第23話

文字数 6,517文字

 「M谷フォンデュ」

 2年生の3学期初日、新しい年を迎えた新学期初日の始業式が終わったと同時に、担任教師がM谷のことを呼びつけていた。
眉間に深いしわを刻んで険しい表情を崩さない担任教師は、M谷に職員室への同行を求めた。
あー、またM谷の奴、何かをやらかしやがったなと、僕だけではなくクラス中の同級生は思っていたことだろう。

 まあM谷が何をやらかそうが知ったことではなかったし、僕へのストーキングが一時的とはいえ緩和されることを思えば、むしろ好都合だった。
さっさと野球部の練習に行こうと、通学鞄やバットを背負おうとした僕のところに、N松がやって来た。
「本ちゃん、冬休みさー大変だったよ!」
と、開口一番嘆き節のN松。
「どうした?何かあったの?」
「うん。あのさ、M谷がさ・・・・・」
はい出た、出ましたよM谷。
この場にいないのに、そこまで僕に対して存在を主張したいのか。
「何をやったんだい?」
話を聞く前からうんざりする気分の僕だったが、努めてダンディーにM谷の有罪は確定して聞いてみることにした。
「冬休みにさ、クリスマス会と新年会を兼ねてさ、みんなで集まったんだけど・・・」
「来ちゃったのか、そこに呼んでもいないのにM谷来ちゃったのかー。」
「アイ、ヤー!」

 N松の口から語られた内容は、以下のようなものだった。
年末が押し迫った12月某日、N松はとある集まりに呼ばれて顔を出したそうだ。
「クリスマス会」と「今年も1年お疲れ様会」と、ついでに「新年会」も兼ねたパリピのノリ全開のちょっとした規模のイベントが行われた。
クラスの垣根を超えて同級生たちが集まって開かれたその催しは、男女混合のイベントで、学内ヒエラルキーで言えばトップクラスの連中を中心に、その友人たちをも巻き込んで盛大に行われるはずだったのだそうで。
N松はK口と共に招待されて、会場となったN山の自宅に出掛けて行った。
N山は金持ちという評判で、ちょっとした豪邸に同級生を招いてリア充イベントが催された。
中学生と言えど、学内ヒエラルキーの上位者たちが集まれば、大学生たちの行うようなパーティーと遜色ない、さぞかしキラキライベントとなったであろうことは想像できた。
続々と会場であるN山家に集まってくる同級生たち、友人同士、中にはカップルで訪れたけしからん連中もいたそうだが。
 ひとしきりのメンバーが揃ったことで、N山の乾杯のあいさつでイベントは幕を開け、ジュースやケーキ、クリスマスっぽい食べ物の数々がテーブルに並ぶ中、各々が楽しい時を過ごしていた。
が、そんな和やかさは奴の襲来により一変した。
そう、M谷のまさかの登場によって。
N山の母親によって室内に通されてきたM谷の姿を目撃した瞬間、参加していたすべてのメンバーの顔から一気に血の気が引いて、海辺で潮が引いていくかのごとく「サーーーっ」という音が聞こえたようだったと、N松は証言した。
メンバーたちは互い違いに顔を見合わせて、「誰が教えたんだ!?」「誰が呼んだんだ!?」といった疑心暗鬼に陥り、造反者をあぶりだして処刑してしまおうという魔女狩りさながらの勢いだった。
そんな空気も何のその、M谷は遅れてやって来た主役のような振る舞いを見せて、誰かれ構わず手を上げてディナーショーの歌い手と観客のような関係性でオーラを放っていった。
当然、すでにその場にいた誰もがドン引きだった。
ずけずけとモーゼが海を割って渡っていくように、引いていく参加メンバーの動揺と気持ちなんて知る由もなく中央に陣取ったM谷。
女子の飲みかけのジュースが入ったグラスを手に取り、気取って1人空中で乾杯のポーズを見せたかと思うと、食べ物に手を伸ばした。
そのまま食べ物を掴んだM谷は、何を血迷ったのかグラスに突っ込み、ジュースに浸し始めたのだった。
ポテチにチョコレートにフライドチキンにポテトフライなど彩られたごちそうの数々を、どれも1度ジュースに浸してから口に放り込んでは、「クッチャクッチャ!!」と盛大に音を立てて、ボロボロと口からこぼしながら食べ散らかしていったそうだ。
何がやりたいんだ!?
チーズフォンデュのつもりなのか、M谷フォンデュとでも言いたかったのだろうか!?
M谷が手にしていたグラスの中は、ジュースというより油や食べ物の残骸が浮かび変色し放題、それはもう汚かったそうだ。
あれだけ華やかだった会話も完全に消え去って、女子たちからは露骨に嫌がる仕草や、軽蔑のまなざしや目に涙を浮かべた者まで出て、十人十色に敵視されていた。
そんな反応に反比例するように、M谷はどんどん上機嫌になっていき、ズボンからベルトを取り外すと、主に嫌がる女子を中心とした面々に振り回しながら絡んでいった。
まさに地獄、生き地獄と化した室内に轟くのは、M谷がベルトを使って奏でる物や同級生を叩く乾いた音のみだった。
完全なるM谷のワンマンショーと化した会場には、話を聞いただけで、僕は金をもらっても絶対に行きたくなかった。
やがて時間も経ち、ようやくお開きになったことで、参加メンバーは地獄から脱出できたのだそうで。
ただ室内はM谷によって荒らされ放題。
床にはそこかしこにM谷の食べ散らかした食べカスやジュースの水滴が広がり、室内の装飾品などは軽い強盗が入ったかのように荒らされていたそうだ。
この惨状に、住人であるN山の母親はひどく驚いたと同時に、大変お怒りになったらしかった。

