナブルな街の定食屋までを網羅した手製の「食ノート」を懐に忍ばせていて、どこかに一緒に出掛けた折には、「このあたりだとあの店がよろしおますわ!!」などと、また口の両端に唾をためながらまくし立てていた。
こいつは将来政治家なんかになった暁には、絶対美食を追求した会合を夜な夜な主催するんだろうなと、某グルメ漫画にダブらせながら、僕は思っていたものであった。
このK谷の腰巾着K畑は、路線バスマニアで、K谷とどこかに出かけては必ずその帰りに、その界隈を走る路線バスに乗車しなければ終わらせない、気が済まないといった困ったちゃんだった。
ある日参中の不良連中に、顔が避妊具に酷似しているとからかわれていた時は、さすがに少しK畑のことが気の毒にも思えたが。
そんなK谷とK畑のK・Kコンビのやり取りに裏で糸を引き、面白おかしく事態が転ぶようにしていた仕掛人H本。
柔和な虫も殺さないようなスマイルをいつも絶やさぬくせに、他人同士のいざこざや争い、トラブルが大好きな、事あるごとに悪のプロデュース活動に水面下で精力的な腹黒さんだったが、その裏の顔を知る者は、意外と少なかった。
たぶんクラス内で乱闘が起こったとしても、自分は危害が及ばないセーフティーゾーンに退避して、身の安全だけはちゃっかりと確保しながら、すごく良い笑顔を浮かべながら、ブッチャーF田の顎をタプタプしながら楽しんでいる、闇の権力者が愛人を弄ぶかのような実は黒い貫録を発揮していただろう、H本は。
通学カバンに、当時放映されていたバラエティー番組のタイトルが書かれたシールで偽装した裏ビデオを忍ばせ、取引に暗躍していたT島。
しかし裏ビデオ所持はすぐに発覚し、やけになって父親の分のお好み焼きを食べてしまったはいいが、やはり発覚し、電話口でマジギレされて半べそかいていた、テストの点数は学年トップクラスなのにおつむが弱かったT島。
流行りの服を身に纏い、ファッションリーダーを気取っていたF池。
流行っているものさえ身に着けておけば、それでオシャレさんなのだと、思春期特有の痛い勘違いを気取っていた。
このF池にある日の昼休み、「5組の教室で〇〇が呼んでいるよ。」と言われ、僕が5組の教室の扉を開けば女子が体育の着替え中で、思い切りはめられたことがあった。
F池しばくべし!!
移動する際に常に自ら、「ガシンガシン」とロボット的な擬音を己が口で発しながら、機動戦士になり切っていたT内。
金の貸し借りで揉めて、返済期限を守らないY田にしびれを切らせ、コンパスの針で頭をぶっ刺しながら、流血の取り立てを繰り広げたMG。
喘息持ちなのか単に風邪をひいていたのか、ある定期試験の時、1時限50分最初から最後までまったく途切れることなく咳をし続けていた。
ちなみにH本は、その様子をずっと楽しそうに目撃しながら、笑っていた。
林間学校のレクリエーションでのグループごとの出し物において、出発ぎりぎりまで何をするのか決まらず、当日徹夜で自作してきた「傘地蔵」の紙芝居を、誰1人興味がなく見向きもされない中、1人で最後まで演じ切り、悦に入っていた笑顔が粘着的だったI野。
中学生だよ僕たちは、幼稚園児じゃないんだから。
休日に街まで出かけた帰り発車待ちの列車内で、飲み終えたペットボトルを捨てに行こうとして降りた瞬間、ドアが閉まりとっさに差し出したペットボトルがドアに挟まれるも、再度開いてはくれずホームに置き去りにされた間の悪いY井。
その列車内には僕もいて一部始終を見ていたのだが、置き去りにされて走り出した車内の客たちからはあちこちで失笑が巻き起こり、僕は他人のふりをやり通したのだった。
一昔、二昔前に割と見かけたエロ本の自動販売機に、何度もキスしていたS原。
アダルトカテゴリー中心の書店に勇んで入って行ったはいいが、案の定漫画みたいに店員につまみ出されていたS原。
政治ネタに強いことを誇示したいのか、政治をひねくる川柳を国語の時間に投稿しまくり、全学年に配布されたプリントに掲載されたことが、勲章でたまらなかったS原。
しおれた落花生みたいな顔で、生気はないのに血気盛んだったS原。
S原と時に相思相愛、時に一転して犬猿の仲と、非常に面倒臭かった相方M木。
S原やT島から、とにかくエロ本や裏ビデオを入手したいM木だったが、借りパク(借りたものを返さない)の常習者としてすでに学内でリストアップされており、まったく借りることができず辛抱たまらなくなって「貸してくれや~、殺生やから貸してくれや~」と、すがるようによくわからない割引券を代価に、必死過ぎるのがとても痛かった。
ていうか、どんだけ裏ビデオ見たいんだよ!
