ヤマモトさんと、カソウの核心について話す

文字数 4,710文字

 「それではお気をつけて」
 ぼくはたった今、常客・タダシさんとの九十九回目の面談を終えたところだ。かれも最近、ゲンジツに行きたい意欲がめっきり減ったヒトの一人だ。また二週間後ぐらいに、ここへ来る予定らしい。
 今日の予約はこれで最後だと思ったが、ほんの少し前に十八時十五分から四十分の予約を入れたヒトがいた。なんとヤマモトさんだ。これは一体どういうことだ? かれがこんな遅い時間に予約を入れたことは一度もない。しかもお母さんと一緒ではなく、初めて一人で来るようだ。そういえば一度、今日の八時半から八十分の予約を入れていた。それが十日ほど前にキャンセルされたのを、今思い出した。そろそろ再予約を入れてくると思ってはいたものの、まさかこんな時間帯に(しかも直前に)予約を入れるとは……これはただごとではない。何か特別な理由がある。
 ヤマモトさんは予定より三分遅い十八時十八分に入室した。定刻どおりではなく、遅れてやって来たのも今回が初めてだ。
 「先生、申し訳ありません。ちょっとバタバタしておりまして、遅くなりました」ヤマモトさんは肩で息をしていた。どうやら駆け足でここまで来たようだ。
 「気にしないでください。ところで、今日はどうされたんですか? こんな遅い時間に、しかもお一人でいらっしゃるなんて。ぼくの記憶が正しければ、初めてのことだと思いますが」
 ヤマモトさんは何も言わずに長椅子に腰掛けた。その服装や物腰、雰囲気は、今までのかれとは明らかに違っていた。
 「今日はまた、随分と明るい色をお召しですね。お顔も見違えるようにすっきりしている。一体、何があったんですか?」
 「先生、じつは今から十一日前に母が他界しました」
 ぼくは、やはりそうかと思ったが、言葉にも表情にも出さないように気をつけた。
 「徘徊中にここからそう遠くないところにある、青い鉄橋の上から落ちたようです。自分の意志で飛び降りたのかは分かりませんが、最後に生命反応を確認できたのは橋の上でした」
 つまりぼくは、その現場を既に十回ほど往復したことになる。全然知らなかったとはいえ、ショックだった。すぐさま身の毛がよだつ感覚を覚えた。
 「そうですか……それは残念で仕方ありません。心からお悔やみ申し上げます……ヤマモトさん、長いあいだ、よく頑張りましたね。あなたはいつも、お母さんのことを第一に考えていました。本当にお疲れ様でした」そう言ってあげると、もちろんヤマモトさんは謙遜した。けれども、やはりかれの眼差しだけでなく、表情からも悲しみや憂いは読み取れなかった。
 もしかしたら、今までの疲れた表情は、かれの本心を隠すための仮面だったのかもしれない。ということは、目の前に座っている男が、嘘偽りのない素顔のヤマモトさんなのかも知れない。ぼくはふとひらめくようにそう思った。
 「母が生きていた頃、われわれ親子は先生に大変お世話になりました。心から感謝しております。ところで、今日は先生にもう一つご報告したいことがあります」
 「それは、なんですか?」
 「私は明日、晴れてゲンジツに旅立つこととなりました!」
 カソウからゲンジツに移住する? なんと、これはまったく予想していなかった報告だ。なるほど、もしかしたらヤマモトさんが一朶(いちだ)の雲もない晴天のような雰囲気を全身で醸し出しているのは、お母さんの死を喜んでいるからではなく、それが理由かもしれない。
 「お母さんが他界されてからまだ数日しか経っていないため、不謹慎を承知で申しますが、おめでとうございます。じつのところ、ぼくの知り合いでゲンジツに行かれるのは、ヤマモトさんが初めてです。どうやってそのことを知ったのですか? また明日、ゲンジツにはどういう方法で向かうのですか? 差し支えなければ是非教えてください」
 ヤマモトさんはイエスともノーとも言わずにすぐさま説明を開始した
 「母の生命反応が途絶えた翌日、AI・バーグからメッセージが届きました。もちろんフェイクではありません。しかるべき方法で何度も確認しましたので、間違いなく本物です。出発日は十一日後と決まっていました。そのため、それから直ちに身辺整理に取り掛かりました。会社にAI・バーグの署名入りの辞表を提出したり、妻や子供たちを売り払ったり、マンションの契約を解除したりなど、てんやわんやの忙しさでした。さきほどすべての作業を終えたところです。旅立つ前に、先生にご報告とお礼を申したく、直前ではありますが予約を入れました。今日たまたまこの時間が空いていて、本当に良かったです」
 ヤマモトさんは大きな声で笑った。かれが普通に笑う姿を見るのはもちろん初めてだった。それは笑い慣れていないヒト特有の独特の笑い方だった。ぼくは思わずもらい笑いをしてしまった。
 「ところで、どうして選ばれたのか、AI・バーグは教えてくれましたか? これはある意味、このカソウという世界の核心に迫る質問です。仮にヤマモトさんがその答えを知っていて、それをぼくと共有する意思がある場合、報酬ははずみます」
 「先生のことですから、おそらくその手の質問をすると思いました。ですが残念ながら、私はその理由を知りません。なぜかは簡単――私はその質問をAI・バーグに投げなかったからです。しかし、なぜ私が選ばれたのかについて、自分なりの解釈はあります。そちらでよければ説明できますが、いかがですか? 報酬は必要ありません」
 ぼくは是非聞きたいとかれに伝えた。
