11年前ーーゲンジツにいた頃のぼくと、父の自殺
文字数 2,902文字
ではなぜ、ぼくはあのボーグにわざわざコンタクトをとり、質問したのか。それはぼくが父親であるサトシ・ナカモトに関する情報を探しているからだ。――もっとも、これでは何を言っているのか、さっぱり理解できないはずだ。だからまず、ぼく自身の過去について詳しく話す必要がある。今がちょうど良いタイミングだろう。
ぼくはもともと、ゲンジツという別の世界で暮らしていた(これはすでに述べたとおりだ)。十一年前にカソウに移住した理由。それは父・サトシが自殺したからだ。
父の死は、いまだ不可解な点が多い。かれは出生以来、何不自由ない生活を送っていた。にもかかわらず、突然何の前触れもなく、いきなり自ら命を絶った。それはあまりにも想定外の出来事だった。そのため、今でも「パッと消えた」と言った方が、しっくりくるときがある。
あの日、ぼくは成人の誕生日を十日後に控えていた。ゲンジツの人間は、成人を迎えると親から財産の一部を譲り受けるのが習わしだ。そしてそのソト(ゲンジツの通貨の名前)を元手に自分でビジネスを立ち上げる。学校で何年ものあいだ、投資やロボット開発・管理について学ぶのはそのためだ。
どういうビジネスを設立するかは人それぞれだが、優秀な学生は人気分野を選ぶ傾向がある。当時、最も人気があったのは先端技術開発(DCT=Development of Cutting-edge Technology)関連事業だ。これは今も変わらないかもしれない。ぼくの父は、この事業分野を専門としており、世界的な著名人として多忙な人生を送っていた。実年齢は五十歳を超えていたが、見た目が三十代半ばだった父は、スリーピース・スーツのよく似合う、昔かたぎの寡黙な男だった。われわれは毎日必ず会話をするほど仲良くなかったが、親子の信頼は厚かった。そのため、ぼくがビジネスに関する難しい質問をしても、父は分かりやすい言葉で、いつも優しく丁寧に教えてくれた。
父の投資先ロボットの開発した技術の一つが、ボーグに使われている〈BRMT=Binding Record to Memory and Transferring=記憶に記録を結合させて移動する〉だ。このまったく新しい、革新的な技術によって「我々人類は、不老不死に、また一歩近づくことができた」と父は常々口にしていた。しかし父は、たとえぼくの前でも自分の実績を自慢げに語ることは、決してなかった。そういう父の謙虚で控えめなところが、ぼくは好きだった。
DCT関連の投資は、多額のソトがなければ展開できない。そのため、ゲンジツのビジネスパーソンの中でも、特に秀でた実力の持ち主しか挑戦しない――いや、できない――分野として知られていた。だが父の息子であるぼくは、自然と小さい頃よりこの分野に強い関心があった。
とはいえ学生時代のぼくは、なんの実績も積まずにいきなり、この分野に着手すべきか迷っていた。仮にぼくが成人後、すぐにDCTに投資したい場合、かなりの資産を父から譲り受ける必要がある。もちろん返済義務はなく、よほどのことがない限り、父は快く承諾してくれたに違いない。けれどもそれがベストの選択肢だと結論づけられずにいた。なぜか?
通常の場合、ゲンジツの人間が成人とともに親から譲り受けるのは、多くて全財産の二割だ。父は成功者であり、裕福だったため、二割も譲り受ければ十分だったろう。けれども何の実績もなしに多額の資金を手に入れることに、ぼくは少なからず
父の死を告げるコンタクトがあったのは、そんなある日のことだった。
ゲンジツではカソウと違い、人間はAIに厳しく監視されていない。とはいえ、ほとんどの人間は、特定の人間に自らの個人データを開示している(ぼくの場合、自分の個人データの大部分へのアクセス権を、親権者である父に与えていた。これは未成年の場合は一般的だった)。父は自分の身体状態に関するデータをぼくにだけ常時開示していたため、生命反応が途絶えたとき、ぼくは真っ先にそのことを知った。当然ながら
最新の技術を用いれば、人間の寿命はおおよそ見当がつく。さらには臓器だけでなく、血管や骨などの健康状態も簡単に把握できる。そのため、死期が近づいた人間は、残された時間内に身辺整理を終わらせることが可能だ。これには遺産相続に関する手続きだけでなく、死後もボーグとして〈生き続ける〉選択などが含まれる。だが自殺や他殺となると話はだいぶ複雑化する。
特に父の自殺は前例のない、極めて奇妙な事例だった。遺書は間違いなく本人が作成したものだと、すぐに確認が取れた(ゲンジツでも人間の行動だけは、ゲンジツの記録を管理・保存している人工知能(AI)グル=Guruが収集している。そのため第三者が作成した遺書や、内容に手が加えられたものはバレる)。父の遺書は映像ではなく書面だった。ぼく以外に存命中の親類がいなかったので、内容は簡素なものが予想された。それは上等な紙に手書きで
そこには次の四行しか書かれていなかった。
① 私の死は私の死だ。息子・サトルには一切の責任がない。
② 私は財産を残さない。すでにすべて処分した。
③ よって息子・サトルにはこの遺書以外何も残さない。
④ 私は「忘れられる権利」を行使する。そのため私に関する全記録・データは私の死とともに完全に消滅する。