そのM木の感情を表現する口癖なのか、怒りや喜び、悲しみや悔しさなど、感情が臨界点を超えた時に、「アジャビー!アジャビー!!」と奇声を発し続けるのだった。
特に興奮状態の時は、「アジャアジャアジャビー!アジャアジャアジャビー!!」と、歌い出すのだからかかわりたくなかった。
皆一様にバカだった、皆一様に青かった。
中二病とはまた少し異質な、それでいて毒々しさは上を行く参中病に侵されていたのだろう、今思うと。
そんな参中病感染者たちにどんどん囲まれて、図らずもかかわり合いになり巻き込まれ続けた挙げ句、またしても僕のトラウマは増えていった。
本当、バカばっかりだった、僕も含めて。
中学2年生、3年生になっても、M谷による15センチの距離のぴったりストーキングは相も変わらなかった。
その間学年が上がる度に2度のクラス替えが行われ、僕にとってもそれはまた新たな同級生との出会いを意味していた。
関西人丸出しで、口癖が「ええっちゅうねん!!」のK谷。
秀才なのだが、とにかく外見を含め野暮ったいというかオッサン臭かった。
昼のワイドショーを主な情報源とした芸能界の動きに、レポーター顔負けの知識を持ち、口の両端に唾をためながら、芸能情報を猛々しくまくし立てていた。
また中学生のくせに妙に美食にこだわっている一面を併せ持ち、ふぐなどの高級料理から、リーズナブルな街の定食屋までを網羅した手製の「食ノート」を懐に忍ばせていて、どこかに一緒に出掛けた折には、「このあたりだとあの店がよろしおますわ!!」などと、また口の両端に唾をためながらまくし立てていた。
こいつは将来政治家なんかになった暁には、絶対美食を追求した会合を夜な夜な主催するんだろうなと、某グルメ漫画にダブらせながら、僕は思っていたものであった。
このK谷の腰巾着K畑は、路線バスマニアで、K谷とどこかに出かけては必ずその帰りに、その界隈を走る路線バスに乗車しなければ終わらせない、気が済まないといった困ったちゃんだった。
ある日参中の不良連中に、顔が避妊具に酷似しているとからかわれていた時は、さすがに少しK畑のことが気の毒にも思えたが。
そんなK谷とK畑のK・Kコンビのやり取りに裏で糸を引き、面白おかしく事態が転ぶようにしていた仕掛人H本。
柔和な虫も殺さないようなスマイルをいつも絶やさぬくせに、他人同士のいざこざや争い、トラブルが大好きな、事あるごとに悪のプロデュース活動に水面下で精力的な腹黒さんだったが、その裏の顔を知る者は、意外と少なかった。
たぶんクラス内で乱闘が起こったとしても、自分は危害が及ばないセーフティーゾーンに退避して、身の安全だけはちゃっかりと確保しながら、すごく良い笑顔を浮かべながら、ブッチャーF田の顎をタプタプしながら楽しんでいる、闇の権力者が愛人を弄ぶかのような実は黒い貫録を発揮していただろう、H本は。
通学カバンに、当時放映されていたバラエティー番組のタイトルが書かれたシールで偽装した裏ビデオを忍ばせ、取引に暗躍していたT島。
しかし裏ビデオ所持はすぐに発覚し、やけになって父親の分のお好み焼きを食べてしまったはいいが、やはり発覚し、電話口でマジギレされて半べそかいていた、テストの点数は学年トップクラスなのにおつむが弱かったT島。
流行りの服を身に纏い、ファッションリーダーを気取っていたF池。
流行っているものさえ身に着けておけば、それでオシャレさんなのだと、思春期特有の痛い勘違いを気取っていた。
このF池にある日の昼休み、「5組の教室で〇〇が呼んでいるよ。」と言われ、僕が5組の教室の扉を開けば女子が体育の着替え中で、思い切りはめられたことがあった。
F池しばくべし!!
