ポール先生とゲーブ先生は、なんて言うだろう?
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――「それでサトル君、きみは今後どうするするつもりだい?」ポール先生はいつもの歯に衣着せぬダイレクトな語り口できいてきた。
「先生……なぜ父は自殺したのでしょうか?」質問に対する答えではなかったが、ぼくはこれまで誰にもぶつけられずにいた問いを、静かに吐き出すようにポール先生に投げた。
「それは分からんね。皆目検討がつかない。だが真相解明は難しいかもしれんね。事件性は認められなかった、そうだろ? それがAI・グルの結論なら間違いない。いくらなんでも、グルにまったく察知されずに、天才サトシ・ナカモト氏を殺害できる人間なんていない。それにしても……自殺者なんて四十九年ぶりだ……しかも全財産を処分しただけでなく、『忘れられる権利』も行使するなんて……はっきり言わないだろうが、皆『不吉だ。縁起でもない』と思っているに違いない。当分のあいだ、誰もきみのお父さんについてしゃべりたくないだろうし、思い出したくもないだろう。しかし、本気で自殺の真相を調べたいなら、やり方はある」先生はそう言いながら食い入るような目つきでぼくの顔を見た。
「でも重要なのは、きみが何をしたいかだ。当たり前だが、過去は変えられない。だから、こういう結果を受けて、今後どういう人生を送りたいと思うか。大切なのはそれだよ」先生はその大きな手でぼくの両肩をギュッと掴みながら微笑んだ。
「あと数日もすれば手持ちのカネが底を尽きます。だからなんとかして食い扶持を得る方法を得なければなりません。調べるとしたら、その後です」ぼくは不安を隠すために装った真剣な眼差しでそう答えた。
「なるほど。まあ、そう考えるのも、分からないでもない。だがなサトル君、ここはゲンジツだ。食うためにビジネスをしている人間なんざ一人もいない。この世界の人間は、みんな夢追い人だ。夢を実現させるために日々活動している。そして誰もが自分の夢をともに追いかける仲間を探している。きみは今、食うことに執着している。その状況に哀れみを感じる人間は確かにいるだろう。少なくとも今のうちは、な。だが人間は無常であり無情だ。夢が共有できない限り、いずれきみは仲間外れにされるだろうし、しまいにはあたかも存在しない人間として扱われるだろう。それはおそらく、残念だがこの私とて例外でない。この世界で生きて行くには、余計なことを考えている暇はない。そういう人間は嫌われる。それが常識というものだ。きみのお父さんは自殺した。しかも自分の全記録・データを抹消した。それによって失われた技術もある。だからゲンジツの人間は皆、すっかりかれのことを忌み嫌っている。憎悪さえ感じているかもしれない。残酷に聞こえるかもしれないが、ゲンジツで生きて行くには、お父さんのことは、きれいさっぱり忘れる必要がある。きみはジョージ・オーウェルの『1984年』という小説を読んだことがあるだろ。あの小説に出てくるゴールドスタインという男をおぼえているかい? 今、きみのお父さんは、あのゴールドスタインに似ている。それを肝に銘じることだ」
ぼくはポール先生のアドバイスを頭では理解できても、心では受け入れられなかった。そのため、その翌日、ぼくは自分の投資計画をマーケットに提示して資金を得ようとした。メグミさんや学友の親たちからの質問を受けて、内容はかなりブラッシュアップできた。その甲斐あってか、どのビジネスパーソンも口癖のように「ファンダメンタルズは素晴らしい」と言ってくれた。けれども、契約合意に至ることは、ただの一度もなかった。ぼくは単刀直入に「なぜですか? 自分の持ち物で価値あるモノは、なにもかも売ってしまいました。あなたたちに見捨てられたら、ぼくは生きていけません。死ぬしかないんです!」と訴え続けたが、誰も首を縦に振ってくれなかった。自分が、罠から逃れられずに体力を少しずつ失い、死の淵へ追い詰められる動物のような感じがした。
「サトル君、これで分かっただろう。さあ、どうする。お父さんのことは忘れて、ビジネスパーソンとして夢を追いかけるか。それとも、お父さんの自殺の真相究明を当座のライフワークとするか。どちらを選ぶ?」
この日は学校が休みだったため、ポール先生は最新の拡張現実(AR=Augmented Reality)技術を使ってファルコンと化し、大空を飛んでいた。ぼくのアイウェアには空中遊泳を楽しむ先生の姿がはっきりと浮かび上がった。
「しかし先生、仮にぼくが真相究明を選択した場合、どうなるんですか? 父について語りたい人間はいない、そうおっしゃいましたよね? どうやって調査をしたり、情報収集をしたりするんですか?」ぼくも
「ゲンジツを捨てて、カソウに移住するといい」
「カソウに移住する? そんなことできるんですか? それになぜ、カソウに移住すれば情報収集がしやすくなるんですか? 言っていることの意味が分かりません」
すると次の瞬間、先生はいきなり空から降下し、ぼくの目の前に着地した。そして人間の姿に戻った。
「ゲンジツからカソウに移住することはできる。ただ今まで、ほとんど誰も実行した人間はいない。それだけのことだ。多分、カソウであれば食いっぱぐれはしないはずだ……。ポイントは人間が死後もカソウでボーグとして存在できる点だ。しかも、ゲンジツにいた頃の記憶と記録を持ち続けて、だ。ということは、きみのお父さんに関する情報も得られるかもしれない。カソウであれば、ここと違ってきみのお父さんの話がタブー視されることはないだろう。まあ、おそらくだけどな。細かいことは私の専門外だから、カソウを長年研究している、ゲーブ先生に聞いてみるといい。納得できるプランが作れるかもしれない」