 「そんなことがあったのか・・・・。本当に気の毒だったなあ・・。」
「うん。でもな本ちゃん、それだけじゃなかったんよ・・・・。」
「パードゥン!?」

 M谷によって、これ以上ないくらいにめちゃくちゃにされたイベント。
だからといって、せっかくこれだけの面子が集まったのに解散とは、あんまりだという機運が高まり、話し合った参加メンバーたちは駅前のカラオケ屋に行って歌い、憂さを晴らす意味でも二次会をしようということになったらしかった。
しかし、それには避けては通れない大きな問題があった。
そう、M谷の存在だ。
何とかM谷に二次会のことを知られることなく、巻かなければならなかった。
綿密なる打ち合わせの結果、いったん皆解散した体を装い、方々に散り散りになって見せ、時間をおいてカラオケ屋に現地集合という作戦が立てられた。
これは20年前の話で、ラインなどはおろか携帯電話すら普及していなかった当時のことだから、作戦遂行には相当な覚悟と水面下でのやり取りが必要だったことだろう。
だがM谷という共通の敵が強大であるなら、参加メンバーたるリア充たちも必死だった。
すっかりご機嫌になっていたM谷に隠れて、各自で伝言を回し作戦を理解したのは、もはや執念の成せる業だろう。
 かくして作戦は開始され、参加メンバーたちはさも解散する空気を出して、帰路に就く芝居をしていった。
誰も連れのいない1人でやって来たM谷が、ポツンと放置されたので計画通りだった。
 
