ハジメさんとサラさんと、オメガ型ボーグとデルタ型ボーグについて話す

文字数 5,854文字

 ぼくはいつも十二時過ぎに昼食をとる。それは今日も例外でない。場所は仕事場近くのレストラン『ボン』と決まっている。それは角を曲がったところに軒を構える小洒落(こじゃれ)た店だ。もう十年近く通い続けている。日替わりパスタが一番のお気に入りだ。オーナーはジンというヒトだ。もう五十年近く店をきりもりしているらしい。店が混んでいないときはジンさんと長話しに興じたりするが、最近はそういう機会に恵まれていない。最後にゆっくり話せたのは一年ほど前だった気がする。ボンの客層はここ数年で大きく変わった。以前はヒトとボーグの比率は八対二だったが、今では完全に逆転している。職場近くに大型のボーグ専用住居が何棟も建設されたのが最大の理由だ。
 ヒトとボーグは使用言語が異なるため、意思疎通がうまくいかない場合がある。ボーグはゲンジツの人間だった頃、二つの言語を使用していた。一つは人間同士のコミュニケーションに使うゲン語。もう一つはロボット同士がコミュニケーションに使うロン語。だがほとんどの人間は、必要最小限のロン語しか使えない。その理由は、人間がロボットを単なる道具とみなしており、心の通った会話をする必要がないと考えているからだ。一方、カソウのヒトはロン語しか使えないため、ヒトとボーグの会話はスムーズでない場合がほとんどだ。そしてこれが原因でさまざまなトラブルが毎日のようにカソウのあちこちで起きている。だがジンさんのお店でボーグとヒトが口論や暴力沙汰を起こした光景は一度も見たことがない。理由はジンさんが長年にわたり、社員教育に多くの時間と労力を注いできたからだ。
 ゲンジツ出身のぼくは母国語がゲン語だ。そのためジンさんの店でボーグのお客さんと会話をするのが一つの楽しみでもある。それ以外にゲン語を話すのは、情報収集のために自宅からボーグにコンタクトを取るときだが、型式的で堅苦しい会話が多いため、正直あまり楽しくない。だから今日もレストラン『ボン』でボーグとおしゃべりするのが楽しみでしょうがない。
 「やあ、サトルさん。また来てくれてありがとう」ジンさんはお決まりのあいさつでぼくを迎えてくれた。
 「こんにちは。今日もすごく繁盛してますね」そう言いながら、ぼくはいつも座る場所へと移動する。店の一番奥にあるテラス席だ。二人掛けのテーブルをいつも一人で使わしてもらう。常連ならではの特権かもしれない。ぼくの注文はいつも同じなので、着席後にオーダーを伝える必要はない。大半の客は来店前に注文の品を伝えてある。そのためウェイターが動き回るのは、主に出来上がった食事や飲み物を運ぶときだ。
 ぼくが席に着くと、今日のパスタはすでにそこにあった。ドリンクは水とコーヒーが一杯ずつ置かれている。なるほど、今日はイカスミか――そう思いながら、ぼくは一口だけ水を飲んだ。来店前にどういうパスタか知ることはできるが、ぼくはいつも、あえてそうしない。座った瞬間まで分からない方が美味しいと思うからだ。ぼくはスプーンとフォークを手に取り、少しずつゆっくりとスパゲッティを口にし始めた。
 すると、すぐ隣のテーブルでたった今、食事を済ましたボーグがぼくにロン語で話しかけてきた。
 「こんにちは。どうですか、そのパスタは? 美味しそうですね」
 「なかなか美味しいですよ、ハジメさん。でも残念ですね。これはヒト用パスタなので、ボーグであるあなたは食べることができない」ぼくはテーブルの上の動作を止めて、相手の顔を見ながらそう言った。
 「な、なんで私の名前を知っているんですか、あなたは?」
 「なんでって、昨日もここで同じ会話をしたじゃないですか。その前の日も、その前の日も」今度はスパゲッティをフォークにからめる動作を続けながらそう言った。
 「え、昨日も? おとといも? そんなバカな。ご冗談を! 年寄りだと思ってからかっているだけでしょう。どうでもいいことならいざ知らず、そんな単純で重要なことを、私が忘れるはずはない!」ぼくは反論しようとしたが、ちょうど口の中に大量の真っ黒いモノを詰め込んだ直後だったので、間を空ける必要が生じた。すると、ハジメさんの横に腰掛けていた女性のボーグが申し訳なさそうな顔つきで謝り始めた。
 「すいません、この人、自分がボーグだと理解するのに、いつも時間がかかるのです。あなた、さっきも説明されたでしょう。われわれは今、カソウにいるボーグ。ゲンジツの人間ではないの。だから毎朝目覚めるたびに、それまでカソウで経験した、すべての出来事を忘れてしまうの。わたくしだって、昨日この方と会話したのをおぼえていないのよ。でも、その理由は理解できるわ。本当にごめんなさいね。この人、頑固なところがあって、こうと決めつけたら、人の話に聞く耳を持たない性格なんですの」
 かのじょはハジメさんの奥さんのサラさんだ。
 「いえ、お気になさらないでください。こちらこそ失礼しました」毎度のことですからと思わず言いかけたが、ハジメさんをへたに刺激しない方が得策なので、口にしなかった。二人は小声で会話し始めた。これもいつもと変わらない、筋書きどおりの展開だが、かれらの会話を聞き取ることはできない。ぼくはコーヒーに砂糖を少し入れてから、ゆっくりと口まで運んだ。そしてこの後何をすべきか、一人考え込んだ。昨日も一昨日も、この夫婦と長い会話をしなかった。だから今日はもう少し話を続けるのも悪くない。ぼくは新しい話題がないか考えたが、結局何も思いつかなかったため、とりあえずマンションの住み心地ついて質問してみた。ところが二人は答え方が分からず、まるで金魚のような表情でお互いの顔を見ながらそわそわし、なかなか話を切り出さなかった。
 「……いや、その、快適そのものです。今のところは。なあ、そうだろう、サラ」
 「ええ、もちろんですこと。ただし、もう住んで半年になりますが、毎日記憶が消されるものですから、本当のところは分かりません」
 「それはどういう意味ですか、サラさん?」
 「本当にいい住まいかどうかは、新鮮味が薄れないと分かりません。わたくしはゲンジツで暮らしていた頃、何度か住まいを変えましたが、一番住み心地の良かった家は、長いあいだ住んでも嫌にならず、飽きがこなかった家です」
 ハジメさんは腕を組みながら隣で静かに頷いた。
 次に子供についてたずねた。これも新しい話題ではないが、この際もう一度聞いてみようと思ったからだ。
 「はい、ナオミという娘が一人います」
 「サラさん、ナオミさんは、どういうビジネスをされているんですか?」
 「ボーグの改良版を研究しております」
 「そうそう、ボーグですよ。ボーグ。しかも改良版。これが簡単そうで以外と難しいらしい。何しろテクノロジーの一部がブラックボックス化していて、コピーはできても容易には改良できないらしいんですよ。あ、ところであなたのお名前はなんですか? すいません、聞き忘れていました。もっとも明日になれば、忘れているかもしれませんが」ハジメさんは苦笑いを浮かべながら、そう言って会話に割り込んできた。
 「ぼくの名前はサトルです。サトル・ナカモトです」
 「ファミリー・ネームがナカモト。もしかしてオメガ型ボーグを世に送り出した天才ビジネスパーソン、サトシ・ナカモトさんの親戚ですか? と言っても、何のことだか分からないかもしれませんが……」
ぼくは自分がサトシ・ナカモトの一人息子だと言った。すると二人とも、鳩が豆鉄砲を食らったような表情に一瞬で切り替わった。
 「えー、いや、しかし、そんなことが。だってあなたはどう見てもボーグではない。ヒトじゃないですか。あのサトシ・ナカモトさんのご子息ということは、もともとはわれわれと同じゲンジツの人間ですよね。ということは、万が一、何かの不幸で既に亡くなっていても、カソウではボーグでなければおかしい。一体どういうことですか?」
 「世の中には常識では考えられないことがあるんですよ、ハジメさん」ぼくは笑顔でそう答えた。
 「おい、サラ。ここから先はロン語を一切使わず、ゲン語だけで話そう。それも、なるべく難しいゲン語を使え。もしかれが本当にゲンジツの人間ならわれわれの会話が分かるはずだ」
ハジメさんはゲン語を使って、そうサラさんに伝えた。サラさんもゲン語で話しながらハジメさんの要求に応じた。
 「もちろん、ぼくはゲン語も完璧に理解できますよ。母国語ですから。でもお二人のロン語も素晴らしく流暢(りゅうちょう)ですね。ゲンジツの人間で、そこまでロン語がペラペラな人はなかなかいません。おそらく、ゲンジツにいた頃、ロボットを見下したりせずに可愛がっていたのでしょうね」
 二人とも目を大きく見開いたまま完全に言葉を失ってしまった。その後、ぼくはかれらを落ち着かすために五分間程度、ゆっくりとした口調でゲン語とロン語の違いについて論じた。もちろんこれと同じ会話も以前したことがある。
 「ところで、ハジメさん、サラさん。お嬢さんが研究されていたのは、デルタ型のボーグですか?」
 「ええ、サトルさん。あなたのおっしゃるとおりです」とサラさんは答えた。
 「ではハジメさん、あなたはデルタ型のボーグが完成した場合、現在のオメガ型からデルタ型にバージョン・チェンジしたいですか?」
 「それはそうですよ、サトルさん。我々が毎日繰り返しカソウで記憶を喪失するのは、オメガ型だからです。デルタ型になれば、カソウに移住してからの記憶と記録も保存されます。そうすれば、たとえばサトルさん、今日あなたと交わした会話を、明日も続けることができるじゃないですか!」ハジメさんは目を輝かせながら興奮気味にそう言った。
 「でもハジメさん、新しい記憶を形成することは、ボーグ化以後も変わり続けることを意味します。それでもいいんですか? いつの日か、ここカソウでボーグとなったお嬢さんと再会する日が訪れるかもしれない。あるいはボーグがゲンジツで暮らすために必要な新しい技術を、お嬢さんやそのビジネスパートナーが開発するかもしれません。そのときのハジメさんが、まったくの別人と化した存在でもいいんですか?」もちろん、ぼくはかれが何と答えるか、すでに知っている。
 「別人ではまずいでしょうな。しかし新しい記憶が形成されただけで、自分が別人になるとは思わない。私がゲンジツで暮らしていた頃、たまにビジネスで長期間、たとえば三カ月とか半年とか、家を留守にしたことがあった。当然そのあいだ、私はたくさんの新しい記憶を形成したわけだが、私は自分が別人と化したとは思わなかったし、妻や娘もそう思わなかったはずだ。なあ、そうだろう、サラ?」
 「ええ、確かに長期間不在にしたときも、あなたはあなたとしていつも帰って来ました」
 「それは長期間といっても、三カ月とか半年間だけだったからですよ。カソウでの生活は、それとは比較にならないくらい長い。ゲンジツで身辺整理を済ませたときにそう説明されなかったですか? なにしろ〈永遠の命〉に限りなく近いわけですから。今のところ最年長のボーグは二十一歳ですが、かれらはやがて百歳、二百歳になります。そのあいだ、記憶が日々更新され続けたら、どうなりますか? おそらくまったくの別人と化すでしょう。だからぼくの父・サトシはBRMTの開発に着手したとき、記憶が日々更新されない、オメガ型のボーグを開発したんです。数百年分の新しい記憶が形成されれば、ボーグは人間だった頃とはまったく違う、別人と化します。だからオメガ型は不便に見えて、実は理にかなっているのです」
 二人は、ぼくの説明を一応理解できたと言った。しかし、これも毎度のことではあるが、納得できないと付け加えた。
 「サトルさん、記憶を毎日失うこっちの身にもなってください。バカをみるのは、いつもわれわれなんですよ!」ハジメさんは語気を荒げてそう(まく)し立てた。
 「しかし、それさえもおぼえていない。そうですよね? 恥ずかしい思いをしても、次の日になれば忘れている。余計な持ち越し苦労にとらわれなくてもいい。それの一体、何が問題なんですか? 重要なのは、あなたがあなたとして死後も存在し続けることです。これは簡単そうで意外と難しいのです。父はぼくにそう教えてくれました」
ぼくは前回とは違う言葉を使って説明したが、二人は相変わらず、納得できない構えを崩していない。
 「きみのお父さんの考えは理解の限度を超える。確かにわれわれはこれから何十年、何百年も存在し続けるが、そのあいだ毎日新しい記憶が形成されても別人になるとは思わない。『三つ子の魂百まで』という言葉もあるではないか。人それぞれの個性や性質は、そう簡単には変化しないはずだ。百歩譲って変化したと仮定する。それでも娘を愛する気持ちだけは変わらない。断言できる!」
 人間やヒトの気持ちほど移ろいやすいものはない。それは愛娘(まなむすめ)に対する愛情のように、常識では変化しない気持ちさえ例外でない。人間やヒトの寿命は長くて百二十年だが、ボーグは何百年も〈生きる〉ことができる。「常識ではありえない時間的尺度からは、常識外の変化が生じてもまったくおかしくない」これも父がぼくに教えてくれたことだ。
 でも今日は二人にこの話はしない。結局、説明しても無駄だろう。ハジメさんもサラさんも新しい記憶を形成したい、そう考えている。何度も会話してきたから分かるが、かれらは強い意思の持ち主だし、ゲンジツにいた頃はロボット差別主義者でもなかったはずだ。にもかかわらず、ヒトの話を最後まで聴かない、きちんと理解しない、悪い癖がある。
 沈黙が十秒ほど続いた。すると、ぼくの好きな曲が店内に流れ始めた。

 I can’t live if living is without you
 (もしお前がいなければ、おれは生きていけない)
 I can’t live I can’t live anymore
 (おれは生きていけない、これ以上生きていけない)

 「ところで、きみはカソウでヒトとして生きている。ということは、仕事があるだろう。もう十三時半だ。そろそろ職場に戻るべきではないか?」
 ハジメさんの言うとおりだ。かれらと話していると時間の経過がいつも早い。ぼくは丁寧に別れの言葉を述べてから席を立った。支払はすでに済ませてある。次のお客さんは十五分後だ。
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登場人物紹介

主要登場人物


サトル・ナカモト:
主人公(写真の男性)。今はカソウで暮らすヒト。11年前まではゲンジツで暮らす人間だった。父親のサトシ・ナカモトが自殺した理由を知りたい。


サトシ・ナカモト:サトルの父。男性。21世紀を代表する天才ビジネス・パーソン。記憶に記録を結合させて移動する=BRMT=Binding Record to Memory and Transferringという革新的な技術を開発した人物。サトルが成人を迎える直前に自殺した。


サトリ:カソウのコンパニオン型ボット。サトルの妻。最近どういうわけか姿を見せなくなり、声だけの存在と化した。


メグミ:サトシ・ナカモトの長年のビジネス・パートナー。男性。百戦練磨のプロフェッショナル。ゲンジツの人間。


ジエイ:サトルの長年の友人で幼なじみ。男性。ゲンジツの人間。


ジエイの父:食料関連に特化したビジネス・パーソン。男性。ゲンジツの人間。


アミ:11年前のサトルの恋人。女性。カリスマ性に富んだ優秀なビジネス・パーソン。ゲンジツの人間。


ポール:サトルの先生。男性。投資理論を教える。スマートでハンサム。ゲンジツの人間。


ゲーブ:長年にわたりカソウの研究をしている専門家。男性。いわゆるオタク。ゲンジツの人間。


ヤスイ:不動産業を営んでいる。男性。カネが好き。カソウのヒト。


ヤマモト:大企業の役員。男性。苦しみに依存している。カソウのヒト。


ヤマモトのお母さん:女性。かなり高齢。痴呆症を患っている。カソウのヒト。


ハジメ:サラの夫。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


サラ:ハジメの妻。女性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


ミエ:自分を見せる仕事をしている。女性。猫が好き。カソウのヒト。


サトウ:サトシ・ナカモトの先生だった。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


AI・グル:ゲンジツの人工知能(A I)。人間の行動のみ監視している。


AI・バーグ:カソウの人工知能(A I)。ヒトの行動と感情を監視している。カソウで稼働している全ボットとも繋がっている。

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