エピローグ

文字数 599文字

 ナカをソトに変えたサトルの手元には僅かなカネしか残らなかったが、それでも十一年前よりは多かった。冷たい空気が肌に鋭く刺しこんだ。季節は冬だった。目の前には寒梅の木が数輪の白い花を懸命に咲かせている。
 「天気は晴れだと思ったのに、雪まじりの曇り空か。まあ、この方が眩しすぎなくていい。この天気でも目が慣れるのに、少し時間がかかるだろう」
 サトルはゆっくりと最初の一歩を踏み出した。かれは裸足(はだし)だった。すると次の瞬間、ぬかるんだ泥に足をスリップさせて、体ごと前のめりに転んだ。両手両膝がすぐに黒っぽい茶色に染まった。だが、それだけではない。どうやら打ちどころが悪かったようだ。皮膚が破けた手や腕からは血が(にじ)み出ている。サトルは一瞬だけ動揺したが、すぐに大声で笑い出した。
 「ハハハ……痛い、痛みを感じる。赤い血も出ている。これが生きている証だ。自分は生まれ変わったのか? いや違う、ようやく謎が解け、自由を手に入れたんだ!」サトシはすぐに立ち上がり、ゆっくりと前へ歩み出した。
 「自分は一度死んだ。もはや失うものはない。そうだ、道は(ひら)けた。這いつくばってでもいい。辿り着いてみせる。さあ、行くぞ!」
 サトルは大声で叫びながらスピードを上げた。心は嬉々としており、湧き上がる解放感を全身で感じていた。かれは父・サトシから託された〈遺産〉を、心の中でしっかりと柔らかく噛み締めた。             
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登場人物紹介

主要登場人物


サトル・ナカモト:
主人公(写真の男性)。今はカソウで暮らすヒト。11年前まではゲンジツで暮らす人間だった。父親のサトシ・ナカモトが自殺した理由を知りたい。


サトシ・ナカモト:サトルの父。男性。21世紀を代表する天才ビジネス・パーソン。記憶に記録を結合させて移動する=BRMT=Binding Record to Memory and Transferringという革新的な技術を開発した人物。サトルが成人を迎える直前に自殺した。


サトリ:カソウのコンパニオン型ボット。サトルの妻。最近どういうわけか姿を見せなくなり、声だけの存在と化した。


メグミ:サトシ・ナカモトの長年のビジネス・パートナー。男性。百戦練磨のプロフェッショナル。ゲンジツの人間。


ジエイ:サトルの長年の友人で幼なじみ。男性。ゲンジツの人間。


ジエイの父:食料関連に特化したビジネス・パーソン。男性。ゲンジツの人間。


アミ:11年前のサトルの恋人。女性。カリスマ性に富んだ優秀なビジネス・パーソン。ゲンジツの人間。


ポール:サトルの先生。男性。投資理論を教える。スマートでハンサム。ゲンジツの人間。


ゲーブ:長年にわたりカソウの研究をしている専門家。男性。いわゆるオタク。ゲンジツの人間。


ヤスイ:不動産業を営んでいる。男性。カネが好き。カソウのヒト。


ヤマモト:大企業の役員。男性。苦しみに依存している。カソウのヒト。


ヤマモトのお母さん:女性。かなり高齢。痴呆症を患っている。カソウのヒト。


ハジメ:サラの夫。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


サラ:ハジメの妻。女性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


ミエ:自分を見せる仕事をしている。女性。猫が好き。カソウのヒト。


サトウ:サトシ・ナカモトの先生だった。男性。もともとはゲンジツの人間。今はカソウで暮らすオメガ型ボーグ。


AI・グル:ゲンジツの人工知能(A I)。人間の行動のみ監視している。


AI・バーグ:カソウの人工知能(A I)。ヒトの行動と感情を監視している。カソウで稼働している全ボットとも繋がっている。

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