 「われわれカソウのヒトがゲンジツに移住するにはナカを蓄える必要があると一般的に言われています。これはまさにそのとおりです。なぜかと言えば、ゲンジツに移住後、大量のソトが必要だからです。ソトがなければビジネスパーソンとして活動できず、せっかくゲンジツに移っても路頭に迷ってしまいます。ところで、われわれカソウのヒトは、AI・バーグの監視下に置かれています。そのためゲンジツの人間と違い、自由が制限されています。じつはこの仕組まれた自由、限られた自由を受け入れることが、カネを貯めることと同じぐらい重要なのです。なぜ私がそれを知っているのか? 残念ながらそれは口が裂けても言えません。とにかく私は、もう何十年も前にそのことを知りました。そのため、その日以降、余計なことは一切考えずに己の運命を甘受しようと決意しました。それからというもの、私は会社の方針、上司の命令、そして頭がしっかりしていた頃の母の指示に忠実に従いました。それがAI・バーグのおめがねにかなう最大の方法だと理解したからです。自分の頭で考えられるヒト、自分との対話ができるヒトには白羽の矢は立ちません。だから私は『きつい、辛い、ひどい、憂鬱』などのネガティブな感情が生じたときは決して(あらが)わず、それらを無抵抗に受け入れたのです。そうすることで自分の中の自分に蓋をしたのです。これは母が痴呆症を患ってから特にそうでした。理由は、私が母を憎んでいたからです。私がこの腐り切った世界に生を受け、不本意な仕事に就き、奴隷のような生き方をしてきたのは、母のせいです。すべて母のエゴです。そのため自分の本音に蓋をしなければ、とっくの昔に無防備で弱り切った母を締め殺していたでしょう。私は自分の本心を封じ込めるため、何十年も前に自分の心を苦しみに依存させました。そのため母の具合が悪くなってからも、不満の矛先は母ではなく、自分自身に向かいました。私は母ではなく、自分自身の自我を半ば締め殺したのです。しかし私の自我は死んでいなかった。そして今、深い眠りから目を覚ましたのです」
 ぼくはかれの言っていることが理解できなかった。そしてどういうわけか、そのままの位置でかれと会話を続けたくなかった。ぼくは自分の席から立ち上がり、窓の方へ向かった。そこで窓外の景色を見ながら頭の中で情報を整理した。
 「つまり、盲目的に仕事をし、上司やお母さんの指示に疑義を挟まずに従うこと、それがカソウを司るAI・バーグの意向に従うのと同義である、そういうことですか?」ヤマモトさんはそうだと言った。
 「しかし、そのヒトたちは自分の頭で考えて行動しているかもしれない。その可能性は否定できない。その場合はどうなるのですか?」
 今日はいつもと違い、立場が完全に逆転している。まるでぼくがヤマモトさんのアドバイスを受けているようだ。仕方がない。目の前にいるかれは〈選ばれたヒト〉なのだから。
 「自分の頭で考えて行動しているヒトは基本的に『うれしい、幸せ、好き、楽しい』などのポジティブな感情を発します。ネガティブな感情の場合もありますが、そのときは『きつい、辛い、ひどい、憂鬱』ではなく『こわい、心配、不安』などの感情です。AI・バーグは、常にわれわれの内側(感情)を監視しています。そして感情をつうじてわれわれの思考を分析しているのです。〈選ばれたヒト〉になるために重要なこと。それは他人が何を考えているかではありません。自分がどういう感情を発し、どういう行動を取っているかです」
 なるほど、そういうことだったのか。カソウのヒトの外側(行動)のデータと内側(感情)のデータはAI・バーグに開示されている。そして大部分のヒトはこれを周知の事実として受け入れているが、ほとんど気にも留めずに日々の生活を送っている。ミエさんのように不自由を一切感じずに暮らしているヒトもいる。だがデータの開示には、やはり重要な意味合いがあったのだ。
 「ところで先生、なぜAI・バーグはわれわれの感情だけでなく思考や記憶まで監視・分析しないのか、考えたことはありますか?」ぼくはあるかもしれないが、熟考したことはないと答えた。
 「これも私の個人的な意見ですが、ヒトが嘘をついたり記憶を改ざんしたりするからだと思います。一方、感情はごまかしが効きません。言葉では嘘をついても、身体が正直に反応してしまう。おそらく、それが理由だと思います。もっとも、ひょっとしたらカソウには感情表現に伴う身体反応すら自由に操れるヒトがいるかもしれません。あるいは感情と思考を完全に切り離せるヒトさえいるかもしれない。そうすれば自分の頭で考えながら、『きつい、辛い、ひどい、憂鬱』などのネガティブな感情を身体で表現できるかもしれません。あくまで想像の域を超えませんが」
 残り時間はあと数分しかない。ぼくは最後にヤマモトさんにどうしてもききたいことがあった。それは明日どうやってカソウからゲンジツへ移動するのかについてだ。ぼくはもう一度、半ば懇願するようにお願いした。
 「先生、申し訳ないですが、それは私にも分かりません。明日、しかるべきタイミングに向こうからコンタクトがある。それをただ待つしかない。どうやらそういうことらしいです……時間が迫ってきました。先生、二年間ありがとうございました。どうかお元気で」
 ぼくはヤマモトさんと握手をし、抱擁もした。そして仕事場前まで送り出し、姿が見えなくなるまで手を振った。そうしながら、ぼくはかれのお母さんのことを思い出した。すると自然と目が潤み始めた。最初は汗のように数滴の滴だけだったが、すぐに鉄砲水のように勢いよく流れ出した。
ぼくはかれらを救ってやれなかった。だがヤマモトさんは自力で崖底から崖上まで這い上がることができた。かれはゲンジツでもうまくやっていけるだろうか? ぼくが父・サトシの自殺の真相を解明してゲンジツに戻れば、再びかれと会える日が訪れるのか?
 時刻はちょうど十九時だ。一刻も早く帰りたかった。
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登場人物紹介