ぼくはポール先生に礼を言い、すぐさまゲーブ先生にコンタクトをとった。
「今は忙しいので、明日でもいいかな? 問題なければ、十時に研究室に来てほしい」
翌日、ぼくは指定の時間に先生のところを訪ねた。
「先生、早速ですが、仮にぼくがカソウでボーグから父の死に関する情報を得たいとします。それは可能ですか?」
「もちろん可能だ。肉体の死後にボーグとして生き続ける選択をした人間は、皆ゲンジツからカソウへ移住する。今のボーグはオメガ型だ。つまり、ボーグのBRMTはアップデートされない。肉体が生きていたときの状態で存在し続ける。だから、きみのお父さんの死について、何らかの情報を持っていれば、聞き出すことはできる。ただし、タダとはいかないだろう。ゲンジツと違い、基本的にカソウでは細かいやりとりを含めたすべてがディールの対象だからだ」
「仮にぼくがカソウに移住した場合、どういう生き方をすればいいと思いますか? ビジネスパーソンとして活動できますか?」
「きみが学校で学んだ投資やロボット開発・管理などは何の役にも立たない。今までの勉強で唯一役に立つのは言葉だろう。カソウのヒトはゲンジツのロボットと同じ言語を操るからだ。語学の勉強を真面目にしてきたなら、簡単に意思疎通ができる。だがカソウのヒトとわれわれは、生き方がだいぶ異なる。かれらは労働によって生計を立てている。ゲンジツでロボットがやっているような仕事――モノやサービスを作ったり、売買したり、処分したり――を日々行なっている。ちなみにゲンジツの通貨はソトではなくナカだ。移住した場合は通貨を両替しなければならない。ところで、向こうではきみもビジネスではなく、仕事をする必要がある。最もいい仕事は、ゲンジツに関する情報を提供するサービス業ではないか? カソウのヒトは皆、ゲンジツに移住したい。だが、ゲンジツに関する情報を得ることが、なかなかできない。そのためゲンジツに関するフェイク情報を売って大儲けしている業者もいるぐらいだ。けれどもきみは正しい情報を知っている。だからきみのところには、たくさんのお客さんがやって来るはずだ。食いっぱぐれることはないだろう」
「再びゲンジツに帰ってくることはできるんですか?」
「ゲンジツの人間でカソウに移住するヒトはほとんどいない。ましてや再びゲンジツに帰ってきたヒトなど、おそらく一人もいないはずだ。だから正直言って分からない。だが生きてさえいれば可能性はあるだろう。ポイントはカネだ。カソウのヒトがゲンジツに移住するには、一定以上のナカを貯める必要がある。しかし実際どのくらい必要かはオープンにされていない。これがわかるのはカソウのAI・バーグだけだが、今のところわれわれは、AI・バーグを完全に理解できたとは言えない」
「ぼくは人間として存在できるんですか? さっきからヒトという言葉を使っていますが、人間とヒトは同一の存在ですか?」
「ちょっとだけ異なる。ゲンジツで人間と呼ばれている存在が、カソウのヒトだ。向こうでは人間とは呼ばない。理由はかれらが我々と違い、ロボットのように労働に従事しなければならないからであり、我々のように、生身の肉体では存在できないからだ。でも安心したまえ。カソウに移ってもサトル君は引き続きサトル君だ。ちなみにカソウに拡張現実(AR)はない。ロボットもここゲンジツとは役割が大きく異なる。カソウのロボットは労働型ではなくコンパニオン型だ。名前はボット。ヒトのパートナーやペットなどとして存在する。AI・バーグの主な役割はパノプティコンだ」
「すいません、先生。それはどういう意味ですか?」
「カソウのヒトはAI・バーグによって常時監視されている。バーグは外側(行動)だけでなく、内側(感情)のデータも収集している。カソウのデータはすべてブロックチェーンに記録されているが、ほとんどが開示されていない。かれらと会話するときに重要なこと、それは記録ではなく、記憶に基づいた話をすることだ」
「誰かがぼくに危害を加えようとする可能性はありますか?」
「それは、当然あるだろうね。カソウでは誰もが経済競争に勝ち、たくさんカネを儲けて、ゲンジツに移住したいと願っている。他人を騙したりするのは当たり前。きみが邪魔な存在だとみなされれば排除される可能性もある。だが、かれらからすれば、きみは希少価値がある。これは言い換えれば利用価値があることも意味する。だからあまり心配する必要はないはずだ」
「AI・バーグがぼくを敵視したり〈中立化〉したりすることはありますか?」
「AI・バーグの役割は『監視はすれども、関与はせず』だ。つまりゲームの管理人みたいな存在だ。それぞれのヒトが仕事に就き、カネを稼ぎ、ボットとともに暮らし、選ばれた一握りが自然とゲンジツに移住できるようにする――それがバーグの仕事だ。それを妨害しない限り、そういうことにはならないはずだ。ただし、さっきも説明したとおり、われわれはこのAIを完全には理解できていない。あれはもともとゲンジツの人間が開発したアルゴリズムだが、何十年も前に人間の管理下から離れ、自己学習を繰り返してきた。そのプロセスがブラックボックス化しているため、完全に理解することは、もはやできないかもしれない」
ゲーブ先生との会話はその後も暫く続いた。質問をひととおり聞き終えたぼくは先生に礼を述べた。そして研究室をあとにした。