 約1時間が経過して、K口と落ち合ったN松が駅前のカラオケ屋に到着した頃には、一時解散後思い思いに時間をつぶしていたであろう同級生たちが、ほとんど集合していた。
主催者であるN山は、すでに受付で店員とやり取りしており、全員が揃い次第すぐに歌い始められるよう、手はずを整えていた。
結構な大所帯の参中の参加メンバーたちで、受付ロビーは占拠されていた。
後はM川とHR田の仲良しコンビが到着すれば、二次会の始まりだった。
 数分後、自動ドア越しにM川とHR田がやって来た様子を、メンバーたちは目視してテンションが上がり始めた。
ただN松とK口は、やって来る2人の様子が何だかおかしいことに違和感を覚えたそうだ。
自動ドアが開き、入店したM川とHR田。
うつむき加減の2人が口を開こうとしたその刹那、背後から思いがけない人物が飛び出した。
そう、M谷だ!!
出た!出ました!!悪夢よ再び、M谷登場のサプラーイズ!!
誰1人として不要だと言い切れた、M谷の乱入。
ショッキングだった、あまりにもショッキングな光景だったそうだ。
度重なる招かれざる珍客に、唖然と愕然とするしかない参中の同級生たち、男女・友人・カップルあらゆる距離感関係性にとって、最悪の事態だった。
たまらずN山がM川とHR田の元へ駆け寄って、2人の肩を掴んだまま受付ロビーの隅へと連行した。
今更もう取り返しはつかないが、事実を確認したかったのだろう。
2人から事情を聞き終えたN山は、崩れかけた表情を立て直して冷静さを取り戻そうと苦闘した後、静まり返った参加メンバーたちに招集をかけ、とつとつと話し始めた。
 大惨事に終わった一次会解散後、打ち合わせ通りに解散する芝居を見せてM谷を巻こうと、M川とHR田も作戦を実行した。
2人で一緒に帰ろうと歩き始めてからしばらくして、M谷が距離を置いて付いて来ていることに気付いた。
まずいと思ったが、ここで声を掛けようものなら絶対に取り返しがつかなくなると直感した2人は、気付かぬふりをして信号待ちが解けた瞬間走り出したそうだ。
が運悪くHR田がつまずいて転んでしまった。
それでも走り続けること数百メートル、息を切らせて立ち止まったところで、HR田が財布を落としてしまったことに気付いた。
きっと先ほど転んだ時にでも落としてしまったのだろうと思ったHR田が振り向いた時、背後から手を振りながら女の子走りのような不細工さで、M谷が迫ってきたのだった。
そのM谷の右手には、HR田の落した財布が握りしめられていた。
やがて2人のところにたどり着いたM谷が、「落としましたよ、うんうんうん・・・・。」と差し出してきた財布を覚悟を決めて受け取ったHR田。
適当に礼を言い早くその場から逃れようとした瞬間、「ところで・・・・」HR田の頬に自分の頬を触れさせるくらいすり寄ってきたM谷が、「そんなに急いで、どこに行くの・・うしゃしゃしゃ?」と問うてきた。
「いや・・別に、もう帰るところだけど・・・」と、若干の歯切れの悪さで振り払おうとしたHR田だったが、1度好奇心を抱いてロックオンした対象を、M谷がそう簡単に逃すはずはなかった。
「だ・だから、家に帰るんだよ・・・!!」
「本当ですかーー?」
HR田の眼球を今にも舐めそうなくらいに、肉薄してきたM谷。
「う・・・うん・・・・。」
「HR田、いいから早く帰ろう!!」
M川に袖を引っ張られて、この場からの緊急離脱を急かされたHR田を、M谷の魔の触手がからめとっていった。
本能では逃げなければならないとわかっている、だが一方からは押し寄せて来る絶対的嫌悪感のプレッシャーが、HR田の意志をどんどん飲み込んでいった。
「じ、実はこれから・・・・」
「やめろ!言うな!!」
「うーーーーんんんん?」
「・・・・・・・・・・」
「HR田、早く行こう!!」
「うーーーーんんんん?」
「・・・・・・・・つっ!!」
「HR田!!」
「うーーーーんんんん?」
「じ、実はこれから・・・み、皆でカラオケをするんだっ!!」
「HR田ーーーーーー!!」
「そうなんだ、俺も行くとしよう!!」
気の弱いHR田の性格が災いして、M谷に屈して飲み込まれてしまったのだった。

 最悪のシナリオ第2章に至るまでの、事の顛末を聞き終えたメンバーたちの表情は、皆死んでいたそうだ。
「やっぱ、俺は帰るわ!!」
「私も帰る、用事あったし!!」
「俺も!!」
「私も!!」
と、参加メンバーのうちの半数は、この時点での完全撤退を決意して、何かと理由を付けては足早にカラオケ屋を後にしていった。
N山たち中心メンバーは、受付も済ませてあったことから、今更帰るというわけにもいかず、最初から最底辺のテンションで、二次会は始められることになった。
N松とK口も帰ろうとしたらしいが、中心メンバーの1人に強引に呼び止められて、仕方なく参加せざるを得なかったそうだ。
 数部屋に分かれた部屋割りでカラオケの宴は始まったが、地獄はなおも続いた。
主役はそう、M谷だった。
急遽参戦したのにもかかわらず、M谷のフットワークは気持ち悪いくらいに軽かったそうだ。
何しろ数名ずつに分かれた各部屋に、呼ばれてもいないのにいちいち顔を出しては、場の空気を崩壊の渦へと巻きこんでいったのだそうだから。
参中学内ではウェイウェイ言わせている中心的人物たちの部屋であろうと、女子同士で黄色い歌声が木霊している部屋であろうと、何組かのカップル同士で編成された部屋であろうと、所かまわずノックもなしに無遠慮に乱入していっては、せっかく多少は盛り上がりかけた空気を、完全に破壊してとどめを刺していったそうだ。
流行りの曲など歌えるはずもなかったM谷は、2昔前くらいの女性歌手による歌謡曲を中心人物たちの部屋で歌うわ、未来から来たロボットのアニメの音頭を女子ばかりの部屋で拳を利かすわ、勇ましい軍歌を甘い空気が漂ったカップルグループの部屋で歌うわ、やりたい放題だった。
しかもいずれも曲の順番待ちなどせずに、割り込んで曲番号を打ち込んだ挙句、最低最悪のリズム感と外しまくったメロディーでの熱唱だったそうだ。
おまけにいつものように女子たちともめて口論となり、N尾をはじめとした女子たちの首を次々と締めていったそうだから、まあ地獄絵図。
結局予約時間終了まで、各部屋で暴れまわったM谷によって、二次会までもすべて台無しとなったのだった。
最高の1日になるはずが、1人の悪魔によって最悪の1日となった、冬休みの出来事だったそうな。