移動する際に常に自ら、「ガシンガシン」とロボット的な擬音を己が口で発しながら、機動戦士になり切っていたT内。
金の貸し借りで揉めて、返済期限を守らないY田にしびれを切らせ、コンパスの針で頭をぶっ刺しながら、流血の取り立てを繰り広げたMG。
喘息持ちなのか単に風邪をひいていたのか、ある定期試験の時、1時限50分最初から最後までまったく途切れることなく咳をし続けていた。
ちなみにH本は、その様子をずっと楽しそうに目撃しながら、笑っていた。
林間学校のレクリエーションでのグループごとの出し物において、出発ぎりぎりまで何をするのか決まらず、当日徹夜で自作してきた「傘地蔵」の紙芝居を、誰1人興味がなく見向きもされない中、1人で最後まで演じ切り、悦に入っていた笑顔が粘着的だったI野。
中学生だよ僕たちは、幼稚園児じゃないんだから。
休日に街まで出かけた帰り発車待ちの列車内で、飲み終えたペットボトルを捨てに行こうとして降りた瞬間、ドアが閉まりとっさに差し出したペットボトルがドアに挟まれるも、再度開いてはくれずホームに置き去りにされた間の悪いY井。
その列車内には僕もいて一部始終を見ていたのだが、置き去りにされて走り出した車内の客たちからはあちこちで失笑が巻き起こり、僕は他人のふりをやり通したのだった。
一昔、二昔前に割と見かけたエロ本の自動販売機に、何度もキスしていたS原。
アダルトカテゴリー中心の書店に勇んで入って行ったはいいが、案の定漫画みたいに店員につまみ出されていたS原。
政治ネタに強いことを誇示したいのか、政治をひねくる川柳を国語の時間に投稿しまくり、全学年に配布されたプリントに掲載されたことが、勲章でたまらなかったS原。
しおれた落花生みたいな顔で、生気はないのに血気盛んだったS原。
S原と時に相思相愛、時に一転して犬猿の仲と、非常に面倒臭かった相方M木。
S原やT島から、とにかくエロ本や裏ビデオを入手したいM木だったが、借りパク(借りたものを返さない)の常習者としてすでに学内でリストアップされており、まったく借りることができず辛抱たまらなくなって「貸してくれや~、殺生やから貸してくれや~」と、すがるようによくわからない割引券を代価に、必死過ぎるのがとても痛かった。
ていうか、どんだけ裏ビデオ見たいんだよ!
そのM木の感情を表現する口癖なのか、怒りや喜び、悲しみや悔しさなど、感情が臨界点を超えた時に、「アジャビー!アジャビー!!」と奇声を発し続けるのだった。
特に興奮状態の時は、「アジャアジャアジャビー!アジャアジャアジャビー!!」と、歌い出すのだからかかわりたくなかった。
皆一様にバカだった、皆一様に青かった。
中二病とはまた少し異質な、それでいて毒々しさは上を行く参中病に侵されていたのだろう、今思うと。
そんな参中病感染者たちにどんどん囲まれて、図らずもかかわり合いになり巻き込まれ続けた挙げ句、またしても僕のトラウマは増えていった。
本当、バカばっかりだった、僕も含めて。