主要登場人物


サトル・ナカモト:
主人公(写真の男性)。今はカソウで暮らすヒト。11年前まではゲンジツで暮らす人間だった。父親のサトシ・ナカモトが自殺した理由を知りたい。


サトシ・ナカモト:サトルの父。男性。21世紀を代表する天才ビジネス・パーソン。記憶に記録を結合させて移動する=BRMT=Binding Record to Memory and Transferringという革新的な技術を開発した人物。サトルが成人を迎える直前に自殺した。


サトリ:カソウのコンパニオン型ボット。サトルの妻。最近どういうわけか姿を見せなくなり、声だけの存在と化した。


メグミ:サトシ・ナカモトの長年のビジネス・パートナー。男性。百戦練磨のプロフェッショナル。ゲンジツの人間。


ジエイ:サトルの長年の友人で幼なじみ。男性。ゲンジツの人間。


ジエイの父:食料関連に特化したビジネス・パーソン。男性。ゲンジツの人間。


アミ:11年前のサトルの恋人。女性。カリスマ性に富んだ優秀なビジネス・パーソン。ゲンジツの人間。


ポール:サトルの先生。男性。投資理論を教える。スマートでハンサム。ゲンジツの人間。


ゲーブ:長年にわたりカソウの研究をしている専門家。男性。いわゆるオタク。ゲンジツの人間。


ヤスイ:不動産業を営んでいる。男性。カネが好き。カソウのヒト。


ヤマモト:大企業の役員。男性。苦しみに依存している。カソウのヒト。


ヤマモトのお母さん:女性。かなり高齢。痴呆症を患っている。カソウのヒト。


ハジメ:サラの夫。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


サラ:ハジメの妻。女性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


ミエ:自分を見せる仕事をしている。女性。猫が好き。カソウのヒト。


サトウ:サトシ・ナカモトの先生だった。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


AI・グル:ゲンジツの人工知能(A I)。人間の行動のみ監視している。


AI・バーグ:カソウの人工知能(A I)。ヒトの行動と感情を監視している。カソウで稼働している全ボットとも繋がっている。

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