 「大惨事じゃねえか!!引くわー!M谷マジで引くわーー!!本当にM谷ったら物事を台無しにするよねー!!踏みにじるったらないよねー!!」
N松からすべての話を聞き終えた僕は、疲れ果ててしまっていた。
その場に参加していなかったのに、まるで目の前でM谷の凶行に遭遇し体感したかのような気分だった。
後頭部を打ち付ける鈍痛と、嫌な汗が全身から流れていた。
「本当はね、本ちゃんのことも誘おうかなって思ってたんよ。」
何故誘われなかったのかというわずかな引っ掛かりなどは、些細なことに過ぎなかった。
「良かったーー!!誘われなくて、本当に良かったーー!!」
グッジョブ、N松よ。
僕は、この瞬間ほどN松に感謝したことはなかっただろう。
「なるほど、それでM谷が担任に連行されたんだね?」
「うん。何かN山の母親がものすごい怒ってて、学校に電話入れたみたいよ。」
「担任がいっそのこと、M谷をどこかの中学に転校させてくれないかな~。」
「んだんだ。」
「でもさ、1つだけわからないことがあるんだけど・・・。」
「何が?」
「いや、二次会のカラオケの時はともかく、何でM谷は一次会のイベントのことを知ってたんだろう?」
「確かに、誰かから聞き出したんかな?」
尾行・追跡(十八番のストーキングは大得意)、盗聴(多分に盗み聞き、盗聴器を使える化学力なんてない)、恐喝(肉体的強さは最弱)、どうやってM谷は情報を入手したのだろうか。
 
 参中時代、熱狂的なヤンキー不良連中に並んで、M谷との接触遭遇は最も回避すべき事態だった。
連日ストーキング被害に遭っていた僕だけではなく、それは差異はあれど同級生たちにとっても共通の認識だった。
警戒心、敵対心、連携による無視、あらゆる手段方法を用いて徹底されていた。
それでも、M谷はいかなる対応をもかいくぐり、少しでも気を抜けば油断すれば、振り返ると必ず奴は存在していた。
一体奴の何がそこまでさせたのだろうか?
一体何のために存在し、何をもって突き動かされていたのだろうか?
卒業してから20年が経った現在でも、その名を聞けば皆問答無用に顔をしかめる、M谷という存在はもはや伝説なのだろうか。
M谷の、謎は深まるばかりであった。


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登場人物紹介

僕(本田)・・・1997年4月から2000年3月まで参中に通い、ありとあらゆるトラウマを背負う。野球部所属。

Y下・・・同級生男子、野球部を通して出会った終生の親友。

O田・・・同級生男子。天然な性格で癒し系、僕の終生の親友3人衆の1人。

S木・・・同級生男子。プロ野球の知識が豊富な僕のプロ野球仲間で、終生の親友3人衆の1人。

T中先生・・・野球部の顧問であり社会科の教師。鬼の厳しさを持っており、僕は戦々恐々の思いを抱く。

M谷・・・入学式で倒れたところを僕が助けたがために、付きまとわれる羽目に。僕の参中での3年間の命運を、ある意味大きく握って狂わせた元凶たる同級性男子。

S倉・・・同級生男子で不良グループの中心的人物。何かと理不尽な暴力が絶えない人物。

O倉・・・S倉と共に不良グループの中核を担っていた同級生男子。一方的な肉体言語を持って、学内を闊歩している。

OS・・・同級生女子。僕が恋焦がれていた女子だった。

K田先生・・・ハゲ頭の音楽教師。個性的な強烈なキャラを持ったオッサン。

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