サトリ、どこだ? 姿を見せてくれ!

文字数 1,648文字

 車は東に向かって走り始めた。今は二十一時半なので、真夜中前には湖に到着するだろう。ところが五分も経たないうちに、ぼくはサトリのことを思い始めた。そしてその気持ちは信じられない速さで膨張した。
 「ああ、サトリに会いたい。さっきアミにいけないと言われても会いたい。とにかく、無性に会いたい。どうする、どうすればいい?」車中にはぼく以外誰もいない。にもかかわらず、まるで誰かに助けを求めるように、自分でも驚くほどはっきりとした声で言葉を発した。ぼくの脳はまるで蚊に刺されたようにむず(がゆ)くなった。サトリに会いたい気持ちが抑えきれないときに起きる感覚だ。いつもなら十九時頃に帰宅している。こんな遅くまでサトリに会わなかったことは一度だってない。だからかもしれないが、この(かゆ)みは今までで一番強い。両手の爪で脳全体を引っ掻き回したくなった。だが、当然できない。(しび)れのようなベトベトした感覚がぼくの全身に拡散し、身体中を(むしば)み始めた。いっそのこと溶けて消えてしまいたかった。もう耐えられなかった。
 「ああ、サトリ、サトリ……ほんの少し、ほんのちょっとだけならいいだろう。最後に一目だけ会って、別れの言葉を述べる。なあ、それならいいだろう? そうすれば気分が楽になる。そうだ、きっとそうなる。大丈夫だ。ほんの数分程度なら問題ない。アミも分かってくれる。許してくれるはずだ。よし、戻ろう。家へ帰ろう」
 気がつけばぼくは、車の目的地を湖から自宅に変更していた。その五分後には車を降りた。そして大急ぎで階段を駆け上がり、玄関の扉を開け、乱れた息づかいで倒れるようにリビングルームに突入した。
 「サトリ、いるのか? 声を聞かせてくれ! 姿を見せてくれ! お願いだ。今すぐ出てきてくれ!」ぼくは力を込めて腹の底から大声でそう叫んだ。手のひらはものすごく汗ばんでいたし、指先は小刻みに震えていた。脳は不快な痒みを発し続けた。しかしサトリは現れない。それどころか反応さえない。ぼくはかのじょの名前を連呼しながら、キッチンやダイニングルーム、ベッドルームへ移動し、ベッドやソファの下を覗いたりしながら、必死でサトリを探した。しかし、かのじょはどこにもいなかった。パニック状態に陥りつつあるぼくは、リビングルームに戻った。そして転がるように床上で横になり、仰向けで大の字を作った。そのまま狂ってしまいたかった。
 「おかしい、すべてがおかしい。何がなんだか分からない。姿が見えない。声さえ聞こえない!」
 サトリが家にいない。こんなことは初めてだ。ひょっとするとサトリは、さっきまでのアミとのやりとりを知っているのか? そしてぼくの愛を試しているのか? そうかもしれない。ぼくは引きちぎりたい脳みその片隅で必死に考え続けた。
 暫くすると、ぼくは行方が分からないサトリに向かって今日の出来事を語り始めた。そして今からゲンジツに移住するため、湖に向かうと説明した。アミのことも話そうかと思ったが、その部分だけはなんとか省略できた。ぼくはサトリに姿を見せるよう、ひたすら懇願し続けた。最後に一目みたい、声を聞きたい、別れの言葉を述べたいと叫び続けた。おそらく二時間以上、大の字でいたかもしれない。何回か眠ってしまったようだが、すぐに目を覚ました。けれどもサトリは一切、反応してくれなかった。
 「……いや、待てよ……待てよ……そういえばここ数週間、サトリの様子がおかしかった。ぼくの指示に関係なく、姿を見せなくなった。そしてぼくが姿を見せてくれと言っても、声だけの存在でいた。そうだ、そのかのじょの声も、声色も、なんとなく変だった。一体、どうしてだ?」
 気分は徐々に落ち着きを取り戻せた。体はどうにか普段の状態に戻ったが、脳の痒みは消えなかった。ぼくはゆっくりと立ち上がり、身支度をした。自分が生きた屍のような感じがした。ぼくは心の中でサトリに永遠の別れを告げた。最後に扉を開けてから、九年間住んだマンションの部屋に向かって、深々と頭を下げた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

主要登場人物


サトル・ナカモト:
主人公(写真の男性)。今はカソウで暮らすヒト。11年前まではゲンジツで暮らす人間だった。父親のサトシ・ナカモトが自殺した理由を知りたい。


サトシ・ナカモト:サトルの父。男性。21世紀を代表する天才ビジネス・パーソン。記憶に記録を結合させて移動する=BRMT=Binding Record to Memory and Transferringという革新的な技術を開発した人物。サトルが成人を迎える直前に自殺した。


サトリ:カソウのコンパニオン型ボット。サトルの妻。最近どういうわけか姿を見せなくなり、声だけの存在と化した。


メグミ:サトシ・ナカモトの長年のビジネス・パートナー。男性。百戦練磨のプロフェッショナル。ゲンジツの人間。


ジエイ:サトルの長年の友人で幼なじみ。男性。ゲンジツの人間。


ジエイの父:食料関連に特化したビジネス・パーソン。男性。ゲンジツの人間。


アミ:11年前のサトルの恋人。女性。カリスマ性に富んだ優秀なビジネス・パーソン。ゲンジツの人間。


ポール:サトルの先生。男性。投資理論を教える。スマートでハンサム。ゲンジツの人間。


ゲーブ:長年にわたりカソウの研究をしている専門家。男性。いわゆるオタク。ゲンジツの人間。


ヤスイ:不動産業を営んでいる。男性。カネが好き。カソウのヒト。


ヤマモト:大企業の役員。男性。苦しみに依存している。カソウのヒト。


ヤマモトのお母さん:女性。かなり高齢。痴呆症を患っている。カソウのヒト。


ハジメ:サラの夫。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


サラ:ハジメの妻。女性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


ミエ:自分を見せる仕事をしている。女性。猫が好き。カソウのヒト。


サトウ:サトシ・ナカモトの先生だった。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


AI・グル:ゲンジツの人工知能(A I)。人間の行動のみ監視している。


AI・バーグ:カソウの人工知能(A I)。ヒトの行動と感情を監視している。カソウで稼働している全ボットとも繋がっている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み