ヤマモトさんのお母さんの話は、本当に夢か?
文字数 4,114文字
「お母さん、昨日はどこで何をしていたんですか?」
「家族のことを考えていました」
「どこで、ですか?」
「眠りながらです」そう言いながらかのじょは一瞬だけ目を閉じた。
「眠っているあいだ、お母さんはどこにいたんですか?」そう言いながら、ぼくはお母さんに横になるよう促した。
「もちろん家の中です。夢の中では、ベッドのある場所で横になっています。とても静かなところです。自分の呼吸音が聞こえるぐらい」
「お一人ですか? それとも他に誰かいますか?」ぼくはかのじょのすぐ横に腰掛けている。
「わたし一人です。とても狭い部屋の中にいます。そこにはドアがありません。ですから、部屋には誰も出入りできないようになっています」
「そこで何をしているんですか?」
「家族のことを考えています」
「それ以外は?」
「外に出ようとしています」
「でもドアがないのですね? どうやって外に出るんですか?」
「壁を突き破ってです」
「壁を? しかし、お母さん、それは危なくないですか? 怪我をしてしまいますよ」
「いえ、怪我はしません」
「どうしてですか?」
「壁の材質がすごく柔らかいのです。弾力性もあって、ぶつかると弾かれてしまいます。壁だけではありません。その部屋にあるものはすべて、ゴムのように衝撃を吸収する柔らかい素材でできています。だから怪我をするわけがないのです」
「なるほど。でも結局は突き破ることができない。そういうことですか?」
「はい、そうです。何度やっても駄目です」
「ならばどうして続けるのですか?」
「せめてもの抵抗です」
「誰に対してですか?」
「分かりません」
「その空間では、お母さんはお母さんですか?」
「はい、そうです。私は私です」
「そうですか。ずっと壁と格闘しているのですか?」
「いいえ、食事も出ますし、トイレもあります。それにエクササイズ・インストラクターが必ず来ますから、運動もできます」
「エクササイズ・インストラクターですか? どこから現れるのですか?」
「いきなり目の前にパッと現れます。ただし、ヒトではありません。生身の人間の3Dホログラムです。触れることもできません」
「どういう方ですか、その人間は?」
「見かけは子供っぽいですが、実際は大人の男性です。金髪で、目が青く、とても可愛いらしい方です」
「どういうエクササイズをするんですか?」
「ストレッチが十分、跳んだり跳ねたりが十分、瞑想が十分。全部で三十分です」
「その後は?」
「その後は、食事です」
「どういう食事ですか?」
「いつもカレーライスです」
「どこから出てくるんですか?」
「食事用の引き出しが壁にあります。それを開けると出てきます」
「おいしいですか?」
「はい。あれは本物の食事です。間違いありません」
「その後はどうするんですか?」
「情報収集をします」
「どうやってですか?」
「ベッドの横にパソコンがあります。先生、パソコンをご存じですか? 私が子供の頃、まだ使われていました。それで情報収集をします」
「どういう情報ですか?」
「分かりません」
「どういう意味ですか、分からないとは?」
「おぼえていないのです」
「まったくですか?」
「はい、まったく」
ぼくは話を聞きながら、内容をすべて記録に保存した。ここまでの話は、過去の面談で聞いた話と同じだ。今日はいつもよりスムーズに話をしてくれた。特に問題視すべき点もないため、このまま続けてもいいだろう、そう考えた。
「その夢には続きがあるのですか?」
「多分ありません」
「どうしてそう思うんですか?」
「いつもそこで目が覚めるからです」
「目が覚めたとき、お母さんはどこにいますか?」
「眠ったときと同じ場所です」
「つまり眠りながら動き回ったり歩いたりすることはない、ということですか?」
「はい。目が覚めたら、眠る前と同じ場所にいます。その意味では今の生活が夢の続きだと言えるかも知れません」
「お母さんは、それが本当に夢だと思いますか?」
「はい、夢だと思います」
「では、なぜ同じ夢、しかもそれだけ生々しい夢を何度も繰り返し観ると思いますか?」
「分かりません」
「夢の中では、自分が夢を観ている自覚はありますか?」
「あるときと、ないときがあります」
「昨日の夜はどちらでしたか?」
「ある方でした。しかも、夢の中の自分がゲンジツに、カソウの自分が夢の中にいる気がしました」
「どうしてそう感じたと思いますか?」
「分かりません。なんとなく、そう感じただけです」
お母さんの話は、はたして本当に夢なのか? それとも実際に体験した出来事なのか? もし夢でないとしたら、お母さんは一体どこにいるのか? ゲンジツか? しかし少なくともぼくが知る限り、ゲンジツにかのじょが説明したような場所は存在しない。
