父の死後、いろいろな人間に支援を求めたが……
文字数 5,527文字
父の死がゲンジツじゅうに知れわたるのに、それほど時間はかからなかった。あの日、ぼくは夜遅くまでさまざまな人間からコンタクトを受けた。もちろん誰もが定型的な哀悼の言葉を述べたわけだが、なかには明らかに何か疑っている印象をぼくに与える人もいた。これは不安と震えがまだ収まらない、ぼくをひどく傷つけた。
――仕方がない。寿命で死んだのではなく、自殺だったのだから――そう考えるしかなかった。
ゲンジツで最後に自殺者が出てから既に長い年月が経過していた。死を選択するほど追い詰められたり、人生に嫌気がさしたりするような人間は存在しない。それがわれわれ、ゲンジツで暮らす人間の常識だった。そのためぼくが父の財産に目が
父が長年にわたり最も多くの案件をともに手掛けた、メグミさんというビジネス・パートナーがいた。二人は何十年ものあいだ、ビジネスを通じて永遠の〇〇(幸せ、健康、若さ、命)を追い求めていた。そのメグミさんにとって、父が自らの意志で死の軍門に下ったことは、完全な裏切り行為に等しかったに違いない。
あの日、メグミさんは急いでぼくのところに駆けつけてくれた。けれども普段は温厚なかれの瞳からは大きな失望感だけでなく、
向こうからの助け舟が期待できない以上、こちらで策を講ずる必要があった。ぼくはまだ学生であり、ビジネスに関する見識が不足していたが、前々から考えていたプランをその場でメグミさんに詳しく話した。かれはこの種の話を、耳にタコができるくらい、何度も聞かされてきたのだろう。それは表情から容易にうかがい知れた。ぼくが話しているあいだ、かれは要所要所で鋭い質問を次々とぶつけてきた。ぼくのプランは学校の先生の指導を基に考案したものだったが、父から受けたアドバイスも反映されていた。そのためかもしれないが、メグミさんの反応は悪くないと直感的に感じたのを、今でもはっきりとおぼえている。すべてを聞き終えたメグミさんの瞳からは激しい感情が消えていた。おそらく何かが、かれのビジネスパーソンとしての
「大筋はなかなか良いと思った。これからブラッシュアップしていけば、かなり立派なものになるだろう。それはさておき、私にとって投資において最も重要なのはプランそのものではなく、そのプランの作成者の総合的な力だ。きみも学校で学んだかもしれないが、われわれが暮らすこの世界では、かつて人間が担っていた仕事や営みが、今ではロボットの手で行われている。それはビジネスとて例外でない。ビジネスを行うとき、われわれの手となり、足となって動くのはロボットだ。そのため私は、ビジネスパーソン一人ひとりの総合的な人間力が重要だと、常々考えてきた。だが、きみはまだ学生だ。自分の力――特にビジネスパーソンとしての力――を証明できるだけの実績を積んでいない。言い換えれば既に一般公開されたデータ、私がアクセスできる情報だけでは、投資の是非を判断できない。そこで、だ。もしきみが承諾してくれれば、一般公開されていない個人のデータにアクセス権を与えてほしい。きみの潜在能力を分析したい。そうすればより的確な判断を下せると思うのだが、どうだろうか?」
ぼくはそれまで自分の非公開データを人に見せたことがなかった(ゲンジツの場合、人間の行動に関するデータはすべてAI・グルが記録・管理していたが、本人の許可なくして、一般の人はこのデータにアクセスできなかった)。そもそもかれが、どこまでの情報が必要なのかも理解できなかった。ぼくはそのことについて、メグミさんに質問した。すると次のような答えが返ってきた。
「それはきみ次第だが、なるべく多い方がいい」
こういうとき、父ならどう考えるだろうか想像してみた。仮に父がぼくと同じ立場にいた場合、おそらく座して死を待つよりは太刀を切り結ぶだろう。そして、対岸の瀬に必死で飛び移ろうとするだろう。そう結論づけた。
あのとき、ぼくはまだ未成年だった。そのため個人情報の公開には親権者である父の許可が必要だった。けれども父はこういう状況を見越してか、死ぬ前にぼくの一存で全データを開示できるよう、段取りをとってくれていた。つまり父はぼくのジャッジメントを信頼している――そう解釈した。ぼくはそれ以上迷わなかった。そして自分の行動に関する主要なデータをメグミさんに開示した。
精査するデータは大量にあったが、メグミさんは量子コンピューター系の分析ツールを活用しながら十五分ほどで作業を終えた。かれは今までになく落ち着き払っていたので、当然、良い返事を期待した。だがしかし、その直後にメグミさんが口にした言葉は、冷たく鋭利な刃物のように、ぼくの胸をドスッと串刺した。
「きみの行動パターンを分析したところ、どうやら父親のサトシとかなり似ているところがある、という結果が出た。これはある意味当然かもしれない。なにせ父と息子の間柄なのだから。とはいえ、通常の親子だと行動の類似性は、どんなに高くてもせいぜい七十%だ。きみのような成人間近の未成年だと、それより低い場合がある。人間は年齢を重ねるごとに自我が芽生えるからだ。ところが、きみの場合は類似性が九十%と頭抜けて高い。つまりきみは、父親と同じ行動を今後も取り続ける可能性が極めて高いことになる。言い換えれば、ビジネスパーソンとしてきみと付き合う場合、きみが自殺するリスクも背負い込むことになる。それはとてもではないが、私にはとれないリスクだ。今回のような失望感は二度と味わいたくない」
メグミさんとの会話はそのまま続いたかもしれないが、内容は一切記憶にない。とどのつまり、ぼくはかれのおめがねにかなわなかったことになる。それが残念に感じられても、どういうわけか、悲しいとは感じなかった。とはいえ、ぼくは窮状から脱け出せずにいた。別れ際にメグミさんは〈香典〉名目で雀の涙ほどのソトを渡してくれたが、どうにかしてさらなる出資を取り付けない限り、生活がガタガタになるのは明らかだった。ぼくは
すると、気づいたときには幼少の頃からの学友・ジエイにコンタクトをとっていた。そしてかれに「君のお父さんと相談したいことがある」と伝えた。ジエイの父のビジネス分野は食糧関連だった。かれは二十年ほど前に腹持ちがよくて健康にもいい米を開発したことで知られていた。この米のおかげで、人間は一日に何度も食事をとる必要がなくなった。だがその後、ジエイの父は目立った結果を出していないらしい。魚を使わない寿司や昆虫からできた最新の宇宙食を世に送り出したのは、まったく違うビジネスパーソンだった。ジエイの家には何度も遊びに行ったことがあるが、家財道具などは比較的質素だった。もしかしたらそれほど裕福でないのかもしれない。だが、自分がそれを気にかける立場にないことは、十分理解していた。
けれども結局のところ、ジエイの父親の結論もメグミさんと同じだった。かれはぼくが自分の息子の学友だったため、僅かばかりの援助を提供してくれたが、それだけでは到底、やっていける自信はなかった。
ジエイの父親がぼくを〈見捨てた〉理由。それはメグミさんとはだいぶ違った。かれは父が自殺という最後を選択したことよりも、ぼくに財産をまったく残さなかった点に着目した。
「それはつまり、きみに将来性がないことの証左であると考えられなくもない。きみの父親ほどの優秀なビジネスパーソン――しかも新しいタレントを何人も育ててきた人材育成型のビジネスパーソン――が自分の息子にまったく財産を残さないのは、どう考えても道理に合わない。しかも全財産を寄付しておきながら、逆に借金をきみに残したと聞いたが、それは本当か?……まあいい。いずれにせよ、私はきみの資質に何か重大な落ち度があったと考えるしかない。少なくとも私が同じ結論に至るとすれば、それ以外に理由は思いつかない。誤解しないでほしいが、私はきみの人間性を疑っているわけではない。ビジネスパーソンとしての資質と、立派な人間性とは同一でないからだ。確かに学校におけるきみの成績は優秀だ。ジエイよりも優れた点はたくさんある。だが、それさえも私はあまり重要だと考えない。私はきみのお父さんの判断を尊重する。かれのことはよく知らないが、同じプロフェッショナルとして尊敬している。悪く思わないでくれ。その代わりこれを受け取ってほしい。この
ジエイのお父さんの話は矛盾していた。それにかれから手渡された
その後、ぼくはもう何人かの学友の親や、すでに成人を迎えた学友相手に似たような〈陳情〉を繰り返した。けれども皆、ぼくを将来有望なビジネスパーソン、リスクに見合ったリターンが得られる投資対象として見ることができないと説明した。なかには「私は逆に、お父さんはきみの潜在能力を高く評価していたと思う。だから常識では考えられない試練をきみに課したのではないか。間違いない。きみなら私からの支援なしでも十分やっていける。だから頑張ってくれ!」と言って、無理やり会話を終わらせた親もいた。ぼくはどうしても納得できなかったが、いくら引き下がらずに
だがそれよりもぼくを驚かせたのが、ジエイ以外の学友たちの対応だった。なんと彼らは皆、無視を決め込んでぼくとの面会を完全に拒否したのだ。幼少の頃から同じ釜の飯を食ってきた連中、あつい友情で結ばれていたはずの奴らが、あたかもぼくが存在しないかのように振る舞い、ぼくを切り捨てたのだ。かれらから見捨てられれば、ぼくは生きていくための経済的なライフラインを絶たれてしまうと、メッセージをつうじてはっきりと説明したにもかかわらず、だ。あのとき、ぼくは人間の本性をまざまざと見せつけられた気がした。善意や友情は偽善であり、結局のところ、ただのサル芝居なのだと分かった。ぼくは冷笑を浮かべながら、歯がへし折れるぐらい、奥歯を強く噛んだ。すると胸の奥で何かが爆発し、溶解した感覚を覚えた。あれは殺意だったのか? それまで経験したことのない衝動が、ぼくの中で音をたてながら、ふつふつと煮えたぎり始めた。けれども手足は震えていなかったし、あたかも凍っているようにさえ感じた。