物語は再び現在へーー仕事場にヤマモト親子がやってきた
文字数 2,492文字
ぼくはいつも朝八時には仕事場にいる。そして八時半から、その日最初のお客さんと面談する。十一年前に開業してから、相談を受けたヒトの数は、一万人をゆうに超える。カソウからゲンジツに移住したヒトは多数いるが、ゲンジツからカソウに移住した人間は、ぼく一人らしい。そのためぼくのところには、ゲンジツについて知りたいヒトが、毎日何人も訪れる。今日も十人のヒトが予約を入れてくれた。面談時間は四十分、もしくは八十分であり、料金は四十分ごとに二万ナカだ。この価格はAI・バーグが決めたものだ。自分で決めることもできるが、その場合は顧客一人ひとりと直接交渉しなければならない。ぼくはそれが面倒なため、AI・バーグが推奨する価格をそのまま採用している。
仕事場にヤマモト親子がやって来たのは定刻どおりの午前八時半だ。かれらとの面談は一人五十回ずつ、二人合わせて今日で百回目だ。近年、最も頻繁に訪れる顧客の二人に数えられる。かれらは毎回、早朝の時間帯に別々ではなく、必ず一緒にやって来る。最初の頃は、ゲンジツの基本的なファクトに関する質問が多かったが、最近は二人の個人的な悩みに関する相談を受けることが多い。そのため、ぼくがこれまでお世話したお客さんの中でも珍しい部類に入る。ヤマモト親子のおかげで、ぼくはゲンジツに関するアドバイザーだけでなく、マインド・カウンセラー的な役割も担うことができている。学生時代のぼくでは考えられなかったことだ。
息子であるヤマモトさんは、何十年も前から空間と建物の開発業に従事してきた大企業の役員だ。そのためカソウでは富裕者の一人に数えられる。かれのようなタイプのヒトは、そろそろゲンジツに移住できると言われている。けれどもヤマモトさんは、仮にそのチャンスが訪れたとしても、ゲンジツには移住しないかもしれない。理由は実の母親をゲンジツに連れて行けないからだが、ぼくがやっとのことでこれをヤマモトさん本人から聞き出せたのは、つい最近のことだ(かれは本音の話から逃げる傾向と、自分にも他人にも嘘をつく性質がある)。
ヤマモトさんのお母さんは痴呆症を患っている。二年前に初めて会ったときは、ほとんど違和感を感じなかったが、最近は話のつじつまが合わなかったり、過去の会話内容を部分的に忘れたりすることが多い。もっともヤマモトさんに言わせれば、ぼくと会話しているときが一番、お母さんは頭の状態が良いらしい。
「お母さん、お元気ですか?」ぼくは最初に入室したヤマモトさんの母親に親しみをたっぷり込めた大きな声で挨拶した。
「先生、こんにちは。ええ、おかげさまで。先生の方こそ、お元気ですか?」お母さんは満面の笑みを浮かべながらそう返事した。そして急ぎ足でぼくの目の前まで移動し、長椅子に腰掛けた。対照的に、その後を追いかけるように入ってきたヤマモトさんの足取りは重い。かれは六十有余年の人生を通じて、気苦労の多い体験を繰り返してきたらしく、いつも疲れた雰囲気を体全体で醸し出している。近くにいると、それだけでこちらも
「先生、本日もよろしくお願いします」ヤマモトさんはそう言って丁寧に深々と頭を下げた。
「ヤマモトさん、おはようございます。どうですか、相変わらずお忙しいですか?」
ヤマモトさんは上半身の背筋を再びピンと伸ばした。かれは母親のすぐ隣に立っているが、ぼくが着席するよう促すまで、いつも決して椅子に腰掛けようとしない。
「先週半ばから大川の反対側で、新しい居住空間の建設に着手しました。今後、あの一帯にはボーグ向けの住居が、雨後の
最近ようやく、ヤマモトさんの精神構造が読み解けた気がする。かれは無意識のうちに苦労や苦痛が何らかの〈ご利益〉をもたらすと考えている。そのため自分で自分の首を絞めるような選択を、繰り返し何度も(しかも無抵抗のうちに)受け入れてきたようだ。そしてそのことを、密かに自負しているふしがある。
「先生、息子は開発業者として世間のお役に立っているようです。わたしは本当に駄目な母親でしたが、今こうして息子夫婦や孫たちと暮らせることを、とても幸せに感じています」
お母さんはそう言いながら、いつもの調子で
ぼくは途中で話の腰を折らないよう気をつけながら、会話を別方向に誘導しようとした。
「お母さん、ちゃんとおうちでお孫さんたちと一緒に遊んでいますか? 約束どおり、あまりお外には出ていないですか?」
「そりゃ、もう先生、当たり前ですよ。あんな可愛い子供たちがいるんですから。しょっちゅう外に出たりするはずないじゃありませんか」
だがしかし、ぼくはこの発言が事実と異なることを知っている。ヤマモトさんから事前にもらった情報だと、お母さんは前回の面談以降、十四日中八日も外を
「そうですか。それは偉いですね」ぼくはお母さんの顔をじっと見つめながら笑顔で言った。
ヤマモトさんのお母さんは、自分が外を徘徊したことをすっかり忘れている。そう感じた。にもかかわらず、かのじょは自分が気まずい立場に置かれたことを直感的にさとったようだ。大きな笑みを浮かべてはいるものの、すっかり黙り込んでしまった。
「先生、私はあちらの待合室にいますので、お一人で母と話して下さい。その方が本音の話ができる」ヤマモトさんはぼくの耳元でそう