「夢の中のお母さんは、今のお母さんですか? それとも若い頃のお母さんですか?」
「今よりも老けています。顔が
ということは、たとえばカソウができる前の時代のお母さんではないことになる。
「お母さん、聞こえますか?」
返事がない。どうやら疲れて眠ってしまったようだ。ぼくは待合室にいるヤマモトさんを呼んだ。そして話の一部始終をかれに説明した。これはお母さんが、ぼく以外のヒトに夢の話をしないからだ。
「ですがヤマモトさん、お母さんが観る夢と徘徊には、やはり因果関係が存在しないようです。眠っているあいだに動き回ることはないと、確かにおっしゃいましたので。それに徘徊をし始めたのは最近のことではないですか。以前お母さんから聞いた話だと、夢はだいぶ前から観ているようです」
ヤマモトさんは納得できない表情を浮かべた。彼は以前から夢と徘徊には関連性があると考えている。そのことについてどう思うかと、今日もぼくに問いかけてきた。
「先生、母の寿命はもう長くないのでしょうか?」
ぼくはこれについて明確な答えを持っていない。そのため、答えをはぐらかしながらやり過ごすしかなかった。寿命測定器によれば、お母さんは何年も前に亡くなっているべきだが、現にまだ生きている。
「ところで、ヤマモトさんはお母さんと同じ夢を観ることはないのですか?」
「はい……。先生、これは初めて申しますが、実を言うと、私は今まで一度も夢を観たことがありません。いや、もしかしたらあるのかもしれませんが、少なくとも目が覚めたときには、記憶から完全に消えています」彼の表情は相変わらず重苦しい。カソウのヒトは眠っているあいだ夢を観ないのが一般的なため、ぼくは大して驚かなかった。
ぼくは再び話題を変えることにした。ヤマモトさんの家にはパートナー役のボーグが一体、子供役のボーグが二体ある。もちろんそれら三体のボーグは、ヤマモトさんが仕事で外出しているあいだも一日じゅう家にいる。にもかかわらずお母さんは、三対の監視の目をうまく擦り抜けて、外での徘徊を繰り返している。これはボーグ三体がヤマモトさんだけでなく、お母さんにも絶対服従するよう設定されているためだ。ぼくはその設定を変更した方がいいと、以前からヤマモトさんに進言しているが、なかなか聞き入れてもらえない。ヤマモトさんからすれば、たとえ痴呆症でも、ヒトであるお母さんの命令に従うのは「ボーグの義務」なのだそうだ。今日も頑として聞き入れてくれなかった。
あるいはヤマモトさんは、母親が徘徊中に不慮の事故か何かで命を落としてほしいと、密かに願っているのかもしれない。これはうがった見方かもしれないが、可能性はある。そうなれば、ヤマモトさんをカソウにとどめておく最大の原因が取り除かれるからだ。(仮にぼくの見解が正しくても、かれは絶対に認めないだろうが)。しかし、ヤマモトさんがお母さんのことを愛しているのも事実だ。それはこれまでの会話内容を踏まえれば明らかだ。だからお母さんが亡くなれば、ヤマモトさんは悲嘆に暮れるだろう。それも一年や二年では済まない確率が高い。そう考えると、結局ヤマモトさんは、どうあがいても苦しみから解放されないかもしれない。だが、それはかれが望むところでもある。そんな気がする。なぜなら、苦しみは明らかに、かれをかれたらしめているからだ。苦しみが取り除かれたヤマモトさんはヤマモトさんでなくなる。この性質は、仮にゲンジツに移住できたとしても変わらないはずだ。いや、むしろかれは、苦しみほしさにいつまでもカソウから出て行かないかもしれない。
ヤマモトさんとぼくは長い付き合いだ。できればかれを救ってあげたい。それはお母さんも一緒だ。しかし、心の問題について、ぼくはまったくの素人だ。ぼくでは役不足かもしれないと、かねてから感じていた。それでも引き続き、かれらと面談を重ねるべきか? マインド・カウンセリングが必要なら、ここ以外にも行けるところはあるはずだ。ぼくはゲンジツに関する専門知識を生かして働くアドバイザーだ(しかもゲンジツへの移住手段を明確に理解しているわけでもない)。それなのになぜ、かれらはここまでぼくに固執するのだろう?
痴呆症のお母さんはぼくにだけ夢の話をしてくれる。そして短いあいだだけだが、話し終えた後、精神が安定を取り戻す。ヤマモトさんだって、これからきっと良くなるはずだ。そう信じるしかない。かれは苦しみに依存している。今の考え方を変えなければ、取り返しのつかないことが起きるかもしれない。しかし、だからといって一体、ぼくに何ができるというのだ?
面談の時間が終了した。ぼくは入口まで行き、かれらを見送った。次の面談は二